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12月31日
精進おせち
昨日から、仕事の合間に元旦の朝のためのおせち料理を作っている。今年は、玄米菜食的精進おせちなので、今までとは少し違う。砂糖は、黒豆を煮るのに黒糖を少々使っただけで、だしにも、魚や肉を使わない。なますやうま煮など、どうなるか少し不安だったが、作ってみると、思いのほかおいしくできている。
玄米菜食を始めて2ヶ月近く、素材の持つ旨みと甘みに、いつも感動する。もともと化学調味料は使っていなかったが、いらぬ砂糖や出汁によって、いかにそういうおいしさがかき消されているか。大根と人参に、さっと煮て醤油で下味を付けたごぼうやはす、昆布、しいたけなどを加えたなますは、上質の米酢と醤油、少々のみりんだけで、十分に甘みが引き出される。根菜をごま油でいためてじっくり煮たうま煮だって、昆布やしいたけのだしに根菜の旨みが溶け合って、ほとんど醤油だけの味付けで、なんともおいしい煮物に仕上がった。きんぴらも黒豆もできて、あとは、かぼちゃとサツマイモ、ゆり根のきんとんを作る。発芽玄米もちのけんちん風お雑煮で、明日の朝は新年のお祝いをする。
とても質素だが、心のこもったおせち料理に、きっとお客様も喜んでくれるに違いない。


12月29日
クリスマスローズ
12月20日、メサイア公演を終えて札幌から帰ってきたら、クリスマスローズが咲いていた。3日ほど家を空けることになるので、ラウンジにあったハーブや観葉植物の鉢を、みんな宿泊棟の廊下へと移動させた。暖かいがあまり日当たりはよくないので心配しながら、お水をたっぷり与えて、出発したのだった。
クリスマスローズは、もう今年で3冬目になる。いつもクリスマスからお正月頃、控え目な赤紫色の、うつむきかげんな花を咲かせる。夏は鉢のまま外に放って置くので、毎年もうだめかなと思いながら、雪の降る少し前にうちの中に入れる。今年はうっかりして、雪が積もってしばらくの間デッキにおいてあったので、上の部分が凍ってしまった。それでも、枯れたところを全部切って、中に入れて水をあげていたら、新しい芽がたくさん出てきた。しばらくすると、その先につぼみが現れた。
ショック療法が功を奏したのか、いつもよりも一週間ほど早く、花を咲かせた。今、7つの花が、いつものようにひっそりと花開いている。


12月28日
朝の一杯
朝食前の梅醤番茶が、とてもよい。頭がすっきりして、体が軽くなる。血液をさらさらにして、胃の調子を整え、さらに細胞が活性化するらしい。そして、何よりすごくおいしい。
梅醤番茶とは、梅干と醤油、それにショウガを入れた番茶だ。材料は、どこのうちにもあるものだが、素材は厳選しなければいけない。梅干は無添加でなるべく塩だけで漬けたすっぱいもの。醤油はきちんと長期熟成されたもの、ショウガはできるだけ無農薬か減農薬のものを選ぶ。番茶は、無農薬三年番茶。スーパーなどで無ければ、どれも自然食品の店で手に入る。湯飲み茶碗に梅干をほぐし入れ、ショウガのすりおろし少々、醤油小さじ1を加えたところに、濃い目に入れた熱々の三年番茶を注ぐ。この朝の一杯で、快適な一日がスタートする。


12月27日
真冬の体
冷え込んでいる。おとといの夜あたりから、ぐんぐん気温が下がった。昨日の朝は、美瑛で−27℃だった。まわりの木々に霧氷がついて、寒い日でなければ決して見ることのできない張り詰めた景色に、身の引き締まる思いだった。今日は少し寒さが緩んで、昨日よりも雪が暖かく見える。上着を着ないで外に出ても、さほど寒さを感じないですんだ。それでも、−10℃前後はあるだろうか。ようやく、体も真冬になったようだ。


12月25日
クリスマスプレゼント
今日は、仕事の合間に夫と旭川の街へ出かけた。本人には内緒で、あっこちゃんへのクリスマスプレゼントを買うためだ。旭川の街で、気に入ったものを探すのは大変だったが、きれいなローズピンクとグレイの大きな横縞のセーターを見つけて、それがいかにもあっこちゃんらしいので、二人で気に入って、それを包んでもらった。
包んでもらっている間に、並びのいつも行くCD屋に行った。いつものごとく、夫は2階ジャズコーナー、私は3階のクラシックのコーナーへと別れた。この冬は、シューベルトを勉強しようと思っていたので、シューベルトのピアノ曲、ピアノトリオ、ヴァイオリンソナタなど、気になるものを手に取っていたら、結構な数になってしまった。私の大好きなピアニスト、ペライアとアンスネスがともに、ピアノソナタ20番を出している。即興曲集もいくつか欲しいし、室内楽も・・。と考えると、どれも手放せない。そうだ、私だってクリスマスプレゼントをもらってもいいはずだ。自分で自分に買っちゃおうと、わけのわからない納得をして、全部で6枚のCDを購入していたら、夫は夫で、自分にクリスマスプレゼントを?買ったらしい。
三人分のプレゼントを抱えて、ドトールで最近お気に入りのソイロイヤルミルクティー(豆乳のミルクティー)を飲んで、帰路についた。
美瑛の街で買出しをして、丸山橋を渡ると、川霧が立ちのぼり、その奥のカラマツ林の中に大きな夕日がオレンジ色に輝いていた。


12月24日
静かなイヴ
そういえば、今日はクリスマスイヴだ。ちょっと暖かな白い景色は、イヴの雰囲気を盛り上げるでもなく、淡々と目の前に広がっている。お昼を終えて、久しぶりにゆっくりとその景色を楽しんだら、静かな気持ちになった。


12月21日
演奏会
演奏会後の心地よい疲労感とともに、久しぶりで美瑛の朝を迎えた。18、19日の、札幌コダーイ合唱団・合奏団のヘンデル「メサイア」の演奏会は、私にとって、とりわけ忘れがたいものとなった。学生時代にコダーイの「メサイア」を聴いて、どうしてもこの合唱団で来年は歌いたいと、夢を膨らませた。それから20年あまり、コダーイ合唱団として「メサイア」のステージに上って、十数回になるだろうか。その時々、自分にとっての「メサイア」が、さまざまな思いの中で演奏の瞬間を経て、心に残っている。
11月初旬、たまたま札幌を訪れた際、コダーイの練習に顔を出した。体調不良のため今年の演奏会には出られないことをみなに告げるためだった。一年ぶりに再会を果たした仲間に、そのことを伝えることが、思いのほか苦しかった。
美瑛に帰ってから、自分の体を支えている多くの部分が「音楽」であったという思いが、日を追って強くなっていった。その思いが確信となったときに、私には、「メサイア」に出演することが、今の自分にとって、どうしても必要なのだと悟った。演奏会に出ようと思った。
今回の、とりわけ18日、札幌での公演は、いまだかつてない個人的な思いで、本番を迎えた。練習には一度も参加せず、そんな我儘な気持ちでステージを踏んだことを、中村先生も合唱団の仲間も、みな深く理解し、許してくれ、そして一緒に音楽を演奏することができたことが、わたしにとって、どれほどの力になったか、とても言葉では言い表せない。
序曲の厳粛な弦の響きから始まり、荘厳なアーメンコーラスで終わる物語は、イエス・キリストの誕生、受難、復活と続く、一人の人間の物語であると同時に、観客と演奏者、そこにいるすべての人々の、それぞれの人生と重なりあう。演奏者一人ひとりの、それぞれの音楽が一体となったとき、その瞬間にしかありえないひとつの音楽が生まれることを、私は今回の演奏を通して、改めて実感した。
最後に、今回、演奏会にあたって、心から応援してくださった、薫風舎のお客様、友人たち、そして中村先生、一年ぶりにお会いしたコンサートマスター川原千真さんとチェロの田崎瑞博さん、コダーイ合唱団のかたがたに、心から、本当に心からお礼を言いたいと思います。


12月16日
モノトーンの世界
午後3時を回って、今日は「ひとこと」に何を書こうかと、パソコンの前に座っていた。たった今届いたばかりのエルデーディ弦楽四重奏団のハイドンを聴きながら、ふと振り向くと、大雪と十勝の山々が、グレイの雲を背景に白く浮かび上がっている。空と同じグレイの濃淡で、陰影を帯びた山の鞍。まるで東山魁夷の日本画のような、モノトーンの世界だ。時間さえも静止してしまったかのような風景のなかで、エルデーディのさわやかでエネルギッシュなハイドンだけが、ただ流れていた。


12月15日
本番目前
あっこちゃんが、今日は朝早く札幌に出発した。18、19日、札幌と小樽で行われる、コダーイ合唱団・合奏団のヘンデル「メサイア」公演のリハーサルのためだ。今まで合唱はおろか音楽の経験もほとんどなかったあっこちゃんが、メサイアの初ステージを踏んだのがちょうど一年前。去年はあるとのパートを歌ったが、今年はソプラノでの参加となる。11月から、毎週木曜日、そしてオケ合わせと、美瑛と札幌を行ったりきたりしていた。今日は最後の練習と、張り切って出かけていったのだった。
私は、11月の体調不良から、今回は諦め、みんなにそのことを告げたのだった。ところが、だんだん体調も良くなると、メサイアを歌わないと、なんとなく年を越せないような気分になってきた。わがままを言って、本番のみ参加させてもらうことにした。
今日、明日で、コンディションを万全に整えて、あさっては、楽譜と衣装を持って札幌に出発する。


12月13日
空の青さ
厳寒を体験すると、かなり低い気温でも暖かく感じる。マイナス5、6度など、平気になってしまう。そうなればこっちのものだ。この数日の冷え込みから、今日はようやく開放された。朝から気持ちよく晴れ渡って、三人身も心も軽やかに仕事に励んでいる。
久しぶりに見る十勝の山々の美しさ。太陽の光を浴びて、きらきらと輝く雪原。凍てついたモノトーンの風景を見慣れた私たちには、空の青さが目にしみる。今日は、明るいうちにピアノの練習をしよう。


12月11日
厳寒
寒い。体が縮こまってしまう。今日は、朝からずっと仕事でパソコンに向かっていた。うちのパソコン定位置は、ラウンジの中でも一番寒さがこたえるので、蒔きストーブの前に持っていって、ストーブをしょって仕事をしているのに、手がかじかんで、うまくキーボードが打てない。脳みそも凍りそうな寒さだ。
寒さには強いつもりでいるのだが、ぐんとシバレがきつくなるこの季節、寒さに耐えかねてしまうことがある。昨日までは我慢できたのに、今日はだめだ。やる気もうせる。あたりが暗くなって、また一段と気温が下がってきた。この今日のひとことで、パソコンと離れることに決めた。熱いお茶でも飲んで、中から体を温めることにしよう。


12月10日
動物園
昨日は、朝から気持ちよく晴れて、山がきれいに見えていた。夫と二人で、どこかへ出かけようと思った。あっこちゃんは、メサイアの練習でしばらく札幌の私の実家へ滞在中だった。そうだ、あさひやま動物園に行こう。10月3日に三人で行って以来、早くまた行きたいと思っていた。開園時間が11時から2時までと短いので、急いで出かけた。
ペンギン館を観てから猛獣館に行くと、寒くてもトラやライオンは結構元気に遊びまわっていた。像やキリン、サイはさすがに寒そうだった。ひときわ元気だったのは、前日2歳の誕生日を迎えたシロクマのイワン君だ。いつまでもいつまでも水槽を泳いで、見学している私たちと遊ぼうと、しきりに目配せをしていた。
冬季は500円で、シーズンパスポートが買える。雪の中の静かな動物園を歩きながら、今度はいつ来ようかと考えていた。


12月08日
冬の一日
最近は、3時前にもう暮れかかってくる。お昼ごはんを食べて、一休みしたら、裏の林の向こうに、白い太陽が沈みかけている。一日が短い。昨日あたりから、ぐんと冷え込みがきつくなった。時折、粉雪が舞う。
のんびりしていると暗くなるので、明るいうちに美馬牛のパン屋さんへ買い物に出かけることにした。


12月07日
隠れ家的
昨日夕方、前々から気になっていたカフェに、夫と二人で出かけた。車を20分ほど走らせると、もうあたりは薄暗くなっていた。ひっそりとしたたたずまいのカフェに、ほんのりと明かりが灯っていた。古い民家を改造したその店は、まさに隠れ家的という言葉がぴったりの、カフェマニアの私にはたまらない魅力があった。
二人で、読みかけの本を読んでいたら、窓の外はもうすっかり暗闇に包まれていた。その闇と、店内の薄暗さが妙に溶け合って、静かな時間が流れていた。
よくお客様にうちのことを、「あまり人には教えたくない。」と言われる。そりゃないぜ、と思う反面、悪い気のしないほめ言葉だと、ちょっとうれしくなる。このカフェは、私にとって「人には教えたくない店」に他ならない。だから、メニューのことや店内のこと、ましてや場所も、あまり書きたくない。書きたくないといいながら、書いていたら、なんだか歯切れの悪い書き方になってしまった。知られたくないと言っても、きっと、こういうところだから、あっという間に有名店になってしまうんだろうなあと思うと、さびしい気がする。せめて、店の雰囲気がいつまでも変わらないでいてほしいと願いながら帰ってきた。


12月05日
昨日の買い物
昨日、久しぶりに楽譜屋さんに行った。旭川では、今ほしいと思った楽譜をすぐに手に入れることがなかなかできない、ということを良く知っているので、あまり期待しないで行った。昨日聴いたシューベルトの幻想曲へ短調(D940)はやはり無く、もう一曲、花崎薫さんと今度やりましょうと約束した、ドビュッシーのチェロソナタも言わずもがな。
代わりに、シューベルトの最晩年のピアノ小品(D946)と、メンデルスゾーンの無言歌集を買った。どちらも美しいメロディーが際立つが、その美しさの性格がまったく違うように感じる。シューベルトのメロディーは、それが明るさを持つ長調のメロディーであっても、どこか物悲しく、寂しさを感じずにはおれない。帰ってから楽譜を読んでいて、つくづくそう思った。そのあと、無言歌の第一曲を弾くと、どこまでも澄み渡ったような美しさに、ほっとしたのだった。どちらも大作曲家であって、私には、今までそれほど馴染みのない作曲家だったので、なにか、あらためて新鮮な出会いをしたような、ちょっと気恥ずかしく、うれしい気持ちだった。
昨日は、そのあと富貴堂MEGA店にも立ち寄った。発売されたばかりのオレンジページ別冊「マクロビオティックがおいしい」ともう一冊豆料理の本、それから先日高校時代の友人が教えてくれた漫画が非常に気に入ったので、何年ぶりかで劇画の文庫本「百鬼夜行抄(今一子)」を買った。併設のカフェで夫と待ち合わせた。紅茶を飲みながら、なんだかのんびりした。


12月04日
音楽の力
うちにある膨大なCDのライヴラリーを、どれだけゆっくりと集中して聴いたことがあるだろうかと、時々思う。何かをしながら、BGMとして流れている音楽は、もはや心の奥までは届いていない。せっかく楽しみに買ったCDのほとんどが、忙しさに任せてそういう聴き方になってしまっているのは、本当にもったいない。
このごろ、ちゃんと音楽を聴くだけの時間を、一日に少しでも作るようにしている。そうすると、今まで気が付かなかったさまざまなことに、はっとする。心の底に音楽が響いてくる。
今日は、HMVで注文したシューベルトの4手ピアノ曲全集がようやく届いた。中村先生に紹介していただいた幻想曲ヘ短調を早速聴いた。CDをかけると、心の奥深くに沈み込むように悲しいメロディーが聴こえてきた。昨日とは対照的な、灰色の雲に包まれた十勝岳を眺めながら、呆然と音楽に耳を傾けた。音楽が終わっても、しばらく放心状態が続いた。あらためて、音楽の持つ力のすごさに、鳥肌が立ったのだった。


12月03日
夜明けと日の出
5時30分過ぎ、ぱちっと目が覚めた。マクロビオティックという玄米菜食にしてから、体の細胞が少しずつ活性化しているのか、最近、朝早く目覚めるようになった。ベッドから起きて部屋を出てみると、あたりはまだ真っ暗だ。ラウンジに行って本でも読もうかと、夫を起こさぬようにこっそり着替えて、もう一度廊下に出た。窓の外がさっきより明るい。外を見ると、山がくっきりと見えている。いい夜明けを見られそうな予感に駆られて、もう一度部屋に戻って、夫を起こした。
それからラウンジに飛んでいくと、十勝岳連峰がくっきりと姿を現している。その上に、紙のように薄い月、そしてその右上には明けの明星が輝いていた。思わずあっこちゃんも起こした。透明のフィルムを一枚ずつはがしていくように、夜明けから朝へ向かって、空の色は刻々と変わっていく。デッキに出てみると、きりっと引き締まった乾いた空気が、体に心地よい。
熱いコーヒーを落として、明けていく景色を眺めていると、やがて空はかすかに赤みを帯びてきた。コーヒーを飲みながら、朝日に染まる雲の色を見ていたら、不意に車が一台入ってきた。こんなに朝早く、誰だろう?時計を見ると6時30分。再びデッキに出てみると、それは、クラークホースガーデンのクラークさんだった。去年に引き続き、大きなクリスマスツリーを持ってきてくれたのだ。早朝こっそり木を置いて帰ってこようと思っていたクラークさんは、私たちにびっくりしたようだった。
ようやく蒔きストーブが暖まってきたラウンジで、一緒にコーヒーを飲みながら、しばらくおしゃべりをした。クラークさんが帰るころには、もう空は青くなっていた。美瑛富士の左肩のあたり。少しずつ光が大きくなってくる。そこから太陽が顔を出す瞬間を待った。突然、まぶしい光がほとばしった。デッキに飛び出して、その光を見つめた。マイナス15度を下回る気温の中、光は、まぶしく目に焼きつく。太陽の形がはっきりとわかるころには、鼻の先がほわっと温かくなった。あまりにも神々しい日の出の光景だった。


11月30日
朝の光
今朝起きると、雲の合間から太陽が顔を出していた。こんなにすがすがしい朝は久しぶりだ。思わず外に出て、太陽に向かって深呼吸をした。いつものように太極拳の体をぶんぶん回す体操をした。なんと気持ちの良い朝だろう。朝の光が、袴のようにやさしく降りそそいで、白い畑を照らしている。体操を終えて、もう一度おいしい空気をいっぱい吸い込んだ。


11月28日
温泉三昧
秋の温泉旅行にいけなかったからというわけではないが、11月は、努めて毎日白金温泉に通っている。夕食前、車で10分ちょっと。黄白色のちょっとにごったお湯は、かなりいい。なるべくぬるめの湯船になるべく長い時間半身浴をする。そのせいかどうか、朝起きても足の先が冷たくない。相当流行っているらしいが、風邪も今のところ引いていない。肩も凝っていないし夕食がおいしい。いいこと尽くめである。
こんな極楽のような暮らし、いつまで続けられるかなあ。でも、忙しい時期でも、こういう時間やこういうことができる日を作らないといけないと、つくづく思うのだ。そういう気分になれるのも、温泉のおかげかもしれない。


11月27日
どか雪
夕べ、夕食を終えて白金温泉まで出かけたら、あたたかく湿った雪が降りだしていた。朝起きて、窓の外を見ると、夜中中降った雪が、どっかりと積もっている。30センチはあるだろうか。気温が高く、いかにも重たそうな雪だ。
朝ごはんを食べて、夫とあっこちゃんは、早速出動して行った。うちのまわりの除雪を終えるのに、2時間近くかかった。まわりはすっかり真っ白い雪で覆われて、昨日までとは違う雪景色になった。


11月25日
霧氷
昨日妹と散歩しながら、霧氷の話をした。柔らかな日差しがまわりの雪を溶かし、気持ちのよい散歩だった。帰ってくると、急にあたりが霧に包まれて、それは夜まで続いた。みんなで五稜のライズカフェにいったら、そこも霧だった。そのあと、妹を送りに旭川まで出たら、旭川の街も霧で覆われていた。
朝起きて、体操をしようとデッキに出ると、まわりの木々の枝の先の先まで、きれいに霧氷がついていた。昨日の霧が、みんな木に付いたのだろうか。雑木林も、庭のコニファーも、遠くのカラマツのはやしも、みんな霧氷がついて、白くなっていた。この冬初めての霧氷に囲まれながら、石井さんに教えてもらった太極拳の体操をした。いつもよりもたくさん、空気が体の隅々までいきわたるような気がしたのだった。


11月24日
雪山
一昨日の夜から来ていた妹が、お昼にネパール料理を作ってくれた。レンズマメのスープとジャガイモや野菜をスパイスで炒めたもの、玄米のご飯。シンプルだけどおいしい食事をみんなで食べて、のんびりとした日曜の昼下がりを楽しんでいる。
うす曇りの向こうに、明るい太陽が透けて見える。ムックとティンクと妹と夫と散歩に出かけたら、十勝岳が久しぶりに姿をあらわした。すっかり雪をまとって、いつもよりもずっと大きく見える山は、小春日和の陽気に、蜃気楼のように見えた。
雪があたたかいので、ムックの足には無数の雪玉がくっついて、帰ってから大変だった。


11月22日
私のお客様
今日は、高校時代からの親友が札幌から遊びにきてくれる。もうそろそろ、美瑛駅に到着するはずだ。
しばらくだらだらした生活をしていたので、ラウンジも廊下も散らかり放題だった。あっこちゃんは札幌に合唱の練習に行っているので、夫と二人で、バタバタと片付けをした。薫風舎のお客様ではなく、私のお客様を迎えるのは、また違うわくわく感がある。夕飯は、私と一緒に玄米菜食を食べてもらおうと、久しぶりにご馳走のメニューを考えている。


11月21日
冬の生活
それにしてもよく降る。もうすっかり真冬だ。
あっこちゃんが、屋根裏でごそごそと何かをやっていると思ったら、クリスマス用のリースをせっせと作ってくれた。去年私が作った玄関用の大きなリースも、オープンのときに友人が作ってプレゼントしてくれた松ぼっくりのリースも飾って、少しずつクリスマスの雰囲気になってきた。
掃除のときの鼻唄は、もちろんヘンデルのメサイアだ。去年に引き続き歌うことになったあっこちゃんは、木曜日の札幌での練習に向けて、仕事のときにも抜かりなく、よく歌っている。
雪が降ったおかげで、いつもよりもちょっと早く、薫風舎は冬の生活になった。


11月19日
星のごとく降る雪
昨日の雨が、夕方には雪になり、夜には大雪となった。朝起きると空から無数の雪が降っている。昨日早朝、横浜より旭川に降り立った嵐を呼ぶ男の仕業かもしれない。彼は、流れ星を一度も観たことがないそうで、昨日、今日もしかしたら見られるかもしれないしし座流星群に淡い期待を抱いて、この美瑛へとやってきた。しかし、この雪だ。
去年、夜中に狩勝峠を超えて観た、あの夜空に降るしし座流星群を、何とか見せてあげられないものかと思うのだが。車を走らせると、あの流星群のように、フロントガラスに雪がすごい勢いで降ってくる。この分だと、それを見て想像してもらうしかないかもしれない。


11月19日
星のごとく降る雪
昨日の雨が、夕方には雪になり、夜には大雪となった。朝起きると空から無数の雪が降っている。昨日早朝、横浜より旭川に降り立った嵐を呼ぶ男の仕業かもしれない。彼は、流れ星を一度も観たことがないそうで、昨日、今日もしかしたら見られるかもしれないしし座流星群に淡い期待を抱いて、この美瑛へとやってきた。しかし、この雪だ。
去年、夜中に狩勝峠を超えて観た、あの夜空に降るしし座流星群を、何とか見せてあげられないものかと思うのだが。車を走らせると、あの流星群のように、フロントガラスに雪がすごい勢いで降ってくる。この分だと、それを見て想像してもらうしかないかもしれない。


11月18日
うっとうしい景色
雪のうえに降る雨は、ちょっとうっとうしい。灰色の雲が重苦しく、さっきまで少し見えていた十勝岳もすっかり隠れてしまった。昨日までの真冬の景色がいっぺんにゆるんで、畑の草や家のまわりの土が顔を出している。こういう日は外に出かけるのもおっくうだが、久しぶりに美瑛の町まで買い物に出かけることにした。


11月17日
rise cafe
昨日夕方、札幌のコダーイ合唱団のメサイアの練習に行っていたあっこちゃんを美瑛駅まで迎えに行って、帰りに、マイルドセブンの丘の、もうひとつ山向こうにある、先日オープンしたばかりの「rise cafe」に行った。ずいぶん古いうちのお客様であり、ご主人がテレマークスキーのインストラクターでもある川上さんが、数年がかりでやっと建てた家が、素敵なカフェになって、もうすでにたくさんのお客様でにぎわっていた。
山小屋風の店内は、いかにも川上さんらしく、こざっぱりとさりげなく、それでいてすごく素敵にしている。奥さんが焼いたケーキがカウンターに並び、アイルランド製の薪ストーブの上には、自家焙煎用のコーヒー煎り器が置いてあった。ストーブはオーブンにもウォーマーにもなる優れもので、グラタンやピザも焼ける仕組みになっていた。
私は、体調を崩してから、かなり厳しく玄米菜食に徹していて、砂糖も卵も乳製品も厳禁なので、おいしそうなケーキは、夫とあっこちゃんに任せて、川上さん特製のコーヒーをいただいた。久しぶりのコーヒーは、香り高くて、おいしかった。メニューはそのほか、カレーややはり奥さん手作りのベーグルなどがある。ベーグルは、牛乳や卵なども使っていないので、大丈夫。私も食べられると嬉しくなった。久しぶりに、奥さんとおしゃべりも楽しんで、とてもよい土曜日の夕暮れ時となったのだった。


11月16日
CD三昧
すっかり真冬の景色になってしまった。
昨日夕方、旭川に買い物に出かけたら、旭川も真冬だった。路面がつるつるの状態で、思いもかけず街中渋滞していた。ちょうど旭川に差し掛かったとき、先日のコンサート以来の平松さんから電話がかかった。これから、札幌までコンサートに出かけるそうだ。コンセルトヘボウ管弦楽団。いいなあ。私にCDのプレゼントがあるというので、その前に、平松さんのうちまで行って、そのまま一緒に旭川駅まで出ることにした。
出発まで、40分ほど時間があったので、駅前の喫茶店でおしゃべりをした。この前のコンサートのことや今度のコンサート、プレゼントのCD、ジョージ・セル、ロンドン交響楽団演奏のヘンデルの「水上の音楽」のこと。音楽の話を久しぶりにして、すっかり上機嫌で、平松さんはスーパーホワイトアローに乗り込み、私たちは買い物公園を行き交う人々の中へとまぎれたのだった。
音楽の話をしたら、つい、CD屋に寄りたくなった。ブラームスの交響曲全集、グリーグのめずらしい交響曲、ベンジャミン・ブリテンの作品集、それから、大好きなノルウェーのピアニスト、アンスネスのブリテンとショスタコービッチのコンチェルトのライヴ録音、夫が選んだ、ビルスマのビヴァルディーのチェロソナタ集を買ってしまった。しばらくは、静かなラウンジで雪景色を見ながらのコンサートが楽しめそうだ。


11月15日
人参ジュース
最近、ジューサーを買った。人参ジュースを飲むためだ。私たちが一生懸命作った人参が、たくさん雪の下に眠っている。それを掘り起こして、ジュースとして飲もうと思った。人参は、他の果物や野菜と合わせると、その中に含まれるビタミンCを酸化させてしまう。だから、100%で飲もうと思ったのだが、私は100%の人参ジュースはどうも苦手なので、飲めるかどうか自信がなかった。
数日前インターネットで注文したジューサーが届いた。夫が早速人参を掘り起こして、ジュースを作ってくれた。濃厚な朱色のジュースを、おそるおそる飲んだ。目が丸くなった。おいしい!そこらの人参ジュースは偽物だと思った。土から栄養分をたくさん吸って育った人参の甘さは、全く癖がなく、飲み込むと、体の隅々までみずみずしさが行き渡るような気がした。そりゃそうだ。私たち(といっても、高齢者事業団のおばちゃんたちの力が大きいかもしれない。)が丹精こめて作ったのだ。農薬も、化学肥料も使わず、あっこちゃんがせっせと土に埋めた堆肥や有機肥料、太陽の光を一杯浴びて育ったのだ。そんじょそこらの人参とはわけが違うと思った。
あんまりおいしいから、毎日人参ジュースを飲んでいる。うっかり来シーズンのスープの分まで飲んでしまわないように気をつけなければいけない。


11月13日
秋と冬
こんなに冬と秋をくっきりと行ったり来たりする11月もめずらしい。コンサートのときは、真冬だった。そのあと、ウソのように秋に戻った。そうかと思うとまた急に真冬になる。そんな極端な陽気の中、まだ落葉松に、ずいぶん葉が残っている。
コンサートが終わり、シーズンを終えて、不覚にも体調を崩してしまった。夏から計画していた東北旅行を中止せざるを得なくなり、そんな秋と冬をぼおっと眺めている。一時は入院騒ぎもあったが、幸いなことに、復活の兆しを見せている。あともう少し、ぼおっとした生活を楽しんで、冬のシーズンに備えたいと思っている。


11月13日
11月05日
秋と冬
こんなに冬と秋をくっきりと行ったり来たりする11月もめずらしい。コンサートのときは、真冬だった。そのあと、ウソのように秋に戻った。そうかと思うとまた急に真冬になる。そんな極端な陽気の中、まだ落葉松に、ずいぶん葉が残っている。
コンサートが終わり、シーズンを終えて、不覚にも体調を崩してしまった。夏から計画していた東北旅行を中止せざるを得なくなり、そんな秋と冬をぼおっと眺めている。一時は入院騒ぎもあったが、幸いなことに、復活の兆しを見せている。あともう少し、ぼおっとした生活を楽しんで、冬のシーズンに備えたいと思っている。


11月05日
幸せなひととき
花崎淳生、薫デュオコンサートが終了した。金曜日、空港にお二人を迎えに行ってから、昨日コンサートの余韻を楽しみつつ薫風舎を後にした薄羽さん、渡辺さんを見送り、最後に、そのあと一日一緒に過ごした札幌の両親を見送って、私たちにとってのこの演奏会は終わったのだった。
この、あまりにも幸せなひとときにつて、どう表現したらよいか、私はまだ、言葉を見つけられずにいる。花崎ご夫妻を、ふたたび迎えることができた喜び。札幌からわざわざ来ていただいた調律の蛯名さん、助っ人として駆けつけてくれた岡田さんや妹とともに、みんなで演奏会を創り上げていった喜び。大雪の中、足を運んでくださった大勢のお客様のすばらしい拍手と笑顔。花崎ご夫妻、平松さん、宮崎さん、加藤さん、中村さんはじめ、薫風舎をこよなく愛してくださる方々みんなで囲んだテーブルで、夜が更けるまでいつまでも続いた、コンサートの幸せな余韻と愉しい時間。薫風舎コンサート初舞台となる私に、応援のメールやお花を贈ってくださった、多くの人たち。
大勢の方々に支えられて実現した、この演奏会の幸せなひと時は、演奏している人にとっても、それを聴いている人にとっても同じように、いつまでも心の中にほわっと暖かく残るものとなったに違いないと、私は信じている。そして、自分がそんなひとときに立ち会うことができたことに、すべての人々に、感謝せざるにはおれない。
すっかり雪景色となった静かな薫風舎で、あのひとときを目に浮かべながら、演奏会の夜みんなで盛り上がった次の幸せな計画を、もうすでに私は思い描いている。


10月31日
冬の課題
今日、ピアノの周りを片付けた。うちにいらしたことのある方はお分かりだと思うが、ピアノまわりは、楽譜や本がうず高く積まれて、ひどい状態になっている。奥の死角(とこっちは思っているが、見てる人は見てるに違いない。)のところは、片付けても片付けても、すぐにどんどんと、色々な楽譜が出てきて、ちっとも整理できない。
今日は、ピアノをきれいに磨いて、それから、そのごちゃごちゃしたところに、ついに手を染めてしまった。そうしたら、いずれやりたいと思って買っておいた楽譜や、読まなければいけない専門書が、次から次へと出てきた。新しい曲の譜読みをして、それを仕上げるには、どんな曲でも膨大な時間がかかるから、楽譜は出合った時に用意しておかなければいけないし、そうすれば取り組むチャンスが、自然とでてくるものだ。だが、こう仕事に追われていると、楽書をじっくり読む時間を確保することは、至難の業だ。よほど時間にゆとりのあるときでないと、取り組めない。
読まなければと思って、放って置いた本の山を眺めて、思わず頭を抱えてしまった。今年の冬は、しばらく離れていたバッハに取り組もうと思っていたので、せめてここにあるたくさんのバッハ関連の本は、冬の課題としようと肝に銘じて、一番目に付きやすいところに置いたのだった。


10月30日
気温差
最近、旭川に行く用事が多く、昨日は午後から私ひとり車を走らせた。美瑛は、朝からみぞれ混じりの寒い雨が降り、うっとうしい、重苦しい天気だった。夕方、用事を終えて、少し買い物をした。あっこちゃんに電話をすると、薫風舎のまわりは雪が積もり始めているという。旭川は、雨がしとしとと降っていたが、寒さはさほどではないように感じた。薄暗くなりかけた道を、うちに向かって走っていくと、空港のあたりで急に雨に白いものが混じりはじめた。空港を左手に見ながら、国道へ下っていくと、みぞれが雪へと変わった。だんだん降り方が激しくなる。美瑛に近づくにつれ、路肩に雪が積もりはじめた。街を過ぎると畑にも雪が積もっている。美沢橋を越えると、また一段と景色が変わった。あたり一面、雪景色である。次第に路面も雪の状態になってきた。うちに着いたときには、すっかり真冬の様相だった。
旭川と、美瑛、そして薫風舎のある美沢の気温差は、冬になると5℃くらい違うときがある。その気温差を目の当たりにしながら、まるで、季節を越えて帰ってきたような気持ちで、うちにたどり着いたのだった。
朝起きると、黄金色の落葉松も、新緑の小麦畑も、すべて雪に覆い尽くされていた。お昼に札幌から遊びに来てくれた友達が、橋を越えると急に冬景色になったと驚いていた。


10月29日
皮肉な結末
誰だって、知り合いに会いたくない気分のときはあるものだ。
昨日、夫と用を足しに旭川に出かけた。用事が2時近くまでかかってしまい、そのあと、昼食をどこで食べようかと考えながら、車を走らせた。本番が迫ってきているので、なるべく早く帰ってピアノの練習をしたい。お昼は手短かに、でも美味しいものを食べたい。
ランチの時間を過ぎているので、思いつかない。あそこはどうだ、ここはどうだと、候補をあげてみるが、大抵そういうところは、顔見知りになっていることが多く、なんとなく二人とも昨日は知り合いに会いたくない気分だったので、ことごとく却下となった。車を街の方まで走らせて、思いつくところに行くと、定休日だったり、つぶれていたりして、なかなか食事にありつけない。もうあたりは薄暗くなってきた。仕方ない、こういうときはモスバーガーだ、ということになった。
ごまつくねライスバーガーの、おいしそうな写真を見ながら、カウンターに行き、スープやサラダなども注文した。ようやく空腹が満たされる。久しぶりのモスに、ニコニコしながら注文していたら、突然、「前にテレビに出ていましたよね!!」と店員の人に言われた。唖然としていると、「春頃、テレビに出ていたでしょう?!観ました!!民宿をやっているんですよね!」ときた。朝ビタTVを観てくれたのだ。よくそんなことを覚えていてくれるものだと、びっくりしてしまった。「あのTVを観たとき、あ、ウチのお客さんだ!!とびっくりしたんですよ。今度お見掛けしたら、聞いてみようと思っていたんですが、なかなかお見えにならなかったので。」
ここのモスは、よく行く本屋の向かいにあるのでたまに立ち寄るが、時間帯もまちまちだし、お店の人もいつも同じではない。特に、注文する以外に話をしたこともない。それなのに、顔をちゃんと覚えていてくれたなんて。しかも、TVにチラッと映った顔をみて、私のことを思い出してくれたなんて、と思うと、嬉しくなってしまった。
知り合いに会いたくないといって、散々街中をぐるぐるした挙句、最後に行ったお店で声をかけられるなんて、なんと言う皮肉だろう。おいしいごまつくねライスバーガーをほおばりながら、夫と二人で、大笑いしたのだった。


