12月31日
大晦日の朝
穏やかな、大晦日の朝です。暖炉の前では、お客様同士がのんびりと歓談し、冬にしては早い出発の用意を、ぼちぼち始められた方もいらっしゃいます。朝食の後片付けを終えて、私はパソコンの前に座っています。いつもと変わらぬ、薫風舎の朝の風景です。
さあ、これから年越しの準備です。お節を作って、掃除をして、買い物に行って・・・。夜は、みんなで年越しそばをいただき、リピーターの森さんのお土産の、ハンガリーワインで乾杯することになっています。それを楽しみに、もうひとがんばりです。
今年も、大勢の方が、薫風舎をそして薫風舎のホームページを訪れてくださいました。本当に、ありがとうございました。皆様、どうかよい年をお迎えください。
12月30日
黒豆の香り
巷は、「今世紀最後」とか、「21世紀」の幕開けなどと騒いでいるが、どうも我が家は今年、12月に入っても、一向に「師走」の気ぜわしさを感じることができない。これは、まずいことだ。あれもこれも、やらなければならないことがたくさんあるのに、3人でのほほんとしているうちに、ついに30日になってしまった。
年末年始には、薫風舎でもささやかながら、お客様と一緒に、年越しそばや、お節をいただくことにしている。そろそろ、うま煮やきんぴら、なますなどの用意もしなければいけない。
まずは黒豆を煮ようと、今朝、夕べからつけておいた鍋に火をかけた。やがて、鍋が沸騰してくると、ぷん、と黒豆のいい匂いが鼻をかすめた。そのとたん、急に年の瀬を感じたのだった。
においの記憶、というのは、無意識に体の中に染みついているもので、何かのにおいをかいだ瞬間に、ふわっと昔の情景が甦ったりすることが、そういえば時々あるものだということを思い出した。
黒豆を煮ているときの匂いは、私が幼い頃から感じてきた、新しい年へのわくわくする気持の記憶でもあった。
12月29日
冷えた朝
今日は、冷え込んだ朝だった。厨房の窓から見えるカラ松林の木の枝に、霧氷がきれいに付いて、きりりとしまった雪の表面が、朝の光の中できらきらと輝いている。
ラウンジの窓から山のほうを見ると、裏の小さな川から立ち昇った冷たい霧が、雑木林の幹のあたりに絡まって、しばらくじっとしていた。
やがて、山を厚く覆っていた雲が少しずつ切れて、オプタテシケの左肩が、うっすらと見え始めた。きょうは、久しぶりに、十勝岳の稜線が見えるかもしれない。
12月28日
6ヶ月・・・。
今年の5月、ヘレベッヘ指揮コレギウム・ヴォーカーレの、バッハ「マタイ受難曲」を買った。演奏は予想以上にすばらしく、私の中では、今まで聴いた「マタイ」のCDのなかで一番だ、と思った。偶然、旭川の平松さんが、その頃来日していたヘレベッヘの「ロ短調ミサ」と「ヨハネ受難曲」を東京まで聞きに行ったそうで、ものすごく良かったと、あとから教えてくれた。9月に薫風舎のコンサートでオルガンを演奏してくださった今井奈緒子さんも、やはりヘレベッヘの「マタイ」を聞きに行かれ、すごかったと感激したそうである。
作品や、演奏のことは、これ以上書くとものすごく長くなるので、次の機会に、ということにして、私が今日書きたいのは、全く別のことだ。
CDがすばらしく良かったので、ヘレベッヘのバッハをもっと聞きたいと思い、旭川で行きつけのCD屋に、「ロ短調ミサ」を注文した。「国内版はないので、少し時間がかかります。」と言われたのが6月中旬。シーズンにも突入していたし、気長に待つことにした。
1ヶ月ほどして、「手違いで注文が入っていなかったので、もう少し待ってください。」という電話があった。どうせ、取りに行けないので、まあ仕方がないと諦めた。9月になってようやく旭川まで出たので、CD屋に立ち寄り、どうなったのか聞くと、まだ入ってこないと言う。いいかげん、嫌味の一つも言いたくなった。その後も、何度か店に行く機会があり、そのたびに聞いてみても、やはり同じ答え。半分あきれて、もうどうでもよくなってしまった。
