98年12月19日
19時30分35秒
近況報告。
長い間、薫風舎日記を更新する事ができず、申し訳ありませんでした。大勢の方から、お叱り?をいただき、書かなきゃと思いつつ、なかなかゆっくりパソコンに向かう時間をとれずにいました。
今年の秋は、暖かくてとても長く楽しめました。旭岳の紅葉は、今一つだったようですが、紅葉が里に降りてくるころには、十分美しくなっていました。11月7日の、薫風舎でのフルートとハープのコンサートの頃まで、カラマツの紅葉が美しかったです。
11月10日前後に、遅い初雪がこの辺りに積もりました。その雪のなか、私たち(主人と、スタッフのマー坊、チャイ、ムックの3名と2匹)は、3泊4日道南飽食の旅に出かけたのでした。
そのあと、20日頃に、一気に真冬に突入。本当に、きっぱりと冬がやってきました。
その後も、山下達郎のコンサート、主人のぎっくり腰、そして、来週は、私の所属している、札幌コダーイ合唱団による、ヘンデルのメサイアの公演(札幌、旭川、小樽)と、日記の題材には事欠かない、いろいろな事がありました。
それらについて、26日の本番(私の旭川デビュー?!)が終わったら、ぼちぼちと書いて行きたいと思います。もうしばらくお待ち下さい。
今年は、毎日本当によく雪が降ります。道路のわきの雪山は、もうすでに背丈以上もあります。
皆様、よいクリスマスを、お過ごし下さい。
98年10月05日
22時51分27秒
ついに来た!
昨日、18年来の友人が、社員旅行の帰りに、釧路からレンタカーを飛ばして、土砂降りのなか、わざわざ会いに来てくれました。
昼食を食べて、懐かしい話に花を咲かせていましたが、夕方の飛行機までにはだいぶ間があったので、お天気も悪いし、十勝岳まで温泉にでも入りに行こうということになりました。
下から見ると、山はまったく見えませんでしたが、それでも、望岳台まで登る道は、思ったより見晴らしが良く、空には、雨雲と白い雲が入り混じり、遥か遠くに青空ものぞく、不思議な光景でした。
望岳台を超えたあたりで、雨に白いものが混じり始めました。その先の吹き上げ温泉が、日曜日の夕方とあって、やたらと混んでいたので、もう少し上の、カミホロ荘と言うところまで行くことにしました。
十勝岳のほうに登っていくと、雨は、完全に雪に変わり、上から降りてくる車が 3、4センチ程も雪をかぶっていたので、ギョッとなったのでした。
車から降りると、外は、2℃。おお、ついに来たか・・・と、少し重苦しい気持ちと、なんとなく嬉しい気持ちが入り混じりました。
夕暮れが近づくにしたがって、空は少しずつ明るくなって、山から下りたころには、久しぶりに夕焼けが出ていました。
今朝、久しぶりに姿をあらわした山は、粉砂糖をまぶしたように、真っ白な雪がかかっていました。
98年9月16日 09時52分02秒
雷雨とともに秋はきた!
今年は、夏らしい日がほとんど無く、8月などは、まるで梅雨のようにどんよりした日が続きました。暑くもなく寒くもないので、過ごしやすいといえば過ごしやすかったのですが、山もほとんど見えず、湿気も多いので、体調まで悪くなってしまいそうなほどでした。いつもだと、8月20日を過ぎたあたりから、空気が澄んで、凛としてきて、きっぱりと秋を感じることができるのですが、夏が来ないと秋も来ない。いつまでも、はっきりしない、季節感を感じることのできない日が続き、もう今年はだめかなあと半分あきらめかけていました。
一昨日、夕食をはじめる少し前に、ものすごい雷雨がやってきました。稲光が空から炸裂して、まるで昼のように明るくなったかと思うと、バリバリとすごい音がして、まさにバケツをひっくり返したような雨が降ってきました。そこらじゅうで、稲妻が地面に向かって突き刺すように落ち、うちの前の住宅の電気が、いっせいに消えてしまいました。伊福部昭の音楽とともに、ゴジラがのしのしとやってきそうな雰囲気でありました。