10月28日
いつも通る道
この季節になると、いつも行きたくなる道がある。うちの近くの美沢小学校の先から緑の橋を渡り、そのまま落葉松の森をくぐって白金ゴルフクラブのあたりに抜ける山道だ。一昨年、11月4日ごろだっただろうか、あまりにもよいお天気だったので、掃除を終えて3人で出かけた。森の中を通る砂利道は、落ちた落葉松の葉のふかふかの絨毯に覆われて、ときどき木々の合間から新雪の十勝岳や旭岳が見える。わくわくしながら進んでいくと、秋の日を浴びて黄金色に輝く落葉松の森に囲まれた鮮やかな緑の牧草地が現れた。
去年、やはり同じ頃、その道を3人でくぐった。途中で車を止め、森の中に入って、金色の落葉松の木々を見上げながら、思わず一年を振り返った。
昨日は、あっこちゃんが滞在されていたじっちゃんこと長谷川さんを送りにいったので、夫と二人、またおなじ道を目指した。はじめに道を一本間違えたために、違うところを通ってゴルフクラブの道へと出てしまった。今度は、いつもと逆に、あの道をたどった。行く向きが違うと、景色も全然違って見える。あの牧草地から、わき道にそれて車をさらに山道へと少し進んだと頃で車をとめた。そこから歩いて、森を抜けると、そこにはすべての山々を見渡せる、広い牧草地が広がっていた。先に行った私は、声を上げた。旭岳、トムラウシ、十勝岳連峰が、そびえ立っている。その裾野には、落葉松の山々が見下ろせる。そして、どこまでも広い鮮やかな牧草地。思わず「この夏のよき日に」を歌った。私は、何か気分がよくなると、必ずこの美しいメロディーが口をついて出てしまう。コダーイ合唱団で、何度も歌った北欧の曲だ。中村隆夫先生の訳詩が、またとても美しいのだが、私は元来歌詞を全然覚えられないたちなので、途中からラララになってしまったのが残念だった。
この道を通ると、ああ、今年も無事シーズンを終えたという安堵感やこれからの自分たちのことなど、いつもさまざまなことが思い出される。訪れるたびに、落葉松の黄葉になんだか特別な思いを強くしている。


10月27日
朝の光景
夕べからの雨が、朝起きるとかろうじてやんでいた。ムックとティンクと、玄関から外に出ると、重苦しいねずみ色の雲が、空を厚く覆っている。十勝岳の新雪が雲の中に隠れた朝日を浴びて目にまぶしく、その後ろの白い雲と同化して、怪しく銀色に輝きだした。
と、久しぶりに朝早く、きょうのひとことを書き始めたら、ちょうどパソコンの前の戸のガラス越しに写る山の景色に、不思議な光を感じだ。振り返って窓の外を見ると、山のちょうど麓、小高い丘の向こう側あたりだけが、明るく光っているのが見えた。しゃがんで窓から空を見上げると、わずかな雲間から、朝陽が、その場所に向かってまっすぐに降り注いでいる。あまりの美しさに、そこに居合わせたみんなが息をのんだ。みんな、デッキの外に出て、静かに山のほうを眺めた。
その光は、やがて雲の中に隠れて、さっきまで山と同化していた白い雲もどこかへ行ってしまった。くっきりと姿をあらわした新雪の十勝だけ連峰の背後には、色紙でも張ったようなグレイの空が、静かに広がっている。


10月26日
秋の一日
雲間から、朝の柔らかな光が射してきた。5センチほどに伸びた、玄関の向こうの笹本さんの秋蒔き小麦の新緑の絨毯が、急に輝きだした。残り少ない秋を惜しむように、昨日から気持ちのよい、暖かい日が続いている。
今日は、美瑛でSLが走るらしく、一昨日から滞在中のじっちゃんや、昨日からのお客様たち数名が、晩秋のSLを見物に行こうと、夕べから張り切っていた。6年ぶりのリピーター辻さんは、旭岳を目指した。今日1日サイクリングを楽しもうと、連泊の野元さんたちは出発した。みな、思い思いの過ごし方で、秋を楽しんでいる。


10月25日
おだやかな朝
暖かい日差しが心地よい。昨日から来ている、超超ご常連じっちゃんこと長谷川さんは、私たちよりずっと早く起きて、水沢ダムまで散歩をして来られた。雲海を見たそうだ。もう半分くらい真っ白になっている十勝岳連峰と、ずいぶん黄色くなってきたカラマツ、収穫の終わった畑が、晩秋の気色を創っている。
午前中、私がピアノの練習をしていると、夫とあっこちゃん、それにじっちゃんの3人で、薪を納屋に納める作業をはじめた。ムックとティンクは、デッキの上で日向ぼっこをしている。今日は、おだやかな朝だった。


10月23日
冬の予感
天気予報に反して、柔らかな色の青空が広がってきた。久しぶりに、山に覆われていた雲が上がると、輝かしいばかりに新雪をまとった十勝岳連峰が現れた。そういえば、1月以来久しぶりに訪れた超常連松原さんが、昨日模範牧場あたりで、雪に降られたと言っていた。そろそろ、冬支度をはじめなくてはいけない。


10月22日
野焼き
この3日ほどぐっと冷え込んで、あたりの景色も急に枯れ色になった。昨日、ラウンジのデッキの前の小豆の収穫が行われた。集めて三角に立てかけて干してあったものを、機械で脱穀していく。夕方から雨の予報が出ていたので、作業は急ピッチで進められた。
すっかり日が短くなって、5時にはあたりはもう真っ暗だ。ピアノの練習をはじめると、畑に、めらめらと大きな炎が上がった。脱穀し終わった干草を燃やしている。暗がりの中に、大きく燃え上がる炎が、ようやく農繁期が終わりに近づいていることを告げているようだった。


10月21日
「心の瞳」
昨日は、あっこちゃんの幼なじみで高校の同級生鳥飼玲子さんと旗手啓介さんの結婚式だった。11時からの挙式を無事終えて、夕方6時からは、薫風舎で結婚披露バーティーが行われた。美瑛で親しくしている方にお願いして作っていただいた素敵なアレンジフラワーと、ウエディングケーキで、薫風舎のラウンジはぐっと華やいだ。玲子さんが、ご家族やお友達に、それぞれにちなんだ刺繍を施した手作りのテーブルナプキンを一枚ずつお皿に飾り、やはりあっこちゃんの高校の同級生で、薫風舎ご常連の智ちゃんの司会により、祝宴は始まったのだった。
あっこちゃんひとり、楽しい席には居られず、忙しく働いていたのがちょっとかわいそうだったが、それでも幸せなひと時は、そこにいるみんなの心に、同じように広がっているように感じられた。あっこちゃんと高校の友人5人で「心の瞳」という美しい曲を歌った。玲子さんと旗手さんに悟られないように、昨日から間隙を縫うようにみんなで練習して、2部合唱に仕上げた。旗手さんのお姉様によるピアノの演奏も心にしみた。
すべて手作りの、心温まるパーティーは、全員の写真撮影でお開きとなった。その後も、みんな名残惜しそうに、いつまでもラウンジで歓談を続けていたのだった。


10月20日
晴れの日
夕べ遅く、ティンクと二人でラウンジのデッキに出たら、真正面にこの前よりもっと鮮やかなオリオン座や、別のたくさんの星が輝いていた。サンダルを履こうとしたら、凍りついていた。やたらと明るいので振り返ってみると、青白い月が煌々とあたりを照らしている。
朝起きると、畑は霜で真っ白になっていた。身の締まるような空気のよいお天気だ。
今日は、アッコちゃんの幼なじみの結婚式で、朝から薫風舎は晴れやかな雰囲気に包まれている。朝ごはんを食べて、みんな身支度を整え出発した。あっこちゃんも、大急ぎでお風呂掃除を終えて出かけた。私たちも、掃除をして、式場のある新区画ダムへと向かった。
式が終わると、青空の下、新郎新婦もご家族も、お友達も、みんな幸せ一杯の笑顔で写真を撮った。花嫁のブーケは、あっこちゃんがちゃっかりキャッチしたのだった。
今日は夕方から、薫風舎で結婚パーティーだ。


10月19日
延々と歩く
11月2日のリハーサルのため、16日、私ひとり東京に行った。シーズン中は特に、ほとんどうちの中くらいしか歩かないので、空港から有楽町、丸の内、東京駅からお茶の水にあるホテルにたどり着くだけでも、とても疲れてしまった。街を歩いていると、だんだん自分が雑踏の中にまぎれていく。ひとりだと、街のストレスをもろに体に感じる。
6時に江古田駅で待ち合わせなので、少し早めにホテルを出た。夏から髪が伸び放題になっているので、髪を留めるためにヘアピンかカチューシャを買おうと、池袋の西武デパートに入るが、なかなか目的のものを見つけられない。無印良品の表示を見つけて、矢印のほうへ向かって歩き始めたが、一向に売り場が現れない。延々と異常に長い地下食料品売り場をさ迷い歩いた。エスカレーターも上がってみたが、よく分からない。ようやく無印を見つけたら、そこから目的のところまでは、さらに階段を3階も上らなくてはいけないことがわかって、力尽きた。戻ろう。また延々と歩いて、西武池袋線の乗り場へ向かった。とにかく、コーヒーを一杯飲もうと思った。なかなか無い。乗り場近くにカフェを見つけたが、人があふれかえっている。諦めよう。江古田駅は初めてだが、何かあるかもしれない。とにかく電車に乗った。
待ち合わせの20分前に江古田に着て駅を出ると、すぐに、ちょっと昔風のうら寂しい喫茶店があった。ドアをあけると、がらんとした店内に、マスターとウエイトレスの女の子、それに女性客がひとり。静かだ。そこで飲んだ炭焼きコーヒーの、美味しかったこと。5分前に店を出て、ちょっと歩くと、100円ショップがあった。難なくヘアピンを100円で購入。おかげで、前髪に邪魔されること無く、無事ピアノを弾くことができたのだった。ちょっと前によんだ、森まゆみのエッセイを思い出した。引越しをして家具を買うのに、何年ぶりかでデパートに行ったら、欲しいものは見つからず疲れ果て、うちに帰ってきた。ちょうど届いていた生協のカタログをめくったら、よほど親切で気がきいている。私はもう、デパートには行かないだろう。という内容だった。もうひとつ、糸井重里が言っていたっけ。買い物というのは、よほど暇な人が楽しむものである。やはり、買い物に出かけて疲れ果てたあとの言葉だ。今回は街を歩くことを楽しみにきた旅行ではないので、自分もつくづくそんなことを痛感してしまった。
17日は、お昼に銀座で、友人と美味しい天婦羅を食べた。そのあと友人と別れて、楽譜屋、CD屋、本屋と、また延々と歩いてしまった。欲しい楽譜は品切れで、旭川で注文してくださいといわれた。CD屋も本屋も、遠かった。街には、物が溢れかえっている。その中から欲しいものを探し出すのは、至難の業だ。もしかすると、旭川の街ほど、コンパクトで便利なところはないのではないかとさえ思いながら、早めにホテルに戻ったのだった。
昨日お昼過ぎ、旭川に降り立つと、温度計は6℃だった。ひんやりした空気が心地よい。帰る道、黄葉が3日前よりずいぶん進んでいた。うちに帰ると、静かな景色にほっとしたのだった。


10月15日
澄んだ景色
夕べ、夫とムックとティンクの散歩に行こうと、玄関のドアを開けたら、身の締まるような寒さだった。昨日までとは全然違う空気に驚いた。朝起きると、よいお天気で、澄んだ景色が気持ちいい。おとといまでの温い煙った風景と、がらりと変わった。玄関の前に広がる、秋蒔き小麦の新緑が、いっそう目に眩しい。その向こうのカラマツ林は、緑がくすみ、ほんの少し黄色みがかってきた。秋はいよいよ、終盤に向かっているようだ。


10月14日
4日遅れの誕生会
昨日、超常連のお客様が、職場の同僚の方々と東京から泊まりに来てくださった。今年もう、6度目だ。私たちが夕食の後片付けをしていたら、廊下をなにやら大きな白い箱が通った。ピアノを弾く音が聞こえた。なんだろうと思いながら、ラウンジに出ると、大テーブルにその白い箱が置かれていて、みんなニヤニヤとしている。
「これから薫風舎とムックの誕生日会をしますから皆さん集まってください!」私たちも、居合わせたほかのお客様もびっくり。急いで後片付けを終えると、みんなの分用意されたムックの写真つきのきれいな楽譜を手渡されたのだった。みんなで、ハッピーバースデーの歌、それから手渡された楽譜「だれにだっておたんじょうび」を歌った。私たちは、思いがけないプレゼントにあっけにとられ、どううれしさを表現してよいやら分からなくなってしまったのだった。
白い箱は、言わずもがな、とびきり美味しいケーキだった。ちょうどその日泊まられたリピーターのご家族、それから、私の教員時代の教え子ファミリーも交えて、みんなで大テーブルを囲んで、4日遅れの楽しい誕生会となった。
皆さん、本当にありがとうございました。


10月13日
風に吹かれて
気持ちのよいお天気だ。きりっとした秋晴れではなく、もわんと暖かい空気、煙った景色は、春を思わせる。今日のひとことに何を書こうか、思索を練るつもりで、デッキにこの前つるしたハンモックに寝そべってみた。思索を練るという割には、ちゃんと枕用のクッションとタオルケットを用意している。
体がハンモックの網に包みこまれて、ゆらゆらと揺れていると、頭の中が空っぽになっていく。10月中旬にしては温かい風が、顔の上を通り過ぎてゆく。そういえば、先日いらしたご常連の横山さんがご夫婦そろって、異口同音、体が包まれて窮屈だと言っておられた。そういわれてみれば、そう感じても不思議ない気もするが。そうかなあ。気持ちいいけどなあ。私は。
そんなことをぼんやり思い出すも、一向にひとことの原稿なんて考えつかない。しかも、あんまり気持ちがよいので、なかなか起き上がる気にもなれなかった。
結局、今日はこんなことを、そのまま書いてしまった。冬までに、ハンモックに揺られる日なんて、あと何日あるだろう。


10月12日
オリオン
昨日は、夫が疲れたといって、先に寝てしまった。私は、本を持って温めのお風呂にゆっくり浸かった。部屋に戻って寝る支度をしていたら、ティンクがトイレに行きたがったので、ラウンジのデッキまで一緒に出た。ドアを開けると、プラネタリウムのように星空が広がっている。真正面に、冬の星座オリオンが大きく輝いていた。
こんなところに住んでいて、私は星座のことなどにはとんとウトくて、実をいうと、いつもオリオンとカシオペアがこんがらがってしまうほどだ。このひとことに書くために、恥ずかしながら、普段めったに開かない星座の本など紐解いてみたら、オリオンは確かに冬の星座だった。どうりで、久しぶりに、あの形を正面から見たような気がした。
こんな観察力と注意力の無さは、ひどすぎる。満天の星や輝く月を見ても、別な方向に頭が行ってしまうのだ。そういえば、中学の頃から、地学には全く興味がわかなかった。高校にいたっては、当然の事ながら選択しなかった。夕べの美しいオリオン座を思い出しながら、なんだか後ろ暗い気持ちになってしまった。
今日は、薫風舎コンサートのプロデューサーであり、雪の結晶のことでもすっかりお馴染みの平松さんが、2年前、薫風舎で演奏会をしてくださったオルガニストの今井さんとやってくる。平松さんは、何を隠そう高校の地学の先生である。事あるごとに、星のこともずいぶん教えてくれているのに、私には「馬の耳に念仏」だ。今日は、にわか勉強などして、星の話でも・・・とは行かないだろうなぁ。いつものごとく、音楽と食べる話で終わってしまいそうだ。
いずれにしても、この冬は、少し星座のことに気持ちを向けてみようかなと、ちょっとだけ思ってしまった。


10月11日
小春日和
柔らかな暖かさが、秋の景色を包み込んでいる。小春日和だ。小春日和というと、本州では、もっとずっとあとの季節のものだ。このあたりでも、10月末や11月の、雪の降る少し前、そんな気持ちのよい日が何日かある。「小春日和」とは、その頃のものだ、ちょっと早過ぎるなと考えながら、それでも、今日は「小春日和」という言葉がぴったりの一日だと思った。
11月2日のコンサートで、フランスの現代作曲家ミヨーの小品「Le Printemps(プランタン)春」という曲を演奏する。全曲を通して、ピアノの伴奏が春の柔らかな日差しと、のんびりした空気を漂わせる。11月のコンサートなので、私はこの曲を弾くとき、いつも、春ではなく小春日和の今日のような景色を思い描いてしまう。金色に輝くカラマツの紅葉や、雪をまとった十勝岳、日の光を浴びて収穫し終わった畑から立ち昇る水蒸気。演奏会当日も、そんな日であって欲しいと願いながら練習している。


10月10日
偶然の出会い
先週10月3日の休日、旭山動物園の帰りに、買い物公園沿いにあるマルカツデパートの音楽創庫というCD屋に行ったら、在庫半額セールをやっていた。見ると、結構いいCDが、軒並み半額になっている。気になりながら普段あまり買わないような物を中心に、ずいぶんたくさん買ってしまった。めずらしいコダーイの室内オケの作品集、ラトル指揮バーミンガム市響の20世紀の音楽集2枚組、聴いたことのなかったピアニストのものなど。全部はまだ聴けていないのだが、結構いい買い物をしたと思っている。
その中で何気なく買ったひとつが、思いのほかすばらしく、いまだ興奮覚めやらない。聴けば聴くほど、そしてあとから考えれば考えるほど、いい買い物をした。偶然の出会いが、また感動を大きくする。ヴォーン・ウィリアムズとディーリアスという、イギリスの20世紀の作曲家の作品集に、なんとグリーグのホルベルグ組曲のおまけつきだ。ちゃんと演奏かも確かめずに曲目だけで買ったら、演奏がまたすばらしく、興奮した。改めてジャケットを確かめると、マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(ASMF)だった。良い訳だ。またもや興奮した。5月に札幌のキタラホールでペライアとともに演奏したオーケストラだ。マリナーは、このASMFの創設者である。CDを開けてから、2枚組みだということも分かった。それで2000円のところ、さらに半額というは、本当にいいのだろうかと罪悪感すら感じてしまう。
どっぷりと深まってきた秋の枯れた景色、風に舞う落ち葉、ねずみ色の重たい雲、そんな風景に、ヴォーン・ウィリアムズとディーリアスの作品群は、あまりにもすばらしく融合する。イギリスの田舎と美瑛の空気は、きっと一緒なのだと思えてしまう。マリナーとASMFの、丹精で表情豊かな音楽が、心に深くしみわたり、魂を揺さぶる。(ちょっと興奮しているので、表現が大げさになってしまう。)
こんなことを書いていたら、また初めから聴きたくなってしまった。久しぶりに、何度も聴き返したくなるCDに出会ったときの喜びは、言いようがない。最近のCDでは、もう一枚、ヴィオラの今井信子さんの「ヴィオラ・ブーケ」という小品集が、とても好きだ。名曲集はあまり買わないほうだが、この一枚は選曲といい演奏といい、どの曲も、わくわくした。演奏会を間近に遠い存在だったクライスラーが、とても身近にいとおしく感じられた。


10月09日
誕生日
昨日夜から、Happy Birthday のメールがたくさん届いた。今日は、薫風舎8歳の、そしてムックが10歳の誕生日だ。ムックは、何度もこのひとことに書いている通り、薫風舎一周年記念日の朝、うちの家族になった。そのとき推定3歳といわれたので、この日を誕生日とした。
10月9日に何か特別なことをしたこともなく、毎年記念日は淡々と過ぎていくのだが、お祝いのメールをいただいて、思わず、この8年間を振り返りたくなった。
私たちは楽天的で、忙しい時だって、暇な時だって、毎日をわりと愉快に過ごしてきた。本当に、よい8年間だったと思う。それでも、振り返ると、苦しいことや辛いこと、悲しいことなどが、いくつも押し寄せてきた。HPには書けないようなことだって、少なからずあった。でも、そんなときに、何とかそれを乗り越えて、ああこの8年間、楽しかったなあと思えるのは、薫風舎を、私たちを応援してくださる多くの方たちの支えがあったからにほかならないと、届いたメールを読みながらつくづく思った。
薫風舎に来ることをいつも楽しみにしていてくださる方々、HPを観て応援してくださる方々、本当にありがとうございます。薫風舎サポーターは世界一だと、心から思っています。
これからも、今までと同じように、精一杯の毎日を、ひとつひとつ積み重ねていきますので、どうぞよろしくお願いします。


10月08日
男爵のおいしさ
10月、とうきびがもう終わりになって、ぐっと美味しくなってくるのがジャガイモだ。秋の朝の顔といえば、オープン以来お馴染みの「くりじゃが」と決まっているが、ときたま「男爵」を食べると、おおぅ!と目が丸くなる。
このあたりで「くりじゃが」といわれる「キタアカリ」という品種のジャガイモは、ほくほくしていて中がクリのように黄色く、ジャガイモ特有のいも臭さがない。しかし、この「いも臭さ」、男爵を食べると、これが美味しいのだ!と思ってしまう。真っ白く粉を吹く、この季節の男爵こそ、秋の味だと、男爵を改めて見直してしまう。丸のままホイルに包んで焼いたものを、食べるときには、まず真ん中からホクホクと割る。このとき、決して断面がナイフなどできれいにならないよう、自然に割れるようにする。すると、蒸気が立ち上り、イモから余分な水分が抜けて、粉を吹く。そこに、バターをたっぷりとのせたいところだが、ぐっとこらえて塩を振って、ふはふはいいながら口の中に放り込む。ああ、幸せとはこういうことをいうのだ。
そう思って、またくりじゃがを食べると、これがまた美味しい。とにかく毎朝、ジャガイモは、えらいなあと思うのだ。


10月07日
雪虫
雨がしとしとと降り始めた昨日の夕暮れ、ふと窓の外を見ると、白い小さな綿のようなものが、ふわふわとたくさん漂っていた。雪虫だ。10月のある日、突然雪虫は飛びはじめる。10月独特の鉛色の空や、もう枯れはじめた木々、冷たい手をこすりながら遊ぶ公園、雪虫はそんな子供の頃の記憶をよみがえらせる。自転車をこいで家にかえり着くと、髪やまつげや服に、雪虫がたくさんついている。その一つを手でつまんで、じっと見る。蚊のような小さい虫のお尻にその体よりも大きなふわふわした薄いねずみ色の綿がついているのが不思議だった。
そんなことをふと思い出しながら、窓におでこをつけて、雪虫が飛ぶ姿をしばらく見ていた。薄暗い怪しい光の中で、雪に似た銀色のちらちらしたものが浮遊する光景は、幻想的だ。雪虫が飛ぶと、あと2週間で本物の雪が降る。


10月06日
山葡萄の赤
台風がきてから、雨がちの天気が続いている。今朝、久しぶりに十勝岳連峰が姿をあらわすと、山の頂上付近に新雪をかぶっていた。この数日で、まわりの景色はすっかり黄色味を帯びている。真っ赤に色付いた山葡萄の葉が、くすんできた緑と枯れた黄色の景色の中でひときわ目をひく。その赤が見られる年は、なんだか得をした気持ちになる。去年は全然赤くならなかった。その前の年はどうだったろう。
今年の紅葉は、急にやってきて、とてもきれいだ。


10月04日
動物園
昨日、ずっと行きたかった旭川の旭山動物園に、3人で行った。旭山動物園は、私の大好きな絵本作家であり画家のあべ弘士さんが勤務していたところであり、あちこちからその評判を聞いていた。私は、小さい頃から動物園が大好きだったが、もう20年以上行っていない。久しぶりの休日は、もうずいぶん前から旭山動物園に決まっていた。
お昼過ぎに家を出て、評判の当麻町のピザハウスでお昼を食べた。そこから引き返して、動物園へと向かった。平日だというのに、駐車場にはたくさんの車があった。門をくぐると、観覧車や小さいジェットコースターなんかもあるにはあったが、森に囲まれて広々としていて、私の知っている札幌円山動物園や上野動物園とは、少し雰囲気が違っていた。それから、あの動物園独特の臭いがないのにも驚いた。
フラミンゴやカモなどの池を通って緩やかな坂を上がると、ペンギン館がある。建物の中に入るとトンネルがあって、大きなペンギンがすいすいと泳いでいる姿を見上げることができる。人間の腿くらいの丈がある、大きなキングペンギンを、ガラスの窓から間近に見ることができた。猛獣館では、トラやライオン、ヒョウなどを、正面からだけでなく真横から、下から、上からも見られるようになっていた。オラウータンが苦しそうにウンチをする姿を、みんなで眺めていたのが、ちょっとかわいそうだった。水のトイレにボチャンと出たら、みんな「おおぅ!」と歓声を上げた。オラウータンは、恥ずかしいのかそうでないのか、はしごを上がって、空中を散歩してうちに帰っていった。
今秋オープンして話題になったホッキョクグマ館では、ホッキョクグマがドボンと池の中に入り泳ぐ様子を、ガラス越しに見ることができる。カプセルからのぞくと、のそのそと歩く姿も見られる。みんな就寝直前で、寝室への扉の前を行ったりきたりしていた。ガラスからその様子を見ていたら、私たちの鼻先まで突進してきた。
どの棟も、動物たちがなるべく快適に過ごせるように、広々と工夫されている。お客さんが、いろいろな角度から動物たちを間近で観察できるように、細やかな設計がなされている。そこここにある小さいガラスの小窓をのぞくと、あたかもライオンやホッキョクグマやペンギンたちと、対話をしているような気分になれる。
ちょっと風の強い10月の昼下がり、気が付くとずいぶん歩いていた。みんなに会いに、今度はいつ来れるかなと思いながら、駐車場へ戻ったら、ムックとティンクが運転席と助手席に座って、私たちの帰りを待ちわびていた。


10月03日
虹・青空・雲
昨日は台風のおかげで、不思議な景色だった。雲が山をなめるように、大きく東のほうへと流れた。夕方、雨が降り出したと思ったら、急に日が差して、また虹が出た。今度は、くっきりと大きな弧を描いて、相原先生の描いたカラマツ林とその向こうの美沢小学校をすっぽりと呑み込んだ。カラマツ林も小学校も、別世界へと行ってしまったように、輝かしい色をしている。よく見ると、そのうえにもう一つ、薄い虹がかすかにかかっていた。
あっこちゃんが大急ぎでカメラを抱えて戻ってくると、空半分が青空になって、虹はほとんど姿を消していた。山のほうは、相変わらず急ぎ足の雲が、東へ東へと流れていた。しばらくすると、青空が小さくなっていた。


10月02日
停電・強風・虹
このあたりに天気予報通り台風が来ることは、めったにない。ほとんどが、それて東海上に抜けるか、温帯低気圧に変わってちりぢりになってしまう。しかし、おとといからニュースで進路を見ていると、今回は、どうも危ない。来るなと思った。
昨日夕方から雨が降り出した。寝る頃は、まだ風は強くなかった。明け方、ムックが騒ぎ出した。停電したのがが直って、電化製品がいっせいにピピッと音を出すのが怖かったのだ。なだめてうつらうつらすると、またピピッと音がする。ムックが騒ぐ。もうろうとした中で、幾度となく繰り返された。
朝起きると、雲の合間から薄日が差していた。風が次第に強くなってくる。雨はない。木々は大きくゆれ、まだらな空が、異様な雰囲気をかもし出してる。ぽっかりと青空がのぞいているのが、また薄気味悪い。「あ、虹だ。」朝食を食べ終えた主人が、厨房の窓の外を見て言った。小原さんの畑の向こうに、緩やかな放物線を描いて、虹が出ていた。虹を見ようと、ラウンジのところのデッキに出ると、生暖かい風が吹き荒れていた。風はさらに激しさを増している。木々はゆっさゆっさと音を立てて揺れ、黄葉したばかりの葉が、畑の方まで飛ばされ、舞い上がっている。


10月01日

土曜日に土砂降りになってから、曇りがちのお天気が続いている。今朝、久しぶりにくっきりと山が見えたと思ったら、後ろから覆い被さるように、雲が雪崩れ込んできた。風が吹くと黄色い葉が、はらはらと舞い落ちる。10月になった。


10月01日

土曜日に土砂降りになってから、曇りがちのお天気が続いている。今朝、久しぶりにくっきりと山が見えたと思ったら、後ろから覆い被さるように、雲が雪崩れ込んできた。風が吹くと黄色い葉が、はらはらと舞い落ちる。10月になった。


9月29日
大災難
昨日は、小樽の中村先生のお宅まで、JRに乗って、私一人ピアノのレッスンに行った。久しぶりに列車に揺られていると、今日のひとことに書きたくなるようなことが沢山浮かんでくる。行く道で読んだ本のこと、車窓からの眺め、景色を眺めながら思い巡らせたいろいろなこと・・・。ところが、とてもそんなことを書く元気が無い。疲労困憊である。
それはレッスンのせいでは決して無い。中村先生のピアノのレッスンは、どんなに苦しくとも、明日からの課題が山積みになろうとも、私にとっては、この上なく楽しいひと時である。(下手なピアノに付き合わされる先生のほうは、相当疲れたと思います。ありがとうございました。)
10時前の美瑛発に乗って旭川まで出ると、旭川発スーパーホワイトアローまでは、40分ほど時間がある。旭川に着くとすぐに行き帰りの指定席を買って、どこかで早めのお昼を食べながらゆっくりするのを楽しみにしていた。一旦旭川で改札を出て、指定席を買いに行くと、なんと行きも帰りも満席だった。かなりショックだった。仕方がないので、すぐホームに引き返し、清掃中のアローの前に並んだ。席を確保して、駅弁とお茶(お茶は買わなければよかった。)とコーヒーを買って、出発の30分も前から列車に乗っていた。出発直前には、通路にもタラップにも人が溢れた。土曜日とはいえ、異常な混み方である。帰りのことが心配になった。
レッスンを終えて先生のお宅を出たのが、5時頃だった。札幌では、11月のコンサートで着る服を下見している母と妹が待っている。札幌駅から大急ぎで地下鉄に乗り、4丁目三越交差点付近の、待ち合わせ場所に急いだ。9時発のアローで席を確保するために、遅くとも30分前には駅に行きたい。服を無事購入し、そこら辺でパパッと夕食を済ませることにした。そこら辺でパパッと食事なんて、私には許せないことだが仕方がない。見知らぬコジャレたイタリアンレストランに入り、パスタを注文した。ところが、なかなかオーダーしたものが出てこない。やきもきしてきた。料理が出てきた頃には、もう8時を回っていた。高校生の頃の早弁のおかげで早食いなのが、こんなときには役に立つ。5分で食べ終え、まだオーダーの来ていない家族を置いて、土砂降りの中タクシーに飛び乗った。
8時20分過ぎ、ホームに駆け上がると、なんと、もうすでに列ができていた。とにかく並んだ。この分だと、何とか座れるだろうか。並んでいたら、どんどん人が溢れてきて、後ろにとんでもなく長い列がどんどん伸びていく。どういうわけか若いおねーちゃん(若くないのも結構いた。)みんな、SMAPのビニール袋を持っている。SMAPと書かれた大きなバスタオルやリストバンドをもっている人もいる。そういうことか。目が半目になった。ため息だ。30分近く突っ立ってようやく列車がきた。ドアが開くと、前の連中は、仲間の席も確保しているらしく、私が中に入ったときには、もうすでにすし詰め状態だった。乗れただけよかった・・・。半目のまま心の中でつぶやいた。みんな座席を回して、仲間でハンバーガーとかたこ焼きを食べている。一つ救いだったのは、皆燃え尽きたのか、混んでいる割には車内が騒々しくなかったことだ。
疲れはもう限界に達している。あと30分というところで、ラッキーにも目の前の席が空いた。崩れこむように席につくと、思いがけない混雑に私と同様困惑していたおばあちゃんが、「具合が悪いのかい?」と言ってトマトジュースを差し出してくれた。トマトジュースは私のもっとも苦手な飲み物である。丁重にお断りしたが、その気持ちが、どんなにうれしかったことか。
11時半、夢遊病者のごとく家にたどり着き、部屋のテレビをふと見ると、キムタクが笑っていた。無性に腹が立って、激しくにらみつけたのだった。


9月28日
朝の景色
今日は、一人で小樽の先生のお宅にピアノのレッスンを受けに行くので、いつもより早起きをして、1時間ほど練習をした。夕方からお天気が崩れるせいか、夕べはさほど冷え込みがきつくなかった。ラウンジに行くとピアノが昇ったばかりの朝陽を浴びて光っていた。朝の空気が心地よい。
空に雲が多いせいで、今日は、朝から十勝岳の山肌がはっきりと見える。数日前に降った雪は、もうほとんど融けてしまっている。その代わりに、山の紅葉が、ずいぶん下まで降りてきているようだ。デッキの前の畑の向こうの雑木林も、少しずつ色付いてきた。畑には、刈り取られた小豆の山が、点々と向こうまで続いている。裏の小原さんの収穫の終わった畑は、緑肥として植えられた小さいひまわりが、鮮やかな黄色に咲き誇っている。みんな、柔らかな朝陽を浴びている。早起きのおかげで、静かな朝の景色を楽しむことができた。


9月27日
原生林の遊歩道
昨日は、青空に誘われて、結局三人で望岳台へ行った。駐車場のところから小さい桟橋を渡ると、1Kmほどの遊歩道がある。一昨年の今ごろ、おなじ三人で初めて歩いた。森をくぐると、目の前に十勝岳連峰と原生林が広がり、思いのほか気持ちのよいハイキングだった。
一昨日は、少し入ったところのベンチに腰掛けすぐに引き返したので、昨日は、気持ちのよい森の空気を吸いながら、ゆっくりとひと回りした。番茶を水筒に入れて、そこら辺にあったお菓子も持っていった。
望岳台には沢山の観光客や登山客が訪れていたが、この遊歩道はあまり知られていないのか、誰も歩いている人がいなかった。本格的な登山をする人は別として、車で望岳台まで景色を観に来る人は、ほとんど山の空気を吸い込まずに、すぐまた引き返してしまう。。私たちだって、そういうことが多い。いかにももったいない。ハイマツや独特の高山植物、紅葉し始めた木々をながめながら、こういう時間は、無理をしてでも作るべきだと、つくづく思った。途中でお茶を飲む時間を含めても、わずか30分足らずのハイキングだ。こういうことを味わわずに通り過ぎてしまう旅行は、あまりにも味気ない。
観光スポットを足早に巡るような旅は、もともと好きではないが、どうしてもいざとなると、欲張ってゆとりがなくなってしまうことも多い。車の旅行は、特にそうだ。「ちゃんと歩く時間を作る」ということが、旅行にとっていかに大切か。当たり前のことを、あらためて思い直したのだった。


9月26日
山の誘惑
申し分の無いお天気だ。空はどこまでも青く、空気は澄み渡っている。この季節独特の光の加減が、景色をよりいっそう美しく見せている。秋の、こんなお天気の日は、どうしても山の方へ行きたくなってしまう。
実を言うと昨日も、十勝岳の中腹、望岳台まで行ってきた。いつものごとくレストハウスの味噌ラーメンとおにぎりを食べて、ちょっとだけ散策をして急いで帰ってきた。レストハウスの味噌ラーメンの味を占めてから、望岳台にとても行きやすくなった。店長に「毎度様です。」といわれてしまった。アイスモナカを一個買って三等分にして、かじりながら、散策路のほうを少し歩いた。桟橋をわたって、森をちょっとくぐると、山に向かった景色がぱっと開ける。白い玉のような花がぽつぽつと咲く高山植物が、きれいだった。名前を見ると「シラタマノキ」とかいてあった。あまりにそのままの名前に、三人笑いながら、少し歩くと、テーブルと椅子があった。ああ、コーヒーでも持ってくればよかった。「あしたか?」と冗談めかしに言いあって、時間が無いのでそこからすぐに引き返した。またレストハウスに行くのも恥ずかしいから、「おにぎりを持っていくか?」と帰り道に盛り上がる。
忙しい最中、やらなければならないことも沢山あるし、二日連続はどうかと思い直すも、あまりのよいお天気である。三人申し合わせたように、掃除を急ぐ。こんなひとことを書いていたら、ますます山の誘惑に負けてしまいそうだ。


9月25日
収穫の風景
昨日は、あっこちゃんが山葡萄やツルウメモドキを採りに白金のほうへ、私と夫は、街の洋食店「おきらく亭」にポトフを食べに行ったので、十勝岳の初冠雪のことを書きそびれてしまった。新聞やテレビでで散々やっていたので、もう今ごろ書いても、全然ニュース性がない。反省しています。
まわりの畑では、にわかに収穫作業が始まった。玄関の向こうでは、笹本さんがジャガイモを収穫している。デッキの前の小豆畑(私は、ついこの前まで大豆だとばかり思って、ずっとそう書いてきました。またもや反省。)も、今朝は5時半から、永さんご家族が総出で、手作業で収穫をしている。
もうすっかり枯れてしまって、葉もほとんど落ちた小豆の茎を手でかき集めては、三角にまとめて立てかける。作業が終わった畑は、膝丈くらいの三角の小山が、1メートル位の間隔でポコポコと置かれている。秋の色合いの濃くなった風景の中、腰をかがめて作業をする姿は、まるでミレーの「落穂拾い」のように見える。そう思ってから、早朝から黙々と仕事をしている永さんのことを、傍からそんなふうに考えた自分を戒めた。しかし、もう一度思い起こしてみると、ミレーの「落穂拾い」には、そんな、自然と向き合い、額に汗をして働く人々の姿が描かれているのではないか。美術館で作品を見たときの、自分の想像力の無さこそ恥ずかしいのではないか、と、思い直したのだった。