すると、昨日突然電話があり、「CD、入りました。」。半年である。もう、注文したことすら忘れてしまったくらいだ。
手違いは、仕方がない。いつも無理な注文を快く引き受けてくれる、店員さんを攻めるつもりも全くない。しかし、今やインターネットで、世界中から物がすぐ届く時代なのに、この流通のひずみは何だ。どうも納得がいかない。
12月27日
ろうそく尋ねて
先シーズンから、主人がせっせとアイスキャンドルを作って、お客様がいらっしゃると、玄関や、デッキの前の雪山の中にポコポコと置いては、ろうそくを燈しています。ぼんやりとしたあかりが、夜の雪の中から幻想的に浮かび上がり、お客様も私も大喜び。主人も大満足です。
今年も、2、3日前に家中のバケツを集めていたかと思ったら、アイスキャンドル作りを始めていました。バケツに水を張って外に置いておくと、当然のことながら氷になります。全部凍る前に、真ん中に残った水を捨てると、中が空洞になって、バケツの形のアイスキャンドルが出来上がります。
一昨日、ろうそくを買うと言って、二人で旭川まで出かけて、「MEGA」という本屋さんに吸収されてしまいました。帰りに、「あ、そういえばろうそくを買うんだった。」と思い出したときには、すでに時遅し。昨日、美瑛の街でろうそくを捜す羽目になったのでした。
思い当たる金物屋、スーパー、百貨店(という名の本、文房具、化粧品の店。)など、吹雪の中をまわりましたが、あるのはせいぜい仏壇用のろうそく。仏壇用だと、短いものは19分しか持たず、長いのはキャンドルから飛び出してしまうので、ダメなのです。できれば下にお皿のついた、キューブ状のものが最適で、旭川あたりだとわりとすぐ手に入るのですが、昨日あちこちと捜しながらも、絶対美瑛にはないだろうと、二人とも予測が立ちました。早々に引き上げ、かろうじて家に残っていた、液体のろうそくを使って、玄関だけ燈すことにしました。
しかし、昨日は午後から夜にかけて猛吹雪となり、燈したろうそくは、一瞬にして吹き消されてしまったのでした。
12月26日
MEGAの誘惑
数年前、旭川駅前のマルカツデパートに、「冨貴堂MEGA店」という大型書店ができ、知的砂漠である旭川(なんて書いたら、旭川市民から石を投げられそうですが。)のオアシスとなっています。ワンフロアずらりと本が並び、専門書なども、今までの旭川の本屋に比べるとかなり充実しています。一角にオープンなカフェが併設されているところも、気に入っています。
特に主人は本屋好きで、旭川だけでなく、東京でも札幌でも、本屋とCD屋にさえ行ければ満足しています。本棚はすべてまわりたいようで、解散するとなかなか見つけることができません。
昨日も、午後旭川郊外のホームセンターに買い物があって、ちょっと出掛けたのに、渋滞に巻き込まれながら「MEGA」まで足を伸ばしてしまいました。
ゆっくりと本を読む時間がなかなか作れないにもかかわらず、欲しい本を見つけるとつい買ってしまうので、おそろしく狭いプライベートルームが、読もうと思っている本の山で、ものすごいことになっています。「それを読むまでは買うまい。」、と肝に銘じてまわるのですが、うっかり手にとると、「今買わなければもう出会えないかもしれない。」という悪魔のささやきが聞こえてしまうのです。
結局昨日も、主人とレジの前で集合した時には、お互い数冊の本を抱えていたのでした。
12月25日
ゆず
