「巨匠」
木下順二脚本、大滝秀治主演、劇団民藝の「巨匠」を、一人でも多くの人に観てもらいたいと思った。父の演出する芝居を、東京公演の初日4月8日に、念願が叶って観ることができた。第二次世界大戦終戦間際、ナチス統制化のポーランドの廃校になった小学校の教室を舞台に起こるひとつの出来事。旅回りの老俳優が、ゲシュタポの前で自分の命をかけて演じた「マクベス」の科白が、そこにいた演劇志望の、そして20年後には人気俳優となった青年と、客席にいる私たち聴衆に、演劇とは何かを問う。それは、生きることの意味と言い換えることができるかもしれない。
老人は、自分の命が失われることを知りながら、自分の40年間の俳優としての人生をかけて「マクベス」を演じることで、自らが俳優であることを証明しようとする。そこには、自分が俳優でありたいという純粋な思い以外に、何一つ混じることのない、一瞬の輝きがあった。
老人が、そして、この演劇が問いかけたことを、今も頭の中に思い巡らせ、まだ答えあぐねている。
その日、家族とともに遅くにホテルへ帰った。部屋に戻ってテレビをつけると、「日本人人質事件」のニュースが飛び込んできた。自分の思いとは裏腹に、全体の中でひとつひとつの命は、その演劇の舞台となった時代とさして変わらぬ軽さになっているのかと思うと、胃の中がもったりするほどの苦しさを感じる。
4月10日
帰宅
旭川空港から、一歩外に出たとたん、身の凍る思いだった。3℃とは、こんなに寒いものか。昨日夜、汗ばむ陽気の東京から5日ぶりに帰ってきた。緩みきった体に、北海道の空気は痛かった。
5日夕方、ホテルに着くと、もうすでに劇団民藝の「巨匠」東京公演のため上京していた両親が、たずねてきてくれた。8日早朝には、スタッフというよりすっかり守分家の家族となっているあっこちゃんとチャコちゃんが、それぞれの実家から、夜行バスに乗ってやってきた。その日の夕方には、妹夫婦が到着し、ほとんど家族で過ごした4泊5日の東京旅行であった。
朝起きると、出発前はまだ真っ白だった景色が一変していた。畑の雪はほとんど融けて、ただ十勝岳連峰だけが、真っ白い雄大さを誇っていた。ラウンジからどの窓を見ても、静かな景色が広がっている。うちはいいなあ。まだ東京で楽しく過ごしているみんなに、少し悔しい気持ちを残しながら、大きな声で言ったのだった。
4月04日
出発前夜
劇団民藝の「巨匠」東京公演が、近づいてきた。昨日、一時札幌に帰宅していた父と同行の母が、東京へと向かった。私たちは、昨日荷物をホテルに宅急便で送ったので、あとは、明日出発を待つだけだ。
今朝のニュースで、「東京の桜も今日まででしょう。」と言った。それはないでしょう。今咲き誇っている桜が、明日にはみな散ってしまうのか!いや、ひと風吹いて、散ってしまうかもしれない。と、少しがっかりだ。散り桜が、かろうじて見れることをちょっとだけ期待しよう。
まあ、それはさておき、今回は演劇が第一の目的。初日8日には、薫風舎の誇る強力スタッフあっこちゃんとチャコちゃんも、妹夫婦も集結する。薫風舎ファミリー賑々しく東京揃い踏みである。
4月03日
ゆっくりいきまっしょ。
新雪の、真っ白い大きな山が姿を現し、今日は一日青空が広がった。おととい、突然あたり一面雪に覆われて、いまだに、家の中から窓の外を見ると、真冬とたがわぬ景色だ。まあ、そう焦りなさんな。のんびりいこうぜ。といわれているように思えて、なんだか、ぼおっと過ごしてしまう。そうだよな。あと一ヶ月しないうちに、また忙しい日々だ。まあ、あくせくせずに、ゆっくりいきまっしょ。外に出てみると綿あめのように柔らかい、春の雪は、そう言ってくれているように思うのだ。
4月01日
エイプリルフール
朝起きると、猛吹雪だ。窓の外を見ると、10センチ以上も積もっている。昼前、3匹をつれて散歩に出たら、ところどころ吹きだまって、ずぼずぼと埋まってしまった。ウソみたい。吹きすさぶ風と雪を頭を低くして避けながら、何とか裏の三号線まで行った。風はますます強く、温かい湿った雪がバチバチと顔に当たる。途中で引き返そうと振り返ると、向かい風に往生してしまった。これは、引き返さずそのまま歩いて一まわりしたほうがマシかもしれない。風に背中を押されながら、みな修行僧のように黙々と進んだのだった。クリのひげには、雪がついて、まるで田吾作がつまよーじでひげをつけたみたいだ。ムックの足には、山伏のように白い大きな球体が、無数にぶら下がった。うちに帰って靴を脱ぐと、ズボンのすそに入り込んだ雪が、冷たかった。とんだ4月1日だ。ホント。
3月31日
「神も仏もありませぬ。」
さっき、父から本が3冊届いた。一昨日札幌に行ったとき、「巨匠」公演の合間に帰って来ている父が、母と妹と駅まで送りに来てくれて、面白い本を紹介してくれた。そのまま電車に乗り、帰りがけにでも買おうかと思っていた。旭川に着く頃に、本の題名を忘れてしまった。ほんとうに、あきれる記憶力だ。1時間20分も覚えていられない。父に確認しようと思ったら、買って送ってくれるという。楽しみに待つことにした。
昨日本屋さんに行って、面白そうなエッセイをほかに2冊見繕い、速達で送ってくれた。さっき届いたので、さっそく開いて、部屋にしゃがみこんだままはじめのほうを読み始めたら、大笑いしてしまった。佐野洋子の「神も仏もありませぬ」。そういえば、最近おなかのそこから笑うことがなかったなあ。コーヒーでも入れて、ゆっくり本を読もうか。それとも、面白い映画でも見に行こうか。とにかく、ピアノの練習や片付けはサボって、愉快に過ごすことに決めたのだった。
3月30日
雨模様
雲行きが怪しかったので、お昼ごはんまえに、夫とふたりで散歩に出かけた。家のまわりをぐるっとひと周り。1辺約500m、およそ2Kmだ。1週間前と比べたら、うんと薄着でも寒くない。7、8℃くらいはあるだろうか。外に出ると、空も畑も何もかもねずみ色で、あまりきれいではない。それでも、体が縮こまることなく、滑る心配もなく、さくさくと歩けるのはうれしい。歩いていると、ぽつぽつと雨が落ちてきた。うちに帰るまで、何とかもってくれた。午後からは、土砂降りとなった。
3月27日
ぬか喜び?
