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10月11日

深まる秋
しばらく、この「今日のひとこと」を更新せずにいたら、季節はすっかり秋へと移っていた。
薫風舎のまわりの木々も、黄色や朱色に葉を衣替えして、草の上にもその葉がずいぶんと落ちている。ラウンジの窓からは、デッキの前の秋蒔き小麦のあざやかな緑と、それを取り囲むように色変わりした雑木を見ることができる。もうあと少しで、十勝岳の山々には雪が舞い降りて、晩秋の景色は最も美しい時期を迎える。


8月28日
好天の日
ここ数日、とても気持ちのよい天候が続いている美瑛。朝は長袖のシャツでも肌寒さを感じるくらいまで下がる気温が、昼前後には20℃から25℃位まで上がり、ラウンジを吹き抜ける風もサラッとして気持ちが良い。今朝もまた、頭の上から山のほうへと青い空が大きく広がっている。


8月15日
夏から秋へ
玄関先にある寒暖計を見るのが朝一番の日課だ。今朝5時半の気温が15℃。数日前から、妻が秋の気配を感ずるようになったと書いている。この冷たい朝の空気と、空に流れる雲の形を見ると、今まさに夏と秋とのつなぎ目に立っているようである。


8月13日
秋雨
寒い雨が降っている。久しぶりのまとまった雨だ。あの暑かった夏は、もう行ってしまったのだろうか。急に、長袖を引っ張り出しながら、寂しい気持ちになった。


8月12日
いんげん
今年は、インゲンが不作だとあきらめていた。せっかく蒔いたつるありいんげんの種が、あまり芽を出さなかったのだ。それでも、昨日おそるおそる近づくと、たくさん生っていて、びっくりした。雑草に埋もれて、姿が見えなくなっているつるなしインゲンの方も、驚くほどたくさん出来ていて、ああ、何てことだと頭を抱えた。
さっそく、つるありの方をたくさんとって、夕飯用に煮た。つるなしインゲンのほうは、あれだけできていれば、お客様にも味わっていただける。でも、いっぺんに大きくなるから、急いで食べなければと、急に気持ちが焦ったのだった。トマトもナスも、どんどん出来て、ズッキーニにいたっては、もう、近づきたくないくらいである。贅沢で幸せな悩みを抱えている。


8月10日
秋風
昨日のとおり雨でぐっと湿度が落ちて、夕べは久しぶりに過ごしやすい夜だった。朝になると、空気が澄んでいた。掃除をしていたら、またとおり雨が降った。そうしたら、秋風が吹きだした。なんだか、肌寒いくらいだ。夏の小休止か、まさかこれで夏も終わりなのか。昨日までふうふういっていたのに、涼しくなると、なんだか寂しい気持ちになるとは、わがままなものである。


8月09日
とおり雨
暑い日が続いている。汗だくになりながら掃除をしていたら、さあっと音もなく雨が降ってきた。雨は、あっという間に土砂降りとなり、屋根に当たるばさばさという音が鳴り響いた。窓を閉めたり、布団を入れたりと、みなで慌てていると、そのうち音は弱まり、雨は止んだ。遠ざかる雨のカーテンが、山の向こうの方に見えた。
雨が止むと、雲は切れ、青空とぎらぎらとした日差しが戻った。気がつくと、湿気のない、久しぶりに北海道らしい暑さになっていた。


8月08日
まぼろしの
昨日、牧草ロールのことを書いた。書き終えたら、またトラクターがやってきて、ロールをフォークのようなもので突き刺しては集め、突き刺しては集め、あっという間に、トラックに乗っけて、去ってしまった。あららという間の出来事に、みな、写真一枚取れず、がっかりとため息をついたのだった。まぼろしの牧草ロールの風景は、なんだかうそのように、この暑さと共に頭から蒸発し、目の前には、刈り取られて短くなった黄金色の景色が広がっている。


8月07日
牧草ロール
今日も朝から、暑くてみなヘロヘロしていたら、トラクターの元気な音が聞こえた。おととい刈り取った麦のわらを、ならしている。そうしたら、もう一台カタツムリみたいなトラクターが来た。ならしたわらの上を通ったかと思ったら、しばらくして、カタツムリの貝殻みたいなのがぱかっと割れて、牧草ロールが飛び出した。あっという間に、うちの前の畑に、ポコポコと牧草ロールが置かれていった。薫風舎の目の前に、盛夏の風景が広がっている。


8月06日
酷暑
北海道には、過酷な暑さが続いている。台風崩れの熱帯低気圧が2回も通って、湿度も本州並みではないだろうか。これは、きつい。夕方、少し涼しくなって、風が出てくるとほっとするのだが、夜もなんだか熱気が冷めず、むしむしとしている。
週間天気予報を見ると、ずっと30℃前後が続いていて、ぞっとする。お盆を過ぎれば北海道の夏は終わるはずなのだが、今年はどうなることであろう。


8月05日
休日と麦の収穫
昨日、午後からの休日は、私たちにとって、この上なく憩いの時間であった。掃除が終わって、みな、いつものように昼寝をした。時計を気にすることもなく、誰かが来ることを心配することもなく、心がときほくされていくひと時は、めったに味わえることのない時間だ。3時すぎ、それぞれ思い思いに出かけた。あっこちゃんは、旭川の陶芸の里にあるカフェで読書、チャコちゃんは、本屋さんやカメラやさんをまわり、ぶんごであんみつを食べたそう。私たちは、遅く出発して、プライベートで過ごす椅子をみに行った。帰り道、刻一刻と色を変えていく夕日を携帯写真に収めながら、のんびりと帰ってきた。夕食は、みんなで大テーブルでゆっくりと食べた。
あさ、静かな空気が流れるラウンジで、朝ごはんを食べて、普段なかなかできない窓拭きや、網戸の掃除、それに今日の仕込みも始めたら、大きなコンバインの音が聞こえてきた。窓の外を見ると、ついに薫風舎の前の麦畑が、刈り取りの時を迎えていたのだった。
5月、ぽよぽよとかわいい芽を出し、新緑のストライプ、緑の絨毯、青磁色から黄金色へと、毎日楽しませてくれた。強い雨や、台風崩れの強風にもしっかり耐えて、無事収穫の日を迎えられたことを、本当にうれしく思う。


8月03日
麦の秋
昨日、麦秋のことを書いた。ここに来てから、よくお客様に、麦秋の景色というのは秋に見られるのですか?と聞かれて、いつも何となく変な感じがしていた。北海道は、本州とは季節がずいぶんずれているから、「ことば」としての違和感を、つい聞き流して、ちゃんと調べずに何気なく書いた。
昨日夜、劇団民藝の「巨匠」公演の最終日、横浜公演のために上京していた両親から電話があった。携帯電話で、私の書いた「今日のひとこと」を読んで、「麦秋」は、秋ではなく「初夏」の季語のはずだということだった。
それを聞いて、私の中での「違和感」が、ようやくすっきりした。北海道で7月、8月に収穫するものが、本州で秋にとれるというのが、なんだか変な気がしていた。小学生の頃、春休みに祖母のうちに行った時、波打つ緑の麦畑に感激して、その光景が忘れられなかった。改めて調べてみると、やはり、麦秋というのは、稲の秋に対して、麦の秋、6月頃の風景であることが分かった。
いい加減なことを書いてしまった。あやふやなこと、引っかかることがあったら、ちゃんと調べなければいけない。


8月02日
麦秋
連日のうだるような暑さで、みな水分補給に必死だ。今日は少しマシかと思ったら、湿度が高く夕方からもわっと気温も上がってきた。今日、午後から車の出入りの音が賑やかになった。ラウンジに出ると、麦畑に大勢の農家の人たちが出ていた。穂の実り具合を見て、収穫の時期を相談しているらしかった。
麦秋というと、秋のもののようだが、美瑛では夏の風景だ。デッキの前の麦は、はげしい雨や風にも一本も倒れることなく、すっかり黄金色になった。あとは、無事収穫の日を待つのみである。


7月29日
猛暑
一段と暑くなった。今年は、紛れもない猛暑だ。昨日を除いて、連日30℃を越し、その暑さは増すばかりだ。明日は、もっと暑くなるらしい。少し動いても、だらだらと汗が吹き出てくる。じっとしていても、じわじわと汗が出る。こういうのは、ここ何年味わっていないから、ふうふう言いながら、ちょっとだけうれしい。ときおり網戸越しに入ってくる風に、ほっと一息つく瞬間がうれしい。


7月28日
9時半
このところ、照りつける太陽に逃げ場がなくなるデッキの真ん中にいるクリを、朝9時半頃になると、プライベートの室内へと非難させていた。ムックやティンクは、デッキの下にもぐりこめば大丈夫なのだが、クリは、かすかな日陰を探して、かわいそうにハアハアしている。そのままにしておくわけにはいかない。うちの中に入れると、ほっとして、3時くらいまでは、ひとり気ままに、涼しげに寝ている。
今日は、雨がちな曇り空で、暑さもひと休みだ。朝は、外も中も寒いくらいで、デッキの上など一番過ごしやすい。にもかかわらず、クリは、ちょうど9時半になると、中に入れてくれと、クンクン言い出した。私やチャコちゃんを見つけては、真っ直ぐにお座りして、「もううちに入る時間だよ!!」と目を真ん丸くして訴えかけていた。もう、すっかり体内時間が出来上がってしまったらしい。このところ、クリは自己主張がはっきりしていて、感心する。が、あまり甘やかすのは良くないので、ぐっとこらえて、目をそらした。今日は、結局、デッキの上で、涼しい風を受けていた。


7月27日
雷雨
昨日10時頃だろうか、突然強い風と激しい雷雨があった。私がそれに気づくより前に、ティンクが私のところに飛んできた。不安げに、体を摺り寄せた。そのあと、クリが目を丸くして、傍らへと寄ってきた。ムックも来た。激しい風雨と雷の音に、みな私のまわりに集まり、ハーレム状態となってしまった。
そういう時、真っ先に不安を顔に出すのはティンクだ。ティンクが来たばかりの頃、やはり夜中に雷がなって、寝ている私の頭のところに無理やり座り込んだことを、今でも良く覚えている。
いつもはのほほんとしているティンクが、そういう顔を見せる時、いつも心が痛む。一年以上もの放浪生活(ティンク物語参照)中、どんなに怖くて心細かっただろう。いつも、おどおどとして、心が休まる時がなかったのではないか。今は、ほとんどみんな忘れてしまっているそんなことが、思い出される。きっとティンクも、そんな不安な日々を思い出してしまうのではないかと思うと、目頭が熱くなる。
雷も風も、そうこうしているうちにやがて立ち去り、またみんな、何事もなかったように、普段の顔に戻ったのだった。


7月26日
暑い
このあたりは、だいたい5年に一度くらい猛暑になる。というのは、やっぱりほんとうらしい。10年前、薫風舎建設中、猛烈な暑さに驚いた。連日35℃近い日が続く中、夫と二人、建物の脇でデッキの塗装塗り作業をした。
それから、なんだかはっきりしない夏が数年続いた。5年前、チャイの亡くなった年が、またすごい猛暑だった。次の年、ちょうどティンクの来た夏も、強烈な暑さだった。そのあと、また、はっきりしない、ぐずぐずした夏が続いた。
そうしたら、今年は、結構な暑さがやってきた。昨日までの3日間、30℃を越し、忘れかけていた暑さを思い出した。今日は風があって、気温はさほどではないのだが、むしむしとあまり快適ではない。急に来たので、ちょっと体にこたえる。今日は、山もすっきり見えている。冷夏の年は、晴れていても、いつもどんよりと上の方に雲が垂れ込めるのだ。どうやら今年の暑さは本物ではないだろうか。