私が生まれた時から、お雑煮といえば、鶏としいたけのだしに、たけのこ、三つ葉、そして最後に必ずゆずをちらすというものでした。母は、東京生まれなので、おそらくこれは関東風のお雑煮なのだと思います。
お雑煮には、ゆず。これは、絶対にゆずれない(!)ところですが、不覚にも、去年うっかりゆずを買い忘れていたことに、大晦日になって気づきました。慌てて、主人と美瑛のスーパーに買いに走ったのですが、信じられないことに、どこにも売っていないのです。しまいに、ラルズスーパーの野菜担当の高橋さんに、「お雑煮に、ゆずを入れないんですか?!」と、掴みかからんばかりに尋ねたところ、「ゆずぅ?聞いたことないなあ。」と平然と言われて、愕然としたのでした。
これでは、薫風舎にお正月は来ないと、時間のない中、旭川まで車を走らせ、とんでもない大晦日になってしまいました。
今年は、同じ過ちはするまいと、早々とゆずを購入。その後、札幌に帰ったときにも、念のためにと2個買い、ようやく安心していると、なぜか今年は、美瑛の農協にも、ゆずがうず高く積まれているのです。しかも、2個198円なんていう文字を見るとついつい手が伸びて、うちの冷蔵庫は、今ゆずであふれかえっています。火曜日には、生協で注文したゆずも2個来るはずで、自分のあほさ加減に、我ながらあきれ返る今日この頃であります。
先日「はなまるマーケット」で、ゆず胡椒というのをやっていたので、まずそれを作って、まあ、皮は、うどんや味噌汁に入れてもおいしいし、冷凍もきくというので、困らないのですが、身の方はどうしたものか、と非常に悩んでいます。どなたか、いいアイディアをお持ちでしたら、お知らせいただけると大変助かります。
12月24日
暖かい雪
今朝、ムックとティンクと外へ出たら、屋根の雪の長く伸びたつららから、 ぽたぽたと水が滴っていました。夕べから積もった雪の踏み心地も、いつもとは違い、もこもこしています。外の寒暖計は、ちょうど0℃。どおりで暖かいはずです。
どんよりと曇った空に、表面が少し溶けた、まるで温くさえ感じる雪景色。日曜の昼下がりには、悪くない風景です。
12月23日
クリスマス
街を歩くと、どこもかしこも浮かれたクリスマスソングが流れ、どこも同じような流行のリースやツリーの飾り付け。札幌も旭川も、美瑛まで同じ様な雰囲気に包まれ、あまのじゃくの私たちは、居心地が悪くていけません。先日札幌の街を歩いていたら、ピザの配達人まで、サンタの格好をしていて、「おめーいいがげんにしろ!」と言いたくなりました。
うちだってクリスマスの飾り付けをしないわけではありませんが、もともと、ごてごてと飾るのが嫌いなので、できるだけシンプルに、いらしてくださったお客様が、ああ、そういえばクリスマスだったなあ、と思えるくらいの雰囲気にとどめるようにしています。
学生時代からクリスマスといえば、コダーイ合唱団で、ヘンデルの「メサイア」をはじめとした宗教曲やオラトリオなどを歌っていました。私はキリスト教徒ではありませんが、クリスマスを迎えるときには、キリスト教徒がイエス・キリストの誕生にいかに喜びを感じ、またそれは、イエスの受難に対する悲しみや苦しみにもつながっているのだ、ということを考えざるをえません。
アメリカやヨーロッパの華やかなクリスマス風景の根底には、そういうキリスト教徒の深い宗教心が、きちんと根付いているように思います。それに対して、日本のクリスマスには、非常に日本的な、脳天気さを感じるのです。
12月22日
嵐を呼ぶ男
先週より、八戸から北上する極寒の旅をしている、biei.com
サーバーの佐竹さんが、東川の花神楽に泊まるというので、火曜日から滞在している長谷川さんと私たち3人も、送りがてら一緒に食事をして温泉に浸かってこよう、という楽しい企画が持ちあがりました。