さすがに、私たちも危機を感じて、とりあえず停電に備えてろうそくなどを用意したりしましたが、お客さんの方は、意外とのんきに喜んでいたようで、「稲光ってきれいですね。初めて見ました。」などど、にこにこしている人もいました。
雷雨は、一時は少しおさまったものの、12時過ぎまで続き、あまりのすごさに犬たちまで散歩に行くのを嫌がって、玄関にへばりついていました。
次の朝になると、雨はすっかり上がり、見ている間に雲が山の向こうに去って行って、抜けるような青空になりました。十勝岳連峰がすっきり見えて、まぎれもなく秋の空気です。噴煙が、もくもくと立ち昇り、午前中なのに山肌まではっきりと見えました。
その日は、連休がらみでちょっと忙しかったのですが、そんなことは言っていられません。急いで掃除を済ませて、お弁当( さすがに作る時間は無いのでコンビニで買ってきた。)を持って、スタッフのマー坊と2匹の犬たちを連れ、望岳台という十勝岳の中腹までとんで行ったのでした。
日曜日ということもあり、皆考えることは同じなのか、大勢の人が、ようやく訪れた秋を味わいに来ていました。
テーブルに広げた、セブンイレブンのおにぎり弁当と熱い番茶のおいしかったこと!外で食べると、なんでこんなにおいしいのでしょう。
満腹になった私たちは、それから野鳥の森の散策路を30分ほど歩き、心地よい汗をかいて、白金模範牧場で牛と写真まで撮り、すっかり満足して帰ったのでした。9月14日記
追記 秋はつかの間。さわやかな秋晴れも、次の日の午後には終わり、15日は土砂降り、16日はなんと台風の接近で、暴風雨となってしまいました。いったい今年はどうなっているのでしょうか?
98年8月13日
09時48分59秒
カッコウの不思議3(季節はずれの最終回)
昨日の北海道新聞(正確には一昨日の夕刊。ここは、次の朝朝刊と一緒にくるのです。) に、今年は、カッコウが全国的におかしい、という記事が載っていました。渡来時期も例年に比べて遅く、数も激減しているというのです。私が、今年はなんかおかしい、と思ったのもまんざらではありませんでした。
原因は不明だが、東南アジアのエルニーニョ現象や森林火災などにも関連があるかもしれないとのことで、単に、寒かったからではなさそうです。でも、さすがに、音程のことについては書かれていませんでした。
6月にようやく鳴き始めたカッコウの音程を聞いていたら、なんだか去年までよりも狭いような気がするのです。大体、普通は長3度よりも若干広めと思っていたのですが、今年は、平均律の長3度よりも少し狭いことが多いのです。純正律の3度の様です。もちろん、その時によって、少し広い3度だったり、完全4度になることもありますが、平均すると、やはり狭くて、鳴き方もどうもいつもよりゆっくりで暗い感じがするのです。鳴いている時間も短いように思います。
寒いのかなあと思いましたが、割合に冷えた朝に4度だったり、お天気の日の夕方、狭い音程だったりすることもあり、聞けば聞くほどよくわからなくなってきました。だんだん自分の耳も信用できなくなり、カッコウが鳴くたびに、悩んでしまうのでした。
でも、7月にはいって、その音程も鳴き方も少しずつ例年通りになってきたような気もします。もちろん、カッコウのそのときの気分や体調にもよるでしょうし、仕事をしながら、なんとなく鳴き方を聞いているだけでは、原因を特定するなど、まったく不可能ですが、気温もその要因の一つではないだろうかと、思えて仕方ありません。人間だって、寒いと体が縮こまって、暗い気持ちになるのですから、カッコウだってきっと、寒いと声にも元気がなくなるのです。
カッコウの事について書こうと思い立ってから、はや2ヶ月半。"カッコウの不思議1# からでも1ヶ月半も経ってしまいました。こんなに、勿体をつけて書こうと思ったわけではないのですが、いかんせん、トップシーズンに突入して、なかなか文章を書く時間を捻出するのは難しい状態だったのです。たくさんの方から、続きはいったいつ出るのだとお叱りを受けつつ、なんと7月の末にはカッコウの声も、ぱったりと途絶えてしまったのでした。