7月24日
黄金色
毎日、今日の麦が一番きれいと感じる。7月に入って少し青みがかった青磁色だった穂が、毎日かすかにその色を変え、今はもう、すっかり黄金色になっている。日が当たると輝きわたり、風が吹くとさわさわと波打つ。
今日は、昨日に続き、気温がぐんと上がった。風が強くて、まわりの木々は、音を立ててゆさゆさと揺れている。黄金の心地の良いざわめきが、はるか向こうまで続いている。


7月23日
30℃
早朝4時頃から、燦々と太陽が輝いていた。ぬけるような青空にくっきりと山が浮かび上がり、早くからアブラゼミが鳴き始めた。外に出ると、ひんやりした空気が気持ちよい。なんという良いお天気だろう。
テレビで、今日の旭川の最高気温が30℃と言っていた。本当だろうかと思うまもなく、ぐんぐん気温が上がった。デッキでのびているクリ、ティンクをプライベートに非難させた。ムックは、デッキの下の自分の掘った土のベッドで涼んでいるが、もうそろそろ限界かもしれない。
連日35℃以上の猛暑が続く地域の方々からはあきれられそうだが、北海道人は毛穴が違う。よい風が入ってきて、まだ気持ちよく過ごせているのに、テレビの30℃という言葉に、今からおびえているのだった。


7月21日
ひんやり
土砂降りの雨が止んで、お昼前から青空が広がった。デッキの前のブロンドの小麦畑が、しゃらしゃらと大きく風に揺られている。東京は39℃と、信じられないような気温だそうだ。想像もつかない世界だ。こちらは、今日は半袖では少し肌寒い。ひんやりした風に、ありがたさを感じた。


7月20日
祝日
うちにいると、昨日まで、富良野と美瑛が一年中で一番混む3日間だったのだということが、全然分からない。いつもと同じように、静かな時が流れていた。昨日、夫がお昼を食べに行こうというので、みんなで出かけることにした。上富良野の美味しい蕎麦屋「まん咲」に行くことにして、掃除を急いだ。それから、祝日だということに気づいた。よりにもよってこんな日に、富良野方面に向うなんて、無謀なことではないだろうか。かといって、美瑛のレストランもきっと、どこも混みあっているに違いない。ひょっとして、お昼にありつけないかもと思いながら、結局「まん咲」へと向ったのだった。
裏の三号線を走らせ、白金街道に出ると、やはり、車が多い。それでも、インフォメーションセンターのところから右折し、十勝岳連峰を眺めながら日進ダムを通る道は、あまり人気がないらしく、対向車は数えるほどだった。
やがて、遠目にラベンダー色に染まった日の出公園をかすめて、「まん咲」に到着した。驚くことに、そこには薫風舎と変わらず、日常の空気が流れていた。適度な混み具合、静かで落ち着いた雰囲気。なんとありがたい。しかも、うれしいことに、サイドメニューとして、炊き込みご飯が加わっているではないか。皆もれなく注文して、ゆっくりとお昼を食べたのだった。
あまりにも普段と変わらずに行って帰ってきたので、夫は何度も今日が祝日だと言うことを忘れていた。


7月17日
真夏日
本格的暑さがやってきた。今日は、朝から真夏の太陽がこのあたりの気温をぐんぐんと押し上げた。急に、冷たいものがのみたくなるし、お昼はそうめんだ。じっとしていても、汗がにじんでくるこの陽気を待っていたはずなのに、やはりみんな「暑い、暑い」と文句が出る。
夕方畑に出たら、さーっと音のない雨が降ってきた。天気予報の通りだ。しばらくしたら、本格的な降りになって、慌ててデッキの椅子などを引っ込めた。少し涼しくなってくれるだろうか。


7月14日
デッキ
十勝岳連峰を真正面に望み、今まさに目前の春撒き小麦の畑が黄金色に輝こうとしているラウンジの前のデッキは、本当に気持ちが良い。夏の薫風舎の、一番の人気の場所である。でも、私は、アカエゾマツとその手前の雑木がうっそうと茂る林と毎年すくすくと育つ様々な種類のコニファーの庭に囲まれた、お風呂の前のデッキが、とても好きだ。アカエゾマツと雑木の林は、奥行きがそれほどあるわけではないのに、夏になると、深い森のようなたたずまいを感じさせる。風が吹くと、森からしっとりと湿った空気に包み込まれる。眺めていると、まるで、異空間へと吸い込まれていくような、心地よい感じを味わう。


7月12日
トマトときゅうり
雨が上がったから、トマトの脇芽を取りに行った。トマトは、葉と本線の間に、脇芽というのができるのだが、これを放っておくと、栄養がそちらに取られるので、見つけると摘んでおく。この前大方摘んでほっとしていたのに、昨日畑に行くと、またぼうぼうと本線とたがわぬほど大きく育っていた。目に付いたのを手で取って、今日ははさみを持ってもう一度出かけたら、またすごく大きくなっていた。その生命力の強さには、感服する。いつの間にか花がちらちらと咲いて、すぐにそこに実ができる。こんなに寒い日が続いているのに、よくもまあ、育つものだと思う。隣のきゅうりもまたすごくて、この前採って、しばらくもうできないと思っていたのに、もう4本も食べごろになって、ピカピカしていた。みんな偉いなあと、感心しながら、大事に採ったのだった。


7月10日
濡れた匂い
人間にも畑にも、ムックたちにも、うっとうしい雨が続いている。朝も昼も、なんだか薄暗くて、しょぼしょぼと雨音を聞いていると、気分まで滅入ってくる。夕方、ラウンジのデッキに出て、ベンチに腰掛けてみた。ひんやりと湿った空気は、そう悪くない。草の濡れた匂いが、ふんわりと鼻をくすぐった。しばらく雨に濡れた景色を眺めながら、外の空気を大きく吸い込んで、気分を新たにしたのだった。


7月09日

今日は、一日中冷たい雨が激しく降っている。どうやら明日も雨らしく、まわりの麦畑が心配だ。裏の小原さんの秋蒔き小麦も、だんだん黄金色になって、収穫の時を待っている。この季節の雨は、麦にとってはとても厳しいのだ。穂が重くなり倒れてしまうと、もうだめになってしまう。いつも、夏になると、雨や日照りにやきもきする。でも、小原さんも北村さんも、笹本さんも、みんな、農家の人たちは、どんなことがあろうとも顔色一つ変えず、淡々と、日々の仕事をこなしていく。自然と向き合って、自分ができることをただ、やっている。毎日暮らしていれば、いいこともあるし悪いこともあるということを、体で知っている。いつもいつも、頭が下がる思いがする。


7月08日
もう一晩
トマトとバジルの季節になった。うちのトマトはまだまだ収穫には程遠いが、ハウス物の近所のトマトが美味しくなってきた。今年、バジルの苗上が遅れた上に、パオパオという不織布掛けの作業ができずに2週間も放っておいたら、気温が低すぎて、葉っぱが寒さで硬くなってしまった。そして、なかなか大きくなれないでいるのだ。ああ、かわいそうにといつも畑を見ながら思っているのに、この季節は、外の作業が思い通りにはなかなかできない。数日前にパオパオを買ってきて、さっきようやく時間を見つけて夫とチャコちゃんで作業を始めたら、パオパオのサイズが小さすぎた。なんということ。
7月に入って、なんだか気温も下がってきた。明日、大きいパオパオを買ってくるから、もう一晩我慢してねと、みんなで思ったのだった。


7月07日
小麦畑
デッキの前の小麦畑が、青磁色からかすかに黄色味がかってきた。午後から久しぶりに夏らしい青空が出て、小麦畑にさっと日が差すと、目の前の景色がパッと明るくなった。まわりの雑木林の、うっそうとした濃い緑がそれを取り囲み、その向こうには、十勝岳が7分ほど姿を現した。思わず大きく息を吸い込んだら、緑の空気といっしょに焼きたてのパンの匂いが鼻をくすぐった。


7月06日
ズッキーニ
トマトの脇芽を取りに畑に行ったら、ズッキーニの鮮やかな黄色い花が目に入った。見ると、5センチほどの小さいズッキーニがいくつもできていた。脇芽取りの作業をしながら、目の傍らでちらちらとそれを確認して、一人でニヤニヤしてしまった。トマトも、小さいのがたくさんできている。ナスも、きゅうりも、あともう一息というのがあって、うれしくなった。
もうすでに、ラディッシュやルッコラ、レタス、大根菜などが、お客様と私たちの胃袋を喜ばせている。今年初めて植えてみた水菜も、小さいながら立派に美味しくて、びっくりする。今日の恵みの雨で、またみんな、ぐんと大きくなってくれることだろう。


7月05日
1/fゆらぎ
先日テレビで、モーツァルトの特集をやっていた。モーツァルトの作品には、他の作曲家の音楽にはない特別な力があるということは、以前から時々耳にしていたが、それを、誰にでも分かりやすく分析、説明する番組だった。
モーツァルトの「特別さ」は、自分でも何となく感じていた。小さい頃から、演奏会でモーツァルトの曲を聞くと、必ず寝てしまうのだ。良い演奏ほど、気持ちよく、意識がふわふわと浮遊してしまう。もったいないから、プログラムにモーツァルトの曲があると、ちょっと考えてしまうほどだ。音楽が、頭を通り越して、どこか別の世界へと連れて行ってくれるのだ。それが、モーツァルトの音楽特有の「1/fゆらぎ」という、大脳を休ませて心と体をリラックスさせる効果なのだということがわかった。小鳥のさえずりや小川のせせらぎ、森林浴といったものと、共通するのだそうだ。演奏会で、寝てしまうのは、その効果が最大限に生かされているからなのだと、妙に納得したのだった。
そうして私は、にわかにモーツァルトを聴いている。昨日は、クイケンの弦楽四重奏、今日は、マレイ・ペライアのピアノコンチェルト全集から数曲。聴くというよりも、深呼吸するかのようにモーツァルトの音楽を浴びていると、頭のこりが解きほぐされていくような気がしてくる。ラウンジの網戸越しに入ってくる緑の風やひばりのさえずりが、また心地よい。


7月04日
薫風舎のドア
薫風舎の玄関のドアを開けると、うちの小さい畑の向こうにずいぶん背の高くなった青い麦の穂、それから、様々な作物の緑が、縞模様を描いている。その一番向こうに白いジャガイモの花が咲いて、ぐっと華やいだ景色になった。シーズン到来で、きっと丘の上は、賑やかなのだろうが、うちのまわりは、相変わらず小鳥のさえずりだけが響いて、静かな空気が流れている。


7月02日
山の景色
今日は、久しぶりに十勝岳連峰が、すっきりと見えた。山は、その日の天気や湿度によって、大きく見えたり、遠くに見えたり、様々な顔を見せてくれる。今日は、引き締まった澄んだ空気が、ごつごつした山肌のくぼみの影まではっきりと浮かび上がらせていた。その手前の、青磁色の麦畑に、ちょうど良い風が当たって、さわさわと波打っている。きっと、北海道の夏のイメージは、今日のような日なんだろうなと思う。気持ちのよい一日だった。


6月30日
夏野菜の季節
今年は、アスパラがいつになく早く終わって、ちょっと寂しい。先週小原さんのアスパラが終了してから、なんとかかんとか、あちこちで調達している。でも、それにかわって、畑では、レタスやラディッシュ、大根菜など、少しずついろいろなものができ始めている。トマトやナス、きゅうりだって、近くに行くと、小さい赤ちゃんがたくさんできていて、うれしくなる。まわりの農家では、もっと様々な野菜たちが採れだしている。夏野菜の季節の到来だ。


6月28日
静けさ
昨日、今日と、うだるような暑さが続いた。夕方、ようやく涼しい風が吹き始めた。うっそうと生い茂る木々の葉ずれの音と、小鳥のさえずりだげが、あたりに静かに響いている。なんだか、時間が止まったかのような、日暮れ前のひと時だ。