五時過ぎ、5人でウキウキと薫風舎を出発すると、今まで普通に降っていた雪が、急に激しい横殴りとなって、車を襲いました。私と主人の脳裏に、いやな予感が走りました。
佐竹さんといえば、雪の少ない函館で、しかも3月に空港が大荒れになったり、この間も、一緒に金山湖に行こうとしたら、10月だというのに、急に猛吹雪になったりと、まるで背中に台風をしょって歩いているのではないか、と疑いたくなるほど、異常気象が付きまとうのです。今回の旅行でも、飛行機が雪のため三沢空港に降りられず、上空を旋回。ようやく降りたら、雪で機体が動けなくなるという、大災難があったばかりです。
日本海に面した厚田村で、5年間に渡って猛吹雪を体験している私は、美瑛に来てからどんなに吹雪こうとも、厚田ではこれは吹雪とは言わない、と豪語し続けていましたが、昨日の大嵐には、言葉も出ませんでした。美瑛で、前の車のテールランプが見えなくなるほどの吹雪に見舞われるなんて、これは何かの間違いだ・・・。しかし、空港のほうに上がっていく道は、もはや地獄と化していたのでした。吹き溜まりに突っ込み、前の車につられて反対車線に入りと、そのたびに5人は悲鳴を上げながら、今置かれている現実を、否応なく認識させられたのでした。30分もあれば着くはずの花神楽に、1時間以上もかかって、命からがらたどり着いたとき、みんな生きている実感をこの上なくかみしめました。
当然のことながら、佐竹さんが宿に残ったため、帰るときには、うそのように風と雪は止んでいました。あとは、明日、千歳空港が大荒れにならないことを祈るばかりです。
12月21日
いわしのつみれ鍋
去年あたりから、生のいわしが、手に入りづらくなったような気がしています。昨年は不漁だったそうですが、将来、いわしが高級魚になるといううわさも、ちらほら聞こえ、そうならなければ良いが、と心から願っています。
先日、主人とそんなことを話しながら、農協の魚売り場を歩いていたら、いわしが並んでいるではありませんか。その日は、もう夕食のメニューが決まっていたので、近いうちに必ずや、いわしのつみれ鍋を作ろうと誓い合い、昨日、それが実現したのでした。
よく、本などでは、フードプロセッサーを使うように書いてありますが、私はお薦めしません。手開きして、背骨やヒレを取ったら、小骨や皮などをそのまま残し、包丁でたたいていきます。だいぶ細かくなったら、すり鉢でもう少し細かくしますが、わりと荒めにしたほうが、歯ざわりと味がよく、私は好きです。ショウガのすりおろしをちょっと多いかな、と思うくらい入れ、たまねぎのみじん切り、塩、隠し味にみりんとみそを入れて、片栗粉を入れすぎないように気をつけて、練ります。あとは、お好みの野菜とともに、鍋で煮込みますが、私は、鍋は昆布だしの水炊きにして、ポン酢で食べるのが好きです。昨日は、ごぼう、にんじん、大根、白菜、春菊、シメジ、豆腐と、おっと忘れちゃいけないのが、くずきり。煮てもくたくたにならないやつを選びます。常連の長谷川さんといつもの3人で、ふうふう言いながら食べました。ああ、おいしかった!
12月20日
雪紋
昨日は、一日中雪が降り続き、夜、玄関を開けるとブリザードのような風が吹き荒れていました。ラウンジの窓に、クリスマスのディスプレーのように、雪が吹き付けられ、暖炉の前でコーヒーを飲みながら、主人は、「明日はまた除雪かぁ・・・。」と頭を抱えていました。
その雪も、夜中にはやみ、月がきれいに見えていたと、常連の長谷川さんが言っていました。
朝起きると、静かなうす曇の空に、十勝岳連峰が、久しぶりにその姿をくっきりと見せていました。夕べの風で、まわりの畑の雪がきれいな紋様を作っています。まるで風が、通り過ぎた足跡を残していったようです。
12月18日
綾戸、行ってきました!