時間がかかった割には、あいまいな結論で、しかも最後は時期はずれ。申し訳ありません。来年は、ちゃんと細かく記録を取って、もっと確実なデータを元に検証しなければと、心に決めてみたものの、さてどうなりますことやら。
どなたか、カッコウの音程について、学術的な裏づけをご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ、ご連絡ください。
98年8月07日 23時05分37秒
麦の刈り取り
昨日、うちの前の麦畑の刈り取りが行われました。朝の9時半過ぎに、巨大なトラクターがものすごい音とともにやってきて、畑の中に入っていきました。麦のわらをまきちらしながら、どーっと進んでいくと、その後ろはまるでバリカンで刈られた5分刈り頭のように涼しくなりました。広い畑が、ものの一時間あまりですっかり様変わりしてしまったのでした。
5月から、毎日私達の目を楽しませてくれた麦。7月には、毎日少しずつ色を変えていきました。青々とした一面の緑の畑が、気がつくと黄金色に輝き出し、そして、昨日ようやく、その役目を無事終えたのでした。
去年は、収穫の前に激しい雨が降り、あちこちの畑で麦が倒れてしまっていました。ほぼ、全滅だったそうです。せっかく大事に育てた麦が、収穫を目前にして、あっけなくだめになってしまうなんて、本当に残酷です。
今年は、何とか倒れずにいてくれと、雨が降るたびに、祈るような気持ちでいました。秋蒔きの麦も春蒔きの麦も、一部、倒れた部分もありましたが、ほぼ、大丈夫だったようで、ほっとしています。
昨日刈り取られた我が家の前の麦も、最後まで元気にがんばってくれました。刈り取りを終えた畑を見ると、とてもさびしい気持ちですが、毎日見守っていた麦達が立派に成長し、無事収穫の日を迎えられたと思うと、感慨無量です。
7月に入ってから、ジャガイモの花が咲き、それが終わってもう芋掘りをしている畑もあります。とうきび畑は、背丈ほどに伸びて、黄色い穂を揺らしています。麦は、今まさに刈り取りの真っ最中です。
薫風舎もシーズン真っ盛りで、毎日仕事に終われて、季節の移り変わりを忘れてしまうことがありますが、気がつくともう秋はすぐそこまで来ているのです。
98年7月25日
15時16分07秒
カッコウの不思議2
数年前、まだ札幌にいたとき、札幌教育大学音楽科の中村隆夫先生のソルフェージュの講義が受けたくて、聴講生として1年間、大学に通いました。ソルフェージュというのは、音楽を勉強するためには必ず必要な音大の必須科目で、学生時代は大嫌いでした。中村先生のソルフェージュは、音大の受験の時や、日本の一般的な音楽大学で教えている無味乾燥な、機械的なソルフェージュとはまったく違い、ハンガリーの音楽教育に基づく、
いわば、生きたソルフェージュ、ソルフェージュ教授法で、講義に通った1年間は、私にとっては、きわめて有意義な楽しいものでした。
その講義の中で、先生が余談として、カッコウの音程について話されていました。小学校の教科書にも出てくる"カッコウ」や「カッコウワルツ」は、誰でも一度は耳にしたことがあると思いますが、いろいろな作曲家が、楽曲の中にカッコウの鳴声を書いています。その、曲中のカッコウの鳴声は、ほとんどが長3度もしくは短3度です。
長3度というのは、たとえばミード(ここで出てくる階名は、すべて移動ドです。 こだわる方だけご了承ください.)短3度はソーミや、ドーラなどです。たとえば、「カッコウワルツ」のカッコウは、ミードと鳴き、"カッコウ#ではソーミと鳴いています。
ところが、マーラーの交響曲第1番の冒頭に現れるカッコウは、完全4度のドーソで鳴いているのです。4度で鳴くカッコウの曲は、他にはほとんどないそうです。なぜ、マーラーは、3度ではなく4度のカッコウにしたのか。そのときはその話を伺って、それは単なる作曲家の作品における都合というふうにしか思いませんでした。