9月23日
秋の夕暮れ
昨日夕方、夫が撮影から帰ってきてから、裏の道まで、ちょっと外の空気を吸いに出かけた。ひんやりした空気を吸い込むと、もやもやしたものがすうっと消えていくように、気持ちが良かった。裏の小原さんの桜の木が、ぼちぼち紅葉し始めている。向かい側のカラマツにもたれかかるように伸びた山葡萄の葉も、赤紫色に浮かび上がっている。
もう少し歩くと、右手に沢尻さんのとうきび畑がある。毎朝、夫とあっこちゃんが交代でもぎに行っている畑が、もう半分以上収穫を終えている。
三号線まで行くと、西の空、まるで地層の断面図のように、橙色と青紫色の大きな縞模様を描いていた。南東へ向かうにしたがって、その雲の層はうねり、橙色の変わりに、ほんのりと赤紫に色づいている。しばらく、呆然と空を眺めていた。
思わず大きな声で鼻唄を歌いながら、うちのほうへ帰ってきた。雑木林をくぐりぬけ、小原さんの畑のあたりに来る頃には、さっき橙色だった雲が、すっかりバラ色に変わっていた。うちの前を通り過ぎて、小原さんのうちの近くまで行って、もう一度西の空を眺めた。あっこちゃんが、写真を撮りに来ていた。
うちに戻って夫に夕焼けの話をすると、とても悔しがった。仕込みの時間があるから、空が焼ける前に後ろ髪を惹かれる思いで帰ってきたそうだ。私も、カメラを持っていけばよかったと、悔しくなった。


9月22日
トレビスの喜び
トレビスは、エンダイブやアンディーブの仲間で、ちょっと苦味のある赤紫色のしっかりした葉野菜だ。フランス料理やイタリア料理のサラダには、欠かせない。赤紫のきれいな葉がサラダに加わると、見た目もぐっと美しくなり、ほんのりと口の中に苦味が広がる。なかなか手に入らないので、これまで、ずいぶんと苦労して、何とか入手してきた。高いときには、握りこぶしより一回り大きいくらいのが、600円以上する。それでも、無いとなんともサラダがさびしくなるし、自分で作るのは、かなり難しいように思って、あちらこちらに手配して購入して、大事に使っていた。
今年、思い切って、とにかく種を植えてみた。オープン前から作っていたエンダイブと同じ種類だから、種まきも、同じようにやった。温度管理がわからないので、半分をバジルと一緒にトンネルの中に、半分はそのまま路地に植えた。芽は簡単に出るだろう。でも、あの鮮やかな赤紫色の葉がきれいに巻くためには、きっと何か特別なことをしなければいけないと思って、最初から諦め半分だった。
案の定、芽は元気に出てきた。夏になると、どんどん葉が大きくなったが、濃い緑色だ。間引きをしながら食べてみると、苦味がきつく、あまり美味しくない。苦味だけなら、エンダイブで十分なので、だんだん畑からも遠ざかっていた。
8月の末頃だったろうか、いつもの買ったエンダイブとはちょっと違う、緑の混じった赤紫色の葉を、サラダ担当あっこちゃんがちぎっていた。うれしい予感がして、これはっ?!と、聞くと、畑のエンダイブが、赤く巻いてきていると言う。畑に飛んでいくと、緑に広がっていた葉の中心部分が丸くなっている。色も、緑から赤紫へと変わってきている。これには興奮した。間引きも途中でやめていたので、みな大きくなりたくて、うずうずしているように見えた。赤くなっているところから、間引きをしながらサラダにどんどん使った。今年は、エンダイブのほうもとてもよくできたので、にわかにサラダが賑やかになった。
トレビスはエライ。こんなことなら、初めから植えておけば良かった。毎日、あっこちゃんにちぎられたきれいな赤紫色のトレビスを見ては、にんまりしている。ひしめき合っていた株が、少しずつ空いてきて、それにしたがって、一つの株がしっかりと大きくなってきているのが、またうれしい。この分だと、きっと雪が降るまで、トレビスの喜びが続きそうだ。


9月21日
ハンモック(その2)
一昨日、上富良野でお昼を食べたあと、丘の上のほうにある輸入雑貨店サリーリに行った。4年ぶりくらいだろうか、コーヒーを外のデッキで飲んだら、とても気持ちが良かった。アジアや南米の雑貨も面白く、なんだかたくさん買ってしまった。
久しぶりに訪れると、ハスキー犬が気持ちよさそうに昼寝をしていた。あの時と一緒だ。店内で、雑貨や服などを見てまわっていたら、夫が外にあるハンモックを見つけた。早速寝に行った。なんだか窮屈そうに、しばらくぶら下がっていたと思ったら、しばらくすると、感激して帰ってきて、ご主人とあれこれ話している。気に入ってしまったらしい。すごく気持ちがよいのだそうだ。あっこちゃんと私も試してみると、見た感じの窮屈さは全くなくて、すこぶる快適だ。体の重心が、全体にいい具合に分散されるのだそうだ。もう次の瞬間には、どれが良いかと、店内に何種類かあるものの中から、選んでいた。
うちに帰ると、夫は早速、ハンモックを正面のデッキのティンク側につるした。ティンクは、頭の上にぶらぶらと変なものが下がっているので、けげんそうだ。ちょっと邪魔な気もするが、思ったほどは違和感がない。今のところ、もっぱら利用しているのは夫だけだが、ハンモックの寝心地の良さ、是非皆さんにも味わっていただきたいと思います。


9月20日
ハンモック(その1)
昨日、1、2年ぶりに、上富良野の「20年位前のちょっと洒落た軽食喫茶」風ビストロに、お昼を食べに行った。居ぬきの喫茶店かなんかをそのまま使った、なんとなく雑然とした雰囲気が懐かしさをかもし出し、妙に気に入っていたのだが、久しぶりに訪れると、お店は改装されてすっかりきれいになっていた。よくわからないごちゃごちゃしたものがカウンターにおかれていたり、無造作に並べられたテーブルがまた、昔風でよかったのだが、余計なものはすっかり整理され、テーブルも整然としていて、なんだかがっかりしてしまった。
せっかくきれいにしたお店にこんなことを言うのは何だが、私たちは前のほうが良かったなあ。ほとんどのお客さんは、きれいになって喜んでいると思うし、もしかして、いやきっと、改装した後のほうが、繁盛しているに違いないから、店主には、余計なお世話だと怒られそうですが・・。
商売柄、居心地のよさってなんだろう?と、まじめに時々考えてしまう。新しさや綺麗さが、必ずしも居心地のよさとは結びつかない。よく分からないけれどなぜかここは落ち着くんだよなぁ、と思える場所は、どこかに隙があったりする。独特な空気と時間が流れている。きっとそれは、計算してできるものではない。もしかすると、その空間を作った人の独特の空気や時間が、自然とそこには漂うのかもしれない。
なんてことをチラッと考えながら、きれいになった店内で昼食をとり、ちょっと寂しい気持ちでお店を後にしたのだった。
あれ?今日のお題はハンモックのつもりが、変なことを書いてしまいました。ハンモックは、明日に続く。


9月19日
出かけちゃう。
久しぶりに青空が広がった。今日は、最高気温が25℃を超えるそうだ。今年最後かもしれない半そでで、ちょっと上富良野のほうまで行ってみることにした。ここ数日、パソコンのおかげで、脳みそから肩までバリバリになってしまった。(自分がコーヒーをこぼしたので、仕方がないのだが。)そっちのほうも、まずます一段落したので、今日は、出かけちゃおう。
上富良野の駅の近くの、「20年位前のちょっと洒落た軽食喫茶」風、小さなビストロで、ランチといこうか。このお店のことは、たしか2年位前にもこのひとことに書いた。幼少の頃から喫茶店好きの私には、たまらない雰囲気の店だ。店内に独特な時間が流れているので、忙しいときにこそ行きたいが、時間を忘れたひとときの後には、その時間を取り戻す忙しさが待っているため、結構気に入っているのだが、なかなかいけない店の一つだ。
もう今日はいいや。行っちゃえ!でも、その前に掃除、掃除。


9月17日
心の平安
気圧の谷が通過中だ。雨がしとしとと降っている。しかし、気分は悪くない。レスキュー隊長佐竹氏から、ハードディスク無事との連絡が入ったからだ。こちらのパソコンもようやく環境を整え、心の平安が戻ってきた。皆様、ご心配をおかけしました。


9月16日
気を取り直す(きのうのつづき)
昨日、PCにコーヒーをこぼした。夕方には復活するかと期待したが、電源を入れても黒い画面のままで、起動しない。大変な事態になってしまった。PCは諦めるにしても、データーが消えてしまうのは、参る。参るが、無くなってしまっている物は仕方ないのだ。手を尽くしてダメなら、まあ、そのときは、それで何とかするしかないのだ。こんなとき、機械に頼っている自分を考える。大事なことは、紙に書いておくべきだと、つくづく思う。
とりあえず、もう一台のノートで、たいていのことはできるようにはしてあるので、当面はこれで用が足りる。あっちにしか入っていないデータ、写真も全部入っているし・・と考え出すと、ため息が出るが、そのたびに、気を取り直す。
夕べ12時を回ってから、メールを書こうとラウンジに戻って、ついでに未練がましく電源を入れてみた。ところが、ピーピーという音とともに、Windowsがたち上がったではないか。健気にエラーチェックまでして、デスクトップのあの台湾犬ちんクンの顔を見た時には、涙が出そうに(これは大げさ。)なったのだった。慌ててデーターを吸い上げようと、再起動を試みたが、キーボードが効かない。強制終了して、ふたたび電源を入れると、またもとの黒い画面に戻ってしまった。しかし、データは生きている。(と思う。)佐竹さんに協力してもらって、できる限りのバックアップを取り、PCは修理に出すことにした。
昨日のひとことを読んでお見舞いメールを下さったご常連の方々、本当にうれしかったです。そんなことで、何とかなりそうな希望が出てきたので、どうぞ安心してください。あーあ。もうこんな「ひとこと」はいやだなあ。まあ、心と体さえ元気なら、世の中何とかなるものです。そんなときでも、気楽にいきたいものです。


9月15日
意気消沈
今朝、大変なことが起きてしまった。朝食が始まっているのに急ぎのメールを書いていて、慌てて席を立ったら、手に持っているコーヒーを、キーボードにこぼしてしまったのだ。慌てて拭いて厨房に戻り、後片付けをしているときには、そのことをすっかり忘れていた。片付けを終えて、メールを書こうと気-ボードを叩いたら、文字か打てない。頭が真っ白になった。いろいろ試すが、キーボードは全く動かない。再起動をかけたら、終了時に変な音がして、ますますぶっ倒れそうになった。
ふたたびパソコンを立ち上げると、変な文字が出てきて、ただ事ではない。それでも、何とかかろうじて立ち上がったのだが、キーボードは動かず、そのうち、画面は真っ黒になった。私の頭は真っ白だ。ダメかもしれない。サーバー佐竹氏に電話をすると、「ダメかもしれない」といわれ、言葉も出ない。とにかく、電源を入れるのは禁物で、しばらくは風通しの良いところにおいて置いたほうがよいとのこと。なんと言う原始的な治療法だろう。
もうすでに、パソコンは、自分たちのライフラインに近い存在になってしまっている。データーが消えてしまったら、と考えると気を失いそうだ。いろいろなことが頭をよぎり、くらくらしながら、掃除をはじめた。もう考えても仕方がない。「形あるものは壊れる。」という言葉を、呪文のように唱えながら、掃除機をかけたのだった。そうして、まあ、家族がみんな元気であれば、他には何も望むまいと、自分に言い聞かせ、気を取り直して、もう一台のノートで今日のひとことを書いているところだ。
さて、一晩寝かせたパソコンが、果たして復活するか・・・。もしだめになった場合には、皆さんにも少なからずご迷惑をかけることがあるかもしれませんが、どうかお許しください。


9月14日

気持ちの良い秋の日が続いている。
昨日夕方、ピアノの練習をしていて、ふと外に目をやると、十勝の山々が、夕陽を浴びて赤紫色に輝いていた。夏には決して、こんな色にはならない。季節の移り変わりを感じた。
これから日増しに、朝晩の冷え込みがきつくなっていく。締まった空気が、今はまだ心地良く感じられる。ゆっくりと動いていく秋を、できるだけ長く楽しみたいと思う。


9月13日
12時間(その2)
旭川空港の脇から、東川、当麻、愛別町と抜けて、国道39号線を渡る。ここからは、およそ観光客の通らない道だ。山の中にダムが点在するその静かで美しい道は、下川のレストランの奥さんが「動物がたくさん出ます。」と言ったとおり、エゾシカが2頭ひょっこりと姿を現し、私たちを迎えてくれた。
約2時間、気持ちの良いドライブを楽しむと、思ったよりはずっと早く、ソーセージ屋のご主人絶賛の無国籍レストラン「モレーナ」に到着した。
古い民家を利用した「モレーナ」。ここの居心地のよさは格別だった。メニューを見ていると奥さんが「ゆっくり選んでください。どうせ早くはできないんだから。」と言った。そんなことを言われても、全然いやな感じがしない。時々外に出ては、自家菜園のトマトやなんかを持ってきて、奥の台所で調理をしている。私たちは、もう時間なんか全然気にせず、店内に無造作に置かれた世界中の旅行の本とか写真、絵本などを読む。人懐こい黒犬チャーリーが、とことこと歩いている。このチャーリー、知る人ぞ知る漫画「ウッシーとの日々」のウッシーの兄弟であり、その第2巻に堂々と登場している。そのことを、調理の合い間に、奥さんがやってきて教えてくれた。「モレーナ」については、とても書ききれないので、また別の機会に書きます。
ゆっくりと食事をして時計を見ると、午後3時をまわろうとしていた。私たちの頭の中には、もう、オホーツク海が浮かんでいる。ここから1時間ほどで、雄武町の日の出岬まで行けると言うのだ。日の出岬にある海を臨む温泉のことを、ご常連石井さんに聞いて、いつか行きたいと思っていた私たちは、もうひとがんばりを惜しまなかった。下川町から雄武町に抜ける道は、これもまたおそらく、観光客の人々は、まず選ばない道だろう。この道の美しさは、夕日のあたるオホーツク海以上に心に残るものだった。紅葉を待つ深い緑の森と、落ちかけた太陽の光を浴びてそよそよと揺れる牧草畑。どこまでも青い空。余計なものは、何一つ目に入らない。その心地良さを、観光地にいると忘れてしまう。
海を見ながら温泉に浸かり、旭川に戻ってきたのは8時過ぎだった。それから、これも石井さんお薦めの「天金あきを」という日本料理店で、心行くまでおいしい食事を堪能した。帰りに本屋によることも忘れなかった。薫風舎へ帰ってきたのは、出発から12時間後。3ヶ月ぶりの12時間の休暇は、すべてにわたって申し分のないものだったと、私たちはちょっとうぬぼれている。


9月12日
12時間(その1)
昨日は、6月4日以来のお休みをいただいた。お休みといっても、お客様をお見送りし、全館清掃を終えてからだから、半日の休みだ。それでも、ずいぶん前からどこに行こうかと、3人であれこれ迷った。かなり疲れがたまっているので、近くで温泉に浸かって、おいしいものを食べるくらいが関の山だが、近間の温泉は大体行き尽くしているし、特に是非行きたいところというもの浮かばなかった。
お天気がよければ、旭岳でも行こうかとも思ったが、ひとつピンと来なかった。もうひとつアイディアがあったが、ちょっと遠いので最後まで迷った。ご近所のソーセージ屋のご主人が、夏の忙しい時に、超お勧めレストラン情報をメールで送ってくれたのだ。下川町。道北の小さい町だ。何時間かかるだろう。そそられるが、それだけのためにわざわざ足を運ぶのはどうかとも思った。しかし温泉の本をめくったら、ひとつ小さい温泉がある。
昨日は幸いにも、午前中雲っていた。幸いにもというのはおかしいが、晴れたら、そんなに行きたくない旭岳に、行ってしまっていたに違いないからだ。よし、下川町まで行ってみよう。大急ぎで掃除を終えて、11時前に3人と2匹は薫風舎を飛び出したのだった。あすにつづく


9月11日
一年前
昨年9月12日の朝、前夜に起こった凍りつくような出来事に全身がとらわれて、今日のひとことを書くことに、大変な苦痛を覚えた。あれから一年、自分達の生活は、何も変わっていないはずなのに、何か胸の奥のモヤモヤとしたものが、大きくなったり小さくなったりしながら、くすぶり続けている。きっと、この気持ちは、世界中の人の心の中に、さまざまな形で宿っているのではないかと思う。
今日は、3ヶ月ぶりの休日で、本当は、楽しいことでわくわくしているはずなのに、なんとなくどこかに後ろめたさを感じて、わくわくした気持ちが表に出てこない。
9・11の追悼式典の報道が、TVや新聞をにぎわしている。その裏側で、空爆や内戦で命を落とした数え切れない人々や子供たちもいるのだということを、考えずにはおれない。


9月10日
秋の晴天
昨日夜、お客様とラウンジで話をしていても、ぐぐっと気温が下がってきたのがわかった。明日は予報どおり、晴天に違いないと思った。
11時頃、夫とムックとティンクと散歩に出かけたら、満天の星が広がっていた。天の川が、頭の上をゆるりと流れている。頬に当たる風の冷たさが、深まる秋を感じさせた。
朝起きると、あたりは靄に包まれていた。太陽が昇るにつれ、少しずつ霧が晴れ、やがて真っ青な空が広がった。秋の畑の景色の向うには、十勝の山並みがそびえている。


9月09日
黄金色の景色
デッキの前の小豆(ずっと大豆だと思い込んでいて、ひとことにもそう書いていました。)の葉が、ずいぶん黄色くなってきた。目の前は、緑から黄色へのグラディエーションだ。ゆるやかな風を受けて、そよそよとなびいている。
ちょっと外を歩くと、あちらこちらの収穫の終わった畑が、緑肥として植えられたキカラシの黄色い花で彩られている。
おととい、旭川に出かけたときには、行く道沿いにある水田が、眩しいほどの黄金色に変わっていた。


9月08日
15分の喜び
ひとりで旭川に行くと、たいてい用を足してまっすぐ帰ってくる。食事も、そこらで適当に済ませる。みんなで行く時は、何を食べるかは最重要なことだし、ついでに時間の許すかぎりの寄り道を考えるのに、ひとりだと、すぐにうちに帰りたくなってしまう。
昨日も、用事があって旭川の街中まで出かけたのだが、駐車場の近くで、適当に、しかも大急ぎで食事を済ませた。夫から、サライを買ってくるように頼まれたので、帰りに書店にだけ立ち寄った。
そろそろ、活字も恋しくなってくる季節だ。夏の終わりから、本屋さんに行きたいなあ、と思っていたので、一歩中に入るとすごく嬉しくなった。新刊や文庫、新書のコーナーも、ゆっくりとはいかなかったが、ひととおり歩いた。いくつか手にとったが、まだ読まなければいけない本がたくさんあると自分を戒め、買わなかった。
その代わり雑誌でも買おうかと売り場に行くと、新しいのがいっぱい出ていて(1ヶ月近くぶりだからあたり前だが。)、見ているだけでわくわくした。その中から「散歩の達人」と、「Pen」、「CafeSweets」などを買うことにして、それからサザエさんの文庫から、初期の3冊も忘れずに購入した。
わずか15分足らずではあるが、ちょっと満たされた気持ちになって、帰ってきたのだった。


9月06日
お昼の材料調達
毎日のように、掃除を始めると、お昼ごはん何にする?というはなしになる。昨日の発芽玄米ごはんが結構残っているな。サーモンのサラダのシャケも、少しある。そうだ、シャケ炒飯にしよう。掃除が終わると、ボールをもって畑をうろうろする。人参や、ピーマン、大葉も入れよう。すぐさまボールは、炒飯の材料でいっぱいになる。
材料を刻んでいたら、ごはんよりも野菜のほうが多くなってしまった。仕上げに醤油をまわし入れ、この前宅配で注文した、おいしい焙煎いりごまをたっぷり入れた。


9月05日
脚浴のすすめ
年のせいか、最近、寒暖の差に体がついていかない。2日前までの真夏日のあと急に秋めいて、今朝は体中の血管が収縮してしまったかのようだった。
色々な方から、足浴がいいという話しを聞いて、寒さが抜けない時とか、風邪の引き始めに、思い立つと、大き目のタライに熱いお湯を溜めて、しばらく足首をつけて置くようにしていた。そうしたら、先日泊まられた整体の大先生が、脚浴を勧めてくれた。足首だけではなく膝の上まで、お湯に7分間浸けるといいそうだ。朝起きたら、毎日やりなさいといわれたが、毎日というのはなかなか実行できない。それでも、思い出しては何度か実行した。
今朝は、体が冷え切って、どうしたものかと重たい身体をようやく動かし始めた時に、脚浴のことをはっと思い出した。掃除の前の少しの時間、熱いコーヒーとこの前インターネットで注文した本を持って、お風呂場にこもった。お風呂のへりに腰かけて、一人でコーヒーをすすりながら、普段なかなか読めない本のページをめくっていたら、足の先がポッポッとしてきた。だんだんそれが膝、おなか、と上がってくるのがわかる。そのうち、体中の血が心地良く廻り、足から頭の先まで、手の指先までも、暖かさが広がった。ブラインドから入ってくる朝の光が心地良い。少し冷めかかったコーヒーで、胃の中も温まった。さっきまでの浮かない気分がうそのように、やがて心も身体も、すっかり覚醒したのだった。ほんの少しの時間で、こんなにもリフレッシュできるものなのだ。これは、病み付きになりそうだ。


9月04日
秋の空気
デッキの前の畑の上を、たくさんのとんぼが、低く飛び交っている。きりりとしまった朝の空気は、まぎれもない秋のものだ。小豆畑の葉の色が黄みがかってきて、まるで花が咲き始めたように見える。
9月に入ってからようやくやってきた束の間の夏が、気持ちのよい秋をつれてきてくれたのかもしれない。


9月02日
32℃の恐怖
澄みわたった空気。雲ひとつない青空。山のシルエットが、くっきりと見えている。窓からは、ひんやりとゆるやかな風が入ってくる。この気持ちよさは、しかしなんとなく、これから急激に気温が上がってくるであろうことを予感させなくもない。
予想最高気温32℃。9月に32℃はないだろうと、耳を疑った。8月には、寒くてストーブまで付けたのだ。8月の末になって、ようやくかろうじて半袖で過ごせるようになった。毛穴はすっかり縮んでしまっている。いまさら32℃は困る。(なんていうと、本州、四国、九州、沖縄の方々から怒られそうですが。)ひたひたと音もなく近づいてくる灼熱の1日?に、冷夏に慣れきってしまった北の住人、いや、薫風舎一同、いやその、最近暑さにめっぽう弱い私とティンクは、今からおびえている。


9月01日
朝の散歩
今朝、久しぶりにムックとティンクと散歩に出かけた。散歩といっても、裏の道から三号線に出て少し歩いただけの、20分足らずの短かいものだが、朝のひんやりした空気の中、いろいろなものを発見して、とても気持ちがよかった。
小原さんの小さい雑木林の中を歩いてみたら、青い花がいくつか咲いていた。8月の異常気象でもう紅葉してしまった、山葡萄の葉を見つけた。肩に、小さい虫が落ちてきた。
三号線に出ると、まわりの木々の緑が、深くなっていた。セミに変わって、秋の虫の声が、りんりんと涼しげに聞こえている。そういえば、もう9月なんだなあと思った。いつもあっこちゃんがもぎにくる、沢尻さんのトウモロコシ畑では、すずめよりひと回り小さい小鳥が、たくさん遊んでいた。
家に帰って、玄関の戸を開けると、入れたてのコーヒーのいい匂いがした。バッハのヴァイオリンとチェンバロのためのソナタが聞こえてきた。


8月31日
マリーゴールド
防虫用に、畑に植えたマリーゴールドが、ひときわ元気だ。虫除けになったかどうかは良くわからないが、野菜の間に植えたマリーゴールドの、鮮やかなオレンジと黄色の花が、目に眩しい。


8月30日
にんじん
さすがに、体も気力もかなり衰えてきた。6月からの忙しさが、3ヶ月近く休みなく続いている。あと、2ヶ月頑張らなくてはならない。ここらで、鼻先に人参でもぶら下げなければ、身が持たない。3人で、11月の旅行の計画を立て始めることにした。
今年は、がんばって青森から一気に長野へでも、とも思っていたのだが、忙しい旅は、考えるだけでも気が重たくなる。今年も、東北の温泉で、少しのんびりしようということになった。去年は、遠野、花巻まで足を伸ばしたが、今年は、秋田と、いつも素通りの青森の温泉を廻り、久しぶりに函館あたりも歩こうか、などと話していると、もうひとがんばり出来そうな気がしてきた。


8月29日
夏到来?
今日降るはずだった雨は、夕べの大きな雷とともに、夜中に全部降り切ってしまったらしい。朝起きると天気予報が変わって、気持ちのよい青空が広がっている。朝から気温が高い。味わえなかった夏の陽気が、8月も終わりになって、ようやく美瑛にもやってきた。


8月29日
8月28日
暑さ
もう今年は、半袖短パンは必要ないと思っていたら、昨日から暑さが戻った。今日は特にむし暑い。掃除を始めたら汗が噴出してきて、慌てて短パンに着替えた。一度、寒さを体験した体には、このむし暑さはこたえる。気温は、おそらく30℃までもいっていないと思うのだが、何しろ先週は、最高気温が15℃に満たなかったのだ。頭ががんがんしてきた。
雨が近いのか、外の景色もなんとなく靄っている。でも、このところの気温と太陽のおかげで、とうきびはぐっと甘さを増した。いくら体がしんどくても、暑い暑いと、文句は言えない。


8月27日
かづ君旅立つ
7月11日から約1ヵ月半、スタッフとして頑張ってくれたかづ君が、今朝、薫風舎を旅立った。25日に仕事を終え、昨日は、美瑛に来てから15000円で買ったスクーターで、1日美瑛周辺をまわった。クラークホースガーデンで乗馬をして、今までなかなかいけなかった美瑛の丘を、夕暮れ時まで楽しんで帰ってきた。
今日はいよいよ旅立ちの日だ。朝食時でバタバタして、ろくに見送りも出来なかったのが残念だ。7時50分のバスに乗り、美瑛の駅から帯広へと向かった。出かけに渡された、夕べあっこちゃんがおそくまで作っていた思い出のアルバムを手に。
今年は、6月初旬から忙しい日が続き、3人とも7月に入る頃にはヘロヘロだった。癒し系スタッフかづ君の、細やかなやさしさと、パワフルな働きっぷりに、どれほど助けられた事か。
これから、帯広、函館、小樽を駆け足で観光して、フェリーで広島へと帰ることになっている。そして来月には、念願のイタリアへと出発する。イタリアで、少しでも多くの事を学び、元気に帰国して欲しいと心から願っている。


8月26日
秋の景色
のっぴきならない秋の景色だ。空気が澄んで、久しぶりの青空を背に、十勝岳がひと際大きくそびえたっている。とんぼが飛び交い、緑が輝いている。


8月25日
かづ君の送別会
夏の救世主として、多大な活躍をしてくれた広島のかづ君も、今日で仕事納めだ。とはいえ、相変わらず忙しい毎日なので、いつものように掃除をして、いつものようにお昼ごはんの用意を始めた。せめて今日のお昼は、ちょっとご馳走を作って送別会にしようと、作りながら思い立った。夕べの残りの発芽玄米ごはんがあったので、そうだ、エビとキノコのドリアを作ろう。それと、かづ君にいつか食べさせようと思っていた、薫風舎自慢のトマトソースのパスタ。
急いでベシャメルソースを作り、冷蔵庫の残り野菜とエビ、ごはんを炒め、2種類のチーズをのっけてオーブンに放りこんだ。ドリアを焼いている間に、パスタを茹でて、ニンニクと唐辛子の効いたトマトソースを作った。
あり合わせで作るささやかなご馳走だが、みんなでゆっくりとランチを楽しんだのだった。食後の珈琲とともに、セブンイレブンのチーズケーキをデザートにするあたりが、トップシーズンを感じさせる。最近ちょっと気に入っている、売り出し中の「絹レア」だ。(これは、コンビニのデザートとしては、かなりポイントが高い気がします。お試しください。)
あわただしい毎日の中で、こういうひと時のなんという贅沢なことか。


8月24日
笑って昼寢
いいかげん、天気が悪いとか寒いとかいうことは、書き飽きてしまった。何か、いいことはないかと、あたりを見回したり、想像を駆け巡らせたりしても、そういうときは、何も浮かばない。かといって、また食べることに走るのも芸がない。今日は、音楽について考える元気もない。
そういうときは、昼寝に限る。そうだ、昨日あっこちゃんが買ってきてくれた、サザエさんの文庫本でも読みながら、笑って寝るとしよう。


8月23日
あっこちゃんの休日
かづ君が来てくれたおかげで、あっこちゃんに、3年目にして初めて、夏の休日をあげることが出来た。かづ君から、自分が8月25日までなので、その前にあっこちゃんにお休みをあげてくださいと申し出があった。ちょうど私たちも、同じことを考えていたので、晴れて、今日、あっこちゃんの休日が実現した。
お休みといっても、朝の食事の片付けを終えて、大急ぎでお風呂掃除をしてからの出発だ。それでも、いつもの鼻歌が、今日はなんだか弾んで聞こえていた。みんなに、出掛けにさんざん嫌味を言われても、今日ばかりは角を出さずに、ティンクの笑顔のようにへらへらとしていた。10時に、愛車、水色のデュエットでいそいそと出かけていったのだった。
さっき、携帯電話からメールが入った。旭川の旭山動物園の見学を終えて、これからクラークホースガーデンで乗馬を楽しむらしい。


8月22日
薪ストーブ
今朝、ついに薪ストーブに火がともった。8月にストーブは初めてだ。さすがに、少し燃やすとラウンジは暑いくらいになったのだが、それでも火が点くと、不思議にみんなストーブのまわりに集まる。のんびりした空気が漂う。
赤々と燃える炎を見ていたら、なんだかほっと気持ちまで暖かくなった。もうすぐ薫風舎とお別れのかづ君は、まさか暖炉の火を見られるとは思わなかったと、とても喜んでいた。


8月21日
長袖
今日、とうとうしまってあった長袖のTシャツを数枚引っ張り出した。まだ8月だと思うと、ついやせ我慢して半袖を着たくなる。しかしそれももう限界だ。予想最高気温が14℃では、10月ではないか。こうなったら、もう、今は10月なのだと、自分に言い聞かせる事にした。長袖のTシャツの上にカーディガンを着て、その上にフリースを羽織っても、朝などまだ寒かった。いいかげんにしてくれと、叫びたくなる。


8月18日
朝のテレビ
朝、夫が一番に起きる。テレビをつけて、顔を洗い、厨房に行ってから、私が起きると、必ずムックがテレビの前に正座をしている。食い入るようにニュースやドキュメンタリーを観ている。画面が天気予報にかわると、その場から離れて、もうひと寝入りを決め込む。天気予報は、面白くないらしい。それでも、大好きな番組のテーマソングがかかると、ふたたびテレビの前に飛んでいく。
あまりに一生懸命観ているので、朝の散歩を遅らせて、そっとしておく事もあるほどだ。
前は、夜の番組をよく観ていたのだが、年をとって、朝型になったらしく、最近はもっぱら朝のNHKを楽しみにしているようだ。


8月17日
みやこカボチャ
いつもなら、遅くとも8月10日には、北村さんのみやこカボチャが出来ている。濃いオレンジ色の、甘くホクホクしたカボチャを毎年楽しみにしている。一週間ほど前、今年はきっと遅くなるだろうと思いながら、北村さんに電話をかけた。今年、6月末に季節外れの霜が降りた。その霜で、みやこカボチャが全滅したそうだ。予想外のショックな答えに、言葉を失った。
この夏の悪天候で、畑にも相当な被害が及ぶのではないかと、気にかかっていた。まさか、カボチャが全滅していたなんて、想像もしていなかった。胸が痛んだ。そんなとき、決まって農家の人たちは、淡々と語る。自然相手では、どうする事も出来ないということを、よく知っているのだ。
あの、北村さんのみやこが、今年は食べられないのかと思うと、とても残念でならないが、そんな事はほんとうに小さいことだ。これから、少しでも暖かさが戻って、畑の被害が最小限になるよう祈るしかない。
昨日、薫風舎では、今年はじめてのカボチャのグラタンが、ようやく食卓に上った。今年は、あちこちから調達したカボチャを見るたびに、北村さんのことを思い出さずにはおれない。


8月16日
太陽
汗ばむ気温が、ようやくもどってきた。朝からアブラゼミが、よく鳴いている。今朝のとうきびは、一昨日のに比べると、格別に甘く実もよく入っていた。畑のトマトも、昨日よりぐっと赤くなった。
みんな待ちに待った太陽の光を浴びて、今までの分を取り戻そうと、思いきり伸びをしているように見える。気がつくと、とんぼの大群が空を飛んでいる。


8月15日
流れ星3つ
昨日お昼を過ぎた頃から、日が差し、青空が広がった。空気は夏を通り越して、すっかり秋の気配だが、延々と寒い雨が続いていたこのあたりには、眩しすぎるほどのお天気だ。夕方ピアノの練習をしていると、久しぶりに、デッキで山を眺めながらのんびりするお客様の姿を見て、嬉しかった。
夜、美沢小学校から、懐かしい「子供盆踊り」の曲が流れてきた。デッキに出ると、星空が広がっていた。ピュンッと、大きな流れ星が流れた。
10時頃、夫とムックとティンクとふたりと2匹で散歩にでた。ゆっくり散歩をするのも、本当に久しぶりだ。夜空には、満天の星。天の川がゆったりと流れていた。山のほうへ向かって歩いていたら、また、ピュン、ピュンッと、大きな流れ星がふたつ、ゆっくりと夜空に流線型を描いて落ちていった。


8月14日
条件反射
薫風舎の夜の話題は、相変わらず食べる事が中心だ。夕べも、ご常連の方々が集まって、おそくまでおいしいお店の話に終始した。情報は北海道に留まらず、全国各地に広がっている。おかげで情報ノートは日々充実し、行きたいお店リストがどんどん増えるのだが、なかなか足を運ぶチャンスがない。九州のうどん屋さんとか、仙台のハンバーグ屋・・・いったいいついけるのだろう。札幌のお店だって、なかなか行けない。特にこの季節は身動きが取れないから、話だけで終わってしまって、空しさをともなう。
特に罪なのは、ラーメンの話だ。どういうわけか、ラーメンの話をすると、どうしても食べたくなってしまうのだ。ここ数日、毎日ラーメンの話しが出る。夕べも、駄目押しのようにラーメンの話がでた。今日、掃除をしていたらしょうゆラーメンが頭から離れない。頭をぶんぶん振ってみたが、だめだ。もうこうなったら、食べに行くしかない。なんだか条件反射のように、無理を承知で、美瑛の街まで4人でラーメンを食べに行くことにしてしまった。夕べの面々は、それぞれおいしいお店を目指して旅立って行ったのだ。私たちだって、しょうゆラーメンくらい食べても許されるに違いない。


8月13日
サザエさん
どういうわけだか、今、私はサザエさんにはまってる。一ヵ月半ほど前、生協の共同購入で対訳サザエさん全12巻というのを見つけた。英語で読んだら、多少は英会話の足しになるだろうかと思い、なんとなく買ってしまった。
子供の頃、サザエさんの単行本は、病院の待合室とか友達の家とか、そういうところで読むのを楽しみにしていた記憶がある。うちにも、誰かからもらったのが、2、3冊あったろうか。何度も同じ本を読み返して笑った。自分で本を買うのは初めてだと思う。
カツオやワカメや波平が英語で喋るのは、なんだかよそよそしいようにも感じたが、横にちゃんと対訳が付いているし、慣れるとまったく違和感はない。・・・というか対訳の方を先に読んでしまい、英語の勉強どころではない。すっかり、サザエさんワールドにはまり込み、寝る時には欠かせない睡眠薬となってしまった。疲れ果ててベッドに横になっても、ページをめくると、昭和の懐かしさあふれる磯野ファミリーの何ともいえない世界が広がる。仕事の疲れなど吹き飛んでしまう。
いまさらここでサザエさんについて語る、なんて野暮はしないが、今度東京に行ったときには、必ず長谷川町子美術館に行こうと心に決めた。全12巻も8巻目まで来て心さびしくなってきたので、本屋さんで、長谷川町子関連の単行本など見かけると、ついつい買いあさってしまっている。


8月12日
夕焼けと十勝岳
昨日、ご常連の加藤さんがやってきた。今回は写真のほかに、十勝岳登山を目的としているのだが、この悪天候続きで、どちらもあまり期待できないのではと、心配していた。
昨日夕方到着されると、久しぶりに日が差してきた。今日に備えて、望岳台まで下見にでかけたら、本当に何日ぶりだろう、夕焼けであたりが赤く染まった。厨房からのぞくと、西の空が真っ赤になっていた。
加藤さんは早朝、私たちの寝ている間に、十勝岳へと出発した。だんだん雲が晴れて、十勝岳連峰がこれまた何日ぶりかでその姿を現した。12時過ぎ、そろそろ下山する時間になって、山の後方から雲が少し出てきた。加藤さんの行動に合わせるように、天気が変化しているようで、こちらまで嬉しくなった。帰って、山の話を伺うのが今から楽しみだ。
明日は、加藤さんのお仲間の宮崎ご夫妻が合流する。明日の天気予報によると、どうもまた雨になりそうだ。