ラウンジの山に向かうデッキの前の畑に、今年は早々と融雪剤が撒かれた。いつもなら自然に融けるのを待つので、このあたりでは一番最後まで雪が残る。雪融けを早めて、春まき小麦を撒くのではないかと思われる。昨年、本当は秋まき小麦のはずだった。種まきが8月過ぎなので、お願いして緑肥用の蕎麦を撒いてもらった。7月、デッキの前に広がる一面の白いそばの花を楽しむことができた。秋、種まきを待っていたら、どうも手が回らなかったらしく、そのまま冬になってしまった。
私は、穂先の短い秋まき小麦より、穂から伸びた長いひげが風にさわさわとなびく、春まき小麦の方がずっと好きだ。5月中旬、ポヤポヤと土の上にかすかな緑を帯び、それがだんだん大きく濃くなっていく。いつの間にか、長い穂ができ、青磁色から黄金色へと、毎日色を変える麦畑の絨毯を、薫風舎のデッキから、今までに2度味わった。そろそろ、また、と毎年期待していた。
永さんが畑に融雪剤を2度撒きに来た。いつの間にか来て、帰っていったから、確認できなかったのだが、春撒き小麦だと、勝手に喜んでいる。外れたら、ちょっとショックだなあと分かっていながら、期待は募る。融雪剤のおかげで、どんどん低くなっていく雪原を眺めながら、わくわくしている。
3月26日
ビビンバ
昨日は、久しぶりにビビンバを作った。マクロビオティック(玄米菜食)に、焼肉屋の定番ビビンバとは如何に?と思われるかもしれないが、ビビンバは自分で作ると、マクロにはかなり最適なメニューだ。野菜たっぷりで、ビタミンも食物繊維も申し分ない。
昨日旭川に髪を切りに行った(ようやく!)帰り、豆もやしやほうれん草を買ってきた。豆もやし、ほうれん草、大根と人参のナムルは、それぞれ作り方や味つけが少しずつ違うが、決め手はおいしい天然塩とおいしいごま油、おいしいゴマだ。きちんと作られ、余計なものが入らない調味料があれば、それだけで、手軽に素材の味が最大限に生かされる。これぞ、薫風舎の料理の基本である。
テンペというインドネシアの大豆発酵食品がある。これが、とても重宝する。はんぺん型に硬く成型されているので、そのままステーキなどにもできるし、炒め物もよい。ちょうど冷蔵庫にあったから、みじん切りにして、自家製コチジャン、みりん、醤油で甘辛に味付けた。昨日は、石焼ではなくそのまま食べたかったので、あとは、材料を玄米の上にのせて、ピピンして(まぜて)食べた。そうそう、キムチものせて。
帰省中のあっこちゃん、チャコちゃんが大好きなメニューだ。うらやましがるだろうなあといいながら、二人で山盛りのビビンバを食べた。みんなが帰ってきたら、ちゃんと、また作るからね。
3月25日
気の重い春の日課
すっかり春だ。2月の後半からあれだけ降った雪も、一日ごとにどんどん融けて、木々のまわりや除雪してあったところは、もう土が大分出ている。日中は、薪ストーブの火が落ちても気が付かないくらい暖かくて、体がほっと緩む。だがうれしいことばかりではない。この時期、ムック、ティンク、クリの散歩ほど気が重くなることはない。うちを出ると、土が出ているところはみんなグチョグチョ、水溜りもある。みんなかまわずどんどん歩くから、おなかまで泥だらけになってしまう。まだ表の水は出せないので、足を洗うのがとても大変だ。
今日は、仕方がないので、裏の三号線まで車で3匹を連れて行った。アスファルトの上と、まだ雪が硬く残っているところを選んで、散歩させたのだった。
とにかく雪がみんな融けてあたりが乾いてくれるまで、我慢するしかない。気の重い春の日課だ。
3月23日
JRタワー
昨年から、ひとりで札幌を往復することが多くなったので、JRタワーへの入り口を、何度も通っていた。一度も、上がってみたいと思ったこともなく、興味もなかった。
昨日、札幌駅の近くに用があったので、駅のステラプレイスに立ち寄った。二人で行くのは、一年ぶりだ。夫が何度もJRタワーに上ろうと誘うので、ひとり900円払って、エレベーターに乗った。エレベーターは、音もなくすうっと三十数階まで昇っていった。ドアが開くと、大パノラマが広がった。日本海に沿って、小樽、私の住んでいた厚田村やその向こうまでも見える。昨日は雲一つない青空で、落ちかけた夕日が、輝きわたっていた。山々をしたがえた札幌の街並みは、壮大だ。まるでブロックで作ったようなビルのでこぼこが、ずっと遠くまで続いていた。ゆっくりと歩きながら、ぐるりとまわって東の方へと目を移した。遠く、大雪山系までも見える。よくみると十勝岳連峰も小さく見えている。目を落とすと、すぐそこにテレビ塔が低く立っている。月寒にある実家はあの辺だろうか。その向こうには、ホワイトドームがあやしく光っている。
カフェでジュースを買って、夕日の見える窓辺の椅子に座り、しばらく山に落ちる太陽を眺めた。思いがけない極上の時間を味わったのだった。
JRタワーは、それを目的に行くのではなく、お天気のいい日、駅でちょっと時間があまった時、ついでの時に、不意に上がるのがいい。と思った。900円は、高いような気もしていたけれど、あの景色とあの時間を思いがけなく手に入れる贅沢があってもよいと思った。
3月20日
シーズン最終日
2日間、真冬に逆戻りしたと思ったら、今日は朝から春の日差しが心地よい。薫風舎冬のシーズンの最終日にふさわしい、穏やかな陽気となった。この冬もまた、いつものメンバーが大勢、そして中には何度も足を運んでくださった。夏とはまた違う賑やかさが楽しいシーズンとなった。3シーズン共に冬を過ごしたあっこちゃんが、今年は冬の間帰省して、ときおり愛知情報を送ってくれた。薫風舎の様子も少しは気になるらしく、ふいに電話やメールが来る。チャコちゃんと3人で過ごしていても、4人でいるような気分で、新聞の占い欄も、必ずあっこちゃんの分もチェックしていた。暖炉の前で、夫とチャコちゃんとよく噂をしていたから、時々くしゃみをしていたに違いない。
4月下旬、4人で元気に夏のシーズンを迎えられるよう、今から楽しみにしている。
3月19日
チャコちゃん帰省
一昨日、この冬ずっと共に過ごしたスタッフのチャコちゃんが、薫風舎をあとにした。札幌で私の妹の個展を観て、月寒の実家に一泊し、昨日飛行機で滋賀へと帰って行った。洗い物やら掃除やら、面倒なことをいやな顔ひとつせずにニコニコとこなしてくれて、大助かりだった。休日は、スキーに行ったり、近隣のカフェに行ったりと、いつも三人一緒に過ごしていた。テレビも映画も一緒に観た。
薫風舎のラウンジは、冬のシーズンも終わりに近づき、急に寂しくなった。これから、チャコちゃんと、この冬愛知で過ごしたあっこちゃんが帰ってくるまでの約一ヶ月、2人と3匹の生活だ。だらけて二人に怒られないよう、十分気をつけなくてはいけない。
チャコちゃん、お疲れ様でした。
3月17日
バックパフ
Winter Piano
concert
も終わり、薫風舎のまわりの景色も一変した。夕べからの土砂降りで、一気に雪解けの、ねずみ色の風景になった。今日は1日、強風が吹き荒れて、昼近く、薪ストーブがバックパフを起こした。煙突から空気が逆流して、煙がラウンジに立ち込めた。慌ててストーブの火を落としても、さほど寒さを感じない。まわりに緑があらわれるまでの約一ヶ月、どろどろとうっとうしい季節を我慢しなければいけない。
3月14日
Winter Piano Concert [
2年ぶり8度目となる、小林功さんのコンサートが、昨日行われた。今年は、いつにも増して、とても楽しみなプログラムだった。バッハのイギリス組曲第2番、シューベルト「さすらい人幻想曲」、グリーグのスロッテル、ショパンのマズルカ、スケルツォ3番。そして、アンコールには、あの「戦場のピアニスト」あまりにも有名になった、深い悲しみのメロディーが心に染みわたるノクターンが響いた。
蛯名さんによってこれ以上望めないほどコンディションを整えられたピアノが、本番を待つ。続々と、お客様が到着する。1号室に控えている小林さんの心地よい緊張感が伝わってくるようで、開演時間が近づくと、次第に私もどきどきしてくる。
端正なバッハ、シューベルトの曲の中でもとりわけ力強さが際立つ「さすらい人」の迫力、休憩を挟んでがらりと雰囲気が変わる。ノルウェイの農民のダンスが目に浮かぶスロッテルの、左手のリズムに繊細なソプラノの響きがふんわりと軽やかな楽しさ。転じて、ポーランドの荒涼とした大地が思い描かれるマズルカ。スケルツォ3番は、こんなに良い曲だったのかと、小林さんの演奏を聴いて、心が動いた。
小林さんの演奏は、いつもまっすぐに私たちに語りかける。薫風舎のラウンジは、曲が変わるたびに空気の色が変わるようだった。誰もが幸せな気分に満ち溢れ、夕暮れの時を迎えた。
3月12日
コンサート前日
2年ぶりの小林功さんのコンサートが、いよいよ明日に迫った。あの大きなテーブルを運び出し、会場を作る。椅子が足りないので、25脚ほど借りてくる。クッキーを焼いて、当日の夕食の仕込みもできるだけ早めに済ませてと、いつもながら大変な作業だ。のんびりした冬のムードを吹き飛ばす、慌しい数日は、それでも、コンサートのことを思うとわくわくする。