それから1年あまり、私達が美瑛に移り住んでから、初夏の訪れとともに、毎日、カッコウの声を聞きながら生活するようになりました。毎年決まって、5月20日前後になると聞こえてくる、その声に耳を傾けていると、つい、音程を気にしながら聞いています。
たいていは、長3度よりちょっと広めかなと思う音程なのですが、よく聞いていると、その時によって音程がかなり違うのです。今日は、暑かったなあと思う日の夕方など、鳴き方も心なしか興奮気味で、カッコウのカのところがだんだんつりあがって、広くなっていきます。完全4度のこともありますし、4度を通り越して、減5度くらい(たとえばシーファ)まで広がっていることもあります。そうかと思えば、長3度よりかなり狭くて、暗い響きのときもあるのです。
いったい何が原因なのだろうと、だんだん気になりだし、カッコウの声が聞こえてくると、そのときの状態などに気を付けながら、いつのまにか意識的に聞くようになってしまいました。
去年までは、きっとそのときの気温によって、音程が変わるのだろうと、漠然と思っていました。(つづく)
98年7月06日 13時50分56秒
緑の絨毯
7月に入って、どんよりした日が続いていましたが、今日は久しぶりに青空が見えています。山は、雲がかかって半分くらいしか見えませんが、日の光が畑に当たると、緑が輝いて美しいです。
今年、うちの十勝岳を望むデッキの前に広がる畑は、春蒔きの小麦です。まだそこに雪がある頃、今年は小麦と聞いて、私たちは手を取り合って喜んだのでした。薫風舎初めてのシーズンが小麦で、GWが過ぎてから刈り取りまでの間、毎日それを眺めるのがうれしくて仕方ありませんでした。畑は、土地が痩せないように毎年作物を変えるので、また同じ喜びを感じるまでには、何年も待たなければなりません。今年、ようやく4年目にして、再び目の前の小麦畑を味わうことが出来ました。
5月の初め、耕されて黒々としていた畑に、うぶ毛のように緑のベールが掛かっていました。毎日見るたびに、少しずつ背が伸び、緑の色が変わって、1ヶ月もすると鮮やかな緑の絨毯になっていました。
そして6月末、かすかに白味がかった、青々とした穂が顔を出しました。春蒔きの小麦は穂の先に伸びたヒゲが、畑の表面をビロードのように見せてくれます。風が吹くと、その穂が波打って、シャカシャカと、涼しな音を聞かせてくれます。
今、うちのまわりは、秋まきの小麦が黄金色に輝き始め、いつもより少し早くジャガイモの花が満開で、春まき小麦の手前に蒔いたキカラシの花も咲き始めて、とてもにぎやかです。
そして、何といっても、春蒔きの小麦の絨毯とその周りの作物の、緑のグラディエーションが、ことばではとても言い尽くせないほど美しいです。
98年7月01日
08時48分40秒
カッコウの不思議1
毎年、旭川に野菜の種を買いに行き、いつ頃蒔いたらよいかをうかがうと、きまって、カッコウが鳴いたら大丈夫と言われます。例年、だいたい5月20日前後になるとカッコウが鳴き出して、そうすると霜がもう降りないという知らせなのだそうです。
気をつけて合図を待っていると、暖かい時は5月15日過ぎくらい、寒い年でも25日には、森からカッコウの鳴き声が響き渡りはじめます。そうして夏まで、のどかなその声を聞きながら過ごします。だんだん忙しくなって、気持ちにゆとりがなくなった時など、カッコウのおっとりした声を聞くだけで、ほっとしたりします。
ところが、今年はそのカッコウが少し変なのです。5月、例年よりもかなり暑かったのに、20日を過ぎても一向に鳴き声が聞こえません。ようやく、声を確認できたのは、6月に入ってしばらくしてからでした。案の定、6月上旬は、異常に寒くて何度か霜も降りたのでした。でも、おかしいのはそれだけではありません。どうも、いつもと鳴き方が違うような気がしてならないのです。(つづく)
98年6月15日 11時46分24秒
大根菜はおいしい!