8月11日
モンモオ
昨日、ふと思い出した。2、3日前、暖炉の前でお客様とお話していて、大事な事をメモに書いたような気がする。ところが、誰と話した時だったか?何を書いたのか?いくら考えても、まったく思い出せない。かなり重要なメモだった気がする。半日ほど頭を悩ませた。とうとう思い出せず、あっこちゃんに聞いてみた。すると、すかさず「モンモオ!」と答えた。
8日の夜、2年ぶりに泊まりに来て下さった山菅さんが、どうしても滝川に寄りたいと言う。「モンモオ」というお菓子を買いたいのだそだ。「モンモオ?」聞いたことがない。名前からは想像もつかない。しかも滝川のお菓子とは!?
すると、使い込んで、もうくたくたになった3、4年前の「マップルマガジン北海道」を見せてくださった。おお、編集社シマウマクラブが手がけた最後のマップルだ。久しぶりに開いてみると、やはり内容が驚くほど濃い。その中の、巻末のコラムに、あったあった!「モンモオ」。滝川出身のスタッフ超お勧め、岡田菓子舗「モンモオ」。牛乳をたっぷり使った白餡の焼き菓子。スタッフ曰く、世界一おいしいお菓子だそう。
世界一とは、大きく出たものだ。そして、最後の「取り寄せ可」というところに目が止まった。これは、取り寄せないわけにはいかないと、連絡先を小さな紙に控えたのだった。
ところが、そのメモはいったいどこにやったのか?また全然思い出せない。すると、あっこちゃんがエスプレッソマシンの下から取り出してくれた。さすがだ。早速注文したら、今日お昼にちゃんと届いた。素朴な包み紙がかわいい。てらいのないシルバーのパッケージが、また雰囲気を盛り上げる。おそるおそる中を開けると、これぞ「モンモオ」という感じの、ほっこりとしたお菓子が出て来た。口にいれると、これがまた素朴な味で、シマウマのスタッフが世界一というのも、うなずける気がした。しばらく、薫風舎は「モンモオ」ブームとなりそうだ。


8月10日
悲しいズッキーニ
今日も朝からよく降っている。もうこれで何日目だろう。冷たい雨が続いている。
一昨日ご近所で風景館というフォトギャラリーをやっている写真家の黒川さんの奥様がいらしたので、すかさず、ズッキーニを持っていって!!と言って、畑に飛び出した。しばらく放っておいたので、巨大化したズッキーニがゴロゴロあることを想像していたら、すごく細い小さいのが数本あるだけだった。この寒さと雨で、すっかり成長を止めているらしい。困った。これではうちで使う分もままならない。心の動揺を押さえつつ、その中でもなるべく大きいのを2本、「あまり大きくなってないみたいで・・。」などと、言い訳しながら渡した。なんだかきまりがわるい。
どんなときでも元気に巨大化するズッキーニが、こんな状態だ。まわりの畑にも被害が出るのでは、と心配がつのる。いつになったら、夏が戻って来てくれるのだろう。


8月09日
ムックかじる
今日、高校野球2日目。札幌第一高校の試合があった。対戦相手は、2度の優勝経験を持つ智弁和歌山。初出場の一高(札幌ではこう呼びます。)には、厳しい相手だ。一高は、私の生まれ育った月寒にある、妹の夫が勤める高校だ。妹夫婦は、この夏休みにチベットに行く計画を立てていたが、思いがけない出場が決まり、急遽予定を1週間近く早めて帰国した。また、札幌在住中、第一高校の現在理事長の加清さんに夫がずいぶんお世話になった事もあり、一高念願の初出場に対する思い入れは強い。とはいえ、なかなか初戦が突破できない北海道にあって、対戦高は強豪である。試合が始まると、案の定すぐに点を入れられ、掃除を始める頃には、点差がじりじりと広がっていた。
客室の清掃を終わり階段を下りたついでに、プライベートをのぞくと、9回の表だった。4対1。それでもよく一点入れたとため息をついた。そして9回裏。つい仕事の手を休めて、最後の攻撃を見ていたら、チャンスがどんどん広がる。次第に興奮が高まる。ついに一点返した。あっこちゃんとかづ君も呼んで、みんなでテレビの前にかじりついた。ムックは、わたしたちがあまりに奇声を発するため、最初おろおろと、次第にうなりだした。何事が起こったのか、怖くて仕方ないらしい。ヒットが出て、わたしたちが「キャーッ!!」と叫んだら、びっくりして私の腕を、やんわりとかんだ。目が、「やめて」と言っている。そして、ついに同点!!私たちが飛び上がって喜ぶと、びっくりしたムックは思わず夫のひざにガブリとかぶりついたのだった。「いてて!」夫が叫ぶ。ムックはうなり、私たちはそんな事お構いなしに、手を叩いたり飛び上がったりだ。狭いプライベートは、狂気に満ちていた。とにかく同点だ!!よくも3点返した!!しかし9回の反撃はここまで。延長戦になってしまった。試合は、すぐそのあと智弁和歌山が一点を返し、10回裏、一高反撃するも力及ばず、惜敗。4人はがっくりと肩を落として掃除を再開した。そしてムックはようやく心の平安を取り戻したのだった。ついでに書くと、ティンクのほうはそ知らぬ顔で、ベッドに寝そべって昼寝をしていた。


8月08日
雨の景色
昨日からひどい雨になった。つい、半袖に裸足でラウンジに出てきたことを後悔しながら、寒い寒いといっている。昨日まで鳴いていたアブラゼミの鳴き声は影を潜め、変わりに雨音が耳に響く。早くから新聞を読んでいた佐藤さんに、あいにくの雨ですねと言うと、いやあ、雨は雨なりの美しさがありますから、と笑った。デッキの前の大豆畑やまわりの木々の緑が、洗われたように鮮やかに見えた。


8月07日
チャイの命日
今朝、ムックとティンクと朝の散歩に出かけた。3年前の今日、チャイは交通事故で逝った。チャイの重み、チャイの手触り、チャイのぬくもり。今もはっきりと体が覚えている。ぼんやりと、チャイの感触を思い出しながらうちにもどって、ムックとティンクをつれて、裏の森の手前にあるチャイのお墓へ行った。滞在中のご常連のお客様、板橋さんも一緒に来てくれた。みんなでしばらくチャイのお墓の前で過ごした。
ムックは、一生懸命お墓のまわりの匂いをかいでいた。チャイを知らないティンクは木陰にうずくまって、きょとんとしながら私の顔をじっと見ていた。板橋さんは、じっとお墓に手を合わせてくださった。
常連のお客様や、リピーターの方が、時折りチャイの思い出話をしたり、そっとお墓にお参りに行ってくださったりする。命日を覚えていて、メールをくださる。本当にありがたいと思う。
これから野の花を摘んで、チャイのお墓にもう一度会いに行こうと思う。


8月06日
ピアノの響き
夕べ、夕食が終わって、お客様はそれぞれ思い思いに、ゆったりとくつろいでいた。すると、暖炉の前で、ご家族でゲームをしていた石渡さんのお嬢さんが、ピアノを弾いてくださることになった。ご常連の板橋さんや、ちょうどラウンジに入ってきた大多さんなど、そこに居合わせた人たちから、拍手が沸き起こった。ドビュッシーの「月の光」とベートーヴェンの「月光」第一楽章。夕食後のひと時にぴったりの曲が、静かにラウンジに響いた。
演奏が終わると、今度は大多さんのご主人が、ピアノに向かった。ジャズスタンダードを2曲、とても素敵に弾いてくださった。静かな夜のひと時、思いがけないピアノコンサートに、みんなとても幸せな気持ちになったのだった。


8月06日
8月05日
新ジャガ登場
3日ほど前、朝の食卓に新ジャガが登場した。6月末の霜と7月の悪天候で、例年より10日ほど遅れただろうか。いつも冬用の男爵を分けていただいている大上さんのジャガイモだ。早く収穫するために、苗を作って植えたそうだ。おかげで、このあたりでは一番早くジャガイモの収穫がはじまった。
掘り起こしたばかりの、皮の薄い男爵をオーブンで焼き上げる。ホイルから出して中を割ると、ほくほくと粉を吹いた。越冬ジャガイモの甘味の強いおいしさとはまったく違う、フレッシュな味わいだ。これは、実はグラタンやサラダにはあまり向かない。まるごとバターや塩で食すのがいい。これからしばらく、とうきびと交互に、朝の顔として食卓を飾ることになる。


8月04日
スペシャルコース
昨日は用事があって、私だけ朝早く旭川に出かけた。早く終わったら、みんなのお昼ごはんを買って帰ろうと思っていたが、中途半端な時間になってしまったので、どこかで食べてしまおうと、11時過ぎにうちに電話をかけた。そうしたら、あきれたことに、3人も旭川まで出てくるべく、マッハで掃除を終わらせたとのこと。お昼はもう「ふるき」に決まっているらしい。それでは、私も行かずにおられようか。
「ふるき」は、薫風舎HPにも度々登場する、わたしたちが愛してやまない旭川のラーメン屋だ。電話を切ったとたん、「ふるき」のせまい店内の雰囲気や、みそ野菜ラーメンの、あの、こくのあるスープが思い描かれた。一人でわびしく食事をしようと思っていた私は、早々に用事を済ませて、ウキウキと車を向かわせたのだった。
お店の前に車が到着すると、あっこちゃんの愛車、空色の新型デュエットと、暖簾をくぐる三人の姿が目に入った。お店は混んでいたが、すぐに席が空き、3人は久々の、そしてかづ君は初めてのみそ野菜ラーメンを、ぺろりと平らげたのだった。「ふるき」の後は、橋を渡ってすぐそこの興部町直営「ガーデン」でソフトクリームと決まっている。店の外のデッキチェアに4人並んで、真っ白いソフトクリームをほおばった。爽やかな夏の日の極上のみそラーメンとソフトクリーム。こんなスペシャルなコースが他にあるだろうか。


8月03日
清々しい夏
今日は、昨日にも増して気持ちの良いお天気だ。8月の初旬に、こんなに涼しく清々しい晴れの日を味わったことがあるだろうか。
夕べは、厨房で夕食の後片付けをしていたら、デッキで歓声があがった。夕食後にお客様がみんなで、星を見るためにデッキに出たら、ものすごく大きな流れ星が見えたそうだ。私たち4人は、厨房で、大きな流れ星を思い描きながら、仕事をしたのだった。後からデッキの外に出ると、この夏はじめてみる天の川があった。
朝起きると、ひんやりした空気をまとって、十勝岳の山々がくっきりと姿を現していた。


8月02日
澄んだ空気
昨日は、朝からいやにむし暑く、午後からひどい雨となった。夕方雨足がさらに強まり、屋根に当たる雨音で、話しもできないほどだった。
朝起きると青空がのぞき、昨日のむし暑さがうそのように、さらりとしたお天気だった。お昼になっても、空気が澄みわたって、本当に気持ちがいい。夏というよりは、9月の晴れた日のようだ。心地良い風が、まわりの木々をゆさゆさと揺らしている。ずいぶん大きくなった、デッキの前の大豆畑も、太陽を浴びてキラキラと輝きながら、風になびいている。アブラゼミの鳴き声さえ、今日は爽やかに感じる。


8月01日
ティンクの誕生日
今日は、ティンクの誕生日だ。誕生日といっても、ティンクは迷い犬なので、本当の誕生日はわからない。2年前の今日、ティンクが家族となった日を誕生日とした。
先日、庭や畑の手入れのため、高齢者事業団の方々に来ていただいた。いつも、ムックとティンクはとても吠えるのだが、初めていらしたおばちゃんを、ティンクが懐かしそうにじっと見ていた、と夫が話してくれた。夫がびっくりして伺うと、そのおばちゃんは、ティンクが一年以上も美瑛の街で迷っていた時、毎日ご飯をあげてくれていたとのこと。そのお宅にも犬がいて、その犬が冬、自分が外で寝ても、ティンクを小屋の中に入れてあげたりしていたそうだ。ティンクが捕獲された時のことも知っていて、その時の、あまりに可哀想な状況を聞いて、私は涙が出てしまった。話しながら、おばちゃんの目にも、涙が浮かんだ。
ティンクは、そのおばちゃんの姿を見て、長い間の辛くさびしかった放浪生活を思い出したのか、その日はいやに私たちにべたべたしてきた。私たちも、ティンクを何度も抱きしめた。
3年前の9月から2年前の今日までにわたる、ティンクの物語を思い出して、胸が熱くなったのだった。


7月31日
とうきび解禁
裏の三号線の両脇が、今年はとうきび畑だ。こちらから行くと右手の沢尻さんの畑では、少しずつ時期をずらして収穫できるようにと、GW前から種まきが始まった。丁寧にトンネルやマルチを作って、ご夫婦で作業をしている姿を見ては、収穫の時を楽しみに待っていた。毎年、薫風舎の朝のとうきび(とうもろこしの事を、こちらではとうきびといいます。)は、この沢尻さんの畑から毎朝運ばれるのだ。
いつも、沢尻さんでは、通常よりかなり早く、7月20日過ぎくらいからとうきびを収穫している。今年は、6月末の霜で、一番早く成長していたところが、みんな霜でやられた。その列の成長がすっかり遅れて、収穫もずいぶん遅れると嘆いておられた。
朝、ムックとティンクと三号線に行くと、両脇に金色の穂がきれいに出そろい、とうきびも、少しずつ大きくなってきた。それを見るたびに、初収穫の時を待ち遠しく思っていた。そして今朝、ついにとうきびが解禁となった。一番早いピーターコーンが茹で上げられ、薫風舎の食卓へと今まさに運ばれるところだ。


7月30日
縁の下のなすび
ティンクは、近頃「なすび」と呼ばれている。太ったナスに4本楊枝を刺したら、ティンクにそっくりだ。最近ますます丸くなってきているようで、このままでは、米ナスになってしまうのでは、と心配している。
肥満に加えて、毛足も長くみっちりしているので、暑さにはめっぽう弱い。ムックのように、サマーカットするほどの長さでないのが、可哀想になってくる。
朝、玄関を出てお散歩を終えると、デッキの下にまっしぐらだ。そのまま、日中はよほどのことがないかぎり、呼んでも出てこない。このところの暑さで、早くも夏バテしている。
一年半ぶりに来て下さったご常連、獣医の松本さんは、ティンクの太りっぷりに驚いて、ダイエットの方法を色々教えてくださった。5Kgは痩せないと、成人病の恐れがあると、ずいぶん心配しておられた。
私とふたりで、早々に5Kgダイエットを実行しなければいけない。


7月29日
日曜日
毎日忙しい日が続いている。そんな季節、間隙を縫うようにみんなで遊びに出かける時の快感は、何ともいえない。しかも日曜日となると、なおさらである。よくもまあ、時間を作るものだと、我ながら感心する。そうと決まった時の、4人の仕事っぷりはすごいものだ。
昨日は、北海道の夏を絵に書いたような、爽やかな快晴だった。みんなで車に乗り込み、十勝岳の中腹、望岳台へと急いだ。緑の出はじめたばかりののGW以来だろうか。深い緑の絨毯を見下ろしながら、わずかに残った残雪の小さな塊を数えていたら、駐車場に到着した。ものすごい車と人の数だったが、まだお昼少し前なので、レストハウスはがらがらだ。私たちの思惑は的中した。
望岳台レストハウスは、超穴場スポットだ。レストハウスを営む谷口さんがみそラーメンにこだわり、ちゃんとスープから手作りをした自慢の一品であることは、ほとんど知られていない。おにぎりも、そういう食堂にはめずらしく、注文されてから握ってくれる。あっさりしていてこくがある、やさしい味わいのみそラーメンは、そこら辺のラーメン専門店には決して負けない味だ。
混み合う直前の空いた店内で、おいしいラーメンとおにぎりを食べ、ソフトクリームを買って、のんびりと景色を見ながら、しばし幸せな時を過ごしたのだった。帰りに、白金温泉に浸かり、たまりにたまった疲れを癒したら、睡魔が襲ってきた。帰ってからの昼寝の何とも贅沢なこと。
毎日同じような忙しさのはずなのだが、なぜかこんなひと時が、私たちには時々訪れる。おかげで、今日は4人とも、鼻歌まじりで仕事をしている。


7月28日
秋蒔き小麦の収穫
ここ数日で、うちの周りの秋蒔き小麦は、すべて無事収穫を終えた。小原さんの畑、玄関前の笹本さんの畑、裏の道のところの、北村さんの畑など。
麦を刈るコンバインは、非常に大きく高価な機械なので、このあたりの農家数件で共有している。天気や麦の状態を見ながら、順番に刈って行くようなのだが、はたから見ている私たちなどは、雨が続きなかなか刈り取られない畑を見ると、麦が倒れやしないかと、やきもきしてしまう。刈り入れ直前の重くなった穂が、強い雨風に見舞われると、大きく倒れてしまう。いったん倒れると、もう麦はだめになってしまうのだ。毎年、麦が倒れてしまった畑を見かけると、本当に心が痛む。
今年は特に、7月に入ってからずっと雨が降り続いていたので、とても心配していた。幸いうちの周りの麦は、ほとんど倒れる事がなく、刈り入れのときを迎えた。大きなコンバインがやって来て、あっという間に収穫を終えていく畑を見て、私たちはほっと胸をなでおろしたのだった。


7月27日
ラタトィユ
夏は、ラタトィユの季節だ。今年もズッキーニが豊作なので、ラタトィユを仕込むのが楽しい。楽しいというのは、少し違うかもしれない。毎日巨大化するズッキーニを見ていると、強迫観念に近い感覚になってしまう。
ラタトィユは、大きい鍋でたくさん作る。畑からズッキーニとナスを採ってきて、赤ピーマン、黄ピーマン、たまねぎに、タイムとニンニクを利かせて、ああ、それにトマトだ。オリーブオイルをたっぷり使うのが美味しい。
出来たても美味しいが、冷蔵庫で冷やして数日ねかせると、味がなじんでますますおいしくなる。口の中に入れると、ジュワッと野菜の甘味が口中に広がる。
さっき畑に行って、ボールにあふれるほどのズッキーニとナスを採ってきた。さあ、今日は久々にラタトィユの仕込みだ。


7月26日
夏の太陽
昨日用事があって、久しぶりに美馬牛まで車を走らせた。今まで寒さと雨でくすんでいた畑や木々の緑が、突然、夏の太陽を燦々と浴びて、生き生きと輝いていた。短い夏を謳歌しているように見えた。真夏の丘の風景は、明るい日差しが似合うと思った。


7月25日
真夏突然
お昼から、急に青空が広がり、真夏の陽気になった。
7月に入ってからずっと変な天気が続いて、昨日は、寒くて長袖を着込んでいた。なんだか気分もさえず、このまま夏は来ないのかと思った。夜、ムックとティンクと夫と4人で散歩に出たら、十勝岳連峰の稜線が見えた。天気予報はあまりよくないので、それでも明日はきっと雨に違いないと思いながら朝を迎えると、案の定どんよりと雲って、寒かった。
それでも、ときおり山が見え隠れするので、昨日よりはましか、と思った。そうしたら、お昼近くになって、急に晴れてくると、気温がぐんぐん上がった。山もすっかり姿を現した。この日差しはなんだろう。とたんに昨日が懐かしくなった。


7月24日
畑の達人登場
雪融けとともに、こつこつと種や苗を植えていた薫風舎の小さい畑が、目を覆いたくなるような、すさまじい雑草畑と化していた。毎年のことだが、7月の雑草はものすごい。宿も、一年中で一番忙しい時期なので、雑草に絡まれて元気がなくなっていく野菜たちを見ながら、どうする事も出来ずにいる自分達がもどかしい。
今朝ようやく、おなじみの高齢者事業団の畑の達人の方々が、畑と庭の救助にやってきてくれた。前々からお願いしていたのだが、このところ雨続きで、なかなかきていただく事が出来なかった。雑草のほうは、空からの栄養をもらって、ぐんぐんと成長を続けていた。
朝8時、おじさん、おばさんたちが到着するやいなや、見ている間に雑草は刈られ、人参は間引きされ、どんどん畑がきれいになっていく。薫風舎の食卓を飾る野菜たちは、こうやって多くの人たちに守られて、育っていくのだ。


7月22日
困った時のモス頼み
昨日は、急用で3日間広島に帰っていた新スタッフかづ君を旭川空港まで迎えに、夫とふたり旭川空港へ行った。ついでに買出しをしようと、少し早めに出発して、旭川の街の入口まで足を伸ばした。お昼をどこで食べようか、と相談しながら、車を走らせるも、なかなか浮かばない。ゆっくりした食事を楽しむ時間はとてもない。そういうときはモスバーガーになる事が多い。たまにはファーストフードも悪くない。行くとたいてい、そそられる新メニューが揃っていて、いつも商品開発に感心する。デザートも気が利いていて、はずすことがない。
夏の特別メニュー「ナンタコス」をふたりでほおばって、わずか20分足らずではあったが、ちょっと生き抜きのひと時に満足して帰ってきた。


7月21日
クラリネット五重奏曲
モーツァルトは、なぜか自分から好んで聞く事が少ない。決して嫌いではないのだが、CD屋さんに行っても、よほど聞きたい演奏家のものがなければ、なかなか手が伸びない。バッハは、気がつくと必ず手にしているのに。
そんな私が、モーツァルトの曲の中で一番好きなのは、クラリネット五重奏曲だ。朝、ラウンジに来たときに、曲の出だし、あのクラリネットのやわらかな音色のこの上なく美しいテーマと、それをやわらかに支える弦楽器の和声の響きが聞こえると、心の中がスーッと澄みわたっていくような気分になる。
朝の曲は、夫が選択する。どんな気持ちで、朝の一枚を手にするのかな、と時々思う。今朝は、梅雨の晴れ間のような、久しぶりに穏やかな朝だった。ムックとティンクの散歩を終えて、ラウンジにきた時に、この曲の、至福のメロディーが、心地よく耳に入ってきた。美味しい空気を思いきり吸い込んだ時のような、清々しい気持ちになった。


7月20日
やまと頼み
最近の天気予報は、全然当てにならない。たしか、昨日夕食後、登山をされるお客様とインターネットで天気を調べた時は、「夕方まで曇り」だった。そのあと、夫が別のお客様と天気を調べたら、朝方少し雨になっていた。そして、朝起きてTVを観ると、今日は一日中雨の予報だ。じとじとと、いやな雨の音が聞こえて、なんだか朝っぱらから気が滅入ってきた。
明日は曇りで、月曜から晴れる予報となっていたが、本当だろうか。あ、でも月曜日からは、スーパー晴れ女、大和さんがやってくるのだった。きっと、このうっとうしい雲を、いとも簡単に払いのけてくれるに違いない。


7月19日

今朝、ムックとティンクと外に出た。今日も暑くなりそうな気配だ。畑の方に目をやると、うっそうとした雑草畑と化していて、思わず目をそらした。そういえば、先日ラ・ペの大友さんも、あまりの忙しさに畑まで手がまわらず、もう畑に近づきたくない!と言っておられた。お店も宿も、一番忙しい時期が、畑の忙しい時と重なるので、なかなか思うようにいかない。
それでも、勇気を出して畑に入ってみると、プチトマトやナス、ピーマンがもう食べられる。ズッキーニは、もうはや大変な豊作となっていた。朝食のサラダにと、プチトマトを手のひらに摘んで、大きくなったズッキーニも2本もいだ。お昼はズッキーニのパスタかなあ。これからしばらくは、お客様も私たちも、畑の物を一生懸命食べなくてはいけない。


7月18日
むし暑さ
雨がちの、いやな天気が続いている。おまけに、ちょっと雲が薄くなると、急に気温が上がり、いやにむし暑くなる。
お昼のうどんに入れる青じそを採りに畑に行ったら、パオパオの中で、またとんでもなく増えていた。青じそをたくさん使った料理がなにかないものかと考えながら、しゃがんで大きそうな葉をつまんでいたら、背中に太陽が照り付けて、あまりの暑さに頭がもうろうとした。
本当に、今年は冷夏なのだろうか?


7月17日
いつも通る道
昨日久しぶりに、カフェ・ド・ラペにカレーを食べに行った。新スタッフかづ君は、初めてだ。突然思い付くと、例のごとく猛スピードで掃除を済ませて、あっこちゃんの運転で、ラ・ペまで車を走らせた。
今、ラ・ペのカレーは、旬の熟したトマトのカレーだ。家族が増えると、食事はなお美味しい。4人で、サラダとカレー、それに三種類のケーキを平らげ、カプチーノを飲んで、久しぶりにゆっくりとしたランチを楽しんだ。
ラ・ペのもうずいぶん緑の濃くなった森の向うに、黄金色に輝く小麦畑が見えた。帰り道、丘の上にひまわりやキカラシのあざやかな黄色い畑を見つけた。わずか2Kmあまりの、いつも通る一本道の景色に、新鮮な驚きを感じながら、幸せな気持ちでうちへと帰り着いたのだった。


7月15日
季節のうつろい
雨続きの変な陽気が続いている。それでも、まわりの畑の作物は、少しずつ様子を変え、収穫の季節に向かってその準備を進めているように見える。玄関の前の笹本さんの畑の秋蒔き小麦は、いつのまにか青から金色へとその色を変えた。黄金色の畑を挟むように植えられているジャガイモ畑は、先月末の霜で一面茶色くなっていたのが、もう緑一色になった。よく見ると、ちらほらと白い花が咲いている。
デッキの前の、大豆のストライプも、土の色を隠すように、だんだん緑が太くなってきた。その奥の雑木林も、深い夏の緑へと変わっている。ゆっくりと静かな、季節の移り変わりを感じる。


7月14日
初きゅうり
昨日、仕込みの直前にみんなで畑にでて、大急ぎで作業をした。トマトやズッキーニ、きゅうりを竿に結びつけたり、バジルやレタスに虫除けの牛乳をかけたり、やらなければならないことがたくさんある。
きゅうりを結びながらよく見ると、一本だけ食べごろの立派なきゅうりを見つけた。初めての収穫だ。たった一本なので、夕食の時にみんなで4分の1ずつ分けて食べた。何もつけなくても、甘味があって柔らかく、美味しかった。3センチほどのきゅうりの赤ちゃんが沢山できていたので、もうしばらくしたら、薫風舎のサラダをひっそりと飾ることになるだろう。


7月13日
バジルの収穫
長期予報を見ると、来週一杯までずっとお天気がよくない。今日は、梅雨の晴れ間のような、よくわからないお天気だ。太陽が出ると妙に暑く、げんなりしながら仕事をしている。
今日はパオパオの中でどんどん育つバジルを山のように収穫した。虫に刺されるといやなので、長袖長ズボンで作業をしたら、暑さで気が遠くなった。パオパオの中は、作物も育つが雑草も実によく育つ。パオパオを開けると、すさまじい雑草にびっくりした。まわりの雑草を取りながら、バジルの花の出そうなところからどんどん採ったら、大きなボールとスーパーの袋に一杯になった。
厨房にもどって、それを洗って、きれいな葉を一枚一枚摘んでいく。大変な量だが、4人だと速い。お昼過ぎには、大きなビン一杯のジェノバペーストが出来上がった。


7月12日
台風のしっぽ
台風は、結局この辺には来ず、それてどこかへ行ってしまった。おかげで台風一過とはならず、ねずみ色の厚い雲に覆われた、重苦しい天気が続いている。
このあたりは、いつもそうだ。台風が来ると思って構えていると、いつのまにか力が弱まり、しっぽを巻いてどこかへ消え去るそのしっぽが、いつまでも残って、ぐずぐずと雨を降らせる。東京で、台風一過の気持ちのよい晴れを知っている夫には、どうにもそれが許せないらしい。
きょう一日は、台風のしっぽに悩まされそうだ。


7月11日
救世主来る。
今年は、6月10日前から満室が続き、まだ7月も始まったばかりなのに、3人ともかなりのへろへろ状態となっている。毎年、3人でなんとかシーズンを乗り切るのだが、この夏は、第4の強力助っ人が来てくれることになった。私たちにとっては、まさに救世主である。
救世主は、一昨日夜中にフェリーに乗って台風と共に北上し、今朝4時に小樽に到着。9時半には薫風舎へと重たい荷物を担いでやってきてくれた。カズ君こと江川可津子、若干20代。8月末まで、無敵の4人体制で皆様をお迎えいたします。どうぞろよしくお願いいたします。


7月10日
行楽
出かけるとなったらとことん楽しむのが、私たちだ。昨日は、11時30分にあっこちゃんの新車スカイブルーのデュエットに乗り込み、3人で薫風舎を飛び出した。道中のBGMにも怠りない。ジプシーキングベストだ。ようやく出てきた青空と、真夏を思わせるラテンのリズムに、黄金色に輝く麦畑とジャガイモの花の広々とした田園風景が、思いがけない「行楽」の気分を盛りあげる。
適当に混みあった彩香の里やファーム富田の賑わいもまた、いつも静かなところにいる私たちには心地よい。
紫の絨毯が私たちの目の前に広がり、久しぶりのラヴェンダー畑を堪能した。大問題だったお昼ごはんだが、あいにくこの近辺には、そそられるお店はあまりない。行こうと思っていたビストロは、かなり待たされるに違いない。さすがの私たちも、食事と昼寝を天秤にかけ、昼寝を選択せざるを得ない現在の体力だ。仕方がないので、そこら辺の露天でぱぱっとお昼を済ませて、美瑛の街へと向かったのだった。
美瑛で夕食の買出しをしていたら、満たされない食事に、胃袋が文句をいっている。セブンイレブンで、お昼の足しを買い込んで、2時過ぎにうちへ戻った。変な食事になってしまったのも、まあ、この季節やむをえないであろう。ちゃんと昼寝もできたから、良しとすることにした。


7月09日
ちょこっと
うちの庭のラヴェンダーが、チャイブと入れ替わるようにいい色になってきた。中富良野のラヴェンダー園でも、いつもより1週間ほど早く見頃になっているらしい。とはいえ、私は、実を言うと、さほど見たいという気持ちにはならない。忙しい合い間を縫って、無理に時間を作っていくほどのことはないと、覚めた気持ちだ。そう思いつつ、ちょっこっと行ってみようかと、2年に一度くらい足を運んでしまう。
この気持ち、何かに似ているなあと思ったら、そうそう、札幌人の雪まつりに対する感覚だ。全然興味がないと言いながら、ついつい足を踏み入れてしまい、その場にいる自分に、妙に気恥ずかしさを感じてしまう。
なんて、理屈をこねながら、今日は青空が広がってきたので、これからちょこっと気恥ずかしさを感じに、3人で行ってくることになった。肝心の「アレ」よりも、お昼をどこにするかが大問題だ。


7月08日

昨日から激しい雨になった。こんなに降るのはめずらしい。風もなく、なんとなくもわっとした空気が肌にまとわりつく。雨の匂いが、よりいっそう気分をうっとうしくさせた。
お昼近くになって、ようやく雨は上がり、小鳥の声がし始めた。厚いねずみ色の雲が、夕方にはどこかへ行ってくれるだろうか。


7月07日
小ヤギの季節
ムックは、ウルトラ毛玉犬だ。冬毛が抜け始めると、それが絡りあって、大変な毛玉の塊が体中にできる。首の周りや腿とお尻のところが特にひどく、さわるともう硬いフエルト状のものが、厚く体を覆うような状態になってしまう。こうなると、もう切ってしまうしかない。毎年夏前には行うのだが、今年は、早くやらなければと思いながら、なかなか時間をとってあげることが出来なかった。顔の毛もとんでもなく伸びたので、もう目がどこにあるのかもわからない。
昨日急に、ムックとティンクを獣医さんのところに連れて行くことになった。予防接種とフィラリアの薬をいただくためだ。さすがに切ってやらなければと、ムック専用散髪用ハサミを取り出し、掃除もそこそこに、毛玉との格闘をはじめた。
ムックは、ハサミを見ると観念して、とぼとぼと私のところにやってきた。これからかなり長い時間、じっと耐えなければならないことをよく知っている。今年は特にひどい状態で、なかなかフエルトにはさみが入らない。うっかりすると、毛と一緒に肉も切ってしまいそうになるので、十分注意しなければならない。これは大変な作業だ。ムックは、こういうときは本当にじっと動かず、黙ってがまんする。世界一お利口だといつも感心する。一時間余りも、石のように硬いフエルトと格闘しただろうか。体中の毛を短く刈られて、ムックは別人いや別犬となってしまった。毛をそろえるところまではとてもできない。本当に難しい作業なのだ。短くするだけで精一杯だった。今年もまた、まだらに刈られた虎刈りの小ヤギムックになってしまった。
ティンクは、一日中ムックのにおいをかぎまわった。あまりに変わり果てたムックの姿に、本人かどうか計りかねたらしい。ムックのほうはうなだれて、何度もため息をついていた。


7月06日
涼しい朝
ひんやりと涼しい朝だ。あまり涼しいので、カッコウの鳴きかたが心なしか控えめだ。夜の雨でまわりの緑が色濃く見える。山は、厚い雲に覆われている。


7月05日
ランチ強行
たまには、上げ膳据え膳でお昼を食べたい。と、今日は3人の意見が一致して、どこかへ食べに出ることにした。とはいっても、どこがいいか全然思いつかない。頭にいろいろな食べ物を思い描きながら、大急ぎで掃除を済ませているところだ。ああ、せっかくだからなあ。何を食べようかなあ。限られた選択肢の中から選ぶのは結構大変なのだ。
急いで出かけて、急いで食べて、急いで戻って休憩する時間も確保しなければいけない。何もそこまでして、と思われるかもしれないが、毎日缶詰状態だと、時々そういう無茶をしたくなる。


7月04日
7年ぶり
7年前の6月に泊まられたお客様が、昨日ふたたび7年ぶりに来て下さった。7年前といえば、オープンして初めての夏だ。その時はまだご結婚前だったが、もう大きなお嬢さんがふたりもいらして、とても良いご家族になられていた。7年とはそういう年月なのだと、しみじみ感じた。よく覚えていてくださってと、お互い懐かしく再会を喜び合ったのだった。
夜、3人で夕食を食べながら、初めての夏を迎えた時のことを思い出した。あっこちゃんは、まだ高校生だった頃だ。タッキーこと炬口君が、初めてのスタッフとして頑張ってくれた。3人でよく乗り越えたものだと思う。毎日が必死だったように思う。オープンの頃から毎年来てくださる方、今年はじめて出合ったかた、そして、数年の時を経て、ふたたび訪れてくださる方もいらっしゃるのは、本当に嬉しい。7年前の夏を思い出しながら、薫風舎を通してのさまざまな出会いに思いを馳せたのだった。


7月03日
野菜の赤ちゃん
お昼の材料調達に畑の方へ行ってみた。ナスもきゅうりもトマトも小さいのがたくさんできていた。ズッキーニは、あと数日で収穫できそうだ。プチトマトはもう赤くなるのを待つだけだ。今年は、レタスなどもたくさん植えて、ミニ温室でたくさん育っている。お昼のうどん用に大き目の大根を抜いて、野菜の赤ちゃんたちを眺めながら、ニンマリして帰ってきた。


7月02日
玄関前
気がつくと、玄関の前のジャガイモ畑の向こう側の秋蒔き小麦が、黄色みがかってきた。私の一番好きな麦の色は、そのもう少し手前の、ちょっと白みがかった青磁色。毎日少しずつそれが黄色く変化していくのを見るのは、嬉しいようでちょとさびしい気持ちだ。
ジャガイモ畑のほうは、霜が降りて以来、表面が茶褐色だったところに、白い花がちらほらと咲き始めた。楽しみにしていた一面の真っ白いジャガイモ畑にはとてもなりそうもないが、たくましく花を咲かせているジャガイモの畑に頼もしさを感じる。


7月01日
気温差
急に夏がやってきた。朝から、じりじりと焼け付くような暑さだ。先週は、最低気温が0℃まで下がった日もあった。今日は、30℃を越えているかもしれない。この気温差には参ってしまう。体温調節ができずに、頭がもうろうとしている。


6月30日
大根菜
今年、種売り場に「大根菜」というのをたくさん見かけた。大根の葉を食べるために改良されたものらしい。大根は葉の方がずっと栄養があって、しかもおいしい。毎年、畑に大根を植えると、その葉を間引きしながら食べているのだが、大根が育ってくると葉は硬くなり、農薬を使わないのですぐに虫にやられてしまう。思う存分大根菜を食べてみたいと思い、ためしに買って植えてみた。
畝を作らずに、ちょっとしたスペースにパラパラとばら撒きをした。同時期に植えたほかのどの野菜よりも早く芽を出し、ぐんぐん大きくなった。大きくなった葉からチョコチョコ摘んでは、炒め物にしたり、菜飯にしたりして、かなり重宝だ。お客様には、キッシュに入れてお出しして好評だ。
寒くなっても、雨でも、とにかくどんどん大きくなるので、チョコチョコどころではなくなって、通りがかると一生懸命とって、一生懸命食べなくてはいけなくなってきた。このところ、アスパラに代わって薫風舎まかない料理の主力の座に踊りでている。


6月29日
今朝の夏
夏の朝らしい、気持ちのよい空気だ。今日は、静かに晴れている。ほとんどのお客様が、朝食前、ずいぶん早くからうちの周りを散歩したり、パッチワークや三愛の丘まで足を運んだりされていた。
私も、久しぶりにムックとティンクを連れて、裏の三号線の方まで歩いた。山の残雪は、いつもに比べてずいぶん少なくなった。ゆるやかに風が流れる。季節がようやく元にもどったようだ。
しかしそこここ畑に、先日の降霜の爪痕が生々しく残っている。どこのジャガイモ畑も一面茶色く、角の沢尻さんのとうもろこしの葉も黄色くなっているところが多い。それに負けじと、みな歯を食いしばって頑張っているように見えた。
今日は暑くなりそうだ。