16日札幌キタラ大ホールで、綾戸智絵のコンサートがありました。
綾戸智絵は、最近ではすっかりメジャーになった、今、日本で最も注目される、ジャズシンガーのひとりです。昨年春にCDを買ってから、二人ともすっかりファンになってしまい、アルバムは全部持っています。ここで初めて綾戸と出会い、ハマってしまうお客様もたいへん多く、薫風舎から綾戸ファンの輪が、少しずつ広がっていっているようです。
キタラは、数年前にできたクラシック専用ホールで、正面に大きなパイプオルガンを備えた、とても美しい円形ホールです。大きなステージの真ん中に、フルコンサートピアノが置かれ、ステージをぐるりと取り囲んだほとんど満席の客席が、いまや遅しと、彼女の登場を待ちます。そして程なく、細くて小さい彼女が、ニコニコしながら唐突に現れると、大きな拍手が沸き起こりました。
関西芸人のようなあけすけな挨拶のあと、歌声が会場に響きわたると、一瞬にして、客席にいる全員が、綾戸智絵の世界へと引き込まれていったのでした。スポットライトに浮かび上がる、ピアノとそのジャズシンガーの姿は、まるで夢の中の出来事のように、不思議な映像として、私の目に映っていました。
音楽をこんなに体中で楽しめるなんて、いったいどうしたらできるのだろうか、といつも綾戸智絵の演奏を聞くと、思います。弾き歌う喜びが、あの小さい体から広い会場全体にあふれて、そこにいる1人ひとりの心にしみこんでいくような、幸せなひととき。そこには、普段とは全く別の時間が流れていました。
12月16日
コダーイ合唱団の演奏会
夕べは、私の所属する、札幌コダーイ合唱団の演奏会でした。コダーイ合唱団は、バッハの「マタイ受難曲」や、ヘンデルの「メサイア」をはじめ多くの宗教曲や、ハンガリー、イギリス、フィンランドを中心とした、近・現代の合唱曲など取り上げ、公演を行っている合唱団です。私は、学生時代から、このコダーイ合唱団で歌っていました。
美瑛へ移ってから、夏や秋の演奏会に出演することは、不可能となってしまったので、なるべく、年末のコンサートには出るようにしていましたが、今年は、どうしても練習に通えなかったので、何年ぶりかで、客席で演奏会を楽しむことにしたのでした。
今年のプログラムは、バッハの「マニフィカート」と、スカルラッティやコダーイなどの、クリスマスにちなんだ小品でした。昨晩は、札幌の教育文化会館大ホールで、行われました。
いつもは自分も乗っているステージを、客席から観るのは、なんだか不思議な感じでした。ついつい、身内のコンサートだと、演奏を楽しむより先に、細かいことなどが気になって、はらはらしてしまうもので、我ながら、いやな性格だなあ、と思ったりしました。それから、いろいろなことがよみがえってきて、この演奏会を聞きに来ることができた幸せを、しみじみと感じたのでした。
演奏会が終わって楽屋へ行くと、いつもの通り、みんな後片付けに追われていました。忙しいのに、私の顔を見て、とても喜んでくれました。ほとんど練習に通えない、本番もなかなか出れない、不良団員ですが、たとえ本番に出ていなくても、みんな快く歓迎してくれて、いつでもちゃんと私の居場所を作ってくれていることを、本当にありがたいと思いました。
演奏会のあと、指揮者の中村先生や数名の仲間たち、やはり団員である妹と、夕食を食べながら、懐かしく楽しいひと時を過ごしました。
12月15日
ペトリ断念
ペトリ(Michala・Petri)は、たいへん美しい、世界的な名リコーダー奏者です。薫風舎のCDライブラリーには、キースジャレットとのデュオで、ヘンデルのソナタ集があります。ペトリがかもし出す、のびやかで清楚なリコーダーの音色と、みずみずしくあふれ出るような音楽は、何度聞いても、心の奥底までしみこんでくるようです。
そのペトリの演奏会が、昨晩、朝日町で行われました。朝日町の演奏会のことは、昔、アルバン・ベルク四重奏団の時に、薫風舎日記に一度書いたことがありますが、山間にある小さな町の、小さなホールに、今度はペトリが来る、ということで、だいぶ前から、行きたい!と言っていたのは、私よりもむしろ夫のほうでした。