一昨日から荒れ模様の天気が続いた。土砂降りの大嵐から雪に変わり、昨日、今日と、べたべた雪がたくさん積もった。夕暮れ近くなって、ようやく雪もやみ、少し日が差してきた。
小林さんがもうじき到着して、コンサート前夜の、楽しさと緊張感の入り混じるひと時がやってくる。あとは、できるだけ多くの方に足を運んでいただきたいと願うばかりだ。
3月10日
大滝秀治さん
夕べ、久しぶりに父から電話があった。大滝秀治さんがTBSの「はなまるマーケット」に出演するという知らせを受けた。ひそかにそのことを期待していた私たちは、今朝3人でテレビの前に座った。
4月8日から29日まで、東京六本木の俳優座劇場で上演される演劇、木下順二作大滝秀治主演「巨匠」の演出のため、2月から川崎のウィークリーマンションでひとり暮らしをしている父は、慣れない自炊生活に、はじめは、よく電話をくれた。電子レンジや炊飯器の使い方、ほうれん草の茹で方、駅前の総菜屋で買ったキスのてんぷらの温め方。母や妹にも、同様の電話がくるらしく、皆、遠くから少しはらはらしながら、父のひとり暮らしを想像した。
劇団民芸の大滝さんから父のところへ、演出の話が来たのは、2年ほど前だろうか。北海道放送で、長年テレビドラマの演出に携わり、大滝さんとは「東芝日曜劇場」の「うちのホンカン」シリーズをはじめ、数多くの仕事をご一緒させていただいていた。数年前に退職してからは、週に一度大学に教えに行くほかは、原稿を書いたり、時々講演をたのまれたりと、なかなか暇にはならないまでも、好きな絵を描くゆとりもできた。この演出の話をいただいて、またずいぶんと先の話だなと思った。本番まで一年を切ると、にわかに父の周りが賑やかになってきた。家族もみな、心待ちにした。木下順二さんが書き下ろしたナチス占領下のポーランドを舞台にした作品の3度目の舞台化である。その作品のすばらしさについて、父から話を聞くにつれ、ますます期待が膨らんだ。劇中、ピアノの演奏がされる。そのことについて、父から音楽の相談をされると、まるで自分もかげながら演劇に携わっているようで、わくわくした。
地方公演のスケジュールができ、チラシやポスターができ、昨年暮れに立ち稽古が始まった。2月に父が本格的に向こうへ行って、だんだん本番が近づくにつれ、家族はみな、わが事のようにうれしく、どきどきし始めた。できるだけ多くの方に観て頂きたくて、お客様が来ると、私たちも微力ながら宣伝をする。
冬のシーズンの楽しみである「はなまる」の「カフェ」コーナーに、大滝さんが出ないかなあと、私たちはひそかに期待していた。父はそういうことにはとんと疎いから、見逃さないようにと心がけていたところだった。
大滝秀治さんは、放送中も、くたくたになった台本を手から片時も離さなかった。どんな時でも、持ち歩くとおっしゃっていた。そして、「巨匠」のことを、心からの言葉で語ったのだった。「演出家の守分寿男さんは、すばらしい感性を持っておられ・・・。」と父の話が出ると、なんだか自分が褒められているようにうれしかった。
3月18日神戸を皮切りに、6月末まで地方公演があります。お近くの方は、ぜひ時間を作って、足をお運びください。詳しくは、劇団民芸のHPをご覧ください。
3月08日
冬景色
今年は、ずいぶん遅くまで冬景色が楽しめる。今日もよく雪が降り、解けかかって硬くなった雪面をふんわりと包んだ。もう3月も10日に近いのに、真っ白な新雪に覆われて、時の流れを忘れさせる。いいような悪いような、少し中途半端な気分だ。
3月06日
ノスタルジア
久しぶりに、丘の上の小さな美術館へ行った。美瑛在住の写真家飯塚達央氏の写真展を観にいった。北海道各地にひっそりとかろうじてその姿を残している、廃校になった校舎や古い駅舎、小さな商店や銭湯などを、モノクロームで捉えた写真展だ。
白と黒の世界だけで描かれたその作品の一枚一枚をみていると、そこには止まった時間があった。その止まった時間の遠い向こうに、人々のざわめきや、汗のにおいや、子供たちの笑い声、北国で生活している人間の姿を感じ取ることができる。決して美しいだけではない、失われつつある北海道の生活の風景。厳しい自然と対峙しながら、そこでの暮らしを当たり前としていた「北の人々の声」に、静かに、しかし真摯に耳を傾けようとする「移住者」飯塚氏の視点は、忘れ去られようとしている大事なものを、思い出させてくれるようだった。
飯塚達央写真展「ノスタルジア〜北に流れる時〜」2004.3.5〜3.28の金土日のみ開催
場所:丘の上の小さな美術館0166-68-7977
飯塚氏の「在りし日の光景を求めて」もご覧ください。こちら。
3月05日
ミモザのリース
昨日知り合いから、ミモザの花を山のようにいただいた。ミモザと聞いたらまずミモザサラダを思い描く花より団子の私だが、文字どうり卵の黄身のような黄色い春らしい色のお花を見たら、うれしくなった。さて、このたくさんの花をどうしよう。お花好きのあっこちゃんがいれば、任せてしまうところだが、私が何とかしなければなるまい。
午前中一杯格闘して、大きなリースを作った。面倒くさがりでものぐさだから、はじめは億劫な気持ちが先にたったのだが、きれいなうちにやってしまわなければと思い切って作業を始めたら、だんだん本気になってきた。こういうものは、あまり丁寧に作ってはだめなのだ。(本当はできない。)大雑把に、大胆にやるのがいいんだよな、などと心の中でつぶやきながら、細い針金で、たわわに花をつけた太い枝をどんどん束ねていった。
さっそく玄関にかけら、どこもかしこも真っ白なあたりの景色を、ミモザのかわいい黄色が、一瞬にして春色に染めてくれたようで、うれしくなった。
3月04日
久しぶりの富良野
昨日は、予定していた仕事が思いのほか早く片付いたので、急に思い立って、3人でゲレンデに向かった。思いがけず、何年ぶりだろう、富良野スキー場に行った。うちを出たときは、吹雪まじりだったのに、駐車場に付くと、青空が見え始めた。今年は、2月後半になってから、どっかどっかと雪が降り、おまけに昨日は冷え込んだから、3月なのにゲレンデコンディションは抜群だ。おまけに、どんどん天気は良くなるし、ロープーウェイで上まで行くと、すっかり意気が上がった。
新富良野側を2、3本滑る予定が、北の峰にも足を伸ばし、富良野スキー場の広さを満喫した。こんなに空いていていいのだろうか、というくらい人がいなくて、ありがたいやら空恐ろしいやら、ちょっと複雑な気持ちになった。
そんなことはともかく、昨日のスキーは本当に気持ちが良かった。ロープーウェイ最終4時に飛び乗って、最後の最後まで楽しんだ。帰りに、長期休業を終えたばかりのシンバカフェで少し早い夕食をとって、お風呂に入って、しだいに重たくなる体を少しもてあましながら、うちに帰ったのだった。
2月28日
30分の散歩
とても運動不足で、体がなまっている。今日は、久しぶりに穏やかな青空が広がったので、急に歩きたくなった。お昼にゴーシュに行くことになったので、みんなより30分前に出発して、トコトコとあるいた。
いつも、大和さんやじっちゃん、松原さんはじめ、「歩いて丘を楽しむ派」の人々が行くコースを車が追いつくまでたどることにした。小学校の通りを丘の方へ曲がり、やがて上り坂になる。自転車ではかなりきつい坂が延々と続く。柔らかな太陽が暖かくまぶしい。ときどき日陰になると、急に冬を感じるのだった。坂の途中、ログハウスのレストランを過ぎたら、運動不足の私は、もう息が切れてきた。このさき、まだだいぶ上りが続く。時計を見るとうちから30分。せっかくだから登りきるところまでは行きたいという気持ちと、そろそろ追いついてくれないかなという気持ちが、頭の中で交錯し始めたところで、歩き始めてから3台目となるエンジンの音が聞こえた。
最近運動不足に加えて、食事もマクロから緩みがちな私は、チャコちゃんに頼んで、夕べの残りで小さい小さい玄米おにぎりを2個作ってもらった。汗を拭きながら、ゴーシュに向かう車中で、おにぎりを食べた。ゴーシュのまわりは、うちよりさらに雪深く、看板犬ゆすらの家は、雪に埋もれてまるでかまくらのようになっていた。ゴーシュでは、夫とチャコちゃんは、いつものようにツナメルトのサンドイッチ、私はひとりぐっとこらえてコーヒーにしたのだった。
2月27日
逃避行動
最近、音楽のことを書いていない。もう3月になろうとしているのに、今年はピアノの練習が思うように進まず、かなり追い詰められた気持ちになってきた。きっと、音楽に対して逃避的な気分になっているからにちがいないとおもうと、ますます焦ってしまう。