6月25日
麦の穂
ここ2、3日のうちに、山に向かうデッキの前の畑の、春撒き小麦の穂が、ぐぐっと出てきた。小麦の穂は、かすかに白みがかっている。これから一ヶ月、少しずつその色を変え、青磁色から、やがては黄金色に輝き、収穫の時を迎える。


6月23日
誕生日
一昨日、あっこちゃんが、私のためにバースデーケーキを焼いてくれた。イチゴの豆腐クリームケーキだ。ちょうど札幌から母が来ていたので、母のいるうちにと、皆で二日早い誕生会を開いてくれたのだった。いつものようにコーヒーを入れて、暖炉の前に集まったら、きれいにデコレーションされたケーキが登場した。白いクリームの上には、色鮮やかなイチゴと穀物コーヒークリームで、Happy Birthday Masumi の文字が飾られていた。自分の誕生日に手作りケーキなんて、初めてではないだろうか。夕方、お客様が到着する前の、10分程のバースデーパーティーは、幸せなひと時だった。
今日は、ご常連のお客様や友人、家族から、お花やメールが届いた。一昨日で、すっかり誕生日の記憶が遠のいていたので、再びうれしい気持ちになった。私なんかの誕生日を覚えていてくれるなんて、なんとありがたいことだろう。ふだん記念日にはてんでうとい自分なので、なんだか、反省してしまう。皆さん、どうもありがとうございました。


6月22日
嵐の中
台風は、朝がた温帯低気圧に変わって、この辺りにいるらしい。さっと日が差したり、どんよりとしたり、夕方からは、ひどい風に見舞われている。その風にあおられて、青空と雨雲が交錯する。木々は、ゆさゆさと激しく揺れ、ごうごうという風の音が不気味に響いている。


6月21日
雨の前
空気がもわもわと体に付きまとう。昨日にも増して蒸し暑いのは、台風の影響だろうか。まわりの畑の緑も、木々の緑も、なんだか湿気をまとっていつもより色が濃く見える。今にも降り出しそうな雨雲が、十勝岳にまとわりついて垂れ込めている。天気予報は外れて、何とかお天気がもっている。


6月20日
湿度
むしむしと気温が上がったと思ったら、夕方から雨が降りだした。湿度が高くて、暑い暑いと言ったら、さっき到着した横浜のご常連松原さんが、「やっぱり、これで暑いんですね。私は、もっと暑いところから来たからなあ。」と笑った。北海道人は、本当に湿度に弱いのだ。今まで、カラッとさわやかだったから、なおさらだ。それでも、一雨降って、空気もさっぱりした。夏の予感は、ほんの半日で終わったのだった。


6月19日
空模様
今日は、朝からどんよりしていた。今日一日、何とか雨が降らないで欲しいと願っていた。昨年に引き続き、薫風舎を利用してくださった、知る人ぞ知るサイクリスト、土屋朋子さん(ツールド北海道の立役者)率いる自転車グループの北海道ツーリング二日目であり、超ご常連大和さんも、一日中自転車や徒歩で、美瑛を駆け回る日だからだ。
幸い、日中はやわらかい薄日が差し、絶好の自転車日和となった。夕方から、だんだん、ねずみ色の雨雲が広がってきたが、何とかもっている。大和さんは、今日は一日自転車で、美馬牛のゴーシュに行ったあと白金模範牧場に行って、三時過ぎに無事帰宅。その後、ムック、ティンク、クリの散歩も終わらせてくれた。土屋グループも、今ごろ旭川の温泉で、今日一日の汗を流していることだろう。願わくば、夜のうちにひと雨降って、畑を潤し、明日朝、また、からっと晴れて欲しいと思う。


6月18日
うちの畑
畑の作物が、だんだん大きくなっている。今年は、あっこちゃんとチャコちゃんが、暇を見つけては畑に出て間引きをしてくれるので、順調に伸びている。ラディッシュやルッコラ、大根菜は、もうじき食べられそうだ。大根も、葉がずいぶん大きくなったから、楽しみだ。きれいに並んだ本葉を見るたびに、わくわくしている。


6月15日
バリバリ、ビシッ!
昨日は、朝から気持ちの良いお天気だった。午前中は確かに、燦々と日が降り注いでいた。お昼を食べる時まで、ずっと晴れていたのか、曇ってきたのか、良く覚えていない。昼食を終えて、昼寝をした。うつらうつらと気持ちよく寝入ったところで、急に、バリバリバリッと大きな雷が鳴り始め、とたんに、バケツをひっくり返したような雨が降りだした。夫が慌てて、デッキにいるムックたちを中に入れに行った。私は、ゴロゴロ、バリバリという激しい音を聞きながら、再びうつらうつらと、気が遠のいていった。その時、ビシッ!と、鞭で打たれるようなすさまじい音と振動が走った。足元すぐ近くのような感じがして、跳ね起きたのだった。それと同時に、停電したので、よりいっそう緊迫した。窓の外を恐る恐る見ると、燃え上がっている様子もないので、少しほっとした。が、雷鳴は、依然すぐ近くで、バリバリ、ビシッと激しい音を放っている。
まるで、ロード・オブ・ザ・リングの、地底から這い上がってきた魔物と、魔法使いガンダルフの戦いの場面が、すぐそこで行われているようだった。
まもなく入ってきたムック、ティンクは、かわいいことに、ベッドにへなっと座っている私の周りに身を寄せた。クリは、ベッドの足元に寝そべっていたが、あまり動じていないようだった。
雷鳴は、やがて遠のき、雨脚もだんだん弱まった。ラウンジにいたあっこちゃんに聞いたら、稲光もすごかったらしい。あの、びしっと来た時の雷はどこに落ちたのか。今考えても、冷やりとする。


6月12日
ハーブ
うちのハーブたちは、もうほとんどが、勝手にぼうぼう生えていて、たのもしい。あ、あれが欲しい、というときに庭に出て摘んでくる、これからの季節は、豊かな気分になれる。それぞれ、いい脇役として、料理を引き立ててくれる。
勝手にといっても、はじめから勝手に生えたわけではない。種を蒔き、苗を作ったものもあるし、はじめはなかなかうまく育たなかったものもある。でも、あれこれしているうちに、皆たくましく、大きくなってくれた。いまでは、一年草をのぞいては、ほとんど苦労しない。
小さい頃、夕ご飯の用意をしている母に、「ちょっと三つ葉摘んできて。」とか、「山椒の芽とってきて。」と言われて、突っ掛けを履いて庭に出て、しゃがみこんで三つ葉や山椒の芽を摘んだ。それが、すぐにおつゆに放たれて、良い香りが鼻をくすぐった。その感覚。
ハーブを、なんだか気取ったたいそうなもののように扱うのは、私はあまり好みではない。見掛け倒しのレストランほど、ハーブの横文字をたくさん連ねたメニューを並べ立てるように思う。勝手にぼうぼう生えている庭先の草を、ちょっとつまんで、さりげなく、あ、おいしい、というのがいい。「ハーブのある豊かな暮らし」なんていってるけど、大葉やねぎやミョウガなど、これまでだって、日本人は、立派に豊かな食卓を作ってきたのだ。と、あまのじゃくの私は、ちょっと左眉毛が上がってしまうのだ。
そう思いつつ、そろそろ、今日出番のタイムやチャイブ、セージを摘んでくるか。


6月11日
デッキチェア
雨上がりの空気に、空がいっそう爽やかに青く見える。日差しは、すっかり夏のものだ。こんな日は、デッキチェアに寝そべって、目の前の麦畑がそよそよと波打つのを、ぼおっと眺めるのがいちばんだ。くっきりと白い十勝岳の残雪と噴煙が、くっきりと際立っている。


6月09日
毎食の幸せ
この季節の幸せは、アスパラだ。5月の中旬におなじみ小原さんの露地アスパラの収穫が始まって、薫風舎の食卓はいつも採れたてのアスパラであふれている。口の中にジュワッと広がる香りとあの甘み。夕方小原さんが、一家総出で収穫するアスパラを、目を細めながらほおばる、お客様の笑顔を見るのは、何年味わってもうれしい。そして、私たちの食卓にも毎食、元気なアスパラが登場し、飽きることがない。
今日のお昼はミンチにしたタコとアンチョビ、たっぷりのアスパラのパスタだった。「こんな美味しいもの、どこ行ったって食べれないよ。」と、4人で自我自賛しながら、お客様と同じように、目を細めながら食べたのだった。


6月08日
穏やかな緑
今日は、久しぶりに十勝岳が薄雲に覆われた。山が隠れると、手前の景色が浮かび上がって、こちらに迫ってくるように思う。一ヶ月前、ぽやぽやと赤ちゃんの産毛のようにうっすらと芽を出した麦畑が、今はびっしりと一面の緑の絨毯となった。そのまわりを取り囲むように雑木林の木々のみどりも豊かな色をたたえている。目に穏やかな風景に、いつもよりゆるりと時間が流れている。


6月06日
至福の時
薫風舎のご常連で、今や私の大事な音楽仲間(と私が勝手に思っている)である横浜の城戸まゆみさんが、昨年結婚され、ご主人と合唱団のお仲間総勢7名で泊まりに来て下さった。その3日ほど前、きれいに装丁された4曲の合唱曲の楽譜が届いた。私は、それを手にして、ほんとうに久しぶりにわくわくしたのだった。
昨年暮れ札幌と小樽での「テレジアミサ」以来、鼻歌すら歌っていない。少し気後れしながら楽譜を開いた。譜面を見ただけで、自分の中で忘れかけていた何かがもぞもぞと動き出し、おなかの中でほわっと暖かくなるような感じがした。
城戸さんの予告どおり、4時に到着。すぐさま、皆楽譜を持ってラウンジに集合した。わたしも、いっしょに混ぜてもらって、声を出した。みんなの声に自分の声が混ざりあって、音楽の中に一気に包まれた感じがした。ああ、これこれ、この感覚だ。心の底から幸福な気持ちになったのだった。
一時間あまりの練習はあっという間に過ぎた。だんだん音が整えられ、響きが溶け合っていく。夕食後に、2曲。至福の時であった。そこにいたすべての人々に、心から感謝をしたのだった。
薫風舎に足を運んで、快く仲間に入れてくださった皆さん、どうもありがとうございました。


6月05日
芽が出た、芽が出た!
日曜日に蒔いた大根やラディッシュ、それに続いて今週蒔いたルッコラやレタスや、いろんな芽が、一昨日あたりから次々と顔を出した。こんなに早く芽が出たのは初めてだ。元気の良い太陽といい具合に降ってくれる雨のおかげに違いない。周到に丁寧にやっても、乾いたり雨で流れてだめなときもあれば、遅くなって慌てて蒔いて、とんとんとうまく行くこともあるのだ。こちらの浅はかな小知恵(こじえ?なんて言葉聞いたことないが。)など到底太刀打ちできない自然の力だ。
日曜日は、ちょうど仕事できていた妹が手伝ってくれた。初めての種まきだから、うまくできたか、芽が出るかどうか心配していた。こんなに早く、みんなきれいに出揃ったから、知らせたら、「ほーら!」と威張るかもしれない。
何はともあれ、これで畑も一安心。口に入れたら気が遠くなりそうなくらい美味しい採れたての野菜を、みんなで味わう日ももうすくだ。


6月04日
月の出
夕べ、8時半頃だろうか、夫が外から戻って、十勝岳のあたりから月が出そうだよといった。慌てて、ラウンジの窓に顔を近づけて、外の様子をうかがった。暗闇の中にくっきりと山の稜線が見え、十勝岳のちょうど左肩あたりから、光がふぁーっと放たれている。夕食後ゆっくりしていたお客さんにも声をかけて、部屋の電気を消したら、くっきりと鮮やかに輝く月の頭が、みるみる上がってくる。わぁーっと思わず声が出た。月はずんずん上がってくる。皆で外に出た。
日中はあんなに暑かったのに、ぴんと張り詰めた空気が冷たく肌にしみる。大きな、ほんとうに大きな丸いブロンドの月は、宵闇の中に燦然とその姿を現したのだった。夜鳥の鳴き声だけが、あたりに響いていた。