野菜の種を蒔くと、一番最初に芽を出すのは、いつでも大根です。人参などは、本当に芽が出るのだろうかと心配になってきた頃、少しずつ生え出す無神経な雑草の陰に、うっすらと潜む2本の細いひげのような双葉を、ようやくのぞかせてくれます。
あまりにひそやかなその新芽は、私たちのような素人では、うっかり踏んづけたり、雑草と一緒に抜いてしまったりするので、少し大きくなるまでなかなか近づけません。
それに引き換え大根の方は、種を蒔いて一週間もしないうちに、まあるいしっかりした双葉が、ほぼいっせいに生え揃い、頼もしいかぎりです。みるみるおおきくなって、そこだけは早くから畑らしくなってくれるので、人参畑を見てくじけそうになる私たちを、励ましてくれているようです。大根ががんばっているのだ私たちもがんばろう!・・・とまでは思いませんが、心のささえになってくれています。
5月16日に蒔いた大根の種が、早々に芽を出し、今では、葉が手のひらを二つ広げたよりもおおきくなって、畑でひしめき合っています。
一ヶ所に2、3粒種を蒔いたので、そろそろ間引かなくてはいけません。
どの野菜でも、みんなそうやって種を多く蒔いて、本葉が出そろった頃、丈夫な一本を残して間引くのですが、初めはなんだかもったいなくてかわいそうで、気が進みませんでした。でも、そうしないと、おいしい野菜が、ちゃんと育ちません。種を必ず多く蒔くのは、発芽率のことともう一つ、複数の種がお互いに競うので、1粒だけを蒔くよりも、元気に育つのだそうです。
大根の葉は、ちょうど今ごろの若いものが食べごろなので、間引くと同時に、立派に野菜として活躍してくれます。
競い合った1本を残して丁寧に抜き、葉を良く洗って、いためたり、お味噌汁の具にしたりして、毎年楽しんでいます。ちょっと苦みのあるしっかりした味で、ものすごく栄養もあるそうです。
そんなにおいしい大根の葉を、自分たちだけで食べてはあまりにもったいないので、去年からは、薫風舎のメニューにも加わりました。「超」季節限定、大根菜のキッシュです。焼きあがったキッシュから、大根菜の香りがぷんとして、食欲をそそります。チーズと卵のやさしい味に、大根菜のちょっとほろ苦い独特の風味が加わり、好評です。
たくさん取ったつもりでも、さっと茹でただけで、ものすごく少なくなってしまうので、この時期、ほんの数回しかお出しできないのが、とても残念です。
98年6月07日
07時23分36秒
運動会日和です!
今$このあたりは朝6時には$もう真昼のように明るく$久しぶりの快晴の中$どんどんと花火が揚がりました!今日は$美沢小学校の大運動会です!
そう言えば$昨日$となりの小原さんが$いつもよりずいぶん早く、アスパラ畑から上がっていたようでした!農作業で忙しい合間の$この大イベントに、家族総出で準備をしているのでしょう!きっと$今ごろたくさんご馳走を作っているに違いありません!
うちに$ピアノを習いに来ている$小原志織ちゃんや$学校の向かいの増山遥ちゃんが$金曜日のレッスンの時にも$運動会のことを$一生懸命話していたので$人目でも$2人のがんばっている姿を見に行きたいのですが$この時期の日曜日は$さすがに忙しくてなかなか動きが取れず$毎年そう思いながら掃除や仕込みに追われてしまいます!
去年は$悪天候の中強行。ここからも$斜め前の学校が見えますので$仕事をしながら$時々グランドの方を眺めていました!結局$途中で大雨と強風のため$体育館に移動したそうです!
なにはともあれ$今日は$絶好の運動会日和!残雪の残りわずかの十勝岳の麓$ さわやかに輝く緑の中で$どうかみんながんばってほしいと思います!
98年6月04日
08時42分35秒
ラトル指揮バーミンガム市響、行ってきました。3(至福の時)
休憩の後は、いよいよベートーヴェンの交響曲第三番「英雄」です。カーリーヘアーのハンサムなラトルが、さっそうと登場。第一部のすばらしい演奏で、客席の拍手も期待に満ちたものでした。
一瞬の張り詰めた緊張感。ファンッと鳴り響く管の音。そして、その後に弦楽器が奏でるあまりにも有名なメロディーは、力みのまったくない、しなやかな、それでいて$力強いものでした!第2楽章葬送行進曲の冒頭のピアニッシモは$ピアニッシモでありながら$非常に純度の高いエネルギーを内包し、決して演奏者の自己満足ではない、深い悲しみを表現しているように思えました!
第3楽章の躍動感$そして$フィナーレのフーガは$すべての声部がのびのびと歌われているにもかかわらず$少しもアンサンブルが乱れることなく、クライマックスに向かって高まっていったのでした!
息をつく間もなく$あっという間に曲が終わったという感じでした!
ラトルの音楽は$曲の隅々まで$研究され$分析されて、オーケストラとの間で十分に練られ$構築されたものを$演奏が始まる瞬間にすべて取りはらい、演奏に関わるすべての人々が$その時間、きわめて自由に$伸びやかに音楽を奏でているかのようでした。そこには$作為的なものや$誇張は一切なく$すべてが自然に起こっているとさえ思えるほどです!そして$溢れ出すように会場全体に広がったその音楽は$聴いている私たちを巻き込んで、その瞬間を共有できることの喜びを堪能させてくれたのでした!