6月28日
シークレットパーティー
3週間ほど前に、昨日宿泊された坂田さんのお友達からメールをいただいた。坂田さんが、昨日6月27日に旭川で挙式されるので、ご本人には内緒で、何か楽しい企画がないものだろうか、というような内容だった。楽しい企画に目のない私たちは、いろいろとメールで相談をして、当日宿泊のお客様も交えて、夕食後に小さいパーティーを開くことにした。近くの「カフェ・ド・ラ・ペ」の大友さんに、とびきりのチョコレートケーキと素敵な花束をお願いした。
ご本人には、9時から私がピアノを弾くので聞きに来てくださいとだけ告げ、その他のお客様には、チェックインのたびに、この楽しい企画をこそこそと耳打ちしておいた。皆さん大喜びで、同意してくださり、そのあと何食わぬ顔で夕食を終え、9時には全員がラウンジに集合してくださったのだった。
突然、きれいにデコレーションされたケーキと花束を渡されて、坂田さんご夫妻は、目をぱちくりされていた。そのあと、お友達からのメッセージが読まれると、奥様の目から思わず涙がこぼれた。お祝いに、グリーグの「トロルドハウゲンの婚礼の日」を演奏し、みんなでおいしいケーキを食べながらの、楽しいひと時が続いたのだった。


6月27日
青空
ようやく昨日から、初夏らしい陽気がもどってきた。こんなよいお天気の日は、お客様もみな早起きだ。デッキのところで新聞を読んだり、散歩をしたり、朝食前のすがすがしいひと時を楽しまれている姿を見るのは、とても嬉しい。
ムックとティンクもやけに早起きになり、朝5時過ぎからそわそわし始める。それでも、私たちが疲れているのを知っているのか、目を覚ますまでは、ベッドの隅のところでお座りをして待っている。お天気のよい日は、みんな青空の下に出るのが待ち遠しいようだ。


6月26日

数日間、異常な低温が続いた。昨日はとどめとばかりに、季節外れの霜が降りてしまった。
真っ白い花が日に日に増えていくのを楽しみに見ていた、玄関の前の笹本さんのジャガイモ畑。朝起きて畑を見ると、一面黒ずんでしまっている。5月はじめに、ご夫婦で種まきをしていた。夏には、真っ白い花が咲くよと笑っておられた姿が目に浮かんだ。下のほうへの影響がないことを祈るばかりだ。
昨日突然、小原さんからもアスパラ終了を言い渡された。霜で出ているのがみなやられたそうだ。
寒くたって、人間は着込めば何とかなる。畑の作物にとっては、ひとたまりもない。丹精こめて育てておられた農家の方たちのことを考えると、本当に心が痛む。
今日は、朝から快晴だ。デッキの前の大豆畑では、永さんご家族が、いつものように黙々と草刈りをされている。小原さんも笹本さんも、顔色一つ変えず、何事もなかったように仕事をされている。


6月24日
ジェノバペースト
この数日の寒さは、ひどいものだった。バジルは寒さに弱く、虫もつきやすいので、毎年頭を悩ませ、試行錯誤を繰り返していた。今年は、トンネルという小さいハウスにして、ビニールの変わりにパオパオという布織布をかけて、さらに、バジルの脇に虫除けに聞くといわれるマリーゴールドもたくさん植えてみた。マリーゴールドのせっかくのあざやかなオレンジや黄色の花が、パオパオで覆われるのはちょっと忍びないが、少しでも虫除けになればと淡い期待を抱いた。寒さでそちらの効果はよくわからないが、パオパオに暖かく守られて、バジルの葉は、すくすくと育ってくれた。
今日は、そのバジルをみんなで収穫して、ジェノバペーストをたくさん作った。ジェノバペーストは、バジルに松の実やパルミジャーノ、EXヴァージンオリーブオイルなどを加えペースト状にしたもので、パスタから、お肉やお魚のソース、野菜料理の隠し味としてなど、特に夏に大活躍する万能ソースだ。リングィネという少し幅広のしっかりしたパスタにこのジェノバペーストを和えただけで、立派なパスタ料理になる。最近は、スーパーなどでも瓶詰めを見かけるようになったが、自家製のジェノバペーストはおいしさが比較にならない。これからの季節の薫風舎の人気メニューである。


6月23日
反省
最近、この「ひとこと」が長くなることが多く、ちょっと反省している。はじめてHPを訪れた方など、下方にある空室状況を見つけられなくて困惑されているのでは、と心配しながら書いている。昨日など、自分のトゲのことなど長々と(下手なので、なかなか短くまとめられないのです。)書いてしまった。「他人のトゲの事などどうでもいいわい!」と怒っておられる読者の方も多いのではないだろうか。
今日は短く書こう。といいつつ、また余計な前置きを書いてしまった。基
このところ寒い日が続いている。今朝は、ついに薪ストーブを付けてしまった。


6月22日
5円玉の威力
一昨日、ナスをさわって飛び上がった。見ると、ヘタのところにものすごいトゲがたくさん出ていた。そんなことをすっかり忘れて昨日朝起きると、右手の人差し指がちくちく痛い。トゲが刺さっているかと指を見ても、よくわからない。でも、よく見ると皮膚の奥のほうに、かすかな黒っぽい点のようなものがあるといえないこともない。小さいトゲが残っているのか、昨夜の傷がそう見えるのかもしれないと思った。
午後になると、さらに痛みが増してきた。たかが指先のことなのだが、手術の後なんかよりずっと辛いような気がしてきた。恐る恐るピアノの練習をはじめた。幸い、打鍵する場所からはちょっとそれていたので、何とか弾く事ができたが、ある一点にちょっとでも鍵盤が触れると、飛び上がるほど痛い。こんなことで病院に行くわけにもいかず、憂鬱な気持ちになってきた。針を持ってきてほじくってみたが、ただ痛いだけだ。トゲがあるようにも見えるし、ないようでもある。指先に気をとられながら、夕食の時間が過ぎ、痛みをこらえてピアノを何とか弾き終えた。
後片付けを何とか終えた頃には、なんだか体中具合が悪い気になってきた。どうしたものかと途方にくれ、インターネットで「トゲ」を検索している自分がなんだか情けない。調べると、いろいろな「トゲ」にまつわるページのなかに、「トゲが刺さった時の秘密技」みたいなのが、幾つか見つかった。見ると「5円玉を押し当てるとよい」と「里芋をすって湿布せよ」の2つの方法しかないことがわかった。今ここには里芋はない。あとは5円玉だ。5円玉なんかで、私のトゲが取れるわけないと思いながら、ためしている自分がまた情けなかった。ぐっと5円玉を押し当てて、針をさしてみたら、血が出て来た。ティッシュで拭いて、もっと強く押し当てた。もうやけっぱちである。と、そのとき、5円玉に押し当てられて赤紫になった私の指先から、ピュっと何かが出て来た。ごくごく細く長さが4ミリほどもある硬いトゲが、垂直に刺さっていたのだ。それを見た私は、卒倒しそうになった。そして、プライベートに走っていって、夫にそのトゲを見せたのだった。あっこちゃんにそれを見せないで捨ててしまったのが、悔やまれるが、とにかく5円玉のおかげで、私は指の激痛からようやく開放されたのだった。


6月21日
アスパラカウントダウン
今年も、思う存分アスパラを食べた。もちろん、お客様にもたっぷりと味わっていただいた。今年は4月、5月が暖かく、甘さも太さも格別だった。例年より早めに採れ始めたので、終わるのもきっと早いに違いない。あと一週間もつだろうか。
いつも、6月一杯くらいで、パタッとアスパラの収穫が終わる。その寂しさといったらない。これだけ朝昼晩と食べていても、飽きることはなく、小原さんに終わりを告げられると、肩の力がすうっと抜けてしまうような、虚脱感を覚える。あと数日のアスパラ、これから来られる方々に、ゆっくりと味わっていただきたいと思う。


6月20日
真向法
一月に、お客様の石井さんに真向法を教えていただいた。畳一畳と10分の時間さえあればできる簡単な体操だが、これがとてもよい。疲れて、方がバリバリになったときなど、ゆっくりと4種類の体操をすると、すうっときれいな空気が体の隅々まで行き渡り、疲れをとってくれるような気がする。頭痛で動けなくなることもめったになくなった。
できるだけ毎日続けていた。3日坊主の私が、こんなに続くことはめったにない。これは、何にでも効くような気がしている。ところが、このところその10分が捻出できない。ああ、今日のひとことに書くくらいなら、これから体操をして少し休憩しようと、書きながら焦ってきた。「真向法」で検索すると、詳しい情報がでているらしいので、是非見てみてください。


6月19日
白いもの
今朝、ムックとティンクをつれて、ぶらぶらと散歩に出た。今日は、空も厚く雲に覆われて、空気がしっとりと重い。私は草の匂いを、ムックとティンクは道ばたのいろいろな臭いを楽しみながら、いつものように薫風舎をはさんで白金街道と平行に走るまっすぐな道の方へ出た。山のほうへ曲がって少し歩くと、薫風舎から見ると裏の小川の向こう側に見える北村さんのジャガイモ畑のなかに、白いものがぽつぽつと見えた。
うちに帰ってきて、今度は玄関の前の笹本さんのジャガイモ畑を見た。ついこの前芽が出たと思っていた畑は、あっという間に濃い緑になり、そこにも白いものが見え始めていた。これからしばらくの間、薫風舎の前と裏の畑にジャガイモの花が少しずつ増えて、やがて真っ白に埋め尽くされていく様子を、毎日じんわりと楽しむことができる。


6月18日
魅惑のドリア
実はドリア好きだ。しかし最近は、良さそうなレストランのメニューにドリアを見つけることはかなり少なく、めったに食べられない。自分で作っても良いのだが、お昼にそんな手間をかけてはいられないから、時々無性にちゃんと作ったおいしいドリアが食べたくなる。
深川のインターを降りたところに、「アグリ工房まあぶ」という公共の温泉施設がある。数年前札幌の実家から帰ったときに温泉に入って、併設のレストラン「ハニーヒル」にあまり期待せずに入った。ハンバーグやかにクリームコロッケなどの洋食メニューと、そば、定食などがあった。そのなかにドリアを見つけて、あまり期待せずに頼んだ。一口食べて驚いた。ちゃんとベシャメルソース(いわゆるホワイトソース)を丁寧に作っている。最近ベシャメルソースをちゃんと作っているレストランにお目にかかったことがないのだ。予想外のおいしさに、飛び上がって喜んだ。ときどきあのドリアを思い出すのだが、ちょうど良い具合に食事時にあのあたりを通ることは少なく、その後2、3回あっただけで、なかなか食べる機会が得られない。それが、思いがけなく、昨日そのチャンスにめぐり合った。
一昨日、朝里の中村先生のお宅に、私一人ピアノのレッスンに伺った。実家に泊まって、妹とふたりで車で美瑛に帰ることにした。思ったより出発時間が遅れたので、ちょうどお昼ちょっと前に深川のインターにたどり着いた。その瞬間、あのドリアが頭に浮かんだのだ。インターを出て右に曲がり、レストランにつくと、ふたりでキノコとエビのドリアを注文した。2年ぶりくらいだから、シェフが代わったりして、まったく違う代物が来るのではと、運ばれてくるものを見るまで警戒した。ジュージューと音を立てたドリアがやってきて、生唾を飲み込んだ。ひとくち。そのまま椅子が後ろへひっくり返るかと思った。なんておいしいのだ。私の中では、今、このあたりで一番のドリアだ。チロルのようなナポリのような、ちょっと間の抜けたのどかなBGMが、またおいしさを際立たせる。シーズン前の幸せな一瞬であった。


6月16日
静かな朝
今日は、ずいぶん早くからお客様がラウンジでくつろいでおられる。スピーカーから波多野睦美さんの美しく密やかで透明な歌声が流れている。ときおり朝刊をめくる音がする。朝食前、静かな朝である。


6月15日
盆地
「盆地」ということばを社会の時間に習った時には、まさか、自分が盆地に住むとは夢にも思っていなかった。「夏暑く冬寒い。朝晩の寒暖の差が激しい。」ひとごとのようにただ覚えた。美瑛に住んでから、「盆地」とは本当にそうなのだと、年がら年中実感させられる。こんなに「教科書通り」かと驚いた。
先週末は30℃近くまで気温が上がり、暑さに参った。その次の日から、急に冷え込んで、最高気温が10℃そこそこになって、ストーブを付けた。この季節の畑は、日中の日照と夜の霜を両方心配しなければならない。
メールで今の陽気と着る物の問い合わせをいただくのだが、これには困ってしまう。「日中は半袖でも暑いくらいなのですが、日によってはすごく寒い日もあるので、暖かい服装もお持ちになったほうが良いです。でも、急に暑くなることもあるので、すぐ脱げるような格好で・・・。」と書いている本人もわけがわからなくなる。こんな返事が来たら、「ワレ!おちょくっちょるんか!」としかられやしないかと心配になるが、だいたい住んでいる人間が、朝起きて今日は何を着たらよいのかわからないのだ。寒いので、長袖を重ね着していると、一枚ずつ脱いでいく羽目になり、しまいには半袖短パンに着替えるということが、日常茶飯事だ。
皆さん、こんな返事が届いても、どうか怒らないでください。むかい習ったでしょ?「盆地は、夏暑く冬寒い。朝晩の寒暖の差が激しい。」・・と。


6月14日
緑の季節
デッキの前から山に向かって続く、しっかりとした若緑色のストライプ。大豆の芽がきれいに伸びている。畑を取り囲むように茂る雑木とその奥の背の高いカラマツ林は、緑を競うかのように毎日深みを増している。
このところ、十勝岳は厚い雲に覆われているので、目の前の緑が、浮かび上がっているように見える。一年中で、一番緑の美しい季節だ。


6月13日
ゆっくり
最近、6月らしくないどんよりとした日が多いので、なんだか体がついていかない。こんな時は、ちょっとテンションを下げて、ゆっくりと仕事をするようにしなければ、と思う。ゆっくりとする時間はなかなか取れないが、気持ちをゆったりもってちょっと流れに身を任せてみると、体も幾分楽になるように感じる。今日は、できるだけ頑張らないように、無事一日を終えてみようと思う。


6月12日
新雪
久しぶりに良いお天気になった。4日ほど雲に覆われていた十勝岳連峰が姿を現すと、山の頂上は、粉雪をまぶしたように新雪をまとっていた。


6月11日
寒さ
おとといから、寒い日が続いている。週末は、最高気温が30℃近くまで上がったのに、昨日は10℃くらいだった。今朝も、空一面がねずみ色の厚い雲に覆われている。ようやく芽を出した大豆やいんげん、ビニールに覆われたトマトやナスの苗が、畑でみんな肩をすぼめているように見える。人間も、寒さに体が重い。ムックとティンクはデッキで体を丸めている。
まとまった雨を得て、まわりの木々だけが生き生きと、深まる緑の葉をまとってゆるゆると風に揺られている。


6月10日
掟破りの熱い夜
昨日、三年ぶりにいらした河野さんが、チェックインするなりおっしゃった。「テレビはないんでしたっけ?」ああ、やはり。
4年前のワールドカップの時、夫が日本戦の時には、絶対にラウンジにTVを持ち込むと言い張った。実家から、わざわざ小さいTVを借りてきて、お客様と観戦したのだが、3晩ともさびしい結果となり、本当にお客様は観たかったのだろうか、となんとなくTVを持ち込んだことを後悔した。
今回は、やめよう!といいつつ、ロシア戦は、自分達もなんとしても観たい。観たいが、TVは用意してないわけだし、どうしようもない。・・・と諦め切れぬもやもやのまま昨日を迎えたのだった。
「TVないんでしたっけ?」河野さんのひとことに、もうこれは何とか調達するしかない、と気持ちが高鳴った。夫は買出しの時に、TVを買ってくるとまで言い出した。しかし、いくらなんでも、それはどうかと思う。プライベートにあるTVの面倒な(ごく一般的な)配線を全部はずして、ラウンジに持ち込むことにしてしまった。
次々と来られるお客様に、ちょっと言い訳がましくTVのことをいうと、みな目を輝かせてくださった。こうなったら、とことん盛り上がるしかない。夕食後、私は街まで8Kmの道のりを、ポテトチップスととんがりコーン、柿の種と缶ビールを買いに走った。サッカー観戦にワインとチーズではなんとなく雰囲気がでないからだ。急いで戻ると、もうみんなTVの前に集まっている。そのあとの状態は、きっと皆さんのお宅と一緒です。稲本がゴールした瞬間の、薫風舎サポーターの歓喜の雄叫び!!いつもの薫風舎を知る方たちに、ぜひとも見ていただきたい光景でありました。


6月09日
瞑想の掃除機
1階の掃除機がけは、大体私の担当だ。3人で客室の清掃が終わると、さんさんごご、それぞれの部署へと向かう。夫はパンをこねはじめ、あっこちゃんはお風呂掃除、わたしは、一階のハタキをかけて、客室棟のトイレの前あたりから掃除機のスイッチを入れる。
モーターが動き始めると頭の中がフラットな状態になって、さまざまなことが頭に浮かぶ。そして、いろいろなことを考える。一日の中で、唯一、一人で考え事を楽しめる貴重な時間といっても良いくらいだ。今日のお昼ごはんのことから、薫風舎の展望、仕事の段取り、秋になってからの遊びの計画、人生についてとか、はたまた、床を歩いている蜘蛛の気持ちになってみたり、だいぶ前のことを思い出して腹を立ててみたり、脈絡がない。脈絡がないようで、意外と重要なことを思いついたりすることもあるので、そういうときは一人ほくそ笑む。
頭の中があちらこちらと自由に駆け巡り、貴重な瞑想の時間も終わりに差し掛かるころ、つまり掃除が進んで、暖炉の前あたりまで来たとき、窓の外に、デッキで熟睡しているティンクの姿を見つける。このときの幸福感ときたら、いいようがない。(ムックはこの時間、たいがいデッキの下にもぐりこんでいる。)いつまでも見ていたいのだが、そうもいかないので、ティンクが目を覚まさないように、そおっとその場から離れる。
掃除機の時間は私にとってそう悪くないひと時だ。さまざまなことに思いをめぐらせ、ティンクの寝顔というすばらしいおまけまでついて、きょう一日がんばろうという気持ちにさせてくれる。


6月07日
綾戸&田崎
タワーレコードに注文していた綾戸のニューアルバムが、昨日やっと届いた。私が、クラシックのマニアックなアルバムを一緒に注文したために、発送がかなり遅れて、夫にはブーブー文句を言われていた。なかなか手元に届かないので、夫は雑誌の広告などを眺めて、紛らわせていたらしい。そして、数日前、その中になんと田崎瑞博さんの名前を発見し、あっと声をあげたのだった。
田崎さんは、古典四重奏団のチェリストとして薫風舎でもお馴染みの、札幌コダーイ合奏団にもう十数年来コンティヌオとして参加されている、そしていまや世界を股に架けるあの「タブラトゥーラ」や「音楽三昧」のメンバーでもある、大演奏家であり、知るものすべてを虜にしてしまう大変な奇人(失礼)であります。
その田崎さんが、綾戸智絵とコラボレイトしているとの情報を得て、CDの到着を首を長くして待ちわびた。実は、「古典四重奏団」、「音楽三昧」と、綾戸智絵は、同じレコード会社なので、冷静に考えれば不思議はないのだが、綾戸ファンであり田崎ファンの私たちには、夢のような共演である。
昨日、昼食を食べ終わり、CDをかける前に、ライナーノーツを開いた夫は一人爆笑した。田崎さんはあの往年の名画「慕情」のテーマで、ヴィオラを弾いておられる。曲目解説に田崎さんが濃厚に登場している。-<前略>そうなんです、このビオラええでしょ?顔は大木凡人にの田崎さん、初対面です。クラシック界の中で彼が私に選ばれたラッキーな男(本人そー思ってくれてるかなあ)。私が彼にだしたリクエストは、、、。<中略>私とホアキン。見つめあう瞳。燃えるような彼の腕に抱かれエロティシズムバッチリのルンバ。<中略>まさにこのビオラ、その通り。おみごと!(MY LIFEライナーノーツより。)-あのストレートなサラ髪をなびかせて、ヴィオラを弾きまくる田崎さんの姿が目に浮かびます。演奏家紹介もまた、イケてました。長くなるのでこちらは、省略。ぜひCDを購入してご覧ください。今回のアルバム、今までの弾き語りバラード中心とはちょっと趣を変えたファンキーな仕上がり。田崎さんのヴィオラがまたイケてます。


6月06日
真夜中のパオパオ
今年は暖かいので、いつもよりも早くトマトやナス、きゅうり、ピーマンなどの苗を畑に植えた。6月中は、朝晩冷え込むので、苗には棒を立ててビニールで覆っておく。5月20日過ぎに植えたときに、おおかたその作業を終えたのだが、途中で棒が足りなくなって、ナスときゅうりが、そのままになっていた。心配しつつも、わりと暖かだったので、そのまま無精をしていた。
昨日は日中とても暑くて、夕陽がとてもきれいだった。そんな日は、夜冷え込みがきつくなる。お客様とおそくまで話をしてから、12時近くに、ムックとティンクの散歩に外に出ると、急にナスときゅうりが心配になった。霜でも降りたら大変だ。
仕方がないので、パオパオと呼ばれる、白い化繊の不織布を掛けることにした。眠たい目をこすりながら、ナスやきゅうりに覆いをかけ、止め具で留めた。真夜中に夫とふたり、暗がりの中での作業にことばもない。プライベートに戻って、洗濯機の中のまだ干してない洗濯物に気づいた時には、さらにことばを失った。
しかしおかげで、安心して、無事に朝を迎えることができた。近頃は、畑のことで頭が一杯である。


6月05日
人参の芽とそのほかの芽
人参のふた葉は、ひょろひょろっと細長く真横に開いている。土に目を近づけても見逃してしまうくらいきゃしゃで、頼りない。
種を蒔いて2、3週間すると、雑草が人参の種を蒔いたあたりに芽を出す。畑をやり始めたばかりの頃は、どれが人参でどれが雑草か見分けがつかず、仕方がないのでそのままにしておくと、雑草ばかりが伸びて人参がやられてしまったりした。
今年は、種を蒔いてからいいかげん雨が降らずに、なかなか芽が出なかった。時々畑に近づいて確かめるのだが、なかなかそれらしいものがない。どんどんそのあたりは雑草に覆われて、ついに、種を蒔きなおすことにした。
今日は3人で畑にはいつくばり、雑草をかき分けて、人参の芽を捜した。案の定、ほんの数えるほどしか、芽は出ていなかった。雑草をとりながら、わずかに芽の出た人参を探すのは、たいそうなことだった。それでも、昔と違って、一目見ると、それが人参か、それと瓜二つのそっくりさんかがわかるようになっている。うっそうとした雑草を取り払い、透きとおるような人参の芽を大事に残して、それから、芽の出ていないところに、新たに種を蒔いた。
毎年、人参には相当苦労させられる。薫風舎の食卓に人参を見かけたら、土にはいつばる私たちの姿を、ちょっとだけ思い出していただけたら幸いである。


6月04日
点々と
二日間続いた雨がようやく上がり、今日は朝から爽やかな風が吹いている。デッキに出ると、目の前の大豆畑のきれいに耕された畝に、かすかに小さい芽が出ているのがわかった。まだ、緑色もわからないほどのものだが、目を凝らしてみると、確かに点々と、遥か向うの方まできれいに続いている。
種を蒔いてから日照が続き、そのあと寒い雨が降って心配していた。芽が出るのを待ちわびでいた。これから、毎日少しずつ、デッキの前の景色が変わっていくのが楽しみだ。
同じ頃に蒔いた、薫風舎の小さな畑の黒大豆やいんげんも、揃って元気に芽を出した。


6月03日
カレーでひと息
今日は、朝からなんだかバタバタと忙しく、わけのわからないままお昼が過ぎた。お昼ごはんどうしよう?!と思ったときには、もう作る気力もうせていた。何が食べたい、そうだ、カレーだ!!と思うと、もう口の中は、カレー以外は受付なくなっていた。それも、ラ・ペのカレーじゃなきゃいやだ。と、忙しいのにわがままだ。すぐに電話をしたら、ラ・ペの奥さんも忙しそう。でも、何とかするから!!と元気よく言ってくれた。
急いで支度をして、もうずいぶん緑が濃くなった森の中の小さなうちへと急いだ。例のハシゴのような階段を登ると、もうすでに7、8人のお客様がいた。真ん中に小さいテーブルを出して、ちゃんと3人分のセッティングをしていてくれた。奥さんもご主人も、それは忙しそうに、でも元気よく、にこやかに仕事をしておられた。程なくして、いつものごとく野菜やお肉やエビや帆立がごろごろはいった、辛いけどこくのあるおいしいカレーが運ばれてきた。三人は、黙々とそれを胃の中に運び、そのあとケーキも一切れずつセルフサービスでいただいて、カプチーノにも惹かれたけど、あまりに急がしそうだったのでそれは諦めて、そそくさと帰ってきた。あの冬の、時間を忘れたようなのんびりしたひと時が、懐かしいが、それでも、とびきりのカレーに午前中の慌しさを忘れ、ほっとひと息ついたのだった。


6月02日
合唱の夜
金曜から、リピーターの城戸さん(去年の5月から3度目なのだが、もうずっと前からのご常連のように思えてならない。)が、東京の合唱団のお仲間と泊まりにきてくださった。金曜は、台湾の雑誌社の方々がプライベートで泊まってくださったのだが、皆さん音楽好きで、偶然にも合唱をやられているとのこと。
夕食後の私のピアノ演奏の後、城戸さんの持っていらした女性三声の楽譜で「さくら」をぶっつけ本番で歌ったら、台湾の方々も、ちゃんと楽譜を持参していて、みんなで台湾の曲を合唱してくださった。中にピアニストもいらして、ピアノを披露してくださった。そうしたら、日本でのお世話役をされていた小島さんが、どこからかトランペットを持ってきて、ジャイアンツの応援歌を吹いてくださった。
もうラウンジは、大変な熱気である。最後は、みんなの知っている曲を、いっしょに何曲も歌って、楽しい夜はふけていった。
夕べは、城戸さんグループに私も飛び入り参加(テノールで!!)で、お客様に合唱曲を聞いていただいた。思いがけない趣向にみなびっくりしつつ、とても喜んでくださったのが嬉しかった。久しぶりのヴォーカルアンサンブルを楽しんで、私はちょっとウキウキとしてしまったのだった。


6月01日
チャイブ
チャイブの藤色の花の蕾が、たくさんなっている。チャイブは、和名をセイヨウアサツキといい、アサツキやネギよりもやわらかいやさしい香りで、スープやソースのちょっとした香り付け、お昼にはうどんの薬味として、春先から食卓で毎日のように活躍している。毎年どんどんふえて、うす赤紫色の花が、初夏にハーブガーデンを彩るのも楽しみのひとつである。でも、花が咲くとそちらに養分を取られ、葉が使えなくなってしまうので、蕾のうちに摘んで葉を生かすか、花を咲かせるかで、毎年悩む。悩んでいるうちに花は次から次へと咲き始め、葉を使うのを諦めてしまう。
なんとか、今年はもう少し両方を生かす工夫をして、チャイブの花も葉も長く楽しめるようにしようと思っている。


5月31日
山菜の代償
このあたりは山菜の宝庫だ。雪が融けてからいまじぶんまで、多くの人々が袋をかついで山の中へと入っていくのを見かける。うちの周りにも、フキやワラビ、ウドなど、たくさんの山菜があるのだが、ほとんど採りに行けたためしがない。宿の仕事の合い間に、畑や庭のことをやるのが精一杯なのだ。
だが、今年は思いのほか山菜を楽しむことができた。美瑛の知り合いが、ウドとワラビをたくさん、しかもありがたいことに下ごしらえをして持ってきてくれた。その味に触発され、先日二度ほど、仕事の合い間に裏の小川にフキを採りにいくことができた。一昨日も、お客様が夕陽を眺めているすきに、突然思い立って、包丁と袋を持って3人で川べりに降りた。そこら中にフキが生えているのだが、ほとんどが茎が赤いか、中に虫が入っている。赤ブキはまずくて食べられたものではないし、虫食いなど論外だ。その中から、青くて中のきれいなのを見つけるのは、至難の業である。藪をかき分けながら進んでいくうちに、だんだん茎の青いフキしか目に入らなくなってくる。気が付くと、3人20分足らずで結構な量のフキと、ウド2、3本の収穫だった。
夕陽が落ちた頃、山菜の束を抱えて鼻息も荒く厨房にもどると、ひじの内側のあたりにポツッと血がでていた。いやな予感がした。朝起きると、直径5センチ以上に赤く腫上がっていた。しかもめちゃくちゃかゆい。毒虫にやられた。油断して、半袖で出掛けたのが悪かったらしい。
ウドの先の天ぷらや、香り高いフキの煮物の代償として、昨日は一日、大きく腫上がった腕のとてつもないかゆみに悩まされたのだった。


5月29日
安野光雅展
昨日、午前中に大急ぎでいんげんやトレビスの種まきをして、滞在中のお馴染みじっちゃんこと長谷川さんと4人で、旭川で行われている「安野光雅展」に出かけた。
安野光雅との最初の出会いは、幼少の頃「ふしぎなえ」という絵本だと思う。ページを開くと、ひとつのことばも書かれていない「ふしぎなえ」の、まか不思議な世界に引き込まれ、妹とふたり、本が汚れてくたくたになるまで、何度でも手にとっては眺めていた。
大人になってからは、「旅の絵本」というシリーズがとても気に入って、買い揃えた。ページをめくると、馬に乗ったたびびとと一緒に自分もその国をめぐっているように思えてくる。何度読み返しても、ひとつの絵に新しいストーリーを発見して、わくわくする。
安野光雅の絵には、質感というものをあまり感じない。その代わり、そこに描かれる人々のざわめきや、鳥の鳴き声が聞こえてきたり、干草の匂いとか、湿度までも感じているような気がしてくる。描かれる場所の空気感にじんわりと包まれて、あたかもそこにいるような気分になる。
美術館を出ると、久しぶりの初夏の陽気に、たくさんの人たちが公園を散歩したり、くつろいだりしていた。まるで、絵の続きを見ているようだった。


5月28日
悪魔の輪
芝生には、さまざまな雑草が生える。その中でも、クローバーは厄介者だ。茎が芝の下をくぐるように横に伸び、まるで織物でも織るように絡み合いながら、広がってゆく。上に出ている葉だけを取ったのではまったくダメだ。葉から土の下で頑固に絡み合った茎や根を辿り、途中で切れないように十分に注意をはらいながら、ずるずるとぬく。力任せにやると途中でほかの茎に邪魔をされて、すぐに切れてしまうので、用心深く、しかし思い切りよく引きずりだす。
よほど余裕のあるときでなければ、この作業はできないのだが、まだクローバーの悪魔の輪が小さいうちにやっておかないと、大変なことになってしまう。夕方、仕込みやピアノの練習の合い間に、ちょっと外の空気を吸いにデッキに出ると、ついつい芝に腰をかがめて、クローバー地獄に手を染めてしまう。
これが、やり始めると結構面白く、なかなか止められない。お客様に、大変ですねえと声を掛けられると、困った顔で「そうなんですよ。」と答えるのだが、実は内心ひそかに、この悪魔の輪の魅力に取りつかれている。しばらくすると、無我の境地に達しているような気分になる。この無心の時は、なんともいいがたい贅沢なひとときなのだ。そうなると、草中に毛虫や芋虫などに出くわしても、声一つ出ない。黙々と、土をほじくり、茎を辿り、引きずり出すことに集中してしまう。そして、はっと気が付くと、とんでもない時間が経過していて、慌てるのだが、それでも、なかなかその地獄から抜け出せずに、恍惚の時を引き伸ばしてしまう。
この悪魔の輪、どんなにとっても取りきれることはなく、またすぐに出てくる。都会の喧騒に疲れて薫風舎を訪れるみなさん、一度この悪魔の輪の喜びを味わってみてはいかがでしょうか。


5月27日
パッとしない天気
ここ3日ほど、ちょっと寒さが戻って来ている。天気予報が、当てにならない。毎日、今日から晴れるか?と期待するのだが、裏切られる。今日も、日中は晴れの予報がでているのに、申し訳程度の青空が時々現れるだけで、いつまでたっても厚い雲が居座っている。


5月25日
厨房の密やかな楽しみ
だんだん、厨房にいる時間が長くなる。昼間の仕込みは、黙々と単純な作業が続くことが多い。去年の秋に、夫が無印良品の壁掛けCDプレーヤーを買ってきた。音もよくないし、そのときは不評だったのだが、これが、徐々に厨房での市民権を得て、現在かなり活躍している。
夫がパンや手打ちパスタをこねるときに今かけているのが、今、キリンビールのCMで流れている「ボラーレ」で有名なジプシーキングだ。これをかけている時のパンやパスタは、心なしか生地が滑らかである(ホントかな?)。ジプシーキング2枚組みベストは、これも夫が買ったときには、相当に不評だった。ところが、くり返し聞いているうちに、サンバのリズムが3人の体の奥底に眠っていたラテンの血を呼び覚ましたらしい。いまや、曲がかかると勝手に体が動き、すべての曲を口ずさめるように(といっても、ハナモゲラ語であるが。)なってしまった。疲れた体を熱いリズムが刺激すると、3人ランニングハイ状態になるようで、厨房が妙な雰囲気に包まれる。ただ、そのあとどっと疲れが増すように思うのは、気のせいだろうか。
今日は、午前中ジャガイモのニョッキを作った。BGMは、ボサノバだ。このけだるさが、またいい。ニョッキは、こねすぎるとグルテンがでておいしくないので、ハイな気分は禁物なのだ。今晩は、ボサノバの香りのホクホクニョッキが食卓を飾ることだろう。


5月24日
昼下がりのグラウンド
昨日3人で、買い物がてらお昼を食べに、美瑛の街に出かけました。1時過ぎに、丸山運動公園の前に差し掛かると、グラウンドに中学生が整列していました。大きな旗を持っている生徒もいたので、体育祭のリハーサルだとわかりました。
保育園から7年近くうちにピアノを習いに来ている、はーちゃんこと増山遥香ちゃんが、4月に中学一年生になりました。部活を頑張りたいので、ピアノを続けるかどうかずいぶん迷っていました。いろいろな部を見学して、ブラスバンド部を選び、ピアノも続けることに決めたと電話があったときには、本当に嬉しかった。そのはーちゃんが、体育祭で先輩と一緒に演奏することを聞いていたので、車から降りて飛んでいきました。
生徒は入場行進の準備で待機しています。ブラバンの生徒は楽器を持って、指揮者の合図を待っているようでした。はーちゃんは、はじめクラリネットになったのですが、歯の矯正をやっているので、パーカッションに移ったそうです。木琴のところに撥を持って立っていました。私たちは、もうわくわくして、行進が始まるのを待ちました。
ラテンの有名な曲(みんなが知っている曲なのに、曲名がわかりません。)が始まりました。はーちゃんは、難しいリズムをピシッと決めて、立派に演奏をしていました。その音楽に合わせて、生徒がトラックを行進しはじめました。はーちゃんを見ると、木琴のあと、タンバリンにグロッケンにと忙しく動き回りながら、演奏を続けています。まだ入部して1ヶ月に満たないのに、と思うと、胸が熱くなる思いでした。
新緑眩い暖かな昼下がり、十数名の楽団員によるラテンの音楽が鳴り響く中、大会を目前に一生懸命練習に励んでいる生徒やそれを見守る先生たちの姿が、なんとものどかで、うちに帰ってからも、その光景がいつまでもいつまでも心に残っていました。


5月22日
デッキの前の畑
昨日は夜まで星も出ていなかったのに、今日は、朝から晴れわたっている。
山に向かうデッキの前の畑が、昨日いよいよ耕された。今朝は早くから石灰を撒いていた。土の酸化を中和するためだ。(このあたりの畑は、火山灰やカラマツの影響で、放って置くと酸性に傾いてしまうので、時々、土に石灰を混ぜなくてはいけない。うちの畑には、冬の間焚いた薪ストーブの灰を取っておいて、春にそれを必ず撒くようにしている。)そのあとまた、永さんの息子さんがロータリーをかけている。きれいに耕された土の色が、まわりの木々の緑やその向うの、もうずいぶん小さくなってしまった十勝岳の残雪の白に映え、気持ちがよい。
今年のデッキ前の畑は、大豆だ。豆の緑は、ジャガイモや麦に比べて、ちょっと黄緑がかって、爽やかだ。夏になると、菜の花色に黄葉するのが、美しい。そして秋になると、豆を集めてポコポコとかわいい小山が畑に置かれる。7年半前の10月、オープンの頃、デッキの前にそのニオが遠くまで続いていたのを思い出す。今年の秋は8年ぶりに、デッキの前にニオの畑を楽しめると思うと、今から楽しみだ。