昨日は、ぎりぎりまで私のピアノのレッスンがあるし、昨日中に仕上げなければならない仕事が山積だったので、行けるかどうかの瀬戸際でした。それでも、なんとかがんばって、5時半過ぎに、ようやく朝日町めざして出発したのでした。
会場までは、がんばっても2時間近くかかります。後半だけでも聞けたら、という気持で車を走らせました。しかし、国道に出ると、道は、テカテカのブラックアイスバーン。前の車も、時折ふらついているし、こんな道では、いつスピンしてもおかしくない、という恐ろしい状態に、私は、助手席に座っているだけで、膝から下が、ざわざわしてきました。すると、突然夫が、「やめよう!」と言い出しました。誰も、反対する人はいませんでした。「命をかけて行くほどのことはないだろう。」という結論でした。
このままUターンするのもなんなので、ビターココアを飲んで帰ろうと、前日に引き続き「ライフ」に行ったら、あろうことか定休日。おさまりがつかないので、「ラプサン」に行って紅茶を飲んで、9時過ぎ、我が家へと帰ってきたのでした。
12月14日
ビターココア
昨日夕方、いつもの3人と2匹で旭川まで買い物に行った帰り、「ライフ」という珈琲専門店に寄りました。「ライフ」は、先日案内板にも書いた、紅茶専門店「ライフ・ラプサン」の姉妹店で、旭川では有名な喫茶店です。
珈琲を飲むつもりでメニューを開くと、3人とも、「ココア」の文字に惹かれてしまいました。珈琲専門店なのに、ハイファット、ローファット、ミントココアなど、たくさんの種類のココアがあるのに驚きました。
特に寒い日に喫茶店に入ると、「ココア、飲みたいなあ」と思うのですが、ミルクや生クリーム、そしてお砂糖もたっぷり入ったココアのカロリーを考えると、たいがい、ぐっとこらえてしまいます。ところが、「ライフ」のメニューの中に、砂糖、ミルクを使わない「ビターココア」というのを発見したのです。ミルクを使わないココアなんて、ちょっと想像できない、と思いつつ、「カカオそのものの味わいをお楽しみください。」という言葉にも興味を引かれて、主人と私は、勇気を出して注文してみました。
ビターチョコレートのような色のその飲み物は、カカオの濃厚な香りとこくが豊かで、苦味の中に、ほんのりと自然な甘味が心地いい、相当においしいものでした。苦いのが苦手なあっこちゃんは、私のを一口飲んで、「ああ。」といったきりでしたが、私たちはすっかり「ビターココア」に魅せられてしまったのでした。しばらく旭川に行くたびに、「ライフ」に通いそうです。
12月13日
粗食宣言!
・・・と言っても、お客様にお出しする食事を、粗食にするということではありません。薫風舎の食事は、野菜が中心で、化学調味料などを使用せず、すべて手作りにこだわった、「身体に良いご馳走。」を心がけてきました。それでも、ご馳走である以上は、クリームやバターも使うし、メインディッシュはお肉でボリュームもたっぷり。バランスは良いが、どうしてもカロリーは高くなります。楽しむための食事なのです。
これを、自分たちの常食とすると、やっぱり四十の声を聞く私たちにとっては重たすぎる、ということに、頭より先に身体が、だんだん気付いて来たようです。二人とも、とにかく食べるのが大好きで、うちでも外でも、とにかくおいしいものをたくさん食べたいと、つい思ってしまうのですが、これは、身体に相当負担をかけます。
最近は、楽しみの「ご馳走」は、友人や家族が集まった時などに、たまに食べることにして(食べないとは言わないのが意志の弱さ。)、毎日の食事は、できるだけ雑穀ごはんと野菜を中心とした和食を、おなかいっぱいにならないように、ゆっくりおいしくいただくようにしています。
発芽玄米と白米を混ぜて炊いたごはんに、根菜のたくさん入った具沢山のお味噌汁、野菜の煮物や和え物と、お魚を少し、といった感じです。これが、とても良い。体も軽くなるし、頭もさえ、そして何より、実においしいのです。