それは$指揮者とオーケストラの強い信頼関係なしには$ありえないことのように思います!どんな名指揮者と名プレーヤーの共演でも、そこに少しでも隙間があれば$それを隠すことは出来ないと思うのです!
そういった意味で$この無名だったオーケストラを$世界中に知らしめた$サイモン・ラトルという指揮者と$それにこたえたオーケストラが作り出す$音楽のすごさをあらためて感じます!
後の新聞で$ラトルがバーミンガム市響の音楽監督を務めるのは$今期限りということを知りました!後任は$サカリ・オラモという無名の若手指揮者だそうです! 新しい指揮者で$このオーケストラがどのように変わっていくか$そしてラトルが今後どのように活躍していくのかが$楽しみです。が$同時に$この夜味わった至福の時が$二度と帰っては来ないのかと思うと$寂しい限りです!
98年6月01日 10時12分10秒
ラトル指揮バーミンガム市響、行ってきました。2(いよいよ開演)
会場に駆け込み、席を探して着席。いよいよ開演です。キタラホールは3月のブリュッヘン指揮モツレク(というのは、モーツァルトのレクイエムのこと。)以来2度目ですが、客席から見下ろすように作られた低めのステージは開放感があり、演奏が、ふわっと会場全体に広がるような感じがします。その夜行われる至福の時を、そこにいるすべての人々が一体となって感じ取れるような雰囲気があります。
一曲目はブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ長調Op77、ヴァイオリンは、イダ・ヘンデルでした。
イダ・ヘンデルは、70過ぎの女性で、若いラトルの後ろから堂々と現れた姿は、とても印象に残っています。笑顔ひとつ見せずにすっとヴァイオリンをかまえ、演奏が始まりました。何とぶっきらぼうな人だろう、と思いました。演奏は、年齢を感じさせないシャープな、気迫あふれるものでした。恥ずかしながら私は、名前も演奏も知らなかったのですが、幼少の頃、天才少女としてデビューし、その後多くの名指揮者と共演して絶賛され、活躍した伝説のヴァイオリニストで、特に、チェリビダッケと共演した「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」は、歴史に残る名演奏だそうです。
その演奏の2年後に生まれた、ラトルとの共演で、同じ曲を聞くことが出来た私は、何と幸せだったことか。ヘンデルは、、曲の本質を身体全体で隅々まで消化し、決して飾ることなく、純粋に表現していました。指揮者とオーケストラが、それを大きく包み込み、そして一体となって会場全体に行き渡らせてくれたようでした。演奏が終わって満場喝采を浴びた時、彼女は、初めてにっこりと笑ったのでした。(次回につづく)
98年5月31日 10時16分48秒
ラトル指揮バーミンガム市響に行ってきました。(プロムナード)
5月25日、札幌キタラホールで行われたサイモン%ラトル指揮バーミンガム市交響楽団の演奏会に、行ってきました。この時期は、いつ予約が入るか分からないので、3月に、この日だけはよろしく頼むと、主人に懇願して1枚だけチケットを買っておいたのでした。
前日法事があったので、24日の午後、車で一人札幌に向かいました。次の日、 長野から来ていた叔母が青春時代を過ごした小樽に、しばらく行っていないと言うので、母と3人で小樽に足を運びました。
叔母が通った高校をたずねて、長橋というところの細い坂道を車で上がっていくと、小樽港と対岸の厚田の浜が一望できて、とても美しかったです。高校は、すっかり変わってしまったそうですが、お弁当を忘れて校門のところまで届けてもらっている男子生徒や、卒業写真用でしょうか、記念撮影をしている先生と生徒の姿を見ていると、何とものどかな気持ちになりました。
前日、お泊りになったお客様がたまたま小樽の方で、おいしいお寿司やさんを、教えて下さったので、さっそく行ってみました。やはり、口コミが一番と、大満足でした。とてもおいしかったです!!ここで、そのお店の名前をお教えしたいのですが、とても小さいところで、取材も拒否しているとのこと。大変残念ですが、お泊まり下さった方に、こっそりお教えしたいと思います。ごめんなさい。