6月02日
晴れのち土砂降りのち晴れ
昨日にも増して、気持ちのよい朝だった。デッキに出て、大きく深呼吸したら、緑の空気が体中に染みわたった。チャコちゃんが夫と私に、落としたてのコーヒーを持ってきてくれた。こんな美味しいコーヒーを飲んだのは初めてだと思った。
いつもよりも早く掃除を済ませ、残っていた種まきと畑作業を、時間ぎりぎりまでやった。今日は、トレビスやエンダイブ、少し遅いから発芽が心配な黒大豆と青大豆、それに、水菜をはじめて蒔いてみた。11時、あっこちゃんとチャコちゃんは念願の美容院に出発。私たちは、それよりもゆっくり、上富良野にできた新しいお蕎麦屋さんを目指した。
「まんさく」は、とても素敵な一軒家のお蕎麦屋さんだった。数日前、私が札幌に行っている間に、みんなで行ってとてもよかったので、連れて行ってくれたのだ。白壁に、センス良く飾られた涼しげな花、さわり心地のよい大きな木のテーブル、明るくて気持ちよい空間に、ふっと肩の力が抜ける。私は暖かい揚げもちねぎ蕎麦を注文した。蕎麦は更科と田舎蕎麦のちょうど中間くらい、細いが腰がある。丁寧なだしがとても美味しくて、最後はそば湯も入れて、全部飲み干してしまった。
ついたときポツポツと雨が降りだしたと思ったら、出るときにはすっかり本降りになっていた。うちに着くとゴロゴロと大きな雷が鳴り始め、ひどい土砂降りとなった。雷はずいぶん長い間鳴っていて、雨脚も全然おさまらない。さっき蒔いた種が流れてしまうのではと、心配したが、自然の力には逆らえないから、静観するしかない。
夕方になると、雷も雨もうそのように止んで、また朝と同じように、青空が広がった。山の上の方には、雨の名残の雲がまだかかっている。


6月01日
初夏
ひと雨降って、今日はからりと気持ちよく晴れた。緑まばゆい初夏の陽気だ。まわりのカラマツや雑木林の黄緑とデッキの前の小麦畑の少し青みがかってきた緑の絨毯、薫風舎の庭のコニファーのそれぞれの色が鮮やかに浮かび上がる。十勝岳連峰は白いとろろの面積がぐっと少なくなった。一年中で一番気持ちのよい季節の始まりだ。


5月31日
種まき
種まきが遅れて、焦っている。蒔こうと思うと雨が降り、雨が降ると、土が乾くまで蒔けない、蒔き時に時間が取れないと、身動きが取れなかった。昨日夕方、来てくれている札幌の妹と手分けをして、夕方の仕込みの前に、大急ぎで大根やカブの種を蒔き、用意してあったトマト、ナス、きゅうりの苗を植えた。まだ、たくさんの種が蒔かれるのを待っているのに、今日は予報どおりの大雨となってしまった。でも、まずは、いつもより10日も遅い第一歩にほっとした。明日からは天気が続くらしいから、一気に残りの種まきを済ませたい。


5月26日
アップルミント
もわっと暑い一日だった。残雪の山が、ぼわんとかすんでいる。デッキの前の小麦畑の、きれいに整った緑の絨毯が、清々しい。今日、あっこちゃんが、庭に出てきたアップルミントのお茶を入れてくれた。目に鮮やかな緑色のお茶を一口飲んだら、さわやかな香りが、頭のてっぺんまで広がって、気持ちがよかった。


5月24日
石拾い
19日に、カッコウが鳴いて、種を買ってきたのに、そのあと寒い雨が続いた。カッコウは、びっくりして一旦暖かいところに非難したのか、声が聞こえなくなってしまった。昨日から、初夏のように暖かく、良いお天気となった。宿の仕事の合間の作業なので、種まき日和にまったく動けなくて、やきもきすることも多い。毎年、何とか時間をやりくりして、間隙を縫うように畑に出る。
今日は、絶好の畑日和になった。皆急いで掃除を済ませ、外に出る。しかし、すぐには、種は蒔けない。まず石拾いから始まる。毎年拾っても、春になると、不思議に必ず沸いてくる大きな石を、はいつくばって拾うのだ。お昼のサイレンと共に、雷が鳴った。今日はそこまで。ああ、もどかしい。でも、焦らない焦らない。と、言い聞かせるのだった。


5月22日
「ぶんご」はすごい
昨日は、旭川に用事があったので、夫と二人でお昼前に出かけた。昼食をどこにしようか、そうだ、ひさしぶりに「ぶんご」に行こうと、即座に決まった。「ぶんご」のことは、だいぶ前に「たべある記」に紹介した。おばあちゃんが切り盛りする釜飯とうどん、それに甘味の小さなお店だ。その時と同じ、「うどんぶんご飯セット」にすることは、もう決まっていた。いつもと変わらぬ、てらうところのない落ち着いた雰囲気に、心が休まる。運ばれてきたお料理を見て、ひとくち、またひとくち、あたらめてえらいなあ、すごいなあと、感動する。こういう何のてらいも飾り気もない、まっとうな料理こそ、ほんとうの贅沢であると、つくづく思う。いったい、こんな贅沢な気分にさせてくれる料理屋がどのくらいあるだろう。「ぶんご」にくらべたら、写真映えのするコジャレた店など、いっぺんで吹き飛んでしまう。「ふつう」に「まじめ」にを続けることの大切さを改めて教えられ、背筋が伸びる気がする。


5月19日
突然カッコウ
今日は、いよいよ野菜の種を買いに行こうと計画した。朝から良いお天気で、夫は早朝のサイクリングに出かけ、私もいつもより早く起きて、デッキでコーヒーを飲んだ。朝ごはんを終えて、皆忙しく働いた。夫とあっこちゃん、チャコちゃんが、残っていた花の苗やコニファー、アイビーなどで、せっせと寄せ植えを作った。
そうしたら、11時半、突然カッコウが鳴き始めた。窓を開けてプライベートの掃除や洗濯をしていた私は、ドキッとうれしくなった。カッコウは野菜の種まきの合図だ。大根も人参も、カブやトウモロコシも、皆、カッコウが鳴いたら種を蒔いていもよいことになっている。カッコウが鳴いたら、もう、霜が降りないといわれているからだ。さあ、今年もカッコウの鳴き声にせかされながらの、忙しい農作業が始まる。


5月17日
雨の前
今にも降り出しそうな、空模様なのに、山がぼんやりと姿を現した。雨が降る前にと、チャコちゃんがムックたちを連れて、いつもより早く散歩に出かけた。わたしは、飲みかけのコーヒーカップを持って、外の空気を吸いにデッキに出た。デッキの前の小麦畑の隣で、天気を見ながら、笹本さんが作業をしている。デッキチェアに座って、コーヒーの最後の一口を飲み終えたら、ポツポツと頬に雨が当たり始めた。


5月15日

もともと、あまりお花見の習慣がない。お天気が良くて、たまたまちょうどよさそうな頃、お弁当でも持って行ってみるのは、それはそれで楽しいのだが、それよりも、車でたまたま通りかかったり、街中を歩いているときに不意に目にまぶしい満開の桜やこぶしや、モクレンの花を見るのがもっと好きだ。札幌に行って、そんな華やいだ街並みを楽しむことができた。どこもかしこも、花盛りであった。何処の家も庭をきれいにしていて、立派な花が咲いていて、わくわくした。うちに帰ってくると、出かける前にはまだ硬く握っていた、裏の小原さんの雑木林の桜が、すっかり花開いていた。夕方チャコちゃんとムックたちの散歩に行って、思わず「わーっ!桜が咲いてる!」と声を上げたら、ちょうどトラクターの整備をしていた小原さんと増山さんのご主人に笑われて、ちょっと恥ずかしかった。
今日もよいお天気だ。デッキの前の小麦畑は、毎朝新しい緑色をたたえている。その向こうに、もう、白いところと蒼いところが半分ずつまだらになった十勝岳連峰が大きくそびえている。左に目をやると、美沢小学校の校庭の桜が、いっせいに咲き誇っている。日に何度も、自然に目に飛び込んでくるその桜を見て、にんまりしている。


5月12日
貸し切り
昨日は、4人で「ロード・オブ・ザ・リング王の帰還」を観た。2年前、美瑛のハムソーセージ屋「歩人(ホビット)」の岡さんの勧めで、第1部を観に行った。何の知識もなく行ったら、話は入り組んでいるし長いし、挙句の果てに変なところで「つづく」と、終わってしまって、釈然としないまま帰ってきた。第2部を断念して、このまま終わるつもりだった。
この冬、母が読破した。たまたま観たアカデミー賞授賞式で、出演者やスタッフの喜びの声を何度も聞いた。そして、ついつい、先日BSでやっていた第1部の「特別編」を途中から私ひとり見てしまった。これは、どうにか観る他あるまいと決心して、仕事の合間にDVDを借りてきて、昨日のために前日2日間にわたって、3時間を越す壮大なストーリーを追った。
旭川にできた二つのシネコンでは、もう先週で上映が終わっている。ショックだった。かろうじて、街中の古い映画館でやっている。長いから、水分をあまり取りたくないので、4人で直前に濃いエスプレッソを飲み、路地裏の映画館へと急いだ。
貸切りだ。他に誰一人いない。受付でやる気のないにーちゃんが、けだるそうに「いらっしゃいませ」と言った。それもそのはず、私たち4人のためだけに、贅沢にもフィルムはまわるのだ。あちこち座りなおして、一番よい席をとり、予告編が始まった。それは、ひとつしかなかった。
私は、映画館の予告編が大好きだ。本編が始まる前のわくわく感と、次にやる映画への期待は、何ともいえない。それが、ひとつだけ。寂しさが、ひゅるひゅると誰もいない客席を吹き抜け、この映画館ももしかして、終わりが近いのかと、不吉な予感に肩の力が抜けた。しかし、それもつかの間、映画は、もう言わずもがな、息もつかせぬ3時間20分であった。
やはり、映画は映画館で観なければいけないと、心の底から思う。テレビの画面で観るそれは、もう別のものだ。昨日画面にかぶりついていたムックの頭よりも小さかった像の化け物が、今日は巨大なそのものとして、土ぼこりをあげてこちらに迫ってくる。その違いは、想像するよりもはるかに大きいのだ。すっかり映画に心奪われ、興奮した4人は、その感動をいつまでも体から立ち上らせながら、このあたりで最も好きなレストランのひとつ「ラ・パラッツィーナ」で、今度は満腹中枢をすっかり満足させて、うちに帰ってきたのだった。


5月09日
こぶしの花
デッキの前の小麦畑を取り囲むようにある川辺の雑木のなかに、こぶしの木が2本あることがわかる。白い蕾が、枝にボツボツと見え始めたからだ。
10年前、この雑木林はうっそうとしていて、その中に立派なこぶしの木があった。川の護岸工事のときに、かなりの部分が切られた。せめて、こぶしの木を残して欲しいと交渉して、工事の人と見に行ったのだが、秋、花のないこぶしの木は、私たちにはとても見分けられず、年が明けて、春になって、花が咲かなくて、切られてしまったことがはじめてわかって、がっくりした。
それでも、小さなこぶしの木が、2本残っていて、毎年ひっそりと花をつけていた。それが、いつの間にか、ずいぶん大きく育って、花もたくさん咲くようになった。桜の便が近づいてくると、枝だけだったところに、白いものが、ポツポツ出てきて、うれしくなる。花が終わると、こぶしのことは来年まですっかり忘れてしまう。
この10年で、雑木林も、ずいぶん立派になった。この土地を分けてくれた千葉さんが、切られてスカスカになった景色を見て嘆いている私に、「また、すぐに生えてくるさ。」と笑ったのを思い出す。