5月21日
恵みの雨
昨日から、久しぶりにまとまった雨が降った。4月から、ずっとお天気続きで、だんだん畑が心配になっていた。小原さんのアスパラはこれから大丈夫だろうか、笹本さんがこの前蒔いたジャガイモは?朝起きると、ずいぶん土が濡れていたので、少しほっとした。湿った空気に、木々の緑が色鮮やかに浮かび上がっている。
5月7日に大根と人参、ビーツを植えて以来、うちの畑の種まきは停滞しているので、この雨に少々の焦りを感じている。一度降ると、土が乾くまで、一日二日は間を置かなければならないからだ。私たちが外に出られる日とお天気が、なかなかうまくかみ合わなくて、この季節はいつもやきもきする。昨日は、今年初めてのカッコウが、ちょっと控えめな鳴き声で、種まきのタイミングを急かすように知らせてくれた。今週中には、何とかしなければならない。


5月20日
マレイ・ペライアの演奏会ー3
オーケストラは常に一切の力みがなく、それでいてときに躍動的に、ときに甘美な美しさでヘンデルの音楽の世界を描いた。団員は、にこやかに互いの顔を見合わせながら、アンサンブルを心底楽しんでいるようだった。
演奏が終わると、グランドピアノがオーケストラの中央に、演奏者の背中が客席に向くように配置された。ペライアの、その思っていたよりもずっと小柄でずんぐりした体が、ステージに現れた。いかにも真面目な、それでいてやさしさのあふれた表情は、私が何枚も持っているCDのジャケットと同じだった。
モーツァルトのピアノコンチェルト20番ニ短調の出だし、深刻なオーケストラのシンコペーションは、少しも角張った所がなく、やわらかな弦の響きをもって、しかも緊張感にあふれていた。オーケストラによる主題の提示が終わると、ペライアのピアノの透明な音色が、天上から舞い降りてくるように響いた。ペライアの音楽は、繊細さも、激しさも、音楽のすべてが、手の中に包み込まれているような感じがする。オーケストラの音色は、ピアノを包み込むようにして、ホール全体に響いているのに、それもすべてペライアの手の中にあるような、不思議な感覚をおぼえた。楽団員は、1曲目と同様、豊かな表情でペライアの内と外を支えながら、一体となって音楽を作り出しているようだった。演奏が終わり、会場から素晴らしい拍手が沸き起こった。私たちは、手の痛さも忘れて、拍手をし続けた。まだ、休憩の前だというのに、ペライアは何度もステージに呼び戻された。
後半の、バッハのピアノ協奏曲第1番、ペライアの指揮によるモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。アンコールのバッハの「G線上のアリア」にいたるまで、自分がどこか別の次元へと連れ去られてしまったかのような、幸せな錯覚が続いた。そして、演奏が終わった時のペライアの誠実な笑顔に、よりいっそうの幸福感を感じたのだった。ペライアとアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズによってもたらされた至上の喜びの余韻をゆっくりとかみしめながら、私たちは夜中の高速を走って、美瑛へと帰り着いたのだった。


5月19日
マレイ・ペライアの演奏会ー2
前日の強行軍で、17日の午前中はなかなか動けなかった。札幌の実家で遅い朝食を食べ、すこしのんびり過ごした。おかげで、午後からは非常に現実的な日程となった。東急ハンズや雑貨屋などをまわり買い物をして、大急ぎで家に帰り、出発の準備、夕食と、開演時間ぎりぎりまでバタバタした。会場に駆け込み、席に座っても、午後からの忙しさを引きずったような気分が残っていた。
今日の演奏会は、現在世界で最もすぐれたピアニストの一人、マレイ・ペライアと、彼が主席客演指揮者を勤めるアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(通称アカデミー室内管弦楽団)によるヘンデル、モーツァルト、バッハのプログラムである。半年前から心待ちにしていたこの演奏会の始まる前の雰囲気を、十分に堪能する間もなく、オーケストラの団員がステージに現れ調弦を始めた。
1曲目、ヘンデルの歌劇「アルチーナ」より組曲は楽団のコンサートマスター、ケネス・シリトウが指揮を務める。彼は、にこやかに舞台に現れ、着席した。そして、ファン・・・と、弦の柔らかな響きが、会場に溢れた瞬間、もう現実の世界とは別のところへと、連れ去られたような気持ちになったのだった。−あすにつづく


5月18日
マレイ・ペライアの演奏会ー1
この仕事をしていると、めったに演奏会のチケットを購入することはできない。もしその日予約が入らなければ、と淡い期待を抱いては諦める、というのがほとんどだ。
3、4年程前、マレイ・ペライアが、ただ一日だけ東京でリサイタルをした。ピアニストの小林さんにあとからその話しを聞いたとき、この次にペライアが来日する時には、それがどこであっても、必ず行こうと決めた。
昨年ペライアの来日ツアーを知り、札幌での演奏会があるとわかった時には、本当に嬉しかった。1月の発売と同時に3人分のチケットを購入して、5月17日のキタラ大ホールでの演奏会を待ちわびた。この日を逃すと、もうしばらくは休みはありそうもない状況になってきたので、16日午前中に美瑛を出発して、札幌の実家に1泊し、演奏会終了後、夜中に帰る計画を立てた。
16日は、朝から快晴だった。午前11時少し前に薫風舎を出発して、深川から妹背牛、増毛へと抜けた。日本海の海岸線を浜益、厚田と下る。初夏の陽気に、木々の緑がなんとも心地よく、午後の日差しを受けてキラキラと光る水面が眩しかった。厚田村から石狩へ向かう道を、私は十数年前に何度走ったことだろう。国道から少し中に入り、新卒で赴任して5年間勤めた聚富小中学校を懐かしく眺めながら、さらに車を小樽へと走らせた。その日の目的は、小樽の先の忍路という小さい入り江にある「エグ・ヴィヴ」という小さなパン屋さんとその湾から海に落ちる夕日だった。昨年ちょうど今ごろ、私がピアノのレッスンを受けているときに、主人とあっこちゃんは、このふたつを堪能した。私にとっては、一年越しの思いである。刻々とその色を変えていく大きな夕日は、私が聚富に赴任してすぐに見た、忘れられない落日の色そのものだった。ーあすにつづく


5月15日
鬼のいぬ間に?
昨日、用事があって旭川に出かけた。あっこちゃんはめずらしく留守番をかって出たので、夫と二人で出かけた。お昼に、モンラッシュという、旭川で人気のとてもいいイタリアンレストランでパスタランチを食べた。あっこちゃんがいないときに、こんなおいしいものを食べるなんて、なんだか申し訳ない気分になったので、レストランの向かいのモンラッシュカフェで、苺のミルフィーユを3個、お土産に買った。「お土産」といいながら、「3個」というのは、なんだかなあと思いながら、夕食の買い物を済ませてうちに帰った。
玄関を入ってラウンジの方をみると、朝焼いたはずのパンが、ぺちゃんこになってテーブルにある。「パンがぺちゃんこになってる!!」と叫ぶと、あっこちゃんに「ちゃんと良く見てよ!!」と、怒られた。近づいてよく見ると、それはぺちゃんこになったパンではなくて、おいしそうに焼けたバターロールだった。
あっこちゃんが、一人静かな昼下がり、せっせとパンを焼いていたのだった。そのうちに、薫風舎のラウンジの片隅に「パティスリー&ベーカリーあっこ」なんてのが、店開きをするかもしれない。


5月13日
コニファーガーデン
先週帯広の真鍋庭園で買ってきたコニファーを、今日は夫が一人で、一緒に購入した樽やテラコッタに植えて、庭に配置した。毎年、車に積めるだけの木々や鉢を帯広から買ってきて、せっせと庭に植えて、もうかれこれ6、7年。気がつくと、たくさんのコニファーが、薫風舎の裏の庭や、玄関、デッキを彩ってくれるようになった。木の種類により、微妙に違う緑のコントラストが面白い。
ひと冬を越すと必ず何本かは、寒さや雪、ねずみなどにやられて、枯れてしまう。それでも残った木々は、毎年ひと回り大きくなっている。始めは殺風景だった裏の庭も、ずいぶん格好がついて、今年は行かなくてもいいか、とも思ったが、年に一度の楽しみでもあるので、3人で出かけた。
大きな樽や鉢に植えられた新顔のコニファーが加わり、またほんの少し、庭の雰囲気が変わった。


5月12日
小原アスパラついに登場!
9日から、帯広に木を買いに行っていた。4月20以来の疲れがたまりにたまって、三人かなりへろへろだったので、思い切って2泊することにした。私たちの数少ない常宿、帯広北海道ホテルに、夢の2泊だ。(その時の模様は、近々、なかなか更新できない「薫風舎日記」にでも書こうと思う。)昨日、チェックインの時間に間に合うように、大急ぎで帰ってきたら、隣りの小原さんがアスパラを採っていた。待ちに待った、露地アスパラ解禁だ。
メインディッシュが終わった頃、厨房の調理台の上の皿にもられた、お客様にお出しして余ったアスパラを一つつまんだ。目が、皿のように丸くなってしまった。甘い。びっくりするほど。4月中旬からお出ししていたハウスのアスパラも、太くて柔らかくて、十分おいしいと思って食べていた。でも、小原さんの露地アスパラは、また別のものと思われるほど味が濃くて、ぶっ倒れそうになった。
今日は、2泊3日の強行軍で、掃除が終わる頃には三人またまたへろへろだ。アスパラをあきれるほどたくさん切って、ニンニクアスパララーメンをお昼に食べた。アスパラの甘味が、疲れた体に染みわたった。


5月09日
強力助っ人
毎年、自分達でやっている野菜の種まき。今年はとうとう手がまわらず、SOSを発した。いつも、6月くらいから、何度か畑や庭のことでお世話になる、薫風舎の強力助っ人、高齢者事業団の方々に、昨日は人参、大根、ビーツの種まきをお願いした。私たちだけなら、丸一日はかかる仕事を、ものの1時間あまりで、しかも見事にまっすぐな筋で、完了してくれた。
どうにも外に出る時間がとれず、気が重たくて仕方がなかったので、ほっと胸をなでおろしているところだ。ここまで来れば、あとはちょっとの時間を利用して、豆類や、葉もの、いろいろな野菜を少しずつ植えていけばよい。
今日、明日の二日間は、ちょっとのんびりしようと思う。


5月08日
トラクターとの格闘
数年前に購入した中古のトラクターは、うちにはなくてはならないものだ。冬はバケットで除雪を、春先はそのバケットにテーブルや椅子を乗せてデッキまで運ぶ。そして、いよいよこの時期になると、バケットからロータリーに付け替えて、畑を耕す。
このトラクター、なかなか頑固で夫をいつもてこずらせる。冬気温が下がると、動かす1時間以上前から、バッテリーを充電しておかないと、エンジンがかからない。かなりの年代物なので、どうもあちこちガタが来ている。最も頭が痛いのは、バケットとロータリーの付け替えだ。ねじや金具が古くて、思うようには外れてくれないし、それをつけるのがまたひと苦労なのだ。季節の変わり目、夫は、いつも気が重たくなるようだ。隣りの小原さんや北村さんを捕まえて手伝ってもらったこともあるが、この季節に、忙しい手を煩わせるのは、気がひける。仕方がないので、農協に頼んだら、何万も取られてしまった。
今日は、いよいよお尻に火がついた。朝早くから、外に出て、夫はトラクターと格闘していた。私もあっこちゃんも手伝えないので、一人でやるしかない。ときどき様子を見に行くたびに、顔つきはこわばり、不機嫌さが増していくようだ。手も服もまっくろだ
ようやく2時間あまりで、付け替えが完了。薫風舎の小さい畑は、きれいに耕された。これから少しずつ時期をずらして、野菜の種まきが始まる。


5月07日
雪山
今日は、朝から気持ちよく晴れわたっている。朝食を終えると、お客様も私たちも、みんなデッキに吸い寄せられるように集まり、椅子に座って、山と空とゆるやかに吹く風を楽しんだ。
昨日、粉砂糖のようにかぶっていた十勝岳の頂上あたりの新雪も、もうすでに高くまで上がった太陽の光を浴びて、ほとんど溶けてしまったようだ。山々の残雪も、この数日で、一段と少なくなった。それが、かえって白の存在感を際立たせているように思う。


5月06日
林の中
GW中、愛山溪を拠点に山スキーを楽しんだ千葉さんグループが、昨日は山を降りて、薫風舎での一晩を過ごされた。今朝、朝食を終えると、みんな裏の林の中に入って、なにやらごそごそと下のほうを見ている。
ちょうどムックとティンクの散歩から帰ってきた私は、気になって、林へと向かった。ティンクは警戒して、じっとデッキから動こうとしない。
「この黄色い花は何ですか?」私が近づくと、千葉さんの奥様が言う。わたしは、そういうのはからっきしダメで、花を見る前からわからないと思ってしまった。小さく鮮やかな黄色の、星のような形をした花だ。その脇には、オオバナノエンレイソウという、白い草花にしては大きく可憐な花が、もういくつも咲いていた。ラウンジにもどって、野草の図鑑を開くと、その黄色い花は、「ナニワズ」という小低木であることがわかった。夏にはもう落葉して、葉がなくなってしまうそうだ。千葉さんグループは、そのあと、白金街道の向うの川辺まで、また散策に出かけた。誰もいなくなったラウンジで、本当に久しぶりに草花図鑑をめくりながら、もっとこういう楽しみ方をしなくては、とつくづく思った。ゆとり無く日々暮らしていくうちに、季節はどんどん移りすぎていく。


5月05日
日向を探して
野菜やハーブの苗作りが始まると、気が抜けない。まだまだ気温が低いので、小さい温室に入れたり、ビニールをかけたりしているが、それでも朝晩の冷え込みはきついから、室内に入れなければならない。
少しでも日光を当てたいので、朝、気温が上がってくると、日なたに出す。その時の温度調節も大切で、日差しが強くなってくると、ビニールをすかしたり、温室を開けたりしないといけない。うっかりしていると、干からびてしまう。風が強まったり、気温が低くなれば、また閉じる。日なたも、刻々と変わっていく。その度に、鉢や温室を持って、移動する。夕方は、夕食の仕込でバタバタしているので、うっかり室内に入れ忘れることもしばしばだ。ついこの前も、デッキに一晩出しっぱなしにしてしまい、朝、気がついた時には、バジルの一鉢が凍ってしまった。
それでも、今年はかなり気合いを入れて、苗床のお日様移動をしている。ルッコラやエンダイブ、ズッキーニの芽がだいぶ大きくなった。ハーブの寄せ植えも、先日凍った分以外は、順調におおきくなって、もうすでに、薫風舎の食卓で活躍している。
連休が過ぎたら、今度は本格的に外の畑作りが始まる。


5月04日
玄関前の畑は?
薫風舎の玄関前の、笹本さんの畑。一番奥は、秋蒔き小麦が青々と、もうずいぶん伸びて風になびいています。その手前は、アスパラの苗。もやもやっとかわいい緑の、アスパラの赤ちゃんが、これから育つ所です。一番手前の畑を数日前に耕して、黒々とした土が奥の緑に映えて、とてもきれいでした。
昨日、朝早くから、その畑の作業が始まっていました。厨房からのぞいて、みんなでなんだろう?とわくわくしていました。コンテナの感じからジャガイモかな?あの機械は、ちがうだろうか?などと話していました。お客様のお見送りに玄関を出ると、その耕された土の道路っぷちに、笹本さんご夫妻が腰をおろして休憩をしていました。走っていって、何を植えているのか伺うと、農林一号という品種のジャガイモだそう。「夏は、真っ白な花が咲くよ。なんか、薫風舎さんのために植えているみたいだなー。」といって、ご主人が笑いました。おお!それは嬉しい。客室の窓から見下ろすと、真っ白なジャガイモの花が、まるで絨毯のように見えることでしょう。
今日は、久しぶりの雨が畑を潤しました。ジャガイモも、きっと土の中で、ふっと芽を出しているに違いないと思ったのでした。


5月03日
聖台ダムの桜
昨日、バタバタと掃除を始めてから、思いついた。思いつくと行動してしまうのが私たちだ。聖台ダムの桜を見に行こう。忙しい最中ではあるが、今日行かないとおそらく見損なってしまう。掃除のピッチを一段上げて、滞在中の石井さんを無理やり誘い、11時半頃出発した。
風は強いが、お天気はすこぶる良い。先ず国道沿いのセブンイレブンまで走った。街に入ると、両脇の桜も満開に近く咲き誇っていた。セブンイレブンに駆け込み、北海道限定幕の内御膳を4つ、手早く買い占め、聖台ダムに向かった。
涼しげな水辺に山桜がたくさん、7、8分咲きくらいだろうか、風に吹かれていた。だが、桜に近づくよりも、先ずは食事だ。道路の向かい側の椅子とテーブルを見つけて、お弁当をひろげた。桜とダムと残雪の山々。吹きすさぶ風はきつかったが、北海道限定幕の内御膳は、格別の味であった。
東京のソメイヨシノとは風情の違う、北風に耐える山桜の素朴な花々は、周りの風景とあいまって、独特の雰囲気を見せてくれた。
聖台ダムのもう一つの楽しみは、ダムと桜を見下ろす丘の上にある「絵織りの丘」という喫茶店だ。奥様が美瑛の丘を模した織物作りを、ご主人は、全国各地を歩いて、陶芸品を集めて販売されている。玄関を入ると、コーヒーカップや茶碗、皿などが、ところせましと並べられ、「今日は買わない!」と心に言い聞かせても、必ず帰るときには手にたくさん抱えてしまう。
奥のフロアは、喫茶店マニアの私にはたまらない空間である。ダムを見下ろしながら、みんなでゆったりとコーヒーやお茶を飲んだ。(ホントはデザートも。)気持ちのよいひと時に、いつまでも留まっていたかったが、睡魔が襲ってきた。今度は、いつこれるかなあ、と思いながら、聖台ダムを後にしたのだった。


5月01日
スノーシューの災難
冬の間玄関の横に掛けておいたスノーシューが、そのままになっていた。フロントのところの勝手口の窓から良く見えるので、通るたびに、片付けなきゃと思っていた。夫の方は、なんとなくカッコが良いから、そのまま掛けておいてもよいかなと思っていたらしい。
先日、チェックアウトのお客様が、あっ!と言って、フロントに立っていた私の後ろを指差した。振り向くと、ワラをくわえたシジュウカラがすぐそこまで来ていた。そのワラを、あろうことか壁にかけてあるスノーシューの一つに詰めているのだ。よく見ると、その一番手前というか、外から見ると一番奥のスノーシューと壁の間には、もうすでに、ワラがぎっしり詰められていた。しばらく唖然としていた私たちは、思わず吹き出してしまったのだった。
それから、朝になると、厨房の換気扇を通じて、せっせと巣作りを続けるシジュウカラの鳴き声が間近に聞こえる。その声を聞いていると、とてもスノーシューを片付ける気にはならなくなってしまった。困ったなー。高かったんだけどなあ。と、ぼやきながらも、いつ卵を産むか、無事に雛がかえるか、フロントを通るたびに、窓からワラの詰まったスノーシューをちらりと眺める。


4月30日
楽しみな瞬間
旭川で仕事があるので、昨日妹が札幌からやってきた。新しい絵を車に積んできてくれた。今朝、廊下の絵を一年ぶりに交換した。宿泊棟側の3点を新しいものに替え、しばらくそのままだった、玄関の2点を交換した。あと2点、今まで飾っていなかった壁面に展示することにした。
薫風舎の設計がおおかた決まったときから、宿泊棟とラウンジを結ぶ渡り廊下の白い壁は、札幌で絵を描いている妹に提供しようと決めていた。そしてオープン以来、玄関を開けると、はっとするような鮮やかな色彩の絵画が、薫風舎の顔として、真っ先にお客様をお出迎えすることとなっている。
それから1、2年に一度、作品を入れ替えるたびに、玄関と廊下の雰囲気ががらりと変わる。お客様はもちろん、私たちにとっても、楽しみな瞬間である。これからおいでになるお客様には、そんなことを少しだけ心に留めて、薫風舎の玄関を開けていただければ、と願ってる。


4月29日
アスパラの幸せ
実は、もうすでに2週間ほど前から、アスパラの幸せが始まっている。小原さんの露地物は、もう10日くらい待たなくてはいけないが、ムックの娘(推定)ねねちゃんの家、秋山さんのハウスのアスパラが、今最盛期なのだ。
お客様に、親指ほどもある茹でたてのアスパラを食べていただく時の喜びは、計り知れない。そして、自分たちも、これから6月いっぱい、朝、昼、夜と、その幸せを味わうことができると思うと、毎年のことながら、よだれが出てしまう。
この季節のお昼の定番といえば、なんといっても、アスパラとタコのペペロンチーノだ。冷蔵庫から、前の晩あまったアスパラを鷲掴みに取り出す。ニンニクをみじん切りにして、これまた残り物のタコを無造作に切る。最近は、荒めのミンチにするのが好みだ。フライパンにたっぷりのEXヴァージンオリーブオイルと赤唐辛子、ニンニクを入れて、熱する。いい香が鼻をくすぐる。長くなるので、この先は割愛する。非常にシンプルな料理なのだが、パスタの湯で加減と、フライパンを熱し始めるタイミングが、すべてを支配する。まかないといえども、ここは絶対に手を抜けないところだ。厨房に、緊張感が走る。そして、皿に盛り、お昼だけの特権、メインテーブルで、これを三人無言で急いで食べる。急いで、というのは、麺が伸びる前にというのもあるのだが、一刻一秒でも早く、休憩をしないといけないからだ。そんなことはさておき、このひとときの幸せが、夜遅くまでにこやかに仕事をするために、どうしても必要なのだ。


4月28日
満月
昨日、夕食後のピアノを弾き終わって、ちょっと外の空気を吸いに玄関の外に出た。大きな満月が、目に飛び込んできた。ちょうど美瑛富士の上のあたり、真珠のような輝きで、満月は、あたり一面を照らしていた。新雪をまとった十勝岳連峰や、その奥のトムラウシまでも、山肌のごつごつとした陰影がくっきりと浮かび上がっていた。ぴんと張り詰めた冷たい空気の中、周りの木々や畑も、建物も、みな月の白みを帯びた光に照らされて、別の世界のもののように見えた。
久しぶりににぎやかな夜のひとときを終え、12時をまわった頃、ラウンジから窓の外を見ると、月は裏の林の左上へと移動していた。


4月27日
太陽のちから
GW幕開けは、雲ひとつない良いお天気となった。暖かな日差しをたくさん浴びて、昨日植え替えたばかりのハーブや鉢植えのパンジー、庭の芝生や木々も、みんな生き生きとしている。こんなお日様の下では、人間も生き生きする。なんだか、みんな鼻歌まじりで仕事をしている。日向に置いて暖めていた土に、今日は、ルッコラやエンダイブ、ズッキーニの種も蒔いた。
この二日ばかりの冷え込みで、十勝岳連峰の山々は、眩いばかりの新雪をまとっている。裏の小原さんの桜のまだ固い蕾が、この陽気で、ほんの少しでもふくらんでくれないかな、と思う。


4月26日
がんばろう。
今日は、朝からとてもよいお天気だったので、早くから3人で外仕事をした。ハーブの植え替えや、玄関のところにかなり残っていたパンジーやコニファーの寄せ植えを、一気に片付けた。気温はあまり高くないが、日が差すとすがすがしく気持ちが良い。山鳩や、小鳥の鳴き声がのどかに聞こえて、仕事がはかどる。ムックとティンクも、のんきに寝そべっている。
が、しかし、時間は刻々と過ぎていた。時計を見ると、11時をまわってしまった。客室やラウンジの掃除をしてしまわないと大変だ。そういうときには、急に来客や思いがけないことが起こるもので、気持ちは焦れど、ことはなかなか進まない。なんだかバタバタしているうちに、もう2時だ。そんなことを書いていたら、夫がため息をつきながら、通り過ぎた。
ああ、シーズンが始まったんだなあ、とつくづく思った。とにかく、ひと休みして、夕方からの仕事を、がんばることにしよう。


4月25日
密やかな楽しみ
毎日お昼過ぎから、ピアノの練習をする。脳も指もまだ眠っているので、指慣らしにハノンやエチュードなどを、ボーっとしたままはじめる。何も考えずに、なるべく脱力して指を動かしながら、目に映る景色を眺める。畑の向うのカラマツが、うっすらと緑がかってきた。周りの白樺も、雑木も、毎日少しずつ緑が濃くなってくる。一昨日あたりから、川辺の2本のこぶしが咲きはじめた。クリーム色の花が、くっきりとたくさん。
毎日少しずつ変わっていく景色を眺めていると、だんだんと指先にも、脳にも、血が通ってくるのがわかる。私の、毎日の密かな楽しみである。


4月23日
野うさぎ
昨日、厨房で手打ちパスタを作っていた夫が、大声をあげた。ちょうど外出先から電話をしてきたあっこちゃんと話していた私は、何事かとびっくりして、電話をそのままに、夫の元へ飛んでいった。夫は、固まったまま窓の外を指差している。うちの小さい畑の、先日掘ったときハネた人参が散らばっているあたりだ。恐る恐る見ると、大きな野うさぎが、人参をポリポリポリポリかじっている。薄茶色のふわふわのウサギだ。それをそばで小鳥が見ているのが、なおかわいい。いったいどこから来たのだろう。
夫は、慌ててデジカメを持って玄関の外に出た。私は、あっこちゃんを待たせていることを思い出し、電話で口早に事情を説明した。急いで電話を切って、外に出ようとすると、夫がもどってきた。撮った写真を見ると、畑の土と人参にまぎれるように、保護色の小さい固まりがかすかにわかる。本物の方は、気配を感じて、さっさとどこかへ消えていってしまった。


4月22日
ハスカップ
今日はハスカップを使って、私はジャムを、夫はシャーベットを仕込んでいます。
ハスカップは、苫小牧の近くに群生しているのを発見されて以来、お菓子やワイン、ジャムなどに利用され、今では北海道の特産品として栽培されています。ブルーベリーよりも少し長細い形をしていて、ずっと赤味が濃く、酸味が非常に強いのが特徴です。アスパラで薫風舎ではすっかりお馴染みの小原さんのうちで栽培していて、オープン以来、7月下旬の収穫の時に一年分を分けていただき、冷凍庫に保存して、ジャムやシャーベットなどに利用しています。
薫風舎のちょっと先に潅木の畑があって、アスパラの次期が終わるとすぐに、一家総出で収穫が始まります。数年前TVの収録で、私は木からもいで一度だけ生を口にしましたが、あまりのすっぱさと渋さに、レポーターのピンクの電話の都さんとふたり、吹きだしてしまいました。
これが加工すると、鮮やかな赤紫の濃厚な味わいの、おいしいジャムやお菓子になります。これからシーズンに入ると、このジャムやシャーベットなどを、何度作るでしょうか。今年は、お肉やお魚のソースとしてもつかえないかと思案中です。


4月20日
デッキチェア
デッキに椅子が並べられると、いよいよ夏のシーズンの到来という感じがする。薫風舎には、館内から出られるデッキが3ヶ所ある。一つは、プライベートルームのデッキで、ここはほとんど利用されることはない。十勝岳連峰に向かったラウンジの正面のデッキは、目の前に畑と山々が広がり、本当に気持が良い。
昨日ここに夫が、納屋にしまってあったデッキチェアやテーブルつきの椅子などを並べた。これからのシーズン、お天気が良いと、お客様はたいていこのデッキに出て、椅子に寝そべって、コーヒーなどを飲みながらボーっと景色をながめたりする。吹きぬける風が心地よくほほをくすぐる。ティンクとムックも、ここで寝そべり日向ぼっこをしている。
もう一つは、玄関を入ってすぐ目の前、渡り廊下の所にある。ここは、裏の林やコニファーガーデンに囲まれ、実は山も良く見える。このデッキは、ラウンジ前に比べるとあまり利用されないように思うのだが、木に囲まれて落ち着くし、私はちょっと疲れたときなど、テーブルにひじをついて、ここでちょっとひと休みしたりするのが好きだ。
さあ、デッキチェアがスタンバイして、いよいよシーズンが始まる。


4月19日
歓迎の思い出
数年前に2度ほど行った、東京蒲田の中国料理店がある。先日、私たち同様おいしい物好きの、美瑛の知人宅へおじゃましたときに紹介したら、早速今朝、旅先から速報メールが届いた。それを読んでいたら、私たちがはじめてそのお店に行った時と、まったく同じような感想が書かれていたので、嬉しくなった。
JR蒲田駅から横浜方向へ3分ほど歩いたところに、そのお店はある。「歓迎」と書いて「ホアンヨン」。5年ほど前に雑誌を見て、わざわざ餃子を食べに行った。お世辞にもきれいとは言いがたい店内は、外から見るよりもだいぶ広く、ちょっと雑然としていた。私たちと同じくらい食いしん坊の友人田代裕美と3人で、あまりのメニューの多さに舞い上がり、とても三人とは思えぬ量の料理を注文した。漢方入りのスープを練り込んだ餡を自家製の皮で包み、仕上げに水時の片栗粉を流して羽をつけた焼き餃子は、ジューシーで、今でも思い出すとよだれが出る。生の白菜の千切りサラダを頼んだら、ものすごく細く切って揚げた、カリカリのサツマイモがかかっていて、次の年に行った時も注文した。
料理もさることながら、私たちの心に強く残っているのは、そのお店の雰囲気だ。たくさんのテーブルを囲んで、大勢の人たちが食事をしていたのだが、どの顔も、みんな驚くほど幸せそうな顔をしているのだ。人が多くてざわついているので、お客さんが喋っている言葉は良く聞き取れない。日本人なのか、中国人なのかもわからない。店内を見わたすと、まるで中国か東南アジアの食堂に入り込んでしまったようだった。そして、みんなニコニコと、おいしいものを口に運んでいる。店全体が幸福感に包まれているような雰囲気に圧倒され、テーブルの上に置かれたたくさんの料理も、3人で見事に平らげられたのだった。
「おいしい」ということは、こうでなくてはいけない。と、今朝のメールを読み返しながら、改めて思い直したのだった。


4月18日
ふわふわオムライス
今朝、はなまるマーケットでふわふわオムライスが流行っている、というのをやっていた。チキンライスの上に、半熟のオムレツをのっけて、真ん中からぱかっと割ると、ふわふわとろとろの卵が、ごはんの上に広がる。
今年から、ご近所の農家の平飼いの卵を分けていただいている。飼料にもこだわって丁寧に飼われている鶏の卵だ。これが、黄身の色も味も濃くて、ほかのものとは全然違う。薫風舎人気メニューのキッシュや朝のオムレツも、格段に美味しくなったように思う。
この卵で、ふわふわオムライスを作ったらさぞかし美味しいに違いないと、さっそくお昼に作ってみた。いや、本当は、わたしは冬物衣類の整理に追われていたので、夫とあっこちゃんが二人で作ってくれた。廊下で、山のようになったフリースやセーターを押し込めて圧縮袋と格闘していたら、どうにもいい匂いが漂ってきた。やがてあっこちゃんが、目を輝かせて迎えに来てくれた。ラウンジに行くと、もう厨房のテーブルには、とろとろの卵をのせたごはんが皿に盛られている。ごくりと生唾を飲み込んだ。トマトの特製ソースをフライパンで温めなおして、上にかけたら、もう出来上がりだ。
ひとくち食べると。くーっ!!ふわふわの卵が口の中で、とろーりととろけて、ごはんとソースとの絶妙なバランスが、もうたまらない。これはおいしい!!みんなで、自我自賛しながら、大盛のふわふわオムライスは、あっという間に三人の胃袋の中へと消えていったのだった。


4月17日
強力助っ人あっこ帰宅
一ヶ月ほど、郷里愛知に帰っていたあっこちゃんが、今日いよいよ薫風舎へ帰ってくる。昨日電話で、「やっぱりあっこちゃんがいないと、うちは全然ダメだわ。」と言っておいた。それはほんとで、昨日など、二人で朝からカウンターまわりの掃除をしたら、散らかる一方で遅々として進まず、夜までかかってもまだスッキリしなかった。いいかげんふたりともうんざりして、すっかり自暴自棄に陥ってしまったのだった。「あっこちゃんさえいればなあ、こんなことにはなんないのに。」なーんてこと書いたら、きっと出発の準備をしながら、携帯で日記を読んで、ニンマリしていることだろう。
なかなか片付かない薫風舎を後に、買い物がてら迎えに行ってくるとするか。


4月16日
春すすむ
2、3日前から、裏の林のなかに、鮮やかなやまぶき色の花がたくさん咲いている。福寿草だ。さっき、ティンクをつれて、ぶらぶらと行ってみた。近くに寄るとそのすぐ脇に、エゾエンゴサクもひっそりと青い花を咲かせていた。
まだ冬囲を取っていないコニファーガーデンの下のほうにも、2年ほど前に植えた球根からちゃんと芽が出て、白地にくっきりとかわいいストライプの模様の花をつけている。その奥には、いつ植えたか記憶にないのだが、青いクロッカスも咲いている。これから食卓で活躍するハーブたちも、毎年律儀に芽を出してくれる。枯れた芝生も、毎日見るたびに青いものが増えてきた。春がすすんでいる。


4月15日
人参掘り
今日は、畑の人参掘りをした。去年の夏に、越冬用に植えた人参だ。じゃがいもは、収穫したものを土の中にいけておくが、人参はそのまま収穫せずに放って置く。ひと冬雪の下で過ごした野菜は、驚くほど甘くなる。人参など、みずみずしくて、生で何もつけずに食べてもすごく美味しい。無農薬で、化学肥料も使わないので、形も悪いし少し小さいが、安心してかぶりつけるし、何よりも味が濃くて本当に美味しい。
昨日、近所の農家の人たちに聞いたら、今年は暖かいので、4月20日過ぎには種まきを始めるとのこと。人参を収穫したら、いよいよロータリーをかけて、薫風舎の小さい小さい農園が活動を開始する。


4月14日
日曜を味わうーその3
東京で、のんびりと、しかしとびきり内容の濃い日曜日を堪能したのは、ちょうど一週間前のことだ。時計を見ると(といっても、この頃はもっぱら携帯にたよっている。)、3時半をまわっている。Bunkamuraのミニシアター、ル・シネマでは、チャン・イーモウ監督の「活きる」をやっている。朝から、夫はこれを観たいと言っていた。観れば、もうきょう一日が終わってしまう。ドゥ・マゴでグレープルーツジュースをすすりながら、どうしようかと迷った。確か4時頃から3回目の公演が始まるはずだった。とにかく上に行ってみようということになった。
チャン・イーモウ監督の「初恋のきた道」を、この冬DVDで観た。すごくいい映画だった。ずいぶん前に「紅いコーリャン」も観ていて、この監督の作品は全部観たいと思ったほどだ。旭川には、商業ベースに乗った流行りの映画しか、ほとんど来ない。いい映画を観る機会は、驚くほど少ない。6階でエレベーターを降りる頃には、気持は決まっていた。受付に向かうと、4時の回は満席だった。7時からの上映の予約をして、時間をつぶすことにした。
「活きる」は、1994年の作品だ。初期の「紅いコーリャン」とも、最近の「初恋のきた道」「あの子を探して」とも違うタッチで描かれていながら、何か根底には、イーモウ監督の求める同じものが流れているように感じる。
1940年代から60年代、中国の困難な時代を生きぬく主人公と家族の物語。歴史の大きなうねりの中にあって、翻弄されながらも、自分の足元だけを見据えて、必死で生きていく。シアターを出て、小雨の渋谷の雑踏のなかにまぎれても、地下鉄に乗ってホテルに帰ってからも、そして今なお、ズンとお腹の底に響く作品だった。


4月13日
日曜を味わうーその2
今度東京に行ったら、渋谷のBunkamuraをぜひ訪れたいと思っていた。コンサートや映画を観なくても十分に楽しめると、1月に滞在された石井さんから、ずいぶん話しをうかがっていたからだ。
NHKのあたりから小路を歩いて、オーチャードホールある3階から中に入った。とりあえず石井さんおすすめのカフェテリア、ドゥ・マゴ・パリでお茶でも飲もうと、地下1階まで降りた。吹き抜けになった程よく明るい地下のフロアに、たくさんの丸テーブルが置かれていたが、日曜の午後を過ごす人たちで、どの席も一杯だった。ふと見ると、小さいがとてもきれいな本屋さんがあったので、入ってみた。
入るとすぐ右手に、きれいな装丁の、とてもセンスのよい絵本が並べられている。その中の「作家」という一冊が目に止まった。ゴフスタインという女流作家の本だ。谷川俊太郎が訳をしている。ページを開くと、すぐに引き込まれた。ゴフスタインのフェアをやっているようで、同じ作家の作品が数多く並べられていた。次々と手をのばして、しばらく読みふけってしまった。特に気に入った「作家」「ふたりの雪だるま」という2冊を買うことにした。2冊を手にとって、先に進むと、どうにも懐かしい本が目に飛び込んできた。「ブレーメンのおんがくたい」。小さい頃、妹とふたり、いつでもそばにあって何度も読み返していた、ハンスフィッシャーの絵がなんともコミカルで美しい、大好きな絵本だった。その後どこに行ったか、すっかり記憶の外にあった。こんな所で、ふたたび出会えるなんて、思ってもいなかった。迷わずそれも手にとった。後から、妹の分も買えばよかったと後悔した。
絵本のコーナーを進むと、ほんの少しだがCDが置かれたコーナーがあった。みると、非常に興味深い、めずらしいライブラリーだ。書籍や画集、ちょっとした雑貨も、非常に厳選され質が高いように感じた。そんなに広いスペースではないのに、内容が濃くて、居心地が良い。絵本のほかにCDや本も購入して、少し興奮気味に店を出ると、ちょうどカフェの席が空いた。グレープフルーツジュースを頼んで、これからの作戦を練った。