これから少しずつ、薫風舎の裏メニュー、ご紹介しましょう。
12月12日
除雪
今年は、ずいぶん雪が降り続いています。朝起きると、10センチから20センチは、新雪が積もっていて、毎日のように、我が家の除雪機が出動。これで、午前中がつぶれてしまいます。(朝のんびりしていて、出動時刻が遅いせい。)
夕べ、白金温泉に行ったら、脱衣所で地元の人たちが、「いやいや、よく降るねえ。」、「雪はねもゆるくないわ。」などと話していました。今年の冬の、挨拶代わりです。北海道、特に田舎のほうでは、「雪かき」なんて、生ぬるい言葉は使わないのです。「雪はね」とか、「雪よけ」もしくは、手動であっても「除雪」などといいます。「じょせつ」。なんて力強い言葉でしょう。ママさんダンプ(わかりますか?)に、積めるだけの雪を積んでは、雪捨て場に押していく、肝っ玉母さん(もちろん父さんも。)の、頼もしい姿が目に浮かびます。
12月11日
午後の紅茶
昨日お昼過ぎ、あっこちゃんを迎えに旭川駅に行きました。久しぶりに、外で昼食を食べ、自然食の店やイトーヨーカドーに寄って、お豆腐やキノコ、あっこちゃんのリクエストで、おいしそうなカジカなどを買って、駐車場から出ようとすると、携帯に電話が入りました。平松さんからでした。
平松さんは、たびたびこの案内板にも登場する、私たち夫婦と薫風舎にとって、大切な友人です。高校の先生をする傍ら、世界を股に掛け飛び回る(?)、超有名人でもあります。いつもいつも忙しいので、なかなか会う機会を見つけられないのですが、たまたま旭川空港まで、車を取りに行ったので(この説明は長くなるので、省略)、薫風舎まで足を伸ばしてくれるつもりで、電話をしたのだそうです。
あいにく、こちらのほうが旭川に来ていたので、街から少し外れたところにある、「ライフラプサン」という紅茶専門店で、落ち合うことにしました。
平松さんは、NHK日曜夜放送の、「クイズ日本人の質問」という番組の収録のため東京に行って、帰ってきたばかりだそうです。ペットボトルで、雪の結晶を作る実験が、1月28日に放送されるそうです。
日曜の午後のひとときの、おいしい紅茶と、親しい友人との楽しい会話。私たちにはめったに味わえない、至福のひとときでありました。
12月10日
あっこちゃん帰る。
11月25日から愛知の春日井にある実家に帰郷していた、スタッフのあっこちゃんが、今日、薫風舎に帰ってきます。さっき、無事千歳に到着したという元気な電話があり、1時過ぎには旭川に到着します。
「私がいない間、二人で散らかして!だめじゃない!」なんて、怒られそうだなあ。あっこちゃんが帰ってから、我が家は、一人娘を嫁に出した老夫婦のように、静かで寂しい毎日だったよ。
また今日から我が家に、3人と2匹のにぎやかな日々が戻ってきます。
12月08日
久しぶりに普通の日。
今日は、昨日よりずいぶん寒さが和らいで、軽そうな雪がゆっくりと降る、静かな一日です。
昼食に、ありあわせの根菜と小麦粉を練って作ったすいとんを、みそ味で煮込んで、食べました。
蒔きストーブを背中にしょって、お茶を飲んでいたら、とろとろと眠くなってしまいました。いけない、いけない、このままでは昼寝してしまう。さあ、そろそろ行動開始しなくては。
12月07日
霧氷の朝
今朝、起きるとやけに寒さを感じました。できるだけ着込んでラウンジまで行くにしたがって、その寒さが本物であることが、身にしみてわかりました。先に厨房へ入っていた主人に、「寒いねえ。」というと、主人は、「だって、マイナス18℃だもん。」と、自慢げに言ったのでした。
ようやく暖まったラウンジの、ピアノの前のテーブルで、今、案内板の原稿を書いています。外に目をやると、周りの木々の枝や枯れ草の一本一本に、霧氷がきれいについて、真っ白く輝いています。大根畑だった前の畑は、もうずいぶん前から雪で覆われていましたが、今朝の冷え込みで、表面がきらきらと輝いています。
薫風舎に、本当の冬景色がやってきました。
12月06日
大災難