小樽のことを書いていると、なかなかコンサートに到達できません。昔の小樽を知っている人間にとっては、色々と言いたいことはあるのですが、それはまた今度にして、キタラに向かわなくては・・・。
あ、一つだけ、北一ガラスの前で、昨日お泊りになったお客様にばったりお会いしたのには、お互いに笑ってしまいました。
さて、大急ぎで札幌に帰って、中島公園の奥にあるキタラホールに向かいました。新緑の札幌は、ライラックが満開で、駐車場からホールに向かう道は、コンサートの前の幸せな気持ちを味わうのにはとても良い散歩コースになっています。ゆっくりと木々や池などを眺めながら歩いていると、少しずつ現実から離れて、コンサートが終わるまでの時間をより一層満ち足りたものにしてくれるのです。が、今回は、そんな気持ちを味わうまもなくそんなプロムナードを、全速力で駆け抜けて、ホールに滑り込んだのでした。(つづく)
98年5月23日
19時20分52秒
アスパラのしあわせ
5月、毎日少しずつ濃くなる畑や森の緑を楽しみながら、 十勝岳の残雪が、小さくなっていくことを惜しみながら、 私たちが待ち焦がれていること、それは、アスパラの収穫です。
となり(といっても300mは離れている)の小原さんのアスパラ畑が、 薫風舎の厨房からよく見えます。その畑を、小原さんのおじいちゃん、 おばあちゃんが腰をかがめながら歩き始めると、待ちに待ったアスパラの
季節となるのです。
このあたりは、ジャガイモでもカボチャでも、何でもおいしいのですが、 収穫したばかりの、さっと茹でたアスパラを口にほおばった時の幸せな
気持ちは、他には比べようがありません。親指ほどもあるようなアスパラ のみずみずしさと甘さは、ああ!!こうやって想像しているだけでも、 よだれが出てきます。
今年は、4月から例年になく暖かい日が多かったので、いつもよりも早く しあわせを味わうことができました。(・・・ということは、 いつもより早く、しあわせが去っていくということでもあるのですが。)
夕方、収穫が終わるのを見計らって、小原さんの家にいそいそと出かけ 6時半の夕食の時間ぎりぎりに、きっちり1分間茹でて氷水で冷やします。 味見と称して、何もつけずにそれを口の中に突っ込むのが密かな楽しみと
なっています。
そして、そのアスパラに、にんにくとオリーブオイルのソースをかけただ けの極めてシンプルな料理を食べていただくのが、とても楽しみです。
お客様がそれを口に運んだ時の、幸せそうな顔を見ると、本当にうれしく なります。
アスパラのおいしさを味わうには、このソースが一番!%%%と、胸を張って
いえます。色々と、他の食べ方を考えては見たのですが、どれも、 このソースにはかなわない気がするのです。
5月の中旬から7月の初めまで、新緑と残雪(今年は、もっと早く
消えそうです)とアスパラのしあわせが続きます。
98年5月16日 21時42分19秒
野菜の種を蒔きました。
きょうは、朝からとてもよいお天気で、十勝岳が、暑さにすこしけむって見えたように感じたほどでした。最高気温が、おそらく30度近くまで行ったと思います。
そんな中、遅れていた野菜の種まきをしました。
まわりの農家の方々が、芸術的なほど整然とした畑を作る中、わが、薫風舎の小さい畑だけは、畝がぐにゃっと曲がって、毎年恥ずかしい思いをしています。今年こそは、まっすぐな美しい畑を作ろうと心に決めて、3人気合いを入れて作業にとりかかったのでした。(3人とは、私たち夫婦と滋賀県から来てくれているスタッフの女の子−通称マー坊−のことです。今シーズンは、この3人で力を合わせてやっていきます。どうぞよろしくお願いします。)
いつもの年よりも相当丁寧にメジャーで畝間を計り、その線に沿って、真っ直ぐに(!!)筋を切り、有機肥料を蒔いていきます。そこを再び切って、いよいよ種まきです。どうか、無事、丈夫においしく育ってくれよと願いを込めて、ふたつぶかみつぶずつ腰をかがめて種を落としていきます。最後に足や手(野菜の種類により若干異なります。)を使って土をかぶせて、空気が入らないように踏んでいきます。
われながら、今年はなかなか美しくできたのではないかと思います。やはり、時間をかけて丁寧にやるのが一番だということを、4シーズン目にして実感しました。(気付くのに4年もかかるなんて、情けない気もしますが。)後は、蒔いた種が無事芽を出して、順調に育ってくれるよう、祈るばかりです。種の状態や、天候などに左右され、どうなるかは本当に分かりません。