4月11日
日曜を味わうーその1
3日目の朝は、ゆっくりと起きた。朝食は9時までだが、なかなかベッドから起きられなかった。とりあえず着替えて淡路町交差点のスタバまで、二人でぶらぶら歩いた。日曜日のお茶の水界隈は、静かだった。
ホテルにもどって、引っ越したばかりのピアニストの小林さんに電話をした。新居に遊びに行くことにした。新宿から小田急線でふた駅。改札を出ると、細い道沿いの商店街が、いかにも東京の私鉄沿線といった感じで、のんびりしていて心地よかった。明るくて静かな、とても居心地の良いマンションで、ひとしきりおしゃべりをしてから、みんなで近くのイタリア料理店に、ランチを食べに行った。
代々木公園のちょうど裏手にある、小さなイタリア料理店は、とても感じがよく、美味しかった。アンティパストも、パスタも、メインも、どれも手が込んでるのに全然くどくなく、素材の味が生かされていた。野菜の種類も量も豊富で、筍やいろいろなキノコなど、味だけではなく食感も楽しめた。小さい右門君のために、希望に添って、特別なものを出してくれる心遣いも、素晴らしかった。ぜひまた行きたいお店だ。
日曜の昼下がり、ゆっくりとランチを楽しんで、小林ファミリーとわかれて、私たちはNHKの脇のストリートパフォーマンスを横目で見ながら、ぶらぶらと渋谷へ向かった。目的地は、道玄坂のBUNKAMURAだ。〜続きはまた明日。


4月10日
無事帰宅
4月5日から4泊ほど東京へ行ってきました。お茶の水のホテルの近くの、スターバックスコーヒーを朝に夜にと、よく利用しました。交差点側のカウンターに座って、ふたりでラテをすすりながら、道往く人たちを眺めていると、うちに来られるお客様は、みんなこうやって、朝早くから夜遅くまで、毎日忙しく働いておられるんだなあ、と毎度のことながらあらためて感じました。
夕べおそく薫風舎に到着すると、なんと静かなこと。空気のおいしいこと。街の疲れがすうっと楽になったような気がしました。
薫風舎へ疲れを癒しに来られる皆さんに、どうかゆっくりしていただけますように。これから20日まで、夏のシーズンに向けての準備を(今日は動けないので明日から)頑張ろうと、気を引き締めているところです。
東京でのおいしかったこと、楽しかったこと、よかったこと、明日からぼちぼちご紹介していきます。


4月04日
春の話題
突然激しい雨が降ってきた。これで、庭や畑にわずかに残った雪の塊も、一気に小さくなってしまうだろう。今年は、デッキの前の畑には、何が植えられるのか、楽しみになってきた。また、種を蒔く前に、キカラシや何かほかのお花を咲かせようか、などと、お昼を食べながら二人で話した。まわりの景色が変わってくるにつれて、今年は何の野菜を植えようか、とか、庭はどうしようかとか、自然とそんなことが頭に浮かんでくる。


4月03日
丘の緑
日を追って、土の部分が多くなってきた。畑の雪が融けると、すぐに秋蒔き小麦の緑が目につく。昨日夕方車を走らせて見たら、パッチワークの丘のほうは、もうすっかり春の景色だった。小麦の緑が、夕日を浴びてすがすがしかった。


4月02日
働いてます。
先ほど、ご常連宮崎さんから電話があった。私が電話に出ると、「あれ、だれ?」。「誰って、いったい?」と思いながら「私です。」と答えると、まだ腑に落ちない様子だった。わけがわからない。よくよく話しをうかがうと、4月1日から20日まで薫風舎がお休みなので、のんびりと旅行にでも出かけていると思われたらしい。昨日は、母からも電話があった。「どお?のんびりしているんでしょ?」と言われてしまった。どうやら、そう思われている方が多いらしいが、とんでもありません!!昨日も今日も時間に追われて、夢にうなされる毎日である。
冬の間からたまりにたまっている仕事と夏の準備で、どうにも身動きが取れない。ゴールデンウィークから夏のシーズンが始まる。その前にして置かなければならないことが山積みで、その準備期間がどうしても必要だ。それで、お休みをいただくことにした。間に5日ほど東京にも行くので、その日を除くと、それでも時間がとても足りない。やらなければならないリストの、どれだけ片付けることができるか、はなはだ自信がない。こんなことを書いていると、ますます追い詰められた気持になるので、今日はこの辺で。


4月01日
コーヒーブレイク
のっぴきならない春だ。朝起きると、昨日にひきつづきよいお天気で、ずっとできなかった衣類の整理をしようと窓を開けると、爽やかなひばりの声が聞こえた。午後から、これも久々に、腰を落ち着けてピアノの練習を始めた。なかなか仕上がらない曲に、イライラしながらふと目を上げると、十勝岳連峰が、春の日差しに真っ白い雪を輝かせて、くっきりと見える。時計を見ると午後4時なのに、まだ日が高い。ひと休みして、コーヒーでも飲もうか。そうだ、コーヒーを落としている間に、今日のひとことを書こうか、と思った。ああ、コーヒーのいい匂いがしてきた。


3月31日
美瑛への道
冬の薫風舎、最終日を飾ったのは、実家の隣りの島崎医院のご一家でした。島崎さんには、祖父母、両親、そして私たち姉妹夫婦と、もう20年以上にわたって、この上なくお世話になっています。一度、薫風舎へご招待したいと考えていましたが、先生はもちろん、5人の子供たちもみな多忙で、なかなかかないませんでした。このたび、三男龍太郎君がアイルランドの医科大学に進学するため、送別会を兼ねて、東京に行っている小太郎君を除いた家族全員(島崎ご夫妻、長男太郎君、朝子ちゃん、華子ちゃん)と、龍太郎君の山形の高校の友人二人、それに私の実家の母もそろって、やってきてくれました。
ところが、昨日出発前、母から電話をもらい、びっくり。午前中の診療を終えて、太郎君の運転で来るのは6名。龍太郎君と友人二人は、すでに10時に無銭で出発して、ヒッチハイクで薫風舎へ向かったというのです。まあ、小さい頃からよく知っているので、さほどは驚かなかったのですが、いつ到着するやら見当もつきません。今日中に無事に着くことを祈って、みんなを迎える準備をしたのでした。
5時過ぎに、車組みが到着。私が札幌でピアノを教えていた(当時小学3年と1年)朝子ちゃんと華子ちゃんは、すっかりいいお嬢さんになって、別人のようでした。ラウンジで、お茶を飲みながらヒッチハイク組みの噂をしていたら、玄関の開く音がしました。「こんにちはー!」青年3人は、さして疲れた表情も見せず、思いのほか早く薫風舎へと到着したのでした。4台の車を乗り継ぎ、7時間半ほどで。途中、何かあったら困るからと1000円とオレンジジュースをくれた方もいたそうです。
今朝、ちょっと遅めの朝食が済むと、また、小さいリュックを背負って、二人は出発していきました。あれ、あとの一人は?と聞くと、昨晩ゲームに勝って、晴れて車組みとなったそうです。


3月30日
湿った雪
今日は、朝から湿った雪が降っている。畑の雪が融けて、土が見え始めたところや、まだ枯れた芝生の上にうっすらと積もっている。雪解けの汚い景色を、少しの間隠してくれて、人間の方も、ほっとひと息ついているところだ。


3月27日
復活への道(きのうのつづき)
仕事となれば、何とか体も動くものだ。とはいえ、三角巾で手をつっているので、左手だけでうろうろするしかない。14名分の食事を作って出して、片付けて、といういつもの工程を、夫がほとんど一人でこなして、何とかその日を終えた。朝食が終わると、今度は掃除だ。ちょっと揺らすと激痛が走るので、布団もたためない。洗面台を洗うのもきつくて、だんだん滅入ってきたのだった。
当然のことながら、その日受けるはずだったピアノのレッスンは到底無理なので、前日中村先生にお断りの電話をした。それは仕方ないとしても、4月6日の東京の合わせまでには、どうしても曲を完成させなければならない。そのことを考えると、絶体絶命の状況に頭がぼんやりしてきた。ええい、こんな時は考えるのを止めるこった。朝里まで、先生の顔を見に行こう。そして、妹の個展も観てこよう。今年はまだ一度も実家へ帰っていないので、お昼過ぎに二人と2匹は朝里に向けて出発した。
久しぶりに、中村先生ご夫妻のお顔を拝見したら、とたんに気持が楽になった。犬の話や音楽の話に、あっという間に楽しい時間は過ぎていった。そのあとギャラリーミヤシタに駆け込み、宮下さんと再会。久しぶりに家族揃っての夕食。次の日は、数年ぶりに高校時代からの親友と会って、夕方までおしゃべりを楽しんだ。7時過ぎに、青空餃子店で両親と夕食を食べて(まだ左手で食べていた。)、美瑛に向かって出発する頃には、もうすっかり上機嫌だ。
気持が上向けば、体も良くなるものだ。月曜の朝には、三角巾は取れ、右手を自分で動かせるまでになった。今日は、ピアノの練習を再開した。こればかりは、数日のブランクを取り戻すだけでも厄介で、間に合うかどうかと思うと、相変わらず頭が痛いが、まあ、やれるだけやるしかないと思っている。


3月26日
もうじき復活
先週の金曜日、朝起きると突然右肩が激痛で動かなくなった。夜中に何度か痛みで目を覚まし、まずいなあと思いながら朝を迎えたら、一人で起き上がることもままならない。24日に教育大の教授でコダーイ合唱団の指揮者でもある、小樽在住の中村先生にピアノのレッスンをお願いしていた。11月の薫風舎の演奏会、花崎夫妻(ヴァイオリンとチェロ)のデュオコンサートでピアノを弾かせていただくため、4月の上旬に東京で合わせがあるのだ。お客様を迎えながら練習の時間を作り出すのはかなり大変で、三月にはいった頃には、精神的袋のねずみ状態であった。のが、まずかった。レッスンを目前にして、根を詰めすぎたのだろうか。(そんなはずはないんだがなあ・・。)とにかく、何の前触れもなく、右手は、ピアノはおろか歩いても座っても、寝ていてもいたい状態になってしまったのだった。
整骨院に行って、とにかく動かさないでいるしかないと(というより、まったく動かせない状態だった。)、右手を三角巾で固定。その日は、お客様は連泊の3名だけだったので、仕事はすべて夫に任せて、傷み止めを飲んで、じっとしているしかなかった。ところが次の日、宿泊のお客様に、食事だけの方が加わり、何と夕食が、14名となってしまったのだ。
私にできることは、左手で今日のひとことを書くことくらい。妹は個展の会期中だし、最後の頼みの綱の母も、その日はのっぴきならない都合があって、とても来られない。ええい、こうなったら、三本の腕で何とか切り抜けるしかない。
朝から断続的に仕込みを始め(私は何もできない。)、さて、チェックインの時間が過ぎた頃、旭川の友人平松さんと岡村さんが登場。そのあと、またご近所の方が娘さん二人とみえたのだった。まあ、どのみち私は口くらいしか動かせないので、ちょうど良い。久しぶりの再会や、めずらしい出会いに立ち会って、もう愉快に過ごすしかない。その間、夫は厨房で黙々と仕込みをしていた。
ああ、こんなに長く書くつもりではなかったのだが、ようやく右手もキーボードに乗せられるようになったものだから、調子に乗ってしまったら、一日では書ききれなくなってしまった。ああ、薫風舎の運命やいかに!!なーんて、今日はだいぶ復活しているので、ご心配には及びません。


3月24日
春山
ゆうべは久しぶりに冷え込んだので、ようやく空気が澄んだ。風のないおだやかな日曜日だ。雲に覆われた空からときおり日が射して、畑の残雪が眩しい。山にも春らしい靄(もや)がかかっている。
3日間、朝早くから日の落ちるまで、黄砂や湿った雪と戦いながら、テレマークスキーで山歩きをされていた千葉さんグループも、最終日にようやく絶好のコンディションで春山を楽しんでおられることだろう。


3月23日
黄色い景色
夕べ、少し雪が降ったので、畑には白さがもどった。しかし、空気はまだ黄色い。
3日ほど前だろうか、北京の街に黄砂が吹き荒れる映像をニュースでしきりにやっていた。大変なものだと、遠い街の自然の災害に、見入った。昨日、あたりがいやに黄色い。札幌の知り合いから電話があり、街中が、黄砂で大変だと聞いて、それが中国からの黄砂の仕業だと、初めて知った。
午後になると、前日の春の嵐でずいぶん融けてしまった雪の表面が、みな黄色くなっていた。車にも積もってしまった。あたり一面が黄色みを帯びて、どんよりと重苦しい景色になった。ニュースでは、観測史上はじめてだと騒いでいた。
中国で黄砂の被害が、ここ数年激しくなってきたのも、森林伐採で砂漠化が進んだせいだという。内モンゴルで、砂漠に木を植える仕事をしている、友人タムさんのことを思い出した。
今年の異常な暖冬といい、人間が犯してきたことへの、自然からの大きなしっぺ返しは、ますますひどくなっていくに違いない。


3月21日
雪解け
今年は、真冬の景色を楽しむことがほとんどないまま、ついに一年中で一番汚い、本格的雪解けのシーズンに突入してしまった。東京の桜同様、2週間は早い。冬景色を楽しみにしている、これから来るお客様には、申し訳が立たない気持だ。でも、うちのお客様は、皆とびきりのプラス志向の持ち主ばかりなので、きっと、この雪解けの風景に、相原求一朗の早春の世界を見つけて、楽しんでくださるに違いないと信じている。


3月20日
アマリリスふたたび
一月に大きな花をつけたアマリリスは、そのあと葉がぐんぐん伸びた。そう思っていると、またにょきっと蕾がでてきたので驚いた。かわいそうに、鉢が小さくて球根が盛り上がってきてしまっている。それでも、あっこちゃんが水をやり続けていると、硬い蕾をつけた茎が30センチほども伸びで、だんだんほころんだ。先が4つに分かれて、ピンクに色づき、そのうちの一番大きな蕾が、今日花開いた。前の花よりも強い日の光を浴びて、可憐というよりも凛々しい姿だ。


3月20日
3月19日
アマリリスふたたび
一月に大きな花をつけたアマリリスは、そのあと葉がぐんぐん伸びた。そう思っていると、またにょきっと蕾がでてきたので驚いた。かわいそうに、鉢が小さくて球根が盛り上がってきてしまっている。それでも、あっこちゃんが水をやり続けていると、硬い蕾をつけた茎が30センチほども伸びで、だんだんほころんだ。先が4つに分かれて、ピンクに色づき、そのうちの一番大きな蕾が、今日花開いた。前の花よりも強い日の光を浴びて、可憐というよりも凛々しい姿だ。


3月19日
昼下がりのカプチーノ
昨日、週末からきていた両親と一緒に、仲良しの木工ギャラリー貴妃花に行きました。そのすぐ近くに、「グレース」という輸入雑貨の店が昨年できたので、帰りに寄ってみました。とてもセンスのよい食器やかご、ちょっとめずらしい調理器具などがところせましと並べられ、とても楽しいお店でした。
父は、そこに置いてあったイギリスのアンティークなチャーチチェアが気に入って、イーゼルで絵を描く時に使うといって、購入しました。夫は、耐熱ガラスでできたイタリア製のちょっと変わったエスプレッソカップと、スプーンの形をした使い勝手の良さそうなゴムべらを見つけ、私は藤色のきゃしゃな柄の、大き目のカップアンドソーサーを手にしました。
きょうは久々にパボーニのエスプレッソマシーンに電源を入れ、もうすっかり春の陽気になってしまった昼下がり、新しいカップでのんびりとカプチーノでも飲もうかと思います。


3月17日
春日井の噂
一昨日、愛知のあっこちゃんの友人ともちゃんから写メールで写真が届いた。森家(あっこちゃんは森明子といいます。)のご馳走の模様だ。先日春休みで帰郷したあっこちゃんが、せっせと家でおいしいものを作っているらしい。メニューは、モッツアレラチーズとトマト、豚肉のしそチーズはさみ、きりぼしだいこん、とりささみサラダ。写真が見るからにおいしそうだった。さっきじっちゃんこと長谷川さんからも電話があり、あっこちゃんが煮物を作って、届けてくれたそうだ。えらいなあ。私たちなど、一昨日は久しぶりの休日に父が泊まりにきていたので、無精をして、純平に食べに行ってしまった。
あっこちゃんが愛知に帰ってから、春日井界隈のおいしそうな噂が、毎日のように舞い込んでくる。


3月16日
桜の便り
おととい、埼玉の渡辺さんから桜の便りが届いた。昨日は、大和さんや佐竹さんからも、桜の開花を告げるメールがきた。昨年は、私たちが上京する寸前、咲きはじめた桜の上に雪が舞い降り、おかげで東京に滞在している間中、満開の桜を楽しむことができた。今年は、無理そうだと諦めていたが、やはり4月に東京に行く頃には、跡形もなくなっているに違いない。
薫風舎のまわりも、4月上旬の景色だ。それでも今朝は雪が降って、ほっとした。あまりに早い季節の移り変わりに、私たちだけが往生際わるくついていけてない。


3月15日
どんよりと曇り空
朝からの曇り空は、少し汚れてきた畑の雪と共に、窓からの景色をモノトーンの世界にしています。一日中家の中にいるこんな日は、まるで、違う時間が存在するかのように感じることもあります。昼過ぎに、そのどんよりとした曇り空から、はらはらと春の湿った雪が舞い落ちて、ゆっくりと時が流れて行く薫風舎の休日です。


3月14日
落雪
渡り廊下の屋根の上に積もっていた雪が、ようやく、ドドーンという音と共に、下に落ちてきた。屋根の形状で、自然に雪が落ちづらくなっており、どうしても最後まで雪が残るのが、この部分なのだ。
ここ数日の暖かさは、季節が、冬から春へと変わったことを確信させるものだが、廊下の屋根に残っていた雪の固まりが地面へと落ち、もはや季節の後戻りは無いよと、告げられたかのようだ。周りの雪景色も、冬とは違う、くすんだ白色になってきた。


3月12日
あっこちゃん春休み
今、あっこちゃんが空港へと向かった。コンサートのために来ていたじっちゃんと、高校の時からの親友で、短い休みを利用して昨日一泊してくれた、ともちゃんとともに。夕べ降った新雪に春の日差しが眩しく輝いている。およそ一ヵ月後、帰ってきたときには、きっと雪はすっかり消えてなくなっているに違いないと、車に乗る前に一呼吸して、最後の雪景色を目に焼き付けた。
薫風舎の冬のシーズンも、あと2週間あまりで終わろうとしている。


3月11日
演奏会
7回目となる小林さんのコンサートが無事終了した。今回、小林さんは引越しを控えているため、次の日の朝、早々に飛行機に乗られた。至福の時の余韻だけを残して、薫風舎はいつもよりも早く、静けさに包まれたのだった。
蛯名さんの素晴らしい調律によって、私が学生時代から愛用している小さなグランドピアノは、驚くほど美しい音色に整えられた。小林さんの指先から、ときに繊細でみずみずしく、ときに烈しく、力強く、ラウンジ全体に、そのピアノを通して音楽が響きわたった。平均律第一巻の24番のフーガの、すべての声部にわたって隅々まで神経の行き届いた緊張感のある音楽。ベートーヴェン月光ソナタの第一楽章の内面性と、フィナーレ決して冷静さを失わない激しさ。ショパンのマズルカ作品30は4曲とも、少し陰のあるいぶし銀のような作品だった。小林さんの演奏からは、ショパンの故郷ポーランドの荒涼とした風景が思い出された。
そして、私が最も愛する作曲家の一人、グリーグの叙情小曲集。小品6曲からなる作品54は、その中でもピアニスト舘野泉さんが、最高傑作と評しておられるそうだ。曲の雰囲気や性格はそれぞれ大きく異なるが、どの曲もノルウェーの香り高いグリーグの独特の世界が広がる。前の3人の大作曲家の作品の緊張感とはちがう、ノルウェーの風土を一生涯愛し続け、作曲し続けたグリーグのみずみずしい音楽が、やさしさをもって描かれた。


3月09日
演奏会の朝
朝起きると、気持ちのよいお天気だった。久しぶりに十勝岳連峰がきれいに見えて、昨日降った畑の雪が目にまぶしい。いよいよ、今日はコンサートだ。いつものように朝早く、調律の蛯名さんが、札幌から到着された。夕べ泊まったご常連、小清水さんのグループと神戸の堀井さんご夫妻、それに昨日愛知からコンサートに駆けつけてくれたおなじみじっちゃんこと長谷川さんが、ラウンジの大きなテーブルを運び出して、会場設営のお手伝いをしてくださった。調律を始める前に、苫小牧のゴスペル久ワイヤのメンバーである小清水さんたちが、昨晩作った歌を披露してくれて、和やかな演奏会前の風景となった。
ピアノの音が、蛯名さんの手によって整えられてくる。まもなくリハーサルが始まる。


3月08日
前日の風景
ご存知のとおり、今日はとても忙しい。忙しいというよりも、気持がバタバタして、なんだかやっていることが空回りしている。コンサートの時にお出しするガレットは今年は早めに焼いたし、仕込みもだいたい済んだ。いつもプログラムを一手に引き受けてくれる平松さんが今年は多忙で欠席のため、ずうっと気に病んでいたプログラム作成も、ようやくめどがついた。あとは最終の構成と印刷だけ。
夫とあっこちゃんは、大急ぎで片付けを済ませて、椅子を25客、いつものように福祉センターまで借りに行った。あまりに忙しいから、お昼だってコンビニ食だ。とにかく、いつものごとく気ぜわしい前日の風景だ。
これが、なぜか小林さんの顔を見ると、急に気持が落ち着くから、不思議だ。このザワザワした気持も、あと3時間の辛抱だ。おっと、その前に、ピアノまわりを片付けなくては。一番の大仕事が残っていた。


3月07日
誕生会その2
昨日はあっこちゃんの誕生日だった。同じ3月6日が誕生日の美瑛の友人が、たまたま私たちと同じくその日、旭川に行く用事があるというのを知って、合同誕生会をすることにしていた。お気に入りのイタリア料理店ラ・パラッツィーナで、パスタランチを食べながらの誕生会だ。ラ・パラッツィーナは、パスタももちろんおいしいが、デザートがまたおいしい。特にティラミスは、絶品だ。前日のチョコレートタルトに続いての、甘いもの攻撃だった。
あっこちゃんは、二日にわたる誕生会をみんなに祝ってもらって、何と幸せなことか。トップシーズンの6月と7月が誕生日なばっかりに、毎年ろくに祝うことのできない私たちに、帰るまで嫌味を言われていたのだった。


3月06日
誕生会その1
今日3月6日は、あっこちゃんの誕生日だ。昨日は、前の職場名古屋空港の同僚で、もうすっかり薫風舎でもお馴染みの5人(一人は薫風舎初めて。)が、大きなケーキの箱を抱えて、誕生祝いに駆けつけてくださった。数年前に退職して愛知の蟹江町でケーキ屋さんを始めた、あっこちゃんの先輩の手作りのチョコレートタルト。以前から噂では聞いていた、オ・プティ・シェミのケーキだ。
夕食後、みんなのお腹がこなれた頃に、ろうそくを23本立てて、みんなで歌をうたって、一日早い誕生会。チョコレートタルトは、口の中で上品にとろける、とびきりのおいしさだった。みんなにお祝いをしてもらって、あっこちゃんは幸せ者だなあ、と羨ましくなった。みなさん、ありがとうございました。私たちふたりはその日のうちに退散したが、楽しい宴は、そのあと明け方まで続いたらしい。


3月05日
冬眠
三月に入ってから、冬らしい景色が続いている。毎日、雪が降っている。しばらくは、この陽気が続いてくれればよいと思う。きっと、まわりの木々や、冬眠中の動物や虫たちも、おんなじことを思っているに違いない。
先週はデッキで日向ぼっこをしていたムックとティンクも、またインドア生活にもどった。部屋に行くと、私の座椅子にしがみつくように寝ていたティンクが、面倒くさそうに頭を上げて、こちらをちらとみたとおもったら、またあごを下につけて昼寝の続きを始めた。


3月04日
ひな祭り
2日、3日とお客様がおられず、憧れの連休となった。この仕事は、一日のお休みというのは、丸一日の休みにはならない。今冬は、なかなかそういう日がなくて、休みじゃなきゃできない仕事がたまる一方だったので、この虎の子の2日間はかなり嬉しかった。(とはいえ、この二日間は何もやる気が起きず、だらだら過ごしてしまって、仕事はほとんど片付かなかった。とほほ。)ようやく気持にもゆとりができて、そういえばおひな祭りだと、昨日はちらし寿司を作った。
人参やきゅうり、しいたけに、そうだごぼうも入れようと、ありあわせの野菜を下ごしらえして、それから買ってきたしめさばもすし飯に混ぜ、ご近所から分けていただいている平飼いのたまごで、出し巻き玉子をつくった。そうそう、銀座の寿司仙でいただいた「ばらちらし」も、錦糸玉子じゃなくて、出し巻き玉子を薄く切ったのがのっていた。ここで、でんぶが欲しいところだが、今回は無精をして作らないことにした。かといって売っているドピンクならないほうがましなので、省略した。あとは、もみのりをちらしただけの、ささやかなちらし寿司。
お客様の鈴木さんから、すごくかわいいお雛様のカードが届いたので、それを飾って、三人で静かなおひな祭りを祝ったのだった。お寿司を食べながら、今年はうっかりむらこしの桜餅を食べ損ねてしまったことに気づいた。それだけが、ちょっと心残りだ。


3月03日
白い景色
ときおり、粉砂糖をおとしたように細かい雪が降っている。昨日から、冬が揺り戻ってきた。見えかけた土も芝生も、表面が溶けて硬くなった畑の雪も、みんなふんわりと白いもので覆われて、静かな時間が流れている。


3月02日
ご馳走ランチ
一晩寝て起きると、まったくの真冬の景色になっていた。というか、ひどい吹雪で、あまりに真っ白なため、外の景色も見えないほどだ。こんな日は、どこにも出かけず、家でのんびりするにかぎる。たまには、自分達のためにご馳走ランチを作ろうと、手打ちパスタをこしらえた。
キノコとパルミジャーノのシンプルなタリアテッレに、昨日の残りの人参のポタージュ、菜の花と豆腐のサラダは、アンチョビとニンニクのドレッシングで。デザートが、ベトナム風冷やしぜんざいというちぐはぐも、自分達用ならではのご愛嬌だ。せっかくだからと、久しぶりにパボーニで、エスプレッソも入れた。
エスプレッソを飲むやいなや、あまりの満腹に、暖炉の前で気を失ってしまった。気がつくと、3時ではないか。雪が弱まり、薄日が射してきた。夫が、遅ればせながら行動を開始しはじめた。あっこちゃんも、動き始めた。私も、そろそろピアノの前に座ることにしよう。


3月01日
芝生
どこもかしこも春めいている。昨日、旭川に行ったら、いつもなら人の背よりははるかに高く積まれているはずの路肩の雪が、ほとんどなかった。
今日も、やわらかな日差しに春霞の景色だ。もしや、エイプリルフールか?と、思わずカレンダーを見てしまった。暖かいので、ムックとティンクをデッキにつなごうと外に出ると、もうそこかしこで、地面が顔を出しそうになっている。ティンクと一緒にラウンジの裏手に回ったら、芝生が顔を出していた。


2月28日
どんよりと。
今日は、どんよりとした曇り空に、十勝岳が同化している。風もほとんどなく、空気も時間も止まっているかのような景色だ。そんな日は、なんだかやる気も出ない。みな無口だ。たまには、こんな日があってもよいような気もしてきたので、今日はじたばたせずに、このまったりとした空気に身を任せてみるか。


2月27日
散歩の匂い
ムックとティンクは散歩のたびに、道路脇にうず高くなった雪の山に登ったり、雪原の上を渡ってくる風の匂いを確かめるのが楽しみである。
そして何より好きなのは、積もった雪の中に鼻を突っ込み、そこにあるさまざまの情報を集め歩くことが好きである。とは言っても、真冬の冷え込んだの雪の中には、あまり気を引くものは無いようで、簡単に鼻の先で雪をはねのけて、進むスピードも速くなる。ところがここ数日、鼻の先を突っ込むその動きに、変化が見え出した。明らかに、冬の真っ只中とは違う多くの情報を感じ取っているらしい。
ムックとティンクは、日中プラスの気温もあたり前になってきたこの頃、私たちよりも早く確かに、春の足音を聞いているようである。


2月26日
のんびりは難しい
昨日は、のんびりしようと決心したにもかかわらず、結局なんやかんやと用を足していたら、一日はあっという間に終わってしまった。薫風舎で、のんびりできたのは、ムックとティンクと、「今日は別行動!」宣言をして、一人でパークヒルバレーまで出かけて行ったあっこちゃんだけだ。あっこちゃんは、スキーをしてプールで泳ぎ、温泉に浸かるという、恨めしい、いや、うらやましい一日を過ごして、すっかりご機嫌だ。
私たちのほうは、コンサートの宣伝や何かで、旭川の街中を慌しくまわったあと、これまた「のんびり」とはほど遠い生活の平松さんに連絡をとってみた。ちょうど学年末試験の最中で、明日の問題を作っているところだが、一時間だけ時間をとって、久しぶりに食事をしようということになった。
いつも、忙しい忙しいといいながら、「どんなに忙しくても、食事をとる時間は必要なのだから。」というのを合言葉に、よくおちあって食事をしていたが、最近はそんなこともままならなくなってしまった。昨日は、学校の近くの「インド」というカレー屋で、シャジャハニカリーを食べながら、1時間のつもりが2時間近く、楽しいおしゃべりをして、また学校に送り届けた。
私たちのほうは、帰りに花神楽でさっと温泉に浸かって、10時半頃帰宅した。「のんびり」とはいかないまでも、楽しい食事と温泉で、まずまずの休日となった。


2月25日
悪魔のささやき
今日は、久しぶりのお休みだ。お休みといっても、遅れているピアノの譜読みをして、YAMAHAに楽譜を取に行って、コンサートの準備や、たまった掃除や洗濯も片付け・・・と、やらなければならないことが山積みなので、昨日からそれを肝に銘じていたのだった。
そうしたら、土曜から滞在していた横山さんの奥様に、チェックアウトの時に「今日は、のんびりされるのですか?」と言われてしまった。「のんびり」・・・魅惑的な響きに戸惑っていると、ご主人がやってきて「今日は、のんびりされるのですか?」と同じことを言うではないか!「いえ、今日はあれもして、これもして、すごく忙しいのですっ!!」と言いたかったが、「そうなるといいのですが。」と答えて、心の中で「今日はのんびりできない、のんびりできない、のんびりしてはいけないんだぁ!」と呪文のように自分に言い聞かせた。
お見送りをしてラウンジにもどると、三人の頭の中に、「のんびり」という文字が、残像のように残っている。振り切っても振り切っても出てくる。「ちょっと、紅茶でも飲んでから掃除をはじめるかぁ。」といって、暖炉の前に集ってしまった。三週間ほど前から、時計が壊れているので、誰も時間を確かめようとしない。まずいパターンだ。
その後には、決まって次のような言葉が浮かぶ。「だいたい、5月から10月までは、ほとんど一日の休みもなく働いているんだ。少しぐらいのんびりしたって、許されるはずだ。」
もともとぐうたらな3人である。横山夫妻の悪魔のささやきに、気がつくともうすっかり支配されてしまっている。ええい、今日はのんびりするかぁ!紅茶の香が漂ってくる頃には、すっかり開き直って、きょう一日は、のんびりすることに決まってしまった。


2月24日
雪景色
今日は、久しぶりに姿を現した十勝岳連峰と輝くばかりの美しい朝日に、朝食前に写真をとりに行かれていたお客様も、これから出かける方たちも、皆とても嬉しそうだった。冬の美瑛を楽しみにしていた横山ご夫妻は、スノーシューを車に積んで、いそいそと山のほうへ向かわれた。会社の方たちとトマムで滑ってから昨日久しぶりの薫風舎へ到着した岡田さんは、新雪に誘われるように、ゲレンデへと向かった。美瑛は初めてという桜田さんご夫婦も、地図を握りしめて、丘のほうへと出かけられた。
暖炉の前でちょっとゴロゴロしてから掃除を始めると、だんだん雲行きが怪しくなってきた。お昼を食べる頃には、山はすっぽりと雲に覆われて、ちらちらと降りてきていた雪が、あっという間に本降りになってしまった。今、外は真っ白だ。
みんなどうしているかなあ、と、ちょっと心配しながら、窓の外を眺めると、その雪景色の美しさに見惚れてしまった。


2月23日
88ページ
先日の宮様スキーで5時間38分を立派に歩ききり、奇跡の完走を果たした、じっちゃんこと長谷川さんから、電話があった。自分は、まだパソコンを持っていないので(近日購入予定だそう。)、「今日のひとこと」に私が書いた大会速報を、印刷して送ってほしいと言う。今回だけではなく、昨年のスキー大会を始めとして、じっちゃんには、この「ひとこと」に何回登場していただいたかわからない。(というか、勝手に私が書かせていただいているのだが・・)バックナンバーからじっちゃんの記事を拾って、それを印刷しようと思ったのだが、せっかくだからと、2000年1月1日からの「今日のひとこと」を、すべて印刷してみた。なんと、88ページであった。
古い写真の整理をするがごとく、上がった印刷をぱらぱらと見ていたら、ついつい目が止まってしまう。よくもまあ、小さい引き出しの中から、これだけ頑張って書いたものだと、我ながら感心してしまった。この冬は、あまり出歩くこともなく、淡々と仕事をしている。日々の暮らしに追われる毎日だ。もうちっとアンテナを張り巡らして、気を引き締めないと、小さい引き出しが底をついてしまう、と反省したのだった。


2月22日
フランスブーム
昨年暮れに近くにできた「カフェ・ド・ラペ」の大友さんは、ご主人がフランス語の通訳をされていたので、パリに住んでいた経験があり、よくパリ生活の話しを伺う。
それとはまったく無関係なのだが、今年は、フランス物を勉強しようと、この冬は久しぶりにドビュッシーに取り組んでいる。もともとフランス音楽は好きなので、練習していてとても楽しい。(なかなか仕上がらないので本音を言えば苦しいが。)時間があれば、プーランクもやりたいし、注文していた楽譜が、YAMAHAに届いているので、セヴラックという作曲家の作品も読んでみたい。昨年ピアニストの舘野泉さんがCDを出して、注目されている、19世紀から20世紀初頭の作曲家だ。多くの音楽家と異なり、パリではなく南フランスの田舎に住んで、田園の中で作曲活動を続けたそうだ。CDを聞いていると、フランスの田園風景が目の前に広がってくるようだ。なかなか、旭川まで楽譜を取りにいけなくて、やきもきしている。
夫は夫で、フランス人歌手シャルル・トルネがすっかり気に入って、今年はちょっとシャンソンでも聴くか、などと言いながら、お昼ごはんの時には、しょっちゅうトルネをかけている。
なぜか薫風舎は、今フランスブームである。


2月21日
そば粉と地粉のスコーン
この前、ご近所の方が見えたときに、そば粉と地粉のスコーンを作った。おいしかったので、今日もまた、午後から来る来客のために作ってみた。砂糖は使わず混ぜ込んだ干しぶどうや果物の甘味だけでいただく。ほんのりとした甘味に、そば粉と地粉の素朴な味わいが、なんともやさしく口の中に広がる。
この前作ったときには、干しぶどうとプルーン、それにちょうどあまっていたあんぽ柿を粗く切って混ぜ込んだ。今日は、りんごを彩の目に切って、バターでさっと炒めて、シナモンで香をつけたものを混ぜてみた。粉は、2種類の他に五穀きな粉というのがあったので、それもあわせてみた。粉類と、菜種油、果物、豆乳を混ぜて、焼けば出来上がりだ。ベーキングパウダーも使わない。バターやクリームをたっぷり使ったふわふわのケーキとは違う、ずっしりとした素材そのもののおいしさ。いかにも体にやさしいおやつは、食べて気持がいい。


2月18日
大会速報ーその2
じっちゃんから何の連絡もないまま、時間が過ぎていった。あっこちゃんは、1時半までゴール付近で待っていたのだが、もうとうにゴールをしていた神谷さんご夫婦と一緒に、ひとまず薫風舎へもどり、その足で、近くのカフェ・ド・ラぺへ、昼食をとりに行った。私たちは、来客があるので二人とも動けない。とにかく、じっちゃんからの連絡を待つだけとなった。
午後3時。スタートから5時間だ。まさか、まだ歩いているとは思えないし、連絡がないのはいよいよおかしい。夫が本部へ電話で問い合わせをした。「大会は終了しました。」「歩くスキーの方で、まだゴールしていない人はいませんか?」「ちょっとお待ちください。」すこしして、まだ一人だけ、ゴールを目指して歩いている人がいることがわかった。じっちゃんに間違いなかった。じっちゃんは、あの、アリのような歩みで、5時間以上もひたすらゴールに向かってあるいているのだ。できることなら、ゴールに飛んでいきたかったが、それができない。あとは、何とか無事にゴールしてくれることを祈るだけだった。私たちは、ただただ気をもんだ。
4時。心配したあっこちゃんがラぺから電話をくれた。神谷さんご夫妻を温泉に送って、引き返し、じっちゃんのところへ行ってもらうことにした。30分後、ふたたびあっこちゃんから電話。じっちゃんは、3時30分過ぎに、無事、ゴールしたとの知らせをうけて、私たちは、思わず泣いてしまったのだった。
ゴール寸前、近くにいた20人余りの人たちが、アーチで迎えてくれたそうだ。5時間38分34秒。立派に完走を果たしたじっちゃんは、あっこちゃんにつれられて、元気に薫風舎へと帰ってきた。
今朝、私たちよりも早く起きて、デッキでタバコを吸うじっちゃんに、昨日の疲れは見えない。足は痛くないが、ちょっと腕が痛いなあ。お昼過ぎ、それじゃあ、今度は小林さんのコンサートで、と言って、じっちゃんは元気で名古屋へと帰っていったのだった。