5月08日
緑、白、空色
昨日、山では雪が降ったらしい。輝くばかりの雪を携えた十勝岳の山々が、いつもよりふたまわりも大きく、堂々と見える。デッキに出ると、真っ直ぐに山に向かって伸びる、春撒き小麦の緑のストライプが、確実に昨日よりも濃くなって、その向こうに白樺、白樺のクリーム色の幹のむこうに、この上ない白の雄大な山がある。真っ白の山を引き立たせる混じりけのない澄んだ青空が、すがすがしい。小鳥のさえずりと、草の匂い。気が遠くなりそうなほど、気持のよい午後だ。


5月04日
「ふふっ」
昨日からの雨も、昼過ぎにようやく上がった。今朝は、ざんざんとびっくりするくらい降っていたのに、ちゃんと予報どおりになって、薄日も差してきた。うちのお客様は、みんな過ごし方が上手で、雨でもへこたれない。特に、このGWも大勢来て下さったご常連の面々は、滞在中、あまり美瑛の有名スポットになんか、近寄らないらしく、旭川陶芸の里や、隣町まで足を運んだり、温泉や、お気に入りのカフェで、のんびりと過ごしたり、まるで肩の力が抜けている。そうして、みんな帰ってきて「ふふっ」と笑う。「ふふっ」っという感じが、こちらにはとても心地よく、私たちまでのんびりしたような気分になり、うれしくなる。
10年も住んでいると、ここの空気は、もう当たり前のように毛穴から自然に出たり入ったりする。隣の小原さんや北村さんのように、生まれた時から住んでいる人たちには到底及ばないけれど、私たちはそんな息づかいがしたくて、ここに来たのだと思う。そして、薫風舎ご常連、リピーターの人々も、そんな空気をただ味わっているように感じられるのが、なによりうれしい。


5月03日
ひとやすみ
予報どうりの雨。風が、冷たく吹き荒れている。今日は、久しぶりに、薪ストーブに火がともっている。ねずみ色の雲が、大きく縞模様に流れて、不気味な様相だ。それでも、畑には、恵みの雨だ。雪融けと同時に、毎日遅くまで行き来していたトラクターも、今日はひとやすみ。隣の小原さんや北村さんも、きっと、ゴールデンウィークの家族団らんのひとときを味わえているのではないかと想像すると、こんな天気でも、心が温かくなる。


5月02日
雨の予報
今日は、ラウンジからも、うっすらと緑の直線がかすかに見えた。春撒き小麦の芽は、一日で確実に大きくなっているらしい。夕方になって、あたりはどんよりとしてきた。まだほとんど白いところが占めている十勝岳連峰が、いつもよりもぼわんと大きく見える。空気がしっとりと重たく感じられる。予報どおり、明日から雨になるのだろうか。


5月01日
麦の芽
いつの間にか、Tシャツのまま外に出られるようになった。そうか、今日から5月なのだ。何となく、畑に当たる光の加減が違ってきているように感じる。朝、夫が、家のまわりの春撒き小麦の芽が出たよと、うれしそうに言った。「そう!」と私もうれしくなって、目を丸くした。そのときは、そのままやり過ごしてしまった。あとから気がついて、ラウンジから目を凝らしても、良く分からない。夕方、ピアノを弾きながら窓の外を見ても、分からない。とうとう、サンダルを履いて、畑の前まで行ってみた。でも、耕されてだいぶ硬くなった土の上を、山鳩やマヒワなどが、もぐもぐと歩いているだけで、ちっとも芽など見えなかった。
戻って夫に言うと、本当に近くに行ってしゃがまなくちゃ見えないらしい。そんなぽやぽやした芽が、いつの間にか輝くばかりの緑の絨毯になるなんて、本当にすごい。そう思っただけで、今日は確かめるのをあきらめてしまった。また明日、今日よりちょっと大きくなった芽を見に行ってみよう。


4月30日
春の光景
するすると、GWになった。皆、頭よりも体が先に動くので、このまま一週間が過ぎていくのではないかと思う。私たちは淡々としていても、気温が上がって、まわりの木々が、うっすらと緑がかっていくのを見ると、季節がにっこりと先を急いでいるのが分かる。食卓には、毎日アスパラが登場して、豊かな気持ちになる。
昨日は、仕事の合間に、あっこちゃんが、買っておいたパンジーの鉢植えをせっせと作っていた。コーヒーを入れて、玄関に腰掛けてふたりで飲んだら、いつもよりおいしい気がした。


4月26日
揃い踏み
昨日午後、チャコちゃんが旭川駅に到着した。薫風舎のメンバーが久し振りにそろって、なんだか、皆妙にテンションが上がった。箸が転がっても可笑しい。ごはんもおいしい。皆ベテランだから、あうんの呼吸で仕事がすすむ。帆を大きく広げでゆっくりと薫風舎丸が出航したように感じだ。新しいシーズンがいよいよ始まる。みなさん、今年もどうかよろしくお願いいたします。


4月24日
あっという間の出来事
今日、夫とあっこちゃんと3人で、春キャベツとツナのトマトソーススパゲッティを食べた。庭の小鳥の餌台に、アカゲラやヒヨドリがきて、のんびりと食事をしていた。私たちも、それを見ながら、のんびりと食事をした。何を話したか、大笑いして、瞬きして、気がつくと、外は雪模様だった。見ている間に、デッキの前の畑は真っ白になっていった。ラウンジのどの窓も、大雪で真っ白だ。3人とも、あっけにとられて、その光景を見入ったのだった。そうしたら、今度は西の空から青空が張り出した。日が照って、屋根やデッキに積もった雪を、解かした。屋根から、ぼたぼたと水滴が落ちた。あっという間の出来事だった。


4月23日
人参掘り
遅れに遅れた、人参堀の作業を、夫が今日ようやくやった。暖かく湿った土の中にあっては人参が腐ってしまうので、気になっていたのに、なかなか外に出られなかった。案の定、ずいぶんだめになっているものがあった。昨年の出来がもともとあまり芳しくなかったので、不作といえるかもしれない。ため息が出た。
それでも、無事な人参たちは、ちゃんと冷蔵庫に保管された。夫が、掘りたてをジュースにしたら、驚くほど甘くておいしかった。味が濃い。色も濃い。ああ、こんなことならもう少し早くと、悔やまれるが、そんなことより、採れたての人参を、おいしいうちに皆に食べてもらおう。それから、今年は畑に何を植えようか。久し振りに、うちの畑で採れた野菜を味わって、夢が膨らんだのだった。


4月22日
あっこちゃん帰郷
11月から5ヶ月間、愛知に帰っていたあっこちゃんが、今日夕方、水色のデュエットで颯爽と到着した。一昨日夜、フェリーに乗って、だんだん薫風舎へと近づいてくる鼻息がこっちまで聞こえてきた。茨城、仙台、苫小牧、いよいよ上陸だ。のんべんだらりとした生活をしていた私たちは、なんだかざわざわと胸が高鳴ったのだった。そして千歳の都寿司で、おいしいお土産(というか私たちが注文した。)のにおいがした。
4時過ぎ、すし折2人前(あっこちゃんはお昼にすでに食べたのだ。)とともに、あっこちゃんが帰ってきた。ムック、ティンク、クリが、目をぱちくりさせて大喜びした。
夕方、三人と三匹で、水沢ダムまで散歩に出かけた。身の引き締まる冷たい空気も、みんなと一緒だと苦にならないような感じがした。もうすこししたら、チャコちゃんが帰ってくる。薫風舎が、にわかに賑やかになる。


4月20日
あいつらのこと
冬の間、薫風舎の庭で幅を利かせて、私たちから「あいつら」とあだ名されていたカケスが姿を消して、今度は、スズメよりひとまわり小さなシジュウカラやマヒワ(たぶん)が、たくさん来るようになった。
あいつらカケスたちは、餌台にご飯を上げるのを待っていていは、次から次へとやってくる。体が大きいから、餌台に一羽入るのがやっとで、すさまじい場所取り合戦となる。根がずうずうしいので、相手を追い出しては、次の奴に追い出されるまで、ものすごい勢いで食べまくる。いい加減食べ物がなくなって一段落するのを、どこから見ているのか、餌台が空いてから、赤ゲラやヒヨドリが遠慮がちにこっそりやってくる。そうすると、また小さい鳥をいじめにどこからともなく舞い戻ってくるのだ。
私たちは、その様子をはらはらしながらよく眺めた。びくびくしながらわずかに残った餌をついばむ赤ゲラやヒヨドリを応援した。でも、食欲旺盛でパワフルなカケスは、どこか滑稽で、愛嬌があった。そのあいつらが、ぱったりと姿を消した。
今日、お昼ご飯を食べ終わって窓の外を眺めると、小さな小鳥たちが、たくさん庭にやってきていた。シジュウカラのグレイと黒と白のストライプは、春を告げる。マヒワは、黄緑を帯びた頭の色がかわいい。皆仲良く、ちょこまかと何かをついばんでいる。
そのちょこまかとかわいい姿をみながら、あいつらは今ごろ何をしているだろうと、ちょっとさびしい気持ちになった。


4月19日
雨の前
今日は、急に暖かくてびっくりした。20℃を超えたらしい。草木も皆びっくりしたようで、旭川からの帰り道、川べりの木々が、うっすらと緑色になっていた。霞のかかった空に、十勝岳が薄ぼんやりと浮かび上がっている。昨日見た山よりも、ずっと山肌が見えている。風が出てきた。もうじき雨になる。
うちに帰りつくと、笹本さんの畑は、まる二日間にわたったアスパラの苗の収穫を終えて、片づけを始めていた。降りだす前に終わってよかった。夫は、雨になる前にと、ムックたちを連れて散歩に出かけた。私は、ひとことを書き終えたら、ピアノの練習を始めよう。


4月18日
雪の下
今日は朝早くから、玄関の向こうの笹本さんの畑に、大勢のお手伝いの人たちが出ていた。腰を曲げで、手作業で、何かを束ねている。そうだ、あそこは去年アスパラの苗を作っていた。一ふゆ雪の下で眠ったアスパラの根を掘り起こし、束ねているのだ。大変な作業だと思った。
去年、うちでも増山さんからアスパラの苗をいただいて、みんなで植えた。ひょろひょろと長い蛸足のような根を広げて土に埋めていく作業は、ほんの数十メートルでも腰が痛くなった。要領も難しくて、うまく根がつくか心配だった。
アスパラの苗の収穫作業は、7時前から、今5時になろうとするまで続いている。お手伝いの人たちは10人以上いるのではないだろうか。
そうだ、家の畑にもひと冬を越した人参が眠っている。早く掘り起こさなければいけない。