今日蒔いた種は、大根、人参、エンダイブという洋野菜、とうきび、さやいんげんなどです。これから、今苗を作っているズッキーニやハーブ、それにカボチャやビーツというボルシチなどに入れる真っ赤なかぶ、ナスやトマトをはじめとした野菜などを、少しずつ植えていきます。今日植えたものも時期を少しずつずらしながら、また植えます。
4年前、土地を分けてくれた千葉さんのおじいちゃん、おばあちゃんに手取り足取り教えてもらいました。何がなんだかわからないうちにとうきびと人参の種まきが終わったのをおぼえています。それから3ヶ月、大きく育ったとうきびのおいしかったこと!!忘れられません。
毎年、去年はどうやったっけと、あやしい記憶をたどりながら、畑を作りつづけています。でも、毎年ほんの少しずつですが、野菜たちと気持ちが通じるようになってきたような気がします。よくもまあ、こんな頼りない私たちの畑で、元気においしく育ってくれたものだと、毎年感謝しながら、お客様に食べていただくのが、とても楽しみです。
さて、今年は、どうなりますことやら。どうか、楽しみにしていて下さい。
98年5月12日
09時58分06秒
相原求一朗デッサン館 中札内村にあり、六花亭が運営している相原求一朗美術館の2号館に当たる美術館が、昨年秋に帯広市内にオープンしました。
今回の帯広行きの一つの目的が、このデッサン館を訪ねることでした。 明治44年から大正元年にかけて建てられたという煉瓦造りの建物は、およそ90年という時間を経てモダンな美術館に生まれ変わっていました。入り口を入って左の部屋がデッサンの展示室になっており、相原先生のコメントもデッサンとともに楽しめます。今壁にかかっているのは、20数年前のヨーロッパ滞在中の作品と、北海道を描いた代表作のデッサンが数点です。
展示室を出て、受付の前を通りぬけると増築部分で、休憩スペースになっています。さりげなく部屋の片隅に置かれたワゴンの上には、コーヒーと菓子が自由に楽しめるように気遣われています。中札内美術村とともに、帯広へ行った時には、ぜひとも寄りたい場所になりました。
98年5月10日
13時46分54秒
コニファーを買いに行きました。(2)
去年宿泊した清水町の温泉にコテージがあり、安くてとても良かったので、今年もそこに泊まろうと電話したところ、その日は、温泉が使えないとのこと。仕方なく他を探すことにしました。
前から気になっていた、帯広の八千代牧場に問い合わせると、1泊2食で一人なんと5千円ちょっと。あまりにも安すぎるので、いささか不安だったのですが、この値段なら、どんなところでも驚かないと自分たちに言い聞かせて、そこに決めたのでした。
美瑛から狩勝峠を超えて、広々とした十勝平野の田園風景を眺めながら、山間の牧場へ到着。すばらしい眺めに、3人で思わず溜息を吐いたほどでした。丘の上にある宿泊施設は、レストラン兼研修所で、そう新しい建物ではありませんでしたが、気の優しいおばちゃんが焼いてくれた大きいステーキとシンプルながら気の利いた部屋、おいしい牛乳。宿泊費を考えると、十分満足のいくものでした。そして何より、広大で美しい景色の中を2匹の犬達とゆっくり散歩できたひとときは本当に、最高でした。
帯広へ行かれる方には、絶対おすすめのスポットです!!清水町の御影というところから、中札内へ抜ける道の途中です。
98年5月10日 09時56分38秒
:FL'0を買いに行きました。(1)
GWも一段落した5月6日、帯広へコニファーを買いに行きました。 温泉などに一泊して、連休の疲れを癒し、帯広からちょっと南に下ったところにある、中札内村というところにある、美術館を見学して、帰りに帯広の真鍋庭園でコニファーを購入するというのが、ここ3年ほど恒例になっています。
コニファーというのは、松やヒバなどの仲間で、常緑の針葉樹です。とても種類が多く、葉の色が黄金色のもの、少しブルーがかったもの、地にはうようなもの、こんもりとまあるくなるものやえんぴつのように伸びるものなど、実にさまざまな種類があります。それぞれ、個性があってとても魅力的でます。
薫風舎の庭に少しずつ仲間が増えていくのが楽しみで、毎年帯広に通っています。
Top Page