日曜日、埼玉から妹のところへ遊びにきた友人家族に会いに、札幌へ行った。
翌日、買い物があったので、繁華街からちょっと離れたところの屋外の駐車場に車を入れた。
係員が小さな小屋の中でレジ前に座っていた。カギを預けて、買い物をして帰ってきたのがおよそ一時間後。チケットを渡して、カギを受け取ろうとしたところ、預けたカギが見あたらないと言うではないか。ムックとティンクが、心配そうに車の中からこちらを見ている中、どこか小屋の中に落ちているのではないかと、係員と3人で捜したが、見つからない。日は暮れて気温も当然氷点下。
預けたカギには、エンジンスターターや、自宅のカギもついていて、このままでは、美瑛にたどり着いても、うちの中にも入れない。刻々と時間は過ぎ、身体の芯まで冷え切って、いいかげんうんざりしてきた。新米のアルバイトは、おろおろと同じところを探しているだけ。管理人も電話で駆けつけたが、いっしょにおろおろするだけで、まったく埒があかない。挙句の果てにそのアルバイト、「カギを預かったかどうか記憶にない。」などと、3流の政治家のようなことまで言い出す始末。管理人がまたトウヘンボクで、カギを預かったという証拠もないし、このアルバイトは入ったばかりなものでと、変な理屈をこねて、だんだんと責任逃れをしだしたのだった。
やがて、父や妹夫婦も応援に駆けつけてくれたが、管理人は、開き直って、「警察に紛失届を出されたらどうですか。」と、ノウノウと言いだした。さすがにこちららも声を荒げて「誰が無くしたか、考えてみろ!」。守分家、総勢5人の目は、釣り上ったのだった。結局、警察を呼んでもらい、全員で、広い駐車場の中のカギを探す、大騒動となってしまった。しかしそれでも、カギは一向に見つかりそうもなく、そのうちむこうも、だんだん自分たちの非を認めざる得なくなってきたのか、急に態度が変わり、「なくしたものはすべて、弁償いたします。」と言い出した。ようやく緊急時の鍵屋に来てもらい、とりあえず車を動かせるようになったのが、駐車場に戻ってから4時間後。
大変申し訳ありませんでしたといまさら言われたって、寒空の中、まったく無駄な時間を過ごさせ、不愉快な気持にさせて、どうしてくれるんだい。
自宅のカギもないので、結局その日は、実家にもう一泊し、釈然としない気持で、夕べ、ようやく我が家へたどり着いたのであった。
12月03日
ジュースの氷
一昨日のことです。旭川のMEGAという大きな本屋さんの中に併設されている、行きつけのドトールスタイルのカフェに、久しぶりに行きました。大抵、若い女性が一人で切り盛りしていますが、その日は、中年のおじさんがひとり、カウンターの中にいました。
のどが渇いていたので、オレンジジュースを注文しました。私は、ジュースや牛乳に氷を入れるのが、薄まって、しかも冷えすぎるので、好きではありません。特にこの日は、冷たいのがいやだったので、ちょっと遠慮しながら、「済みませんが、氷抜きにしていただけますか?」ときいてみました。すると、そのおじさんは、ちょっと困った顔をしながら、「量が少なくなってしまいますが、よろしいですか?」と問い返しました。私が笑って、「もちろん、良いです。」と言うと、手早くコップにジュースをずいぶんたくさん、入れてくれました。そして、「普通の量にしておきました。」とにっこり笑って、手渡してくれたのでした。
冷たい飲み物が氷を含めた量であることは、よくわかっており、氷を抜いて通常の量を入れたときの貧弱さは、出すほうとしては、非常にばつが悪いというのも、知っています。もちろん、注文する私としては、量をふやしてほしいとは、これっぽっちも考えていなくて、ただ単に、せっかくの飲み物を、おいしくいただきたいと思っているだけなのですが、お願いすると、あからさまにいやな顔をされることも少なくないので、よっぽどでない限り、我慢するようにしていました。
カウンター越しのほんの少しのやり取りでしたが、おじさんの誠実で、親切な態度に、その日のオレンジジュースは、いつもより何倍もおいしく感じられたのでした。