毎年、冬の間に自分に課題を課し、次のシーズンの譜読みをする。実際は、仕事をしながら、合間を縫っての練習なので、思っているうちのいくらも進まず、なんとか数曲の暗譜をゴールデンウィークに間に合わせるのがやっとだ。それでも、一年の自分のテーマを、自分なりに悩み苦しみながら考え、途方もない大きな壁を少しずつ切り崩しながら、シーズンを通して、手探りで自分の演奏を模索している。ぱっと目の前が晴れることもあるが、そのあと、また袋小路に入り込んでいく、その繰り返しだ。
去年から、シューベルトに取り組んでいる。あの、言いようのない美しさを、どうとらえ、表現すればよいのか、つたない技術で少しでも、シューベルトの音楽に近づこうと、練習している。その、練習すること、取り組むことそのものは、とても楽しい。楽しいのだが、その時間をなかなか確保できないことがもどかしい。そして、だんだん気が重たくなってくる。逃避的な気分になってくる。
毎年、こんなことの繰り返しだ。ここに、こんなことを書いていること自体が、もう逃避行動である。そんなことより、ピアノに向かわなくてはいけない。
2月26日
またもや
またもや荒れ模様だ。今朝起きると、吹雪だった。23日の雪とは違い、大きな牡丹雪で、窓の外は真っ白になった。明日も雪の予報が出ている。
2月24日
吹雪のあと
凄まじかった昨日の暴風雪も、夕暮れとともに落ち着いた。夜には、星が出た。朝起きると、普通に雪が降っていた。それでも、午前中一杯、夫とチャコちゃんは、昨日できなかったところの雪よけに追われた。お風呂の前のデッキの吹きだまった雪山はすごかった。湿った重たい雪に覆われた雪原は、今までよりもずっと高く、なにか圧迫感すら感じる。
2月23日
閉ざされる
今朝クリとティンクに起こされた。隣を見ると、夫はもういない。そういえば、ずいぶん早くからいないような気がしていた。まだ寝ぼけた体を無理やり起こして、パジャマの上から防寒用の上下を着込んだ。2匹を連れて外に出ようとすると、夫は除雪をしていた。昨日から降り続いていた湿った重たい雪が、またずいぶんと積もっていた。気温は高く、雪は相変わらず降っていた。
夫が除雪を切り上げ、久しぶりにプライベートで、3人で朝食をとった。ふと窓の外を見ると、ものすごい吹雪になっていた。吹雪というよりもブリザードだ。こんなすさまじいのは、美瑛ではほとんどお目にかかったことがない。
「てるてる家族」が始まると、上下左右、吹雪による交通情報が流れ出した。高速道路は通行止めが相次ぎ、JRもずいぶん止まっている。空港も閉鎖され始めた。全道大荒れの模様だ。
この様子では、おそらくうちの前も車を出せる状態ではないだろう。北海道はどこも閉ざされているに違いない。家の中は、のんびりした休日の朝なのに、気持ちがざわつく。九州や、四国や本州が、こんな嵐に見舞われたら、全国ニュースで大騒ぎするのに、テレビは、どの局もいつもどおりで、はなまるマーケットの間のニュースでも、話題にもならない。10時を過ぎて、ようやくNHKのローカル放送が、臨時ニュースをはじめた。国道もあちらこちらで閉鎖された。めったに止まることのないバスも、運休が相次いでいる。尋常ではない事態になっている。これは、明日まで家の中でじっとしているしかない。今日は特に予定もないし、それほど困ることはない。とはいえ、こう風が強くては、薪ストーブはつけられない。プライベートに閉じこもるのはかなわない。そう思いながら、掃除や洗濯を始めたのだった。
昼過ぎ、ラウンジに出てきて驚いた。お風呂の前のデッキや山に向かうデッキが、吹きだまって、雪山ができている。コニファーのある庭側は、除雪してある部分がすっかり埋まってしまって、ラウンジの窓のところまで、雪がびっちり来ている。裏の小屋も埋まりそうな勢いだ。不思議なことに、玄関側は、風で飛ばされて、雪はほとんどない。こんなことは、美瑛に越してきてから、初めてだ。なんだか、南極昭和基地にいるような気分になってきた。
夕方近くなって、ラウンジのストーブがようやく着いた。3人で、ストーブの前でコーヒーを飲んで、昨日焼いたバナナマフィンを食べた。雪は、少しおさまったかと思うと、また激しくなってくる。風は相変わらず強い。コーヒーを飲み終えると、夫は思案の末、吹雪の中除雪に出かけた。チャコちゃんは、デッキの上の湿った重たい雪山を降ろしはじめた。あたりは、あやしくねずみ色に暮れ始めた。
2月22日
無題
18日の「ひとこと」に、ぐうたらな昼寝ぶりを書いてから、ずっと更新できなかったので、まるでずっと昼寝生活を送っていたみたいに思われてしまうと、心配になった。2週間ぶりに札幌に行って、高校時代の親友と会うことができた。昨年オープン以来、ちょくちょくありがたく利用している、マクロビオティックのレストラン「知恵の木」で、母や妹も一緒にランチを食べ、そのあと二人で酵素風呂に行ったりして、夜まで楽しく過ごした。私と違って、来年どちらも受験生の2児の母で、仕事もしている親友は忙しい。酵素風呂のあと、お宅にお邪魔したら、私の元ピアノの生徒だった長女は、すっかり大きくなって、塾に行く前に一生懸命勉強をしていた。
次の日、母と妹に駅まで送ってもらって、3人で昼食を食べ、いつものようにスターバックスでお茶をして、2時のホワイトアローに乗った。母と妹は、私が動き回りすぎるから帰ってから疲れたとこぼしていたが、お昼を食べてお茶をしただけだから、そんな覚えはない。でもきっと、毎日冬篭りの生活だから、たまに街に出ると思わず歩幅が大きくなり、あれこれと目に入り、テンションが上がるのかもしれないと、あとから思った。
それにしても、今年の冬はあっけなかった。やっと来たと思ったら、さっさと立ち去る準備をはじめたようだ。札幌は、もうすっかり春めいていた。美瑛は、昨日も今日も、湿ったいやらしい雪が降って、どろんとしている。あまり季節に期待せず、毎日を淡々とありがたく過ごすようにしようと、心に思ったのだった。久しぶりに書いたら、なんだか脈絡がなくなった。タイトルもつけられないから、無題にしておこう。
2月18日
昼寝
穏やかに晴れて、夕方になって、山が浮かび上がってきた。あたたかいから、歩くスキーや散歩も気持ちがよい。滞在中のご常連、下村さんや長谷川さん、それぞれ自分の楽しみ方で、きわめてのんびりとマイペースな一日を過ごされたようだ。
私たち3人は、お天気にそそられつつ、お昼ご飯を食べたら布団にもぐりこんで昼寝をしてしまった。お二人よりずっと若いのに、いけないなあ。見習わなければ。
2月17日
女子高生チックな数日
先週、携帯電話の機種変更をした。バッテリーがいよいよ持たなくなったので、仕方なくかえることにした。シンプルなもので安いのでといっても、最近はカメラ、ムービーは当たり前で、ちょっとした文明開化だ。おもしろい。
2日遅れで、夫が新しくした。普段そういうものには私以上に興味を示さない夫が、これがいいと言って、高いのを選んだ。カメラの性能が一番よいものだ。文明開化は2日天下で、まるで大人と子供のように性能が違うので、ため息が出た。
それでも、今までと比べると、格段に色々なことができる。カメラなんてとバカにしていたのに、無意味に写真を撮っては、目の前の夫やチャコちゃんとメール交換。ムービーを撮って、3月から公開される芝居の演出で川崎に行っている父や札幌の母に送ってみたり、まるでいまどきの女子高生のような数日を送ってしまった。おまけに、着メロにもはまってしまって(いままでやったことないのに。)、いろいろとダウンロードした。料金が加算されて行くことにおびえながら、それでも気になる曲を聞かずにはおれない。だんだん退廃的なムードになってきた。こうやって、今の人(今の人って誰のことだろう?)は、携帯にはまっていくんだ。ああおそろしや。そうつぶやきながら、ダウンロードした着メロを、それぞれの人に振り分けるのに忙しい。そうして、気がついたのだが、私にはほとんど電話がかかってこない。たまに鳴るのは夫の携帯からの着メロ「てるてる家族」だけだ。ああ、つまらない。そう思って、時々データフォルダーをあけて、音を聞いてみたりして、ますますばかげている。
そんな無駄なことに時間を費やすのはもう止めよう。それより、せっかくだから、薫風舎のまわりのあれこれ、「携帯カメラ便り」で皆さんにお見せします。目標「毎日更新」!あ、これは、高性能携帯の夫が主に担当します。
2月16日
クリと散歩
なんだか体がぼけボケしているから、お昼前にクリに付き合ってもらって、散歩に出かけた。ずいぶん早い春の陽気に、屋根の雪もこの2、3日でどかどか落ちた。よりいっそう日差しがまぶしかったので、いつもより薄手のジャケットで外に出たら、今日は風が冷たかった。
三号線を山に向かって、500m先の十字路を小学校の方に曲がる。しばらく歩くと、昨日の宮さまスキー大会の歩くスキーのスタートのあとが踏み固められてのこっていた。そのまわりの雪原は風で吹きさらされて、硬い雪紋ができていた。クリとふたりで、硬い雪の上を歩いて、スタート地点まで行ってみた。歩いても、足跡もつかない。そのままこっそりコースを歩き、小原さんのうちの前まで来た。
ひっそりとした大会後のコースを歩いて、なんだかのんびりとした気分になったのだった。
2月13日
豆腐チーズケーキ
マクロビオティック(肉、乳製品、魚、卵、砂糖を避ける玄米菜食)の食事に切り替えて、1年4ヶ月、最近ずいぶんいい加減になった。あまり厳格にしてしまうと、何か体に足りないような気もするし、東京や札幌と違ってマクロのお店もないこのあたりでは、外食もできなくなってしまうので、あえて、少しゆるくしているところもある。そのくらいが、自分たちには丁度よい気がしている。
それでも、少しお肉や魚を食べると、重たくて、玄米や野菜や豆を体が無性に欲する。そういうからだの声が今のところちゃんと聞こえてくるから、時々外でご馳走を食べる時にも、安心しておいしくいただける。
ただ、白い砂糖は本当に受け付けなくなった。テレビでケーキ特集を見ても、街でショーウインドウをのぞいても、心動かされない。甘さを想像するだけで、だめなのだ。甘さだけではない。たっぷりのバターと卵は、うっかり一切れでも口にすると、しばらくもやもやと気持ちが悪くなって、そのたびに後悔する。
その代わり、東京の伊勢丹本店にある茶屋マクロビオティックレストランや、竹橋のクシガーデン、札幌に数件できたマクロのお店のデザートのおいしさは、たまらなくうれしい。夏に時々あっこちゃんが作ってくれたケーキもおいしくて、幸せな気持ちになる。この冬はあっこちゃんが愛知に帰っているので、たまにだが、時間と余裕ができると、マフィンやアップルパイを作った。このまえ、豆腐チーズケーキを作ったら、とてもおいしかった。マクロのお菓子の本を見ると、それぞれパティシエが工夫を凝らしていて、こくがあり目にも美しいケーキになっているが、その中で一番シンプルなものを作ってみた。豆腐とメープルシロップとレモンと岩塩少々、葛粉、これだけ。これが、ふんわりとやさしくて、素朴な味わいだ。タルト生地も作らず、アーモンドプードルを敷くだけ。冷凍庫にブルーベリーがあったので、上にのせて焼いてみたら、立派なブルーベリー豆腐チーズケーキになった。
もう少し時間に余裕があれば、いつも作って、皆さんにもお出しできるのだが、なかなかそこまで手が回らないのが残念だ。冬のうちに、あと何度作れるだろう。
2月12日
冬来たりなば
昨日も今日も、暖かい。2月も中旬だから、もう春めいて当たり前だ。今日は、朝起きて、寝巻きにフリースを羽織り、はだしにサンダル履きでデッキま出ても、寒く感じなかった。冬が遠のくのはとてもさびしいが、体は暖かい方がずっと楽だと思う。日中はもっと気温が上がり、時々、ザザッと音がして、屋根の雪が落ちた。そのたびに、ムックが驚愕する。ムックは、うちに迷い込んでくる前、屋根の雪が落ちることでよほど怖い目にあっていたのではないかと、この季節になるといつも思う。そう思うととてもかわいそうで、「大丈夫だよ、大丈夫だよ。」と、背中をさすってなだめる。他の2匹は、そんなことそ知らぬ顔で、のほほんとしている。
暖かくなると、道路もべちゃべちゃして、道端の雪もぐっと汚くなる。冬来たりなば春遠からじ。複雑な気分だ。
2月10日
往復書簡
ku:nel(クウネル)という雑誌が、昨年マガジンハウスから創刊されたことを知っていた。時々、目にして気になってはいたのだが、「私はこんなに素敵に暮らしています。」、というちょっと「いかにも」な感じが何となく鼻につき、敬遠していた。
先日、Ries
cafe
に行った時に、本を持っていかなかったので、手にした。ぱらぱらとめくっていると、「江國香織姉妹の往復書簡」という連載に目が留まった。江國香織と妹の春子さんとの文通を、便箋への手書きそのままに印刷したものだ。食べることやと阪神タイガースが大好きな江國姉妹の何気ないやりとりを読んでいると、なんだか、自分と妹の会話を重ね合わせてしまう。それがおかしくて、ついつい引き込まれた。二人の日常生活を見る目、感性の鋭さにどきどきさせられた。そして、食いしん坊なところや友達のような感覚に、とても親しみを覚えたのだった。私と妹は、二人とも筆不精だし、なんだか照れくささもあって、あまり手紙のやりとりをしない。懐かしい漫画とか、チラシの原本とか、うちで採れた野菜とか、しょっちゅう送ったり送られたりしているのに、めったに何も書き添えない。その分、携帯のショートメールと電話には、お互いの夫にあきれられる。いつもくだらない話ばかりしているような気もする。江國姉妹のように洗練された姉妹を目指そうか。たまには、手紙もよいなあと思いながら、ニヤニヤ読んでしまった。
昨日、久しぶりに本屋へ行った。ku:nelを見つけて、どうしてもまたあの「往復書簡」が読みたくなった。バックナンバーも加えて、2冊買ってしまった。本屋の脇のいつものカフェで、夫と待ち合わせる間、またニヤニヤしながら読んでしまった。「往復書簡」読みたさに、次号も買ってしまいそうだ。
2月09日
東川の日曜日
昨年から、休日というと、隣町の東川で過ごすことが多い。トムテ、山麓茶屋&ギャラリーZen、Good
Lifeなど、おいしくて素敵なカフェがたくさんあって、北の住まい設計社をはじめとする工房がたくさんあって、天然酵母のパン屋さんもある。そして、最近非常に気に入ってよく利用しているトロン温泉がある。これが、そこらの温泉よりもずっと暖まり、汗もたくさん出てよいのだ。
昨日は、美瑛の友人と半年以上ぶりにランチをしようと、ギャラリーZenに行った。楽しいおしゃべりのあと、夫とチャコちゃんに迎えに来てもらい、トロン温泉に行った。ここは、建物はあまり新しくないし、露天風呂など設備もさほど派手ではないが、お湯がとてもよくて効くような気がすることと、湯船のところにたくさん能書きが書いてあって、その長い文章が、読んでいるうちになんとなく効いてきたと思わせてくれること、それに休憩室となっている広間が禁煙であることなど、とても気に入っている。熱めの湯に浸かると必ず読む能書き、特に気に入っている部分は「絶対に他の追随を許さない・・・」ということろだ。かなり昔のものらしいし、そんなこたあないだろうと内心思いつつも、信じるものは救われると、自分に言い聞かせる。汗がたくさん出るので、広間で一休みすると、近所のお年寄りたちが、皆ごろごろしている。私たちも、気取らずごろごろできるのがよい。
昨日は日曜だったから、帰りにトムテに立ち寄ることができた。冬季は週末営業なので、なかなか寄ることができなかったので、うれしかった。もう暗くなりかけていて、ご近所のご常連らしき人が集い、お酒好きのご主人と一杯やり始めた。いつものトムテとはまた違った、柔らかな雰囲気が楽しく、ついつい長居をしてしまったのだった。
家に帰ってくると、もういい時間となっていた。また仕事をためてしまって、ちょっぴり反省。日曜日なんだから、まあいいか。
2月07日
春めく
今日は雪がやんで、白い太陽が雲をすかしてツララを溶かしている。ことしは、やっぱり暖かい。日差しが強くなると、気持ちも体も、春に向かっていく。そういえば、真冬は根菜ばかり食べていたのに、小松菜とかほうれん草とか、青い野菜が無性に食べたくなってきた。そろそろ、冬眠から覚めなければいけないのだろうか。
2月03日
タイムトンネル
気になっている店があった。昨年の春ごろだっただろうか、国道237号線旭川へ行く道沿いの古い住宅が、なにやら物々しく改装工事を始めているのを見つけた。何ができるのだろうと、興味がわいた。2週間に一度札幌へ行った帰り、富良野線の車窓からぼんやり外を眺めると、目に留まる。どうやら喫茶店らしきものができるらしいことがわかった。そのうち、いつの間にかオープンの看板がついて、いつもそこだけ薄明かりがともっていた。
普通の農家の廃屋が、少し時代遅れのWoodyな外観に生まれ変わり、バイクや革ジャンやBudwiserの匂いがする。気にはなるが、入るにはちょっと勇気のいるたたずまいに、なかなか訪れる機会がなかった。昨日夜、旭川へ行った帰りに、3人で勇気を出して、その店に入ってみた。
タイムトンネル。木の扉を開けると、そこには思いもかけない20年前の世界が広がっていた。古きよきアメリカとバイクの好きな店主が、あたかも20数年前からずっと変わらずにやっているような、そんな店だった。学生時代、こういう店がかっこよかった。オールディーズがジュークボックスからうるさすぎず流れて、やや乱雑に、アメリカっぽい雑貨が飾られている。サントリーのこげ茶の灰皿が、嫌煙家の私ですら懐かしく、思わず触ってしまった。
メニューがまたいい。コーヒーを飲むつもりなのに、隅から隅まで眺めた。ハンバーグセットやドリア、スパゲッティにカレー、ピザと、思いのほか食べるものが沢山ある。夫は、おなかいっぱいのはずなのに、アメリカンクラブサンドを注文した。
きっと入ったらがっかりするよと、店の前を通るたびに夫と話していた。バイクも革ジャンも趣味じゃないから、居心地も悪いだろうと予想していた。それが、思いもかけずに突然異空間にタイムスリップして、こんなに懐かしいうれしい気分になろうとは。すっかりその店にはまり込んでしまったのだった。
コーヒーが運ばれてきた。この香り。酸味の効いた昔のブレンドの深すぎない焙煎のコーヒー。この味が東京ならいざ知らず、このあたりでまだ飲めるなんて。そして、ほどなくボリュームのあるアメリカンクラブサンドが登場した。目を見張った。喫茶店にして、この丁寧なこだわりのある作り方。ただごとではない。私は、一切れはとても無理だから、一口だけと味見をした。衝撃的な味だ。私たちの学生時代には、こういうおいしい食事を出してくれる喫茶店が確かにあった。その店独自のこだわりのメニューがあった。それが、いつの間にか皆同じレトルトになり、個性的な店はなくなり、そのうち喫茶店はすっかり影を潜めた。時を経て、世にカフェブームが起こると、素敵なランチを出してくれるカフェが、沢山できた。このあたりにも、とてもセンスの良いおいしいカフェがずいぶん増えて、それはとてもうれしいことではあった。でも、このアメリカンクラブサンドの郷愁を誘うおいしさに、涙が出そうに感動したのだった。ああよくぞ、この味を守り続けてくれました。うれしすぎて、おなかいっぱいなのに一切れみな食べてしまった。
小さい頃から喫茶店好きだった私が忘れかけていた、この味、この雰囲気。ぐっとくる店を出て、うちまで余韻を引きずったのだった。「定休日はいつですか?」帰りがけに夫が問いかけると、「ないんです。すいません。」はにかみがちに小さい声で答えた、寡黙そうなひげのご主人の表情が印象的だった。
この店の良さ、わかってもらえるかなあ。美瑛周辺の歩き方、超上級者編です。ビギナーは、やめておきましょう。
2月02日
冷蔵庫で仮眠
冬は緩んだと思うと、また舞い戻ってくる。2月はその繰り返しだ。昨日は、日中も夜もさほど寒さを感じなかったのでちょっと油断をしていたら、10時過ぎ、三クリ兄弟の散歩から帰ってきた夫が慌ててお湯を沸かし始めた。空がキンと晴れて、それと同時に気温がぐぐんと下がって、納屋の冷蔵庫が−1度をさしていたそうだ。
納屋の大きな業務用の冷蔵庫は、冬貯蔵している野菜たちが凍らないようにと購入したものだ。かなりの寒さにも耐えて、何とかジャガイモや人参、そのほかの野菜や食材たちを守ってくれるのだが、マイナス17、8度を下回ると、かなり厳しい。冷え込んだ夜は気が気ではなく、鍋にお湯を沸かして、湯たんぽ代わりに冷蔵庫に入れに行く。
数年前購入して初めての冬、気温がマイナス20℃を下回り、夜中に中のものを出して車に積み込み、うちの中へとすべて運び込んだことがあった。こんなこと頻繁にあってはかなわわないと、私が湯たんぽを思いついたのだった。思いついたものの、こんなもので効くのかと半信半疑だった。が、夫いわく、中に入れて5分経つと、冷蔵庫の温度計が1度上がるそうだ。おそらくその後、2,3度は上がるだろう。庫内が夜でプラス3度以上あれば、何とか大丈夫だ。
こんな心配は、こちらへ来るまでは考えられないことであったが、今では冬の日常生活である。夜11時をまわって、さてそろそろ寝る準備をしようかというときに、大きな鍋にお湯を沸かし、寒い中納屋に持っていくのは、ひと苦労だし、今日は持っていくべきか否かを判断するのも、ちょっとしたストレスだ。でも、そのおかげで、おいしい野菜が納屋の冷蔵庫に守られて、冬中楽しめることを考えると、そのくらいは我慢しなければいけない。冷蔵庫で仮眠して一段とおいしくなった野菜を食べると、つくづくありがたみを感じる。
1月31日
冬緩む
昨日から空気が緩んでいる。夕方出かけるとき、帽子もマフラーも不要だった。夜も気温が下がらず、街の温度計はマイナス6℃だった。帰ってきたら、屋根の雪が少し落ちていた。
気温が上がると、とたんに雪も温む。雪原が、暖かそうに見える。空の青さも優しくなる。ツララから、ぽたぽたと水滴が落ちて、それが新たなツララを作っている。厳冬の一月が終わろうとしている。
1月29日
初滑り2
今朝は、少し筋肉痛だ。昨日、急に思い立って、2年ぶりにゲレンデに出た。3人で、2時間ほど。私と夫は前時代的重たいまっすぐなスキー、チャコちゃんはスノーボードで、7本滑った。
ここ数年、本当にゲレンデから足が遠のいた。一昨年数年ぶりに滑ったといっても、足慣らしに白金パーク昼バレーに1回、大きなスキー場は、あっこちゃんと3人で比布に1回だけ。滑ったうちにはいらない。昨年はとうとう一度も板を出さずじまいだった。
お客さんのある日は、到底無理だし、休みの日には、たまった仕事が山ほどある。ピアノもある。玄関を出てすぐにできる歩くスキーが、できてせいぜいなのだ。でも、滑らなきゃなあと、いつも冬になると心の隅で気にかかっていた。
今年は、チャコちゃんもボードをやるし、雪が降る前から掛け声だけはかかっていた。それなのに、もう一月も終わろうとしている。これではいけない。一日がかりになるから、なかなかいけないのだ。お昼にちょっと行って、滑って、帰ってきて仕事をすることを気軽にやる、習慣をつければいいのだ。と思いついて、昨日は、そのきっかけ作りをしたのだった。最近よく行く、東川のキトウシ森林公園のラドン温泉の横に、ちょうど良いゲレンデがある。少し滑って、温泉に浸かり帰ってくることにした。
駐車場について、靴を履くところから苦労する。スキーが重たい。リフトに乗るのも、ちょっと怖かった。それでも、頂上に上がって、滑り出すと、体が覚えているものだ。爽快に7本滑り、あともう少しというところで止めた。疲れもない。なんだ、これなら明日にもまた滑れるかもと思いながら、駐車場に戻って靴を脱ぐと、急に体が鉛のように重たくなった。お風呂にはいるのもひと苦労だった。長く浸かっていることもできず、早々にあがって休憩所に行くと、意識が遠のき、しばらく寝入ってしまった。帰りに、Zenでお茶をして、うちに帰る頃には、もう暗くなっていた。
だるい体をもてあましたが、それでも夫とチャコちゃんは仕事に、私はピアノに向かったのだった。
今日はとても滑る気にならないが、体を慣らすため、あまり間を空けずに、また行きたいと思う。いや、行かなきゃだめだなあと思う。
1月26日
初滑り
昨日は、旭川に買い物に出て、急いで帰ってきた。帰る道すがらの大雪山系、十勝岳連峰がすばらしく、青空にむずむずわくわくしたのだった。そこに、お客様の到着が遅れるとの連絡があり、うちに着くなり3人で、今年初めての歩くスキーの用意をした。
すでに、山は赤紫へと色を変えつつあった。一番に身支度を整えた私は、玄関前のきらきら光る新雪を踏みしめて、前日ご常連の長野さんがつけてくれた跡をたどった。スキー跡は、ようやくスノーモービルでコース取りをはじめた宮さま大会のコースへとつながっている。傾きかけた夕日に向かうか、赤紫色に輝く山に向かうか一瞬迷ったが、あらためてコースから山を見ると、山の美しさに息をのみ、そちらへ吸い寄せられたのだった。真正面に十勝岳を見ながら、まだきちんと整備していないスノーモービルの跡をずんずんと進んでいった。まぶたが凍って、ぱちぱちとする。それでも、歩いているとだんだん汗をかく。小学校へ向かって進むと、大きな山の手前に、薫風舎を訪れた人ならみんなが知っている、畑の向こう側のあずき色の二つの納屋が近づいてきた。山の裾野の広大なカラマツ林の丘も、山も、納屋も、みな同系色に溶け合った。
澄んだ空気が、体いっぱいに入ってきて、気持ちがいい。振り返ると、夫もチャコちゃんも、それぞれのペースで、このあまりに美しい風景を楽しんでいるようだった。
赤紫色の景色に背を向けて、薫風舎へと変える頃、もう夕日は丘の向こうへと姿を消していた。ほんの2、30分の出来事だった。
1月25日
きらきら
今日は、昨日よりもさらに良い天気だ。太陽を浴びて雪面が融けて凍って、宝石をちりばめたようにきらきらと光っている。山の陰影が、十勝岳連峰をひときわ大きく見せる。ダイアモンドダストがちらちらと舞っている。ラウンジの屋根から延びたほそい氷柱(つらら)の先端にも日が当たって、きらきらと輝いている。
1月24日
冬の時間
雪が降っては晴れ、また降っては晴れて、昨日、今日と、とても美しい景色が広がった。新雪が、かすかに春めいてきた日の光を浴びて、輝きわたっている。十勝岳連峰が、いつもよりずっと雄大に見える。
あんまり気持ちがいいから、三人で景色を見がてらGoshまでお昼を食べに行った。お店に入ると、滞在中のご常連水口ファミリーとばったり会って、皆ちょっぴり照れ笑い。そういえば、冬はこういうことがたびたびある。去年の冬だったか、小林さんと八木さんご夫妻が偶然出くわしたところへ私たちも参入し、大笑いになったこともあった。ここに、やはり滞在中の小林さんが入ってきたら、ビンゴである。と頭をよぎったが、小林さんはきっとお昼を食べる時間も惜しんで撮影しているに違いない。
スキーを担いで白金温泉へ行った大和さんも、この天気と雪なら、きっとがんがん滑っていることだろう。
冬になると、ここには夏とは違う時間が流れている。みんな、その冬の時間をそれぞれに楽しんでいる。
1月23日
クリスマスローズ
今年は、もうだめだろうとあきらめていたクリスマスローズに、蕾がついた。数年前に大きな鉢を買ってきて、植え替えて、夏は外に置きっぱなし、霜が降りるまえに、うちの中に入れていた。毎年11月、うちの中に入れたときには、とても花など咲きそうにないのに、ちゃんと蕾が出てきて、茎がすうっと伸びて、薄い赤紫色の不思議なグラディエーションの花を沢山咲かせてくれた。
昨年中に入れたとき、もうさすがに育たないのではと思った。それでも、あっこちゃんに代わって、チャコちゃんがお水をあげてくれていた。
廊下やラウンジに置けば、いくらか日に当たるのだが、ぐんぐんと冷え込んだとき、凍ってしまうのではと心配になり、ハーブと一緒に暖かいがあまり日の当たらない場所に移した。毎日見るたびに、お日様に当ててあげたいとおもいながら、あまりに鉢が沢山あるので、動かせずにいたのだった。
10日ほど前だろうか、土から芽が出て、蕾らしきものが現れた。あっという間に茎が伸びて、ほころんできた。なんという生命力の強さだろう。いつもより一ヶ月遅い開花。蕾の数もずっと少ない。それでも、必死に花を咲かせようとするクリスマスローズは、すごいと思った。春には、土を入れ替えてあげよう。肥料も少しあげよう。来年は、元気に沢山の花を咲かせるように願って。
1月21日
札幌の道路状況
昨日一人札幌に行って、たった今帰ってきた。札幌は2週間前とは別世界で、道の両脇には捨て所のない雪がうずたかく積まれ、住宅街は雪に埋もれそうになっていた。実家の裏庭から妹の家のベランダへと続く数メートルの小道は、両脇が雪の壁になっていて驚いた。妹いわく、これでも気温の高い時にだいぶ沈んだそうで、もとは背の高さほどもあったそうだ。先週の大荒れの天気は、やはり札幌の方が相当ひどかったのだと思い知った。
札幌の冬は住みづらい。なんといっても、道が悪すぎる。日中も気温が低く除雪も行き届いている美瑛に来て、つくづく思った。このところ暖冬続きで、日中道の雪が融けるから、なおわるい。夕方暗くなると、融けて水となった雪が氷となり、アスファルトはビカビカのブラックアイスバーンと化す。おまけに、除雪が悪い。国道以外は、話にならないほど悪い。あるところは、テカテカのすり鉢状に、あるところはソロバン道路(ソロバンのように、でこぼこと突起物が出る。これは、見たものでなければ想像もつかないだろう。)、そして道は夏の半分の幅となり、渋滞して、目的地までは倍の時間がかかる。
ずっとそんなところで車生活をしていた。ピアノは、半分が出張レッスンだったから、いやおうなく運転していた。美瑛に来て、その寒さに驚いた代わりに、スタッドレスがよく効くことと、道のよさに感心した。雪の量も、どうみても札幌より少ない。夏と同じとは行かないが、札幌に比べたら天国である。おかげで、実家に帰って車の運転に二の足を踏んでしまう。今回は、忙しい妹を拝み倒して、運転手をさせてしまった。今度はそうは行かないので、再来週10年ぶりの札幌市内の運転に、今から心の準備をしている。
1月18日
悪いライン
ムックとクリは、悪いラインだ。普段部屋の中では、いばってめったにクリの相手をしないくせに、うっかり二匹一緒に外に出すと、ムックはとたんに番長づらをしてクリを誘い、私たちを煙に巻いてすっ飛んでいく。クリは、腰ぎんちゃくのように親分の後を追う。
今日は、ティンクがオシッコをして戻ってきたスキに、ムックが外に飛び出し、ティンクと一緒に出てふらふら遊んでいたクリをけしかけ、あっという間に雪山の向こうへと消えていった。私は夫を大声で呼んで、慌てて外へ出る装備を整えた。上下着込んで、防止や手袋、首巻、それに雪が入らないようにスパッツもはいて、防寒靴も履いて、もたもたと時間が過ぎる。焦りながらスノーシューをようやくはいた。二匹が消えた雪原へと歩き出すと、夫が車を出そうと外に出てきた。「そんなの間に合うわけないよ!車の方が早いよ!」とさけんだ。そんなことは分かっている。でも、ここまできたら二匹の足取りを追って、私も雪原を歩きたい。デッキ前の畑に入って、「クリー!!」とさけんだ。クリが、川の手前の雪山から、心細そうに顔を出した。どうやら、雪の中を歩くのが怖くて、戻ってきたらしい。夫が慌ててクリを玄関の中へと入れた。ムックの方は、畑の向こうのネネちゃんのところと行き先は分かっている。あとは車に任せるとして、せっかくなので私はムックの足跡をたどって、スノーシューで雪の中を歩いていった。途中、白樺のちょっと手前、ほやほやと湯気を上げるムックのうんちを発見。うれしくなる。
雪面は薄日を浴びてきらきらと光っている。足元の立ち枯れたねこじゃらしやススキの穂、低木の枝の先の先まで、びっしりと霧氷がついていた。腿を大きく上げて雪の中を歩くのは、本当に気持ちがいい。引き返すきっかけがなくて、ずんずん歩いていると、雪面の向こうに夫の車が見えた。私に気がつくかなあ。ムックと一緒に私も待っててくれるかなあ。とおもいながら、車の方へと進んだ。もうここまできたら、もし置いていかれても、道からスノーシューを脱いでうちまで戻る覚悟はできている。
ムックの足跡は、白樺林の少し先で、小川に架かった小さな橋を渡って、ネネちゃんのうちへと向かっていた。いつも、どこで川を渡って向こう側へ行くのかと思っていた。ちゃんと分かっているのだ。向こうの道へとだんだん近づくと、夫が車から下りた。念のため、大きく手を振った。ムックは、どうもまだネネちゃんのところに到着していないらしい。とにかく、私は私で車へと歩いた。汗をびっしょりかいている。ようやく最後の上り坂(畑から道へはずいぶん勾配があることが分かった。)をのぼって、車にたどり着いた頃、ムックもえへらえへらと笑いながら、ネネちゃんのところへやってきた。どこもかしこも真っ白なのに、どうしてこんなに泥だらけになるのだろう。
みんなで車に乗り込みうちに帰ってくると、玄関にはこれまた足を泥だらけにしたクリが待っていた。ティンクは、なんだか仲間はずれにされたような、悔しそうな顔をしていた。私は、思いがけないスノートレッキングに、全身汗だくになったのだった。
1月17日
冬の太陽
今日は、雲一つない青空が広がった。朝起きて廊下へ出ると、お風呂の前のデッキの向こうの雑木林に霧氷がびっしりとついていた。キンと冷え込んだ。かがんでラウンジの正面の窓から見える山を覗くと、十勝岳連峰が新雪に輝きわたっていた。私よりずっと前からラウンジにいた夫が、まだ日の出前だという。もう空は明るく、真冬の白い光を帯びていたから、もうじき日が出ることがわかった。
久しぶりに日の出の瞬間を見たいと、心動かされたのだが、パジャマの上にフリースを羽織っただけで、とてもその場に入られない寒さと、BSで7時半から放映されるテレビ小説「てるてる家族」の時間が迫ってきたのとで、くじけてプライベートへと戻ってしまった。
テレビを観るために、コーヒーを入れて持って来てくれた夫とチャコちゃんは、日の出を見たそうだ。雲一つないと何も反射するものがなく、急に山から太陽が出て、すぐに昇っていくと言っていた。もうひとがんばりして、その瞬間を見ればよかったと、ちょっぴり悔やんだのだった。
その太陽は、午後になるともう西に偏り、真冬独特の白い冷たい色を放っている。その光を浴びて、山々は、深い陰影を見せ始めた。夕方、今日は山が夕日に紅く染まるだろうか。
1月16日
雪原
ようやく雪がやんで、薄日が差してきた。昨夜は、おなじみのじっちゃんこと長谷川さんから、大雪お見舞いの電話もかかってきた。幸いこのあたりは、全国放送で騒がれたほどではなく、風も雪もたいしたことはなかったが、それでも、3日間は除雪に追われ、屋根や木々に積もった雪はかなりの量となった。
新雪に覆われた雪原は、冬の弱い日差しを浴びて、今日は静に光っている。
1月14日
大荒れ
またもや全道大荒れだ。今年は、どうなっているのだろう。天気予報の等圧線をみると、ぞっとしてしまう。こんなのは、見たことがない。ニュースで見る札幌や北見の映像も、すさまじい。この前までは、かろうじてこのあたりをかすめていたが、さすがに今回はうちの周りも猛烈な風と雪に見舞われている。吹き溜まりがあちらこちらにでき、朝からの強い風とだんだん激しくなってくる雪に取り囲まれれいる。
夫は、朝からデッキの上の雪を下ろし、玄関周りや細かいところに吹きだまった雪を、スノーダンプでかき出した。お昼ごはんもそこそこに、今度は顔まで隠れるデストロイヤーのような帽子にゴーグル、重装備でトラクターを出しに行った。チャコちゃんも出て行った。わたしも、このひとことを書き終えたら、吹雪の中の外仕事だ。今日到着予定のお客様は、どうしておられるだろう。無事薫風舎へたどり着けるだろうか。窓に吹き付けられた雪が、物々しい雰囲気をなおさら駆り立てる。
1月12日
連休のあと
賑やかだった3連休が過ぎて、急に静かな薫風舎にもどった。ラウンジには、先日買ったモーツァルトの弦楽五重奏とお昼ご飯の後片付けをしているチャコちゃんの食器を洗う音だけが響いている。薄曇から日がさして、穏やかな昼下がりだ。デッキの前の雪原に、昨日の朝連れ立って歩いていたお客さんのスノーシューの跡が、ずっと向こうまで続いている。
食休みをして、ゆっくりとお茶でも飲みながら、今日これからの予定を立てることにしよう。日が暮れないうちに行動を開始できるように。
1月11日
大雪
このところの天気予報の大雪の予報は、ことごとく肩透かしだった。大荒れの天気も、この辺をかすめていた。昨日の夜から、暖かい雪が静かに降り積もり、朝起きると20センチ以上になっていた。
深雪になれていないクリは、朝外に出ると、大げさにぴょんぴょんと跳ねながら進んだ。うんちをする場所を探すのもひと苦労だった。夫は、仕事の合間を縫って、除雪に追われている。木々の枝は、こんもりと白く、ときおりそれが風を受けて、舞い落ちる。うれしい冬景色だ。
1月10日
夢のペンギン散歩
昨日、2年越しの願いが叶った。一昨年の12月から、ずっと行きたくて行けなかった旭山動物園に行って、キングペンギンの園内散歩を観ることができたのだ。
旭山動物園は、薫風舎のお客様の最も人気の高い場所のひとつであり、ご常連の中には、年間パスポートを購入して、こちらへ来ると必ず訪れる方々も少なくない。特に12月から3月までは、開園と同時にペンギンの園内散歩が見られるので、皆せっせと足を運んでは、臨場感ある感想を聞かせてくれていた。紹介したこちら側としては、その喜びの声はとてもうれしく、しかし近くにありながら結局昨シーズン自分の目でそれを確かめられなかったことは、非常にくやしく残念であった。
おととい、北海道は全域大荒れの予報が出ていた。札幌の両親が2泊して帰る予定だったのだが、あまりにもテレビのニュースが激しく警告するので、一日伸ばして、美瑛で待機することにした。このあたりは割合と穏やかで、のんびりとした一日を過ごすことができた。動物園は、水、木曜日が定休日なので、一日伸ばしたおかげで、みんなで動物園に行くことができた。
心配された天気は、結局このあたりをかすめたらしく、雪も思ったほどは積もらなかった。朝起きると青空が広がり、気温も緩んで、絶好の動物園日和となった。
開園の11時に何とか駐車場に滑り込むと、入り口には大勢の人が列を作っていて驚いた。美瑛神社の初詣の時よりも、人が多いように感じた。ようやくチケットを購入して中に入ると、入り口にぐるりと人だかりができている。まもなく、くっきりとした白黒に鮮やかな黄色が映えるキングペンギンが、20羽もいただろうか、飼育係の後をついて、ヨチヨチと歩いてこちらへやってきた。人間の腰丈ほどある大きなペンギンだ。短い羽で上手にバランスをとりながら、左右に体をゆすってのんびりと歩いている。取り巻く観客は、皆大喜びで、その姿に魅入っている。私も家族も、目を丸くして、思わず笑みがこぼれる。中央の小山に登って、おなかで泳ぐのや、ちょっと横道にそれながら歩くの、見ていると皆個性がある。それでもちゃんと、何となく列からはなれずに、小山の周りをぐるっと回って、上のペンギン館へと戻って行った。観客は、そのあとを一生懸命追っていく。私たちも、先回りしようと、急いで上へと歩いた。
ずいぶん上で待ち伏せしていたら、係りの人が、こちら側でもいいですよと、反対側に行かせてくれた。絶好のポジションで待ち構えてしゃがんでいると、登ってきたペンギンの先頭が、方向を変え、ずんずん私たちの方へと曲がってきた。一羽が曲がると皆ついてくる。ペンギンの集団が、どういうわけか、夫と私とチャコちゃん、母の方へと、目と鼻の先まで近づいてきた。なんとうれしいアクシデントであろう。すっかりペンギンたちに気に入られ、周りの人々からは注目され、思いがけないひとときを味わったのだった。ペンギンたちは、飼育係に促され、次の瞬間もとの方向へと戻って行った。
それから、ホッキョクグマ館、猛獣館、サル山やペンギン館、雪の中うれしそうな動物や寒そうな動物たちを眺め、話かけ、楽しい時を過ごした。入場の時、冬季間パスポートを買う勇気が出なかった。でも、何とかもう一度くらい、みんなに会いに行きたいと願っている。
1月07日
冬のひととき
昨日札幌から、両親と一緒に美瑛に帰ってきた。富良野線に乗り換えると、今年初めての澄み渡った青空に、白い旭岳がそびえていた。美瑛につく頃には、その山々は、赤紫色に変わっていた。
今日も朝から良い天気で、昨日は雲がかかっていた十勝岳連峰も、稜線がくっきりと浮かび上がっていた。その山並みを見ながら、5人で上富良野の後藤純男美術館に行った。外に見える風景とは、また違った重厚な趣の十勝岳連峰の雪の色が印象的だった。
そうして、本当に久しぶりに、Shinba Cafeに行くことができた。店内のレイアウトが、少し変わっていたが、ゆっくりとくつろげる空間と、いつもあたたかく迎えてくださるご夫妻の笑顔がうれしく、野菜がこぼれんばかりに沢山入ったカレーと雑穀ご飯、それにおいしいコーヒーをいただいて、身も心もすっかり満足した。ようやく訪れた冬らしいひとときだった。
帰り道、雪山はますます美しく、うちまでの30分間、景色を堪能した。帰って昼寝をしている間に、父が、ラウンジからの十勝岳連峰をスケッチしていた。期待していた夕日は、ほんのりと控えめであったらしい。今夜から荒れる予報が出ている。
1月05日
餌台
すっかり雪で覆われた庭木のなかに、鳥の餌台がある。去年の夏から置いてみたのだが、秋までにその上で野鳥を見たのは二度三度だっただろうか。その餌台に、毎朝ミヤマカケスが三羽四羽とやって来るようになった。小さな餌台には一羽しか乗ることができないので、近くの枝の上で順番待ちをしているほどだ。けして珍しい鳥ではないが、毎朝餌を啄ばみに来る姿を見るのは楽しみで、そこから一日のスタートを切るのはとても気持ちのよいものだ。
1月03日
久しぶりの休日
この年末年始は、いつもの顔、懐かしい顔、連泊のお客様で、いつにも増して和やかで賑やかな年越しの一週間だった。今朝、全員が薫風舎をあとにして、すっかり静かなラウンジになってしまった。今日は、久しぶりの休日。3人で、これから楽しい映画でも観て、おいしいものでも食べようと思う。
1月02日
うま煮地獄
このお正月、恐ろしく沢山のうま煮を作ってしまったことに気づいた。大晦日に泊まられるお客様がいつもよりも多かったので、気合が入った。元旦、皆さんに食べていただいても、一向に減らず、鍋の中を覗いて、絶句した。これを、3人でいったいどうやって食べればよいのだ。もちろん、その日は、昼も夜も、お雑煮とおせちだった。
今朝はさすがに、くじけてパンを食べた。昼、またお雑煮とおせち。なます完食。きんぴらは先が見えてきた。黒豆も何とかなりそうだ。しかし、うま煮は手ごわい。必死で毎食食べても、まだ大鍋に半分近くある。だんだん味がしみておいしくなってくるから、飽きずにおいしく食べているのだが、その量は半端ではない。正月早々大きなノルマを、どーんと目の前に積まれているようで、なんだか気が重い。昼、もう一度煮なおしたので、また新たな気持ちで、今晩からも薫風舎厨房は、当分うま煮がメインディッシュになりそうだ。
1月01日
新年明けましておめでとうございます。
今年も、どうかよろしくお願いいたします。
新しい年は、いつものように、美瑛神社の雪の中の花火から始まった。11時45分、薫風舎からは私たちも含めて過去最多の15名が、初詣へと出発した。鳥居のところに並ぶと、ドンドンと新年を告げる合図があり、雪のちらつくなか、みなで挨拶をしたのだった。
超常連の加藤さんの提案で、うちに帰ってから、有志シャンパンでの静かなお祝いをした。部屋に戻ると、まだ年の明けぬドイツ、サイモン・ラトルとベルリンフィルの生ライヴをやっていた。
朝、ささやかなおせちとお雑煮で、お正月を迎えた。昨日作ったうま煮やきんぴら、黒豆もなますも、お肉やお砂糖を使わずに作った。野菜やメープルシロップ、ほんの少しのみりんのやさしい甘みは、体が喜ぶ味わいだ。お雑煮はいつものように発芽玄米もち。ゆずと三つ葉の香りが、根菜のだしのすまし汁によく合う。いつもよりもずっとのんびりした食事が終わり、静かなひとときが過ぎると、スキーに出かける人、帰り支度をする人、今日一日どう過ごそうかと相談する人、それぞれゆっくりと行動を開始する。そうして、10時過ぎ、すっかりラウンジは静かになったのだった。
ちょうどその頃、沢山の年賀状が届いた。掃除を始める前に、一枚一枚、心温まる皆さんからのひとことを読み、今年一年、また頑張ろうと気持ちを新たにした。みなさん、本当に沢山の年賀状ありがとうございました。どうか、この今年が、みんなにとって穏やかな一年になりますように。