4月16日
ひゃっほ〜!!
昨日、もうあたりが蒼く暮れた頃、ごめんくださいと玄関で声がした。小学校の向かいの増山さんの奥さんだ。私がずっとピアノを教えていたはーちゃんのお母さんだ。久し振りに顔を見て、ひとしきり用件も聞かずおしゃべりをした。それから、はーちゃんのお母さんは、手に持ったままだった新聞紙の包みを手渡してくれた。「これ、さっき採ったアスパラ。今年からハウス始めたの。」ずっしりとした手ごたえを感じながら、私は思いがけないうれしいプレゼントに目を丸くして、それから口の中によだれがこみ上げた。そう、2、3日前だったか、散歩をしながらアスパラのことをぼんやり考えた。今年は暖かだから、そろそろハウスのアスパラが出だす頃かなあ、と。夫も同じ頃、考えたらしい。
そうだ、アスパラの季節なのだ。私は、「アスパラ」と聞いたとたん、どんなにうれしそうな顔をしたか、今でも想像がついて、恥ずかしくなるほどだ。そして、アスパラを心待ちにしている薫風舎のご常連のあの人もあの人もあの人も、きっと、このひとことをよんで、よだれを拭いていることだろうと思うと、またまたにんまりしてしまう。うれしさのあまり、「ひゃっほ〜!!」と小躍りした。
今朝、賑々しくトラクターの音がした。デッキの前の畑がいよいよ始動しはじめたのだ。永さん家族が総出で、土を起こし、石灰をまき、またかき混ぜてと忙しい。そして、夕方には、種まきが始まった。夫とと、これは絶対「小麦だよ!」と、ラウンジから作業を眺めた。こらえきれずに、夫がデッキまで出て、永さんに確認した。「やっぱり、春撒き小麦だって。」やった!今年は、夏までゆっくり、ぽやぽやうっすらの緑の絨毯からやさわさわ揺れる黄金色の海原まで、毎日楽しむことができる。私は、またまた「ひゃっほ〜!!」と小躍りしたのだった。
薫風舎のラウンジの窓の外の畑には、きちんとまっすぐに伸びた縞模様が続いている。


4月15日
早春
もはや雪は、十勝岳連峰の山々の輝く白と、ところどころ日陰に残るねずみ色の塊だけとなった。あたりは、まだぎっちりと体を硬くしている木々とトラクターがまだ起こせない畑の土、雪の下でひと冬じっと耐えた秋まき小麦のまだくすんだ緑がとけあって、北の早春独特の枯れた色を創り出している。この枯れ色の下に、春の鼓動がドックンドックンと確かに聞こえる。雪が融けて土に染み込み、新しい息吹を脈々と注ぎ込んでいることが分かる。
裏の小川に、フキノトウを採りに行った。もう大きくなりすぎたものがほとんどだったが、硬く芽を出しているのを片手に山盛りあふれるくらいどうにか見つけて、てんぷらにしたら、苦くておいしかった。


4月13日
「巨匠」
木下順二脚本、大滝秀治主演、劇団民藝の「巨匠」を、一人でも多くの人に観てもらいたいと思った。父の演出する芝居を、東京公演の初日4月8日に、念願が叶って観ることができた。第二次世界大戦終戦間際、ナチス統制化のポーランドの廃校になった小学校の教室を舞台に起こるひとつの出来事。旅回りの老俳優が、ゲシュタポの前で自分の命をかけて演じた「マクベス」の科白が、そこにいた演劇志望の、そして20年後には人気俳優となった青年と、客席にいる私たち聴衆に、演劇とは何かを問う。それは、生きることの意味と言い換えることができるかもしれない。
老人は、自分の命が失われることを知りながら、自分の40年間の俳優としての人生をかけて「マクベス」を演じることで、自らが俳優であることを証明しようとする。そこには、自分が俳優でありたいという純粋な思い以外に、何一つ混じることのない、一瞬の輝きがあった。
老人が、そして、この演劇が問いかけたことを、今も頭の中に思い巡らせ、まだ答えあぐねている。

その日、家族とともに遅くにホテルへ帰った。部屋に戻ってテレビをつけると、「日本人人質事件」のニュースが飛び込んできた。自分の思いとは裏腹に、全体の中でひとつひとつの命は、その演劇の舞台となった時代とさして変わらぬ軽さになっているのかと思うと、胃の中がもったりするほどの苦しさを感じる。



4月10日
帰宅
旭川空港から、一歩外に出たとたん、身の凍る思いだった。3℃とは、こんなに寒いものか。昨日夜、汗ばむ陽気の東京から5日ぶりに帰ってきた。緩みきった体に、北海道の空気は痛かった。
5日夕方、ホテルに着くと、もうすでに劇団民藝の「巨匠」東京公演のため上京していた両親が、たずねてきてくれた。8日早朝には、スタッフというよりすっかり守分家の家族となっているあっこちゃんとチャコちゃんが、それぞれの実家から、夜行バスに乗ってやってきた。その日の夕方には、妹夫婦が到着し、ほとんど家族で過ごした4泊5日の東京旅行であった。
朝起きると、出発前はまだ真っ白だった景色が一変していた。畑の雪はほとんど融けて、ただ十勝岳連峰だけが、真っ白い雄大さを誇っていた。ラウンジからどの窓を見ても、静かな景色が広がっている。うちはいいなあ。まだ東京で楽しく過ごしているみんなに、少し悔しい気持ちを残しながら、大きな声で言ったのだった。


4月04日
出発前夜
劇団民藝の「巨匠」東京公演が、近づいてきた。昨日、一時札幌に帰宅していた父と同行の母が、東京へと向かった。私たちは、昨日荷物をホテルに宅急便で送ったので、あとは、明日出発を待つだけだ。
今朝のニュースで、「東京の桜も今日まででしょう。」と言った。それはないでしょう。今咲き誇っている桜が、明日にはみな散ってしまうのか!いや、ひと風吹いて、散ってしまうかもしれない。と、少しがっかりだ。散り桜が、かろうじて見れることをちょっとだけ期待しよう。
まあ、それはさておき、今回は演劇が第一の目的。初日8日には、薫風舎の誇る強力スタッフあっこちゃんとチャコちゃんも、妹夫婦も集結する。薫風舎ファミリー賑々しく東京揃い踏みである。


4月03日
ゆっくりいきまっしょ。
新雪の、真っ白い大きな山が姿を現し、今日は一日青空が広がった。おととい、突然あたり一面雪に覆われて、いまだに、家の中から窓の外を見ると、真冬とたがわぬ景色だ。まあ、そう焦りなさんな。のんびりいこうぜ。といわれているように思えて、なんだか、ぼおっと過ごしてしまう。そうだよな。あと一ヶ月しないうちに、また忙しい日々だ。まあ、あくせくせずに、ゆっくりいきまっしょ。外に出てみると綿あめのように柔らかい、春の雪は、そう言ってくれているように思うのだ。


4月01日
エイプリルフール
朝起きると、猛吹雪だ。窓の外を見ると、10センチ以上も積もっている。昼前、3匹をつれて散歩に出たら、ところどころ吹きだまって、ずぼずぼと埋まってしまった。ウソみたい。吹きすさぶ風と雪を頭を低くして避けながら、何とか裏の三号線まで行った。風はますます強く、温かい湿った雪がバチバチと顔に当たる。途中で引き返そうと振り返ると、向かい風に往生してしまった。これは、引き返さずそのまま歩いて一まわりしたほうがマシかもしれない。風に背中を押されながら、みな修行僧のように黙々と進んだのだった。クリのひげには、雪がついて、まるで田吾作がつまよーじでひげをつけたみたいだ。ムックの足には、山伏のように白い大きな球体が、無数にぶら下がった。うちに帰って靴を脱ぐと、ズボンのすそに入り込んだ雪が、冷たかった。とんだ4月1日だ。ホント。


3月31日
「神も仏もありませぬ。」
さっき、父から本が3冊届いた。一昨日札幌に行ったとき、「巨匠」公演の合間に帰って来ている父が、母と妹と駅まで送りに来てくれて、面白い本を紹介してくれた。そのまま電車に乗り、帰りがけにでも買おうかと思っていた。旭川に着く頃に、本の題名を忘れてしまった。ほんとうに、あきれる記憶力だ。1時間20分も覚えていられない。父に確認しようと思ったら、買って送ってくれるという。楽しみに待つことにした。
昨日本屋さんに行って、面白そうなエッセイをほかに2冊見繕い、速達で送ってくれた。さっき届いたので、さっそく開いて、部屋にしゃがみこんだままはじめのほうを読み始めたら、大笑いしてしまった。佐野洋子の「神も仏もありませぬ」。そういえば、最近おなかのそこから笑うことがなかったなあ。コーヒーでも入れて、ゆっくり本を読もうか。それとも、面白い映画でも見に行こうか。とにかく、ピアノの練習や片付けはサボって、愉快に過ごすことに決めたのだった。


3月30日
雨模様
雲行きが怪しかったので、お昼ごはんまえに、夫とふたりで散歩に出かけた。家のまわりをぐるっとひと周り。1辺約500m、およそ2Kmだ。1週間前と比べたら、うんと薄着でも寒くない。7、8℃くらいはあるだろうか。外に出ると、空も畑も何もかもねずみ色で、あまりきれいではない。それでも、体が縮こまることなく、滑る心配もなく、さくさくと歩けるのはうれしい。歩いていると、ぽつぽつと雨が落ちてきた。うちに帰るまで、何とかもってくれた。午後からは、土砂降りとなった。


3月27日
ぬか喜び?
ラウンジの山に向かうデッキの前の畑に、今年は早々と融雪剤が撒かれた。いつもなら自然に融けるのを待つので、このあたりでは一番最後まで雪が残る。雪融けを早めて、春まき小麦を撒くのではないかと思われる。昨年、本当は秋まき小麦のはずだった。種まきが8月過ぎなので、お願いして緑肥用の蕎麦を撒いてもらった。7月、デッキの前に広がる一面の白いそばの花を楽しむことができた。秋、種まきを待っていたら、どうも手が回らなかったらしく、そのまま冬になってしまった。
私は、穂先の短い秋まき小麦より、穂から伸びた長いひげが風にさわさわとなびく、春まき小麦の方がずっと好きだ。5月中旬、ポヤポヤと土の上にかすかな緑を帯び、それがだんだん大きく濃くなっていく。いつの間にか、長い穂ができ、青磁色から黄金色へと、毎日色を変える麦畑の絨毯を、薫風舎のデッキから、今までに2度味わった。そろそろ、また、と毎年期待していた。
永さんが畑に融雪剤を2度撒きに来た。いつの間にか来て、帰っていったから、確認できなかったのだが、春撒き小麦だと、勝手に喜んでいる。外れたら、ちょっとショックだなあと分かっていながら、期待は募る。融雪剤のおかげで、どんどん低くなっていく雪原を眺めながら、わくわくしている。


3月26日
ビビンバ
昨日は、久しぶりにビビンバを作った。マクロビオティック(玄米菜食)に、焼肉屋の定番ビビンバとは如何に?と思われるかもしれないが、ビビンバは自分で作ると、マクロにはかなり最適なメニューだ。野菜たっぷりで、ビタミンも食物繊維も申し分ない。
昨日旭川に髪を切りに行った(ようやく!)帰り、豆もやしやほうれん草を買ってきた。豆もやし、ほうれん草、大根と人参のナムルは、それぞれ作り方や味つけが少しずつ違うが、決め手はおいしい天然塩とおいしいごま油、おいしいゴマだ。きちんと作られ、余計なものが入らない調味料があれば、それだけで、手軽に素材の味が最大限に生かされる。これぞ、薫風舎の料理の基本である。
テンペというインドネシアの大豆発酵食品がある。これが、とても重宝する。はんぺん型に硬く成型されているので、そのままステーキなどにもできるし、炒め物もよい。ちょうど冷蔵庫にあったから、みじん切りにして、自家製コチジャン、みりん、醤油で甘辛に味付けた。昨日は、石焼ではなくそのまま食べたかったので、あとは、材料を玄米の上にのせて、ピピンして(まぜて)食べた。そうそう、キムチものせて。
帰省中のあっこちゃん、チャコちゃんが大好きなメニューだ。うらやましがるだろうなあといいながら、二人で山盛りのビビンバを食べた。みんなが帰ってきたら、ちゃんと、また作るからね。


3月25日
気の重い春の日課
すっかり春だ。2月の後半からあれだけ降った雪も、一日ごとにどんどん融けて、木々のまわりや除雪してあったところは、もう土が大分出ている。日中は、薪ストーブの火が落ちても気が付かないくらい暖かくて、体がほっと緩む。だがうれしいことばかりではない。この時期、ムック、ティンク、クリの散歩ほど気が重くなることはない。うちを出ると、土が出ているところはみんなグチョグチョ、水溜りもある。みんなかまわずどんどん歩くから、おなかまで泥だらけになってしまう。まだ表の水は出せないので、足を洗うのがとても大変だ。
今日は、仕方がないので、裏の三号線まで車で3匹を連れて行った。アスファルトの上と、まだ雪が硬く残っているところを選んで、散歩させたのだった。
とにかく雪がみんな融けてあたりが乾いてくれるまで、我慢するしかない。気の重い春の日課だ。


3月23日
JRタワー
昨年から、ひとりで札幌を往復することが多くなったので、JRタワーへの入り口を、何度も通っていた。一度も、上がってみたいと思ったこともなく、興味もなかった。
昨日、札幌駅の近くに用があったので、駅のステラプレイスに立ち寄った。二人で行くのは、一年ぶりだ。夫が何度もJRタワーに上ろうと誘うので、ひとり900円払って、エレベーターに乗った。エレベーターは、音もなくすうっと三十数階まで昇っていった。ドアが開くと、大パノラマが広がった。日本海に沿って、小樽、私の住んでいた厚田村やその向こうまでも見える。昨日は雲一つない青空で、落ちかけた夕日が、輝きわたっていた。山々をしたがえた札幌の街並みは、壮大だ。まるでブロックで作ったようなビルのでこぼこが、ずっと遠くまで続いていた。ゆっくりと歩きながら、ぐるりとまわって東の方へと目を移した。遠く、大雪山系までも見える。よくみると十勝岳連峰も小さく見えている。目を落とすと、すぐそこにテレビ塔が低く立っている。月寒にある実家はあの辺だろうか。その向こうには、ホワイトドームがあやしく光っている。
カフェでジュースを買って、夕日の見える窓辺の椅子に座り、しばらく山に落ちる太陽を眺めた。思いがけない極上の時間を味わったのだった。
JRタワーは、それを目的に行くのではなく、お天気のいい日、駅でちょっと時間があまった時、ついでの時に、不意に上がるのがいい。と思った。900円は、高いような気もしていたけれど、あの景色とあの時間を思いがけなく手に入れる贅沢があってもよいと思った。


3月20日
シーズン最終日
2日間、真冬に逆戻りしたと思ったら、今日は朝から春の日差しが心地よい。薫風舎冬のシーズンの最終日にふさわしい、穏やかな陽気となった。この冬もまた、いつものメンバーが大勢、そして中には何度も足を運んでくださった。夏とはまた違う賑やかさが楽しいシーズンとなった。3シーズン共に冬を過ごしたあっこちゃんが、今年は冬の間帰省して、ときおり愛知情報を送ってくれた。薫風舎の様子も少しは気になるらしく、ふいに電話やメールが来る。チャコちゃんと3人で過ごしていても、4人でいるような気分で、新聞の占い欄も、必ずあっこちゃんの分もチェックしていた。暖炉の前で、夫とチャコちゃんとよく噂をしていたから、時々くしゃみをしていたに違いない。
4月下旬、4人で元気に夏のシーズンを迎えられるよう、今から楽しみにしている。


3月19日
チャコちゃん帰省
一昨日、この冬ずっと共に過ごしたスタッフのチャコちゃんが、薫風舎をあとにした。札幌で私の妹の個展を観て、月寒の実家に一泊し、昨日飛行機で滋賀へと帰って行った。洗い物やら掃除やら、面倒なことをいやな顔ひとつせずにニコニコとこなしてくれて、大助かりだった。休日は、スキーに行ったり、近隣のカフェに行ったりと、いつも三人一緒に過ごしていた。テレビも映画も一緒に観た。
薫風舎のラウンジは、冬のシーズンも終わりに近づき、急に寂しくなった。これから、チャコちゃんと、この冬愛知で過ごしたあっこちゃんが帰ってくるまでの約一ヶ月、2人と3匹の生活だ。だらけて二人に怒られないよう、十分気をつけなくてはいけない。
チャコちゃん、お疲れ様でした。


3月17日
バックパフ
Winter Piano concert も終わり、薫風舎のまわりの景色も一変した。夕べからの土砂降りで、一気に雪解けの、ねずみ色の風景になった。今日は1日、強風が吹き荒れて、昼近く、薪ストーブがバックパフを起こした。煙突から空気が逆流して、煙がラウンジに立ち込めた。慌ててストーブの火を落としても、さほど寒さを感じない。まわりに緑があらわれるまでの約一ヶ月、どろどろとうっとうしい季節を我慢しなければいけない。


3月14日
Winter Piano Concert [
2年ぶり8度目となる、小林功さんのコンサートが、昨日行われた。今年は、いつにも増して、とても楽しみなプログラムだった。バッハのイギリス組曲第2番、シューベルト「さすらい人幻想曲」、グリーグのスロッテル、ショパンのマズルカ、スケルツォ3番。そして、アンコールには、あの「戦場のピアニスト」あまりにも有名になった、深い悲しみのメロディーが心に染みわたるノクターンが響いた。
蛯名さんによってこれ以上望めないほどコンディションを整えられたピアノが、本番を待つ。続々と、お客様が到着する。1号室に控えている小林さんの心地よい緊張感が伝わってくるようで、開演時間が近づくと、次第に私もどきどきしてくる。
端正なバッハ、シューベルトの曲の中でもとりわけ力強さが際立つ「さすらい人」の迫力、休憩を挟んでがらりと雰囲気が変わる。ノルウェイの農民のダンスが目に浮かぶスロッテルの、左手のリズムに繊細なソプラノの響きがふんわりと軽やかな楽しさ。転じて、ポーランドの荒涼とした大地が思い描かれるマズルカ。スケルツォ3番は、こんなに良い曲だったのかと、小林さんの演奏を聴いて、心が動いた。
小林さんの演奏は、いつもまっすぐに私たちに語りかける。薫風舎のラウンジは、曲が変わるたびに空気の色が変わるようだった。誰もが幸せな気分に満ち溢れ、夕暮れの時を迎えた。


3月12日
コンサート前日
2年ぶりの小林功さんのコンサートが、いよいよ明日に迫った。あの大きなテーブルを運び出し、会場を作る。椅子が足りないので、25脚ほど借りてくる。クッキーを焼いて、当日の夕食の仕込みもできるだけ早めに済ませてと、いつもながら大変な作業だ。のんびりした冬のムードを吹き飛ばす、慌しい数日は、それでも、コンサートのことを思うとわくわくする。
一昨日から荒れ模様の天気が続いた。土砂降りの大嵐から雪に変わり、昨日、今日と、べたべた雪がたくさん積もった。夕暮れ近くなって、ようやく雪もやみ、少し日が差してきた。
小林さんがもうじき到着して、コンサート前夜の、楽しさと緊張感の入り混じるひと時がやってくる。あとは、できるだけ多くの方に足を運んでいただきたいと願うばかりだ。


3月10日
大滝秀治さん
夕べ、久しぶりに父から電話があった。大滝秀治さんがTBSの「はなまるマーケット」に出演するという知らせを受けた。ひそかにそのことを期待していた私たちは、今朝3人でテレビの前に座った。
4月8日から29日まで、東京六本木の俳優座劇場で上演される演劇、木下順二作大滝秀治主演「巨匠」の演出のため、2月から川崎のウィークリーマンションでひとり暮らしをしている父は、慣れない自炊生活に、はじめは、よく電話をくれた。電子レンジや炊飯器の使い方、ほうれん草の茹で方、駅前の総菜屋で買ったキスのてんぷらの温め方。母や妹にも、同様の電話がくるらしく、皆、遠くから少しはらはらしながら、父のひとり暮らしを想像した。
劇団民芸の大滝さんから父のところへ、演出の話が来たのは、2年ほど前だろうか。北海道放送で、長年テレビドラマの演出に携わり、大滝さんとは「東芝日曜劇場」の「うちのホンカン」シリーズをはじめ、数多くの仕事をご一緒させていただいていた。数年前に退職してからは、週に一度大学に教えに行くほかは、原稿を書いたり、時々講演をたのまれたりと、なかなか暇にはならないまでも、好きな絵を描くゆとりもできた。この演出の話をいただいて、またずいぶんと先の話だなと思った。本番まで一年を切ると、にわかに父の周りが賑やかになってきた。家族もみな、心待ちにした。木下順二さんが書き下ろしたナチス占領下のポーランドを舞台にした作品の3度目の舞台化である。その作品のすばらしさについて、父から話を聞くにつれ、ますます期待が膨らんだ。劇中、ピアノの演奏がされる。そのことについて、父から音楽の相談をされると、まるで自分もかげながら演劇に携わっているようで、わくわくした。
地方公演のスケジュールができ、チラシやポスターができ、昨年暮れに立ち稽古が始まった。2月に父が本格的に向こうへ行って、だんだん本番が近づくにつれ、家族はみな、わが事のようにうれしく、どきどきし始めた。できるだけ多くの方に観て頂きたくて、お客様が来ると、私たちも微力ながら宣伝をする。
冬のシーズンの楽しみである「はなまる」の「カフェ」コーナーに、大滝さんが出ないかなあと、私たちはひそかに期待していた。父はそういうことにはとんと疎いから、見逃さないようにと心がけていたところだった。
大滝秀治さんは、放送中も、くたくたになった台本を手から片時も離さなかった。どんな時でも、持ち歩くとおっしゃっていた。そして、「巨匠」のことを、心からの言葉で語ったのだった。「演出家の守分寿男さんは、すばらしい感性を持っておられ・・・。」と父の話が出ると、なんだか自分が褒められているようにうれしかった。
3月18日神戸を皮切りに、6月末まで地方公演があります。お近くの方は、ぜひ時間を作って、足をお運びください。詳しくは、劇団民芸のHPをご覧ください。


3月08日
冬景色
今年は、ずいぶん遅くまで冬景色が楽しめる。今日もよく雪が降り、解けかかって硬くなった雪面をふんわりと包んだ。もう3月も10日に近いのに、真っ白な新雪に覆われて、時の流れを忘れさせる。いいような悪いような、少し中途半端な気分だ。


3月06日
ノスタルジア
久しぶりに、丘の上の小さな美術館へ行った。美瑛在住の写真家飯塚達央氏の写真展を観にいった。北海道各地にひっそりとかろうじてその姿を残している、廃校になった校舎や古い駅舎、小さな商店や銭湯などを、モノクロームで捉えた写真展だ。
白と黒の世界だけで描かれたその作品の一枚一枚をみていると、そこには止まった時間があった。その止まった時間の遠い向こうに、人々のざわめきや、汗のにおいや、子供たちの笑い声、北国で生活している人間の姿を感じ取ることができる。決して美しいだけではない、失われつつある北海道の生活の風景。厳しい自然と対峙しながら、そこでの暮らしを当たり前としていた「北の人々の声」に、静かに、しかし真摯に耳を傾けようとする「移住者」飯塚氏の視点は、忘れ去られようとしている大事なものを、思い出させてくれるようだった。
 飯塚達央写真展「ノスタルジア〜北に流れる時〜」2004.3.5〜3.28の金土日のみ開催
場所:丘の上の小さな美術館0166-68-7977
飯塚氏の「在りし日の光景を求めて」もご覧ください。こちら



3月05日
ミモザのリース

昨日知り合いから、ミモザの花を山のようにいただいた。ミモザと聞いたらまずミモザサラダを思い描く花より団子の私だが、文字どうり卵の黄身のような黄色い春らしい色のお花を見たら、うれしくなった。さて、このたくさんの花をどうしよう。お花好きのあっこちゃんがいれば、任せてしまうところだが、私が何とかしなければなるまい。
午前中一杯格闘して、大きなリースを作った。面倒くさがりでものぐさだから、はじめは億劫な気持ちが先にたったのだが、きれいなうちにやってしまわなければと思い切って作業を始めたら、だんだん本気になってきた。こういうものは、あまり丁寧に作ってはだめなのだ。(本当はできない。)大雑把に、大胆にやるのがいいんだよな、などと心の中でつぶやきながら、細い針金で、たわわに花をつけた太い枝をどんどん束ねていった。
さっそく玄関にかけら、どこもかしこも真っ白なあたりの景色を、ミモザのかわいい黄色が、一瞬にして春色に染めてくれたようで、うれしくなった。


3月04日
久しぶりの富良野
昨日は、予定していた仕事が思いのほか早く片付いたので、急に思い立って、3人でゲレンデに向かった。思いがけず、何年ぶりだろう、富良野スキー場に行った。うちを出たときは、吹雪まじりだったのに、駐車場に付くと、青空が見え始めた。今年は、2月後半になってから、どっかどっかと雪が降り、おまけに昨日は冷え込んだから、3月なのにゲレンデコンディションは抜群だ。おまけに、どんどん天気は良くなるし、ロープーウェイで上まで行くと、すっかり意気が上がった。
新富良野側を2、3本滑る予定が、北の峰にも足を伸ばし、富良野スキー場の広さを満喫した。こんなに空いていていいのだろうか、というくらい人がいなくて、ありがたいやら空恐ろしいやら、ちょっと複雑な気持ちになった。
そんなことはともかく、昨日のスキーは本当に気持ちが良かった。ロープーウェイ最終4時に飛び乗って、最後の最後まで楽しんだ。帰りに、長期休業を終えたばかりのシンバカフェで少し早い夕食をとって、お風呂に入って、しだいに重たくなる体を少しもてあましながら、うちに帰ったのだった。


2月28日
30分の散歩
とても運動不足で、体がなまっている。今日は、久しぶりに穏やかな青空が広がったので、急に歩きたくなった。お昼にゴーシュに行くことになったので、みんなより30分前に出発して、トコトコとあるいた。
いつも、大和さんやじっちゃん、松原さんはじめ、「歩いて丘を楽しむ派」の人々が行くコースを車が追いつくまでたどることにした。小学校の通りを丘の方へ曲がり、やがて上り坂になる。自転車ではかなりきつい坂が延々と続く。柔らかな太陽が暖かくまぶしい。ときどき日陰になると、急に冬を感じるのだった。坂の途中、ログハウスのレストランを過ぎたら、運動不足の私は、もう息が切れてきた。このさき、まだだいぶ上りが続く。時計を見るとうちから30分。せっかくだから登りきるところまでは行きたいという気持ちと、そろそろ追いついてくれないかなという気持ちが、頭の中で交錯し始めたところで、歩き始めてから3台目となるエンジンの音が聞こえた。
最近運動不足に加えて、食事もマクロから緩みがちな私は、チャコちゃんに頼んで、夕べの残りで小さい小さい玄米おにぎりを2個作ってもらった。汗を拭きながら、ゴーシュに向かう車中で、おにぎりを食べた。ゴーシュのまわりは、うちよりさらに雪深く、看板犬ゆすらの家は、雪に埋もれてまるでかまくらのようになっていた。ゴーシュでは、夫とチャコちゃんは、いつものようにツナメルトのサンドイッチ、私はひとりぐっとこらえてコーヒーにしたのだった。


2月27日
逃避行動
最近、音楽のことを書いていない。もう3月になろうとしているのに、今年はピアノの練習が思うように進まず、かなり追い詰められた気持ちになってきた。きっと、音楽に対して逃避的な気分になっているからにちがいないとおもうと、ますます焦ってしまう。
毎年、冬の間に自分に課題を課し、次のシーズンの譜読みをする。実際は、仕事をしながら、合間を縫っての練習なので、思っているうちのいくらも進まず、なんとか数曲の暗譜をゴールデンウィークに間に合わせるのがやっとだ。それでも、一年の自分のテーマを、自分なりに悩み苦しみながら考え、途方もない大きな壁を少しずつ切り崩しながら、シーズンを通して、手探りで自分の演奏を模索している。ぱっと目の前が晴れることもあるが、そのあと、また袋小路に入り込んでいく、その繰り返しだ。
去年から、シューベルトに取り組んでいる。あの、言いようのない美しさを、どうとらえ、表現すればよいのか、つたない技術で少しでも、シューベルトの音楽に近づこうと、練習している。その、練習すること、取り組むことそのものは、とても楽しい。楽しいのだが、その時間をなかなか確保できないことがもどかしい。そして、だんだん気が重たくなってくる。逃避的な気分になってくる。
毎年、こんなことの繰り返しだ。ここに、こんなことを書いていること自体が、もう逃避行動である。そんなことより、ピアノに向かわなくてはいけない。


2月26日
またもや
またもや荒れ模様だ。今朝起きると、吹雪だった。23日の雪とは違い、大きな牡丹雪で、窓の外は真っ白になった。明日も雪の予報が出ている。


2月24日
吹雪のあと
凄まじかった昨日の暴風雪も、夕暮れとともに落ち着いた。夜には、星が出た。朝起きると、普通に雪が降っていた。それでも、午前中一杯、夫とチャコちゃんは、昨日できなかったところの雪よけに追われた。お風呂の前のデッキの吹きだまった雪山はすごかった。湿った重たい雪に覆われた雪原は、今までよりもずっと高く、なにか圧迫感すら感じる。


2月23日
閉ざされる
今朝クリとティンクに起こされた。隣を見ると、夫はもういない。そういえば、ずいぶん早くからいないような気がしていた。まだ寝ぼけた体を無理やり起こして、パジャマの上から防寒用の上下を着込んだ。2匹を連れて外に出ようとすると、夫は除雪をしていた。昨日から降り続いていた湿った重たい雪が、またずいぶんと積もっていた。気温は高く、雪は相変わらず降っていた。
夫が除雪を切り上げ、久しぶりにプライベートで、3人で朝食をとった。ふと窓の外を見ると、ものすごい吹雪になっていた。吹雪というよりもブリザードだ。こんなすさまじいのは、美瑛ではほとんどお目にかかったことがない。
「てるてる家族」が始まると、上下左右、吹雪による交通情報が流れ出した。高速道路は通行止めが相次ぎ、JRもずいぶん止まっている。空港も閉鎖され始めた。全道大荒れの模様だ。
この様子では、おそらくうちの前も車を出せる状態ではないだろう。北海道はどこも閉ざされているに違いない。家の中は、のんびりした休日の朝なのに、気持ちがざわつく。九州や、四国や本州が、こんな嵐に見舞われたら、全国ニュースで大騒ぎするのに、テレビは、どの局もいつもどおりで、はなまるマーケットの間のニュースでも、話題にもならない。10時を過ぎて、ようやくNHKのローカル放送が、臨時ニュースをはじめた。国道もあちらこちらで閉鎖された。めったに止まることのないバスも、運休が相次いでいる。尋常ではない事態になっている。これは、明日まで家の中でじっとしているしかない。今日は特に予定もないし、それほど困ることはない。とはいえ、こう風が強くては、薪ストーブはつけられない。プライベートに閉じこもるのはかなわない。そう思いながら、掃除や洗濯を始めたのだった。
昼過ぎ、ラウンジに出てきて驚いた。お風呂の前のデッキや山に向かうデッキが、吹きだまって、雪山ができている。コニファーのある庭側は、除雪してある部分がすっかり埋まってしまって、ラウンジの窓のところまで、雪がびっちり来ている。裏の小屋も埋まりそうな勢いだ。不思議なことに、玄関側は、風で飛ばされて、雪はほとんどない。こんなことは、美瑛に越してきてから、初めてだ。なんだか、南極昭和基地にいるような気分になってきた。
夕方近くなって、ラウンジのストーブがようやく着いた。3人で、ストーブの前でコーヒーを飲んで、昨日焼いたバナナマフィンを食べた。雪は、少しおさまったかと思うと、また激しくなってくる。風は相変わらず強い。コーヒーを飲み終えると、夫は思案の末、吹雪の中除雪に出かけた。チャコちゃんは、デッキの上の湿った重たい雪山を降ろしはじめた。あたりは、あやしくねずみ色に暮れ始めた。


2月22日
無題
18日の「ひとこと」に、ぐうたらな昼寝ぶりを書いてから、ずっと更新できなかったので、まるでずっと昼寝生活を送っていたみたいに思われてしまうと、心配になった。2週間ぶりに札幌に行って、高校時代の親友と会うことができた。昨年オープン以来、ちょくちょくありがたく利用している、マクロビオティックのレストラン「知恵の木」で、母や妹も一緒にランチを食べ、そのあと二人で酵素風呂に行ったりして、夜まで楽しく過ごした。私と違って、来年どちらも受験生の2児の母で、仕事もしている親友は忙しい。酵素風呂のあと、お宅にお邪魔したら、私の元ピアノの生徒だった長女は、すっかり大きくなって、塾に行く前に一生懸命勉強をしていた。
次の日、母と妹に駅まで送ってもらって、3人で昼食を食べ、いつものようにスターバックスでお茶をして、2時のホワイトアローに乗った。母と妹は、私が動き回りすぎるから帰ってから疲れたとこぼしていたが、お昼を食べてお茶をしただけだから、そんな覚えはない。でもきっと、毎日冬篭りの生活だから、たまに街に出ると思わず歩幅が大きくなり、あれこれと目に入り、テンションが上がるのかもしれないと、あとから思った。
それにしても、今年の冬はあっけなかった。やっと来たと思ったら、さっさと立ち去る準備をはじめたようだ。札幌は、もうすっかり春めいていた。美瑛は、昨日も今日も、湿ったいやらしい雪が降って、どろんとしている。あまり季節に期待せず、毎日を淡々とありがたく過ごすようにしようと、心に思ったのだった。久しぶりに書いたら、なんだか脈絡がなくなった。タイトルもつけられないから、無題にしておこう。


2月18日
昼寝
穏やかに晴れて、夕方になって、山が浮かび上がってきた。あたたかいから、歩くスキーや散歩も気持ちがよい。滞在中のご常連、下村さんや長谷川さん、それぞれ自分の楽しみ方で、きわめてのんびりとマイペースな一日を過ごされたようだ。
私たち3人は、お天気にそそられつつ、お昼ご飯を食べたら布団にもぐりこんで昼寝をしてしまった。お二人よりずっと若いのに、いけないなあ。見習わなければ。


2月17日
女子高生チックな数日
先週、携帯電話の機種変更をした。バッテリーがいよいよ持たなくなったので、仕方なくかえることにした。シンプルなもので安いのでといっても、最近はカメラ、ムービーは当たり前で、ちょっとした文明開化だ。おもしろい。
2日遅れで、夫が新しくした。普段そういうものには私以上に興味を示さない夫が、これがいいと言って、高いのを選んだ。カメラの性能が一番よいものだ。文明開化は2日天下で、まるで大人と子供のように性能が違うので、ため息が出た。
それでも、今までと比べると、格段に色々なことができる。カメラなんてとバカにしていたのに、無意味に写真を撮っては、目の前の夫やチャコちゃんとメール交換。ムービーを撮って、3月から公開される芝居の演出で川崎に行っている父や札幌の母に送ってみたり、まるでいまどきの女子高生のような数日を送ってしまった。おまけに、着メロにもはまってしまって(いままでやったことないのに。)、いろいろとダウンロードした。料金が加算されて行くことにおびえながら、それでも気になる曲を聞かずにはおれない。だんだん退廃的なムードになってきた。こうやって、今の人(今の人って誰のことだろう?)は、携帯にはまっていくんだ。ああおそろしや。そうつぶやきながら、ダウンロードした着メロを、それぞれの人に振り分けるのに忙しい。そうして、気がついたのだが、私にはほとんど電話