2月17日
大会速報!
宮様スキーマラソン当日の朝は、慌しい。フルマラソンの選手の人たちは、早めに朝食を取り、9時のスタートよりも1時間くらい早く、スタート地点へと向かう。歩くスキーは、すぐ前の美沢小学校を10時にスタートだ。
いつもなら、それぞれのレースの時刻にあわせて、薫風舎の前のところまで、何度も応援に駆けつけるのだが、今年は、主人と二人2台の車に乗って、駅までお客様を送り、そのまま一台の車をゴール付近に置いて、買い物をして帰ってきたら、10時をまわってしまった。
美沢15線の薫風舎まで帰っていたら間に合わないので、13線あたりで待ち受けていたら、歩くスキーの一群のなかに、さっそうと走るあっこちゃんの姿を見つけた。声援を送って車を出し、14線あたりでうちのほうを見ると、すっかり選手がいってしまった雪の中、小原さんが作った雪像のあたりに、黒い点が。目を凝らしていると、アリのような歩みで、こっちに向かっている。じっちゃんだ。車の中で、かなり長い時間、じっちゃんが近づくのを待ったのだった。
ようやく、14線までたどり着いたじっちゃんは、諦める気配も見せず、ゴールを目指して私たちの前を通り過ぎたのだった。
きっと、自衛隊の人が保護してくれるから大丈夫だ、と二人で言い合って、掃除を終えると、12時ちょっと前に電話が鳴った。あっこちゃんだ。
目標の2時間を大きく上回る、1時間30分台で、余裕のゴールをしたとのこと。ゴールしたお客様とおちあって帰ってくるということで、また連絡を待った。1時半、あっこちゃんからふたたび電話。じっちゃんが、まだゴールしていないとのこと。係りの人に聞くと、リタイアした人の中にもじっちゃんはいない。最後尾のひとも、違うとのこと。ということは、まだ歩いているはずなのだが。スタートから3時間半余り。じっちゃんの運命やいかに?!あすにつづく。


2月16日
大会前日
朝、外を見ると、ふんわりと5センチほどの雪が積もっていた。暖冬で雪の少ない冬であったが、このところの冷え込みと今朝の雪で、絶好のコンディションが整えられたのではないだろうか。
アスパラでお馴染みの隣りの小原さんの若奥さんで、薫風舎へピアノを習いに来ている詩織ちゃんのお母さん、晴美さんが、スキー大会のコースの脇に、毎年雪像を作ってくれる。見ていると、どうも三人の子供たちは、一向に手伝う様子はなく、晴美さんがほとんど一人で、立派な雪像を作っている。それがいつも評判で、とても手を抜けないのよ、と言いながら、毎年趣向を凝らす。今年は、いつにもましてたいへんな力作だ。ミッフィーとドラえもん、アトムにアンパンマンまでいる。今日は私たちも、午前中から仕込みで、厨房に居ることが多い。時々窓の外に目をやると、青空の下、練習をする選手たちを見送りながら、晴美さんが、黙々と最後の仕上げをしているのが見える。
第25回宮様スキーマラソンは、いよいよ明日だ。


2月15日
じっちゃんまもなく登場
昨年、宮様スキーマラソンで無念の途中リタイアとなった、じっちゃんこと長谷川さんが、不屈の精神で2度目のチャレンジをされるそうだ。(詳しく知りたい方は、昨年今ごろのひとことをお読みください。数日にわたっての実況報告が書かれています。)もう、旭川空港に到着されているはずなのだが、まだ連絡がなく、ちょっと心配している。いや、心配はまだほかにある。
再度挑戦といっても、スキーは薫風舎にずっと置いてある。ということは、昨年の大会以来、ほとんど滑っていないはず。今日、明日の練習で、果たして12Kmを、走りぬく、いや、歩いてでも完走するだけの技術と体力を身につけなくてはいけないのだ。でも、練習であまり張り切ると、本番は疲れてしまうだろうし、と心配は尽きない。Myスキーを購入して、今年は初めから自分の滑りをすると張り切っているあっこちゃん。じっちゃんは、あの心臓破りの丘(スタート地点の薫風舎のすぐ前、美沢小学校から、わずか2Kmあまりのところ。)を登りきることができるか。
そんな心配を知ってか知らずか、たった今電話が鳴った。じっちゃんまもなく登場である。


2月14日
スノーマン
昨日、夫が両手にバケツを持ってうろうろしていた。あ、アイスキャンドルを作るのだ。一月に入ってからずっと暖かくて、暮れに作ったアイスキャンドルはどんどん溶けた。夜の気温も0℃近く。せいぜい−5、6℃では、アイスキャンドルはできない。ましてや、日中はプラスになってしまうのだ。
4日ほど前から、ぐんと冷えてきた。景色は、緩んだ生温かいものから、ぴんと張り詰めた、真冬の風景へと変わった。一晩、バケツに水を張っておいて置いたら、きれいなアイスキャンドルが出来上がった。
昨日も今日も、ずいぶん高くなった日差しに青空と十勝岳の新雪が眩しく輝いている。お昼を食べてから、日向ぼっこをしていたムックとティンクのブラッシングをしようと、ラウンジの前のデッキに出た。デッキの柱の前に置いてある、大きな臼の上に、小さい氷の塊がひとつあった。溶けてしまったアイスキャンドルだ。まるで、悲しいスノーマンのようだった。


2月12日
真冬日
今日は、粉雪が降り続いている。昨日、夕日に赤紫に染まった十勝の山々は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。ようやく、真冬の景色がもどってきた。


2月11日
アマリリス
暮れに、アマリリスをいただいた。球根が鉢に植えられていて、芽を出す所から自分で育てるようになっている。説明書を読むと、室温20℃は必要と書いてあった。ラウンジは、日中は明るく暖かいのだが、薪ストーブが落ちると0℃を下回ることもある。冬に植物を育てるのはかなりむずかしい。こりゃ無理だ、と思いつつ、デッキに出るドアのところの、一番日のあたりそうな場所を選んで、水を与えていた。
私は、育つわけないと最初から諦めていたのだが、あっこちゃんがせっせと世話をしてくれた。気がつくと、にょきっと目を出し、ゲンコツほどもあるような大きな蕾をつけた。それでも、そのまま枯れてしまうのでは、と心配した。
しかし、茎は元気に伸びていった。その隣りにあったアリストロメリアの鉢が凍ってしまった時にも、無事だった。
一週間ほど前、そのつぼみがぱかっとわれて、その中から4つの蕾が四方に広がった。そのなかの大きなのがふたつ、サーモンピンクの色になった。
今朝、ふと見ると、鮮やかなピンク色の大きな花が咲いていた。久しぶりに冬らしい、冷え込んだ日。アマリリスは、凛とその花をひらかせた。


2月10日
相原求一朗展
画家の相原求一朗先生が薫風舎に泊まられたのは、1995年2月の冬らしいきりっと冷え込んだ日が続く頃だった。翌年、中札内村に「相原求一朗美術館」オープンを控え、充実の日々を過ごしておられ、とても、70歳半ばとは思えぬ若々しいお姿だった。スケッチをしてこられた絵を、気軽に私たちに見せてくれ、ラウンジで夜が更けるまで楽しそうに話しをされていたのが、昨日のことのように思い出される。
1999年2月に急逝されるまで、30数年にわたり北海道の自然と風土にこだわり続けた相原先生。東京原宿の表参道アニヴェルセル・ギャラリーで、「相原求一朗展 北の地平に」と題された展覧会が、2月5日から24日まで開催されている。東京近郊の方、いつもは北海道で触れる相原先生の世界に、原宿表参道という街の中で、ぜひ、浸ってもらいたい
あの日、薫風舎の玄関前で、寒風吹くなか、いつものベレー帽を被り、スケッチブックに鉛筆を走らせていた後姿。そのスケッチが作品となり、この展覧会にも出展されていると聞いた。「朝の森」と名のついたその絵を、一度観てみたい。


2月08日
寒気はロスへ?
今、ロスに住む義姉から久しぶりに電話があった。いつもなら冬でも20℃くらいある西海岸が、今年は異常に寒いそうだ。朝、霜が下りて驚いたという話しを聞いて、このあたりにいるはずの寒気が、向うへ流れていったのではないか、と笑った。笑ってから、本当にあたらずとも遠からずではないか、と思った。地球全体が、ちょっとおかしくなってきているようで、薄ら寒くなってくる。明日から、ようやく冬がもどる予報だ。


2月07日
休日
今日は朝から仕事三昧。昨日半日、青空の下を滑って、心も体も相当リフレッシュしたようだ。チェックインの時間まで、3人でずいぶん頑張った。やっぱり、時々思い切って遊ばなきゃダメだ、と思ったのだった。


2月06日
山は呼ぶ
今日は、ゲレンデが呼んでいるらしい。あっこちゃん以外の二人は、「このあたたかさじゃ、雪質は最悪だしぃ〜・・。」と、朝のうちは消極的だったのだが、、どうも比布方面から、呼び声がかすかに届いたような気がして、重い腰を上げたのだった。急いで掃除をして、準備を始めると、なぜか、消極的な二人から鼻歌が聞こえてくるから可笑しい。
とりあえず、出発だ。


2月05日
スキーで散歩
2週間ほど前、三年ぶりにゲレンデに行って足慣らしをした。さあ、これからと思っていたら、雪はほとんど降らないし、気温は高いし、とてもスキーをする気にはなれない。
でも、暖かいおかげで、畑の雪は固くなって、どこでもクロカンを楽しむことができる。すぐ前の宮様のコースで、選手がトレーニングしている姿を、ぼちぼち見かけるようになった。それを横目に、ほんの10分か15分、ちょっと時間を見つけては、深呼吸がわりに畑を散歩するのも気持が良い。


2月04日
立春
今日は立春だそうだ。毎年、「立春」という言葉とはかけ離れた凍てついた景色に、「立春だってさ」なんて、笑ってしまう。今年は、本当に「立春」である。あまりにも春らしくて、笑ってしまった。
ムックやティンクと一緒にデッキの上で寝転んで、日向ぼっこでもしたくなるような、暖かな良い天気。山の雪の白さが眩しい。でも、のんびりしているひまはない。そういえば先日帰ってきているあっこちゃんも、主人も、みな無口に、たまった仕事を片付けている。


2月02日
運転席から
薫風舎の敷地内の除雪をするために、トラクターに乗り作業をしているが、めったに公道を走ることは無い。昼前に初めて、裏の3号線を走ってみた。
毎日のように乗用車の窓から見ている、シンプルな冬景色。トラクターの運転席は、乗用車のそれより、数十センチ高い所にあるが、そこからの眺めがあまりにも違うのがおもしろくて、ついつい遠出をしてしまった。
ムックとティンクが車に乗ると、目をランランと輝かせ、窓の外を見る姿を思い出し、なんとなく似た様なものだなぁと思った。


2月01日
エゾリス2
相変わらず季節外れのやわらかな日が続いている。暖炉の前で、滞在中の松原さんとたわいもない話をしていたら、夫が声をあげた。見ると、デッキの上の、この前飛ばされてこっぱみじんになったガラスが置いてあった臼の上に、エゾリスがいた!たいてい、こういう時目ざとく見つけて声を上げるのは夫の方だ。
松原さんと私は、興奮しながらも、なるべく動かぬよう、騒がぬよう、リスのとんでもなくかわいいしぐさを眺めた。主人が「早く、カメラカメラ!」と、声を殺して叫ぶ。私は、なるべく静かにカメラを取りに行ったのだが、その動きを即座に察知したのか、リスはさっとデッキの柱によじ登り、すぐさま身をかわして、今度は雪から顔を出しているコニファーの方へと走った。コニファーの間をちょこまかと行き交ったかと思ったら、雪の上で注意深くきょろきょろとあたりを見渡して、奥の林へと飛んでいった。しばし林を駆け回ったと思ったら、遠くへと、かけていったのだった。


1月30日
ブクステフーデのカンタータ
昨年10月24日に、トン・コープマンのスーパーバリュー20というCDのシリーズが発売され、CD屋に行くたびに、ついつい何枚かずつ買ってしまう。トン・コープマンの演奏は、曲にもよるように思うのだが、ピリオド楽器を使いながら、そのくよくよしない明るさが好きで、何枚かCDを持っていた。何年か前、ブランデンブルク協奏曲の演奏を、NHK教育TVで観たのだが、まさにコープマンにぴったりの曲だ、と夜中まで楽しく引き込まれた。
それが、モーツァルトやバッハをはじめ、20タイトルが何と1000円(一部2枚組み2000円)という破格で発売された。こんなありがたいことはない。
今日は、久しぶりに暖炉の前に寝転ぶべく、CDラックへと向かうと、ずいぶん前に買ってあったコープマン指揮のブクステフーデのカンタータと目があった。CDを手にとると、頭の禿げたそして立派なひげのトンコープマンの福々しい笑顔を見て、幸せな気持ちになったのだった。
ブクステフーデは、バッハより少し前の、オルガニストであり、作曲家である。バッハに多大な影響を与えた音楽家として、バッハに関する書の中には、必ずといっていいほど登場するので、名前だけは良く知っていたのだが、あまり音楽を聴いたことがなかった。CDをかけると、その、美しく躍動的な旋律は、バッハに影響を与えたという思い入れを除いたとしても、心洗われる、素晴らしい音楽だと思った。
暖炉の前に寝そべって、しばし、幸福な時間を味わったのだった。


1月28日
春の嵐
今日は朝から強い風が吹いている。10時過ぎ、お客様を拓真館まで送っていったら、道がところどころ吹きだまってしまっていた。拓真館から美馬牛まで歩く予定だったのだが、どうされただろう。お昼近くになって、雪もだんだんはげしくなってきた。3月下旬のような吹雪だ。いったい今年は、どうなっているのだろう。


1月26日
嬉しい一瞬
今日お昼前に、スノーシューやクロスカントリーで、みんな「カフェ・ド・ラ・ペ」に向かって出発した。ゆっくりと静かに雪が降ってきて、窓の外を何気なく見ていると、主人があっと声をあげた。「エゾリスだ!」裏の林の中、エゾリスがスルスルと木から降りてきて、雪の上にちょっと立ち止まった。そして次の瞬間には、もう木に登っていったかと思ったらすぐさま姿をくらました。
うちの林の中に、エゾリスが来たのを見たのは、8年目にして初めてだ。エゾリスは、ここには来ないのかなあと、ずっと寂しく思っていた。一瞬の出来事に、主人と二人、感動と興奮を味わったのだった。


1月25日
賑やかな予感
今日はあまり時間がない。1時過ぎに旭川空港に到着するご常連の大和さんとこれまた偶然同じ便の鈴木さんと空港で落ち合って、旭川にラーメンを食べに行くのだ。帰りにおいしいソフトクリームを食べる約束にもなっている。そして、そのことを知って残念がっている3時10分着の石井さんをふたたび空港で拾って、薫風舎へ帰ってくる。みんな、自称食いしん坊。明日の夜は、今年もう何度目だろう、みんなで餃子パーティーだ(と、勝手に決めている。)。
誰の行いが良かったか、お昼になるにしたがい青空が広がっている。飛行機の上から見た美瑛の景色は、きれいだろうなあ。向うからの便は、薫風舎が見えるんだけどなあ。だれか、見つけてくれるかなあ。
とにもかくにも、今日と明日は、ものすごいことになりそうだ。


1月24日
春の景色
ようやく昨日から雪が降り出し、雨で融けて汚くなった景色を、覆い隠してくれている。それでも、気温は相変わらず高く、生温かいような春の雪をみていると、なんだか気分も滅入ってくる。
暖かいと気分が滅入るなんていう感覚は、不思議なものだが、やっぱり夏は暑くないと、というのときっと同じなのだと思う。このまま春がきてしまうのは、なんともやりきれない。


1月23日
ムックのライバル
ムックは、部屋にいると、ほとんど寝ているか、静かに物思いに耽っている。ところが、私がちょっとでも洗濯機に手をやろうものなら、すぐさま飛んできて、洗濯機をにらみつけるのだ。洗濯機を開けて中に手をやると、もうだめだ。すごい形相で唸りはじめる。電源を入れた時のピッという音、そして洗濯物の量を測るときの空回りの音、いちいち反応してはだんだん興奮しはじめ、いよいよ始動すると、もう我慢できずに吠え出すのだ。
その度に、私は戒めたり、なだめたり、大変だ。本人も、大きな声を出してはいけない、とわかっているらしく、少し反省するのだが、洗濯機のごんごん回る音に、ついに辛抱しきれなくなってしまう。水が入って、音が少し静かになると、洗濯機の方に顔を向けて、じっと様子を見ている。そして、脱水などが始まると、再び戦闘開始だ。洗濯が終わり、私が洗濯物を取り出そうと、洗濯機に手を突っ込むのがさらに我慢できないらしく、とにかく洗濯物を干し終わるまで、興奮が続くのだ。
どうも、この症状は、去年あたりから始まったように思う。それまでは、そんなことなかったのに、どういうわけなのだろう。中に何かいるとでも思っているのだろうかと、抱っこして中を覗き込ませたこともある。いつも、ちゃんと目を見て「何でもないんだよ。」といって聞かせるのだが、その度に反省したふりはするものの、どうも納得がいかないらしい。
洗濯物が山のようにたまってしまったので、今日は洗濯デーだ。ムックとライバルとの戦いが延々と続くと思うと、頭が痛い。


1月22日
大嵐
昨日は、用があって旭川に出かけた。日曜にひきつづき充実した一日を送るべく、用事が済んだらすぐに帰ろうと思ったのだが、ついでにヤマハに注文していた児島新校訂のベートーヴェンソナタ集を取りに行ったら、主人の罠にはまって(?!)CD屋と本屋でいつものごとく引っ掛ってしまい、帰るのが6時過ぎになってしまった。
家に着くと、すごい風だった。気温は妙に高い。家に入ると、日中空けていたせいでラウンジが冷え切っている。せめて食事のあとに、ピアノの練習や仕事をしようと思って、ストーブをつけようとしたのだが、外の風が煙突から吹き込んでくる。このまま火をつけるとバックパフをおこして、家中煙だらけになってしまう。仕方がないので、ラウンジを暖めることを断念し、とにかく厨房でごはんを食べて、プライベートで、11月からなかなか観れなかった中国映画「初恋のきた道」を鑑賞することにした。
よい映画を観終わって、言葉少なく余韻に浸っていると、風の音はますますひどくなってきた。ニュース23が、スポーツコーナーに移る直前、ガタン!とひと際大きな音がして、主人が立ち上がった。二人でラウンジの方へ行って、窓の外を覗くと、すさまじい風が吹き荒れている。主人はすぐさま外へと飛び出した。私は中からデッキの上を見ると、ムックの小屋がない。風で飛ばされて木っ端微塵になってしまったのだ。しばらくして主人がもどってきた。一旦部屋に帰ると、昨日から見損なっていたスピードスケートの清水の「金メダルの滑り」は、とっくに終わっていて、主人はすっかりむくれてしまった。
しかしそれどころではない。デッキの上の臼の上にテーブル用に置いてあった、厚いガラスが飛んで、われた破片が風に飛ばされて、あちこちに散らばってしまったのだ。このまま雪が降ると大変なことになる。二人で、サーチライトと袋を持って、強風と大粒の雨の中、ガラスの破片を拾って歩いたのだった。
ようやく部屋にもどると、ニュース23はとっくに終わり、ワンダフルをやっていた。お茶をすすってため息をついたら、今度は停電だ。幸い5分ほどで復旧したが、ムックとティンクもただ事ではない外の様子に狼狽している。これ以上起きているとろくなことがなさそうだ。とにかく急いでお風呂に入り、布団にもぐりこんだのだった。


1月21日
三年ぶり
昨日は、あまりにもよいお天気だった。金内さんや塚本さんたちが帰られたあと、主人と二人、のんびり客室の掃除を始めた。部屋の窓から太陽が降り注ぎ、これから今日をどう過ごそうかと考えながら、誇らしげにそびえたつ十勝岳連峰に目をやった。そうだ、スキーをしよう。と突然思い立った。
ゲレンデには、もう3シーズンは行っていない。スキーは納屋で埃をかぶり、すっかり気持も遠のいていた。そうなると億劫さが先にたち、ますますゲレンデに足が向かなくなる。という状況を、今年は何とか打破したいと思っていた矢先。澄みわたる青空が背中をぽんと押してくれたのだった。
とはいえ、スキーどころか運動から遠ざかっていた体だ。いきなり比布やカムイのスキー場は、とても自信が無い。今日は、納屋から板や靴やウェアーを出して、とにかくゲレンデに出かけるということが重要なのだ。と、スキー用品とともに温泉グッズを車に積み込んで、近くの白金パークヒルバレーに出かけたのだった。
真っ白な雪を被る十勝岳を間近にながめながら、スキー靴に履き替え、高鳴る気持とは裏腹な重たい体を引きづって、ようやくリフトに乗った。体は、覚えているものだと感心した。小さいゲレンデを10回のリフト券を二人でなんて、あまりにももの足りない三年ぶりのスキーだったが、こんな爽快感を味わったことがあるだろうか、というくらい気持がよかった。回を追うごとに、滑れてない自分が見えてきて、今度はいつ滑りに行こうか、と言う気持ちになっただけでも、なんと意味のあるひと時であったか、と思った。
温泉に浸かって、帰りに美馬牛まで足を伸ばし、かぜまち珈房でコーヒーを飲みながらのんびりと雑誌を読んでいたら、十勝岳連峰が夕日で赤紫色に染まってきた。家に帰って、早めの夕飯を食べて、ちゃんとピアノの練習やたまっていた仕事をした。こんな二重まる、いや、はなまるな一日が、一年にどれくらいあるだろうか。


1月20日
気温差
冷え込んだ。夕べ久しぶりに、納屋の冷蔵庫にお湯を沸かした鍋を入れた。(何のこっちゃ??と思った方、昨年12月22日のひとことをご覧ください。)
朝起きると、天気予報どおりの快晴。美瑛岳と美瑛富士の間あたりに昇った太陽が、冷たくしかし燦々と光り輝いていた。裏の小川から朝霧が立ち、木々には霧氷がついていた。朝のニュースによると、旭川の江丹別で−30℃を下回ったそうだ。旭川市内で−16℃、富良野が−24℃くらい。ということは、このあたりは、−20℃といったところだろうか。
こんな狭いエリアで(狭くもないのかなあ)、この気温差は何だ?と思った。こういうことは、知識のない頭で考えても、全然答えが出るわけがない。そういえば、年末のコンサート以来、平松さんに会ってないなあ。今度、ぜひ聞いてみようと思った。(平松さんは、ご存知のとおり、ペットボトルの中で雪の結晶を作ることを考案し、世界をまたに掛けて講演をしている、旭川の高校の地学の先生です。)


1月19日
街の灯り
昨日、遅くに到着された金内さんを迎えに、6時30分ころ、美瑛の駅へと車を向かわせた。白金街道ではなく、裏の三号線から丘のほうへと上っていくと、雲に覆われた空にぽっかりと穴が開いて、そこから美しい形の三日月がのぞいていた。
月にに見惚れながら下りにさしかかると、道がぐっとカーブして、今度は、街の灯りが見えてきた。夜になったばかりの、まだ人の行き交う美瑛の街の、暖かな灯りだった。
丸山橋を渡ると、少しずつ町並みが賑やかになってきた。考えてみると、仕事柄、夜の美瑛の街の風景を見ることは、ほとんどない。商店や食堂、町を歩く人々で、夜の街は、思ったよりもずっと活気があった。まるで知らない世界へと迷い込んだような、ちょっと新鮮な感覚を覚えながら、車は美瑛駅へと到着したのだった。


1月18日
暖冬その2
昨日のひとことで妻が、この冬が暖冬なのでは。と、書いたが、今朝の道新「お天気よもやま話」に、それを裏付ける内容があったので、紹介する。
天気キャスターの祐川弘一さんによると、昨年末に北海道へ流れ込んでいた寒気が、年明けには一時的ながら本州方面へと向かうようになり、現在は本州方面に前線が形成されて、春を思わせる気圧配置になっているそうである。
なるほど、私たちが暖かな冬と感じるわけである。昨日の夜、マイナス15℃を寒暖計が指して、お、いよいよ来たかと思ったが、今日も昼過ぎからあたたかな雪が降り始めた。新しい年になって、シバレの日はまだ来ない。


1月17日
暖冬
ことしは、暖冬ではないかと思う。去年の今ごろは、最低気温が−30℃を越えて、水道が凍結したり、エンジンがかかりづらくなったりと、大変だった。冬の張り詰めた景色を、1月いっぱい楽しむことができた。
今年は、緩んだ空気に、なんとなく物足りなさを感じる。昨日、旭川まで車を走らせたら、道路の雪が解けて、アスファルトが出ていた。びしゃびしゃと水をはねながら走っていると、なんだか春のようだった。青空の色も、日の光も、真冬のものとはちがう。今日も、やわらかな日差しが一日中降り注いでいた。これで冬が終わってしまうとしたら、ちょっと寂しい気がする。


1月16日
圧雪車
今朝、聞きなれない機会の音がするので外を見ると、前の畑をゲレンデ圧雪車が通って行くところだった。
2月17日に行われる、「宮様国際スキーマラソン」のコース作りが、ひと月前から始まったのである。白金インフォメーションセンターをスタートしたコースは、美瑛川沿いをしばらく下り、薫風舎の前を横切り丘の方へと向かい、上り下りをくり返し、街中の町民センターのゴールへと続くのである。
国内で行われるクロスカントリースキー大会の中でも、とりわけ美しいと評判のコースは、こうして、ひと月も前から念入りに整備され、当日さまざまなドラマの舞台となるのである。


1月14日
あっこちゃん東京へゆく
今日あっこちゃんが、東京へ発ちました。10時50分に乗る予定が、訳あって(誰にも言うなと口止めされているので、忘れ物をして戻ったなんてことは、ここだけの話。)14時05分となりましたが、何とか無事に搭乗し、今ごろはきっと空の上で、ガイドブックをひざの上にのせて、グーグー寝ていることでしょう。
昨日ずいぶん時間をかけて迷いに迷った末、今日のランチは、銀座の「マリアージュフレール」。・・・のはずが、11時30分の空席待ちもかなわず、旭川のお馴染みカントリー調カフェとなって、がっくりと肩を落としておりました。それでも、羽田に負けぬ快晴の旭川空港からは、大雪の山々が遥か遠くまで見渡せて、きっと、窓の下を眺めながら、気を取り直したに違いありません。東京で2泊3日の食べ歩き(何でそうかね。すっかり薫風舎ナイズされている。)をしたのち、月末まで愛知でゆっくりしてくることになっています。


1月13日
エネルギッシュな週末
賑やかな週末がウソのような、静かな日曜日だ。金曜日から妹家族やあっこちゃんの友人りんちゃんとよしえちゃんが滞在して、楽しくもエネルギッシュな3日間となった。エネルギッシュの根源は、妹たちと一緒に来た白黒犬ヌンチャクだ。お客様のエリアに居るわけにいかないので、私たちの部屋に入れた。心ならずも狭いプライベートに閉じ込められたヌンチャクは、納得がいかないらしく、大騒ぎ。呆れ顔のムックとティンクを尻目に、ドアから無理やり外に出ようと、私たちが出入りするたびに必死の抵抗だ。
それでもひとたび家の外に出ると、今まで見たこともないような、広々とした雪原に大喜びで、駆け回った。スノーシューをはいた妹夫婦と、前の畑のなかを嬉しそうにあるいていた。薫風舎でエネルギーを使い果たしたらしく、夕べ家に帰ると爆睡したそうだ。
りんちゃんとよしえちゃんも、一年ぶりの雪の世界を堪能して、今朝帰っていった。明日は、あっこちゃんが4月以来の帰省。その前に、ちょっと東京で遊ぶと言って、ガイドブックを広げている。明日からますます静かな薫風舎となる。


1月10日
綿帽子
裏の小さな雑木林の枝に、しばらく前から、雪がひとかたまり残っている。葉はすべて落ち、骨組みのように枝が重なって見えるその中に。昨日から今朝にかけての吹雪で、もはや落ちてしまっただろうと、枝の方に目をやった。その少し大きな綿帽子は、あの強い風の中、どうして留まっていたのだろうか。


1月09日
プラスです
昨日、今日と暖かな日になっており、昼を過ぎて玄関の寒暖計を見ると、気温を指す針がプラスの方へと傾いています。例年、ググッと冷え込みが強まるこの時期、プラスの気温が出るとなると、却ってうすら寒さを感じるものです。


1月08日
調律
午前中に、ピアノの調律をしていただいた。少しずつ整えられ、澄んでいく音の響きを聞いていると、なにか背筋が伸び、気持が新たになっていく感じがして、心地よい。
たいてい普通の家だと、調律は年に一度、多くても半年に一度だ。うちは、夏は特にお客様に聞いていただくこともあり、頻繁な調律が必要なのだが、それにしても、音の狂い方が尋常ではなく、越してきたばかりの時は面食らい、ほとほと参ってしまった。夏は、ピアノのすぐそばのデッキに出るところのドアを開け放しているし、冬の朝晩の冷え込みや乾燥も普通ではない。このすさまじい温度差と湿度の差は、ピアノにとってはたまったものではないのだろう。
一旦狂い始めると、ピアノに向かうのもだんだん辛くなってしまう。シーズン中は、多い時は2週間に一度の調律でも間に合わない。さすがに冬のシーズンは、ぎりぎりまで我慢して弾いているのだが、もう限界であった。レッスンをしていて、5度の音程を間違って弾いたのかと覗き込んだほどだった。
きれいに音を整えていただいて、今日からしばらくは、すがすがしい気持でピアノに向かえそうだ。


1月07日
焼き梅干
今日、七草粥を食べた。昨日はほんとうに久々の休みだったので、旭川に買い物に行き、ついでに1パック380円の七草セットを買った。ほんとうに、どこでも380円だ。(去年もこんなことを書いた気がする。)
年末年始で、我が家も例外にもれず胃袋が疲れているので、朝はシリアルとおいしいりんごを食べた。なので、お昼ごはんに、七草粥を食べることにした。ちょっと残っていた鶏肉と昆布でだしをとり、発芽玄米を入れてコトコト煮ている間に、七草とセリを洗って切った。そうそう、これから今日七草粥を作るという方、七草セットの葉っぱだけでは青臭いので、ぜひセリを一束ついでに買って一緒に入れてみてください。セットの中にもセリはちょっぴり入っていますが、それでは香には全然足りないので。
七草とセリを入れて、おいしいごま油(これはぜひ高いのを買っておいてください。香が全然違う。太白のがおいしい!)を一回し。器に分けて、すりゴマ(これもおいしいのを。オニザキのオーガニックすりゴマ。とてもおいしいが、もっとおいしいのをリサーチ中。)をたっぷりかけ、さて食べようかと思ったら、主人が焼き梅干を作ってくれた。去年はなまるマーケットで血液サラサラ食品と言っていた。食べてみると、血液サラサラはさておき、梅肉がふっくらしてすっぱみが和らぎ、とてもおいしかった。たくさん作って、冷蔵庫に入れておいてもよいそうなので、ぜひお試しください。
お粥を食べ終わった後、お茶とともに、ご常連渡辺さんが旭川のぶんごからわざわざ買ってきてくださった、おばあちゃん特製栗ようかんの残りを食べた。これまたおいしかった。とにもかくにも、今年一年おいしく健康で過ごせますように。


1月06日
真冬の朝
朝起きると、まわりの木々に霧氷がついていた。細かい枝の先まで、きれいに白くなって、凍りついたような景色が、今日冷え込みが一段ときつかったことを知らせてくれた。
朝食前、薪ストーブの前に座って新聞を開こうとすると、主人が声をあげた。十勝岳連峰の美瑛岳のわずかに左、Vの字を描くように、日の光が放射線状に広がった。不思議な感じに横に伸びる雲が、青い空に折り重なり、その雲を反射するように輝く光はだんだん力強さを増して、上へと広がってきた。
その景色に、季節が真冬へとまた少し進んだことを知った。やがて、雲の合い間から太陽が、斜めに少しずつその姿を現した。
しばらくして気がつくと、空も山もみな厚い雲に覆われて、ただ静かに、融けかかった霧氷をまとった木々があるだけとなっていた。


1月05日
不思議な景色
今日は、ひさしぶりに十勝岳の山々がきれいに姿を現しました。やさしいうすみずいろの青空とやわらかな雲、それにいつもよりももくもくと立ち昇っている噴煙が、なんだか現実の世界とは別の景色を造りだしています。噴煙は、まっすぐ上に昇ってくっきりと直角にに右に曲がっています。


1月04日
ベトナム風揚げ春巻き
昨日から、薫風舎自慢の餃子をたくさん作っている。一年ぶりにお会いする水口さんファミリーや藤田さんご夫婦、去年5月、11月にも来てくださった渡辺さんに、食べていただきたいと思ったからだ。
餡をたくさん作ったので、またお昼から主人が皮をこね、餃子を包んだ。昨日から160個は作ったろうか。それでも、餡がまだ少しあまった。どうしようか、としばし考え、いい事を思いついた。昨日生春巻きも作ったので、ライスペーパーがある。これは、揚げ春巻きにするしかないでしょう!と3人で顔を見合わせ、にやりとしたのだった。ライスペーパーは、ぬるま湯ですぐもどる。餡を包んで揚げたら、ベトナム風揚げ春巻きの完成だ。アツアツをほおばると、噛むたびに頭の中がわしゃわしゃ鳴る。またひとつ、おいしいアイディアを思いついてしまった。皆さん、餃子の餡が残ってしまった時には、ぜひお試しください。
はっ!また食べることを書いてしまった・・・。昨日の決心は、いったいどこへ行ってしまったのだ?!


1月03日
自己嫌悪
賑やかな夜が続いています。ほとんどみんな、懐かしい顔ばかり。しかも連泊される方が多いので、夜遅くまで和やかな会話が弾みます。ところが、どの方とも、以前にいらした時のことを思い出してみると、おいしいお店の話とか食べる話ばかりしていたことに気づきました。昨日など、リピーターの方々それぞれと、「前に来た時には、どこそこのおいしいお店の話をしましたねえ。」などという会話がたて続き、だんだん自分で自分が恥かしくなってきました。夕べは、初めて泊まられた方は一組だけだったのですが、きっとあきれ返っておられたに違いありません。ご常連やリピーターの方も、「なーんだ、みんなとそんな話してるんだ。」と、これまたあきれ返っていたに違いありません。あまりの恥かしさに、「なーんか、いっつも食べる話ばっかりしてるみたいですねぇ。」などど、ガハハと照れ笑いしてみたりして、ますます自己嫌悪。
ああいやだ。今年は気持を改めて、食べる話は止めよう!!もっと、高尚な話をすることにしよう!!だいたい、ガハハと大口開けて笑うようなのは、だめだ。もっとこう、上品に、小さな声で話すことにしよう。本当の自分を出そう。(?!)と、お昼にお雑煮を作りながら心に決めたのでした。でも、高尚な話って何だ?むむむ。思いつかない。正月そうそう、壁に頭を打ち付けて、思い悩む私であります。


1月02日
太陽に誘われて
気持の良い青空が広がっています。やわらかな日差しに誘われるように、お客様はみんな、いそいそと出かけていきました。スノーシューで畑を散策するひとたち、初めての冬道運転で、ゆっくりと車を走らせ丘を巡る人々、クロスカントリーのツアーに参加するひとなど、思い思いの冬の過ごし方で、気持の良い一日を過ごしていることでしょう。さて、みんなが帰ってくる前に、私たちはちょっと昼寝でも・・・。窓から差し込む太陽が、眠気を誘います。


1月01日

    新年明けましておめでとうございます。
    今年も、どうかよろしくお願いいたします。

    夕べは、恒例の美瑛神社への初詣に、みんなで出かけました。雪の夜空に大きく打ち上げられた花火を見るのも、今年で8回目です。年越しそばを食べながらのおしゃべりに熱が入り、気がつくと11時45分。大急ぎで出かけました。車を降りるとすぐにドンドーンと大きな音がして、花火が始まりました。大勢の参拝の人々の列に並んで、皆何を願ったのでしょう。
    夕べ遅かったので、やっとの思いで布団からはいずりだし、お節とお雑煮の準備を始めたら、雲に覆われた十勝岳連峰の、ちょうど美瑛岳のあたりから、眩しい太陽がゆっくりと姿を現しました。しばらくすると、その上の曇り空の中にはいって、それでもくっきりと輪郭を見せていました。
    ふと気がつくと、大きな鉢に植えられたクリスマスローズの、たくさんの蕾の中の一つが、かっと花開いていました。静かな薫風舎の元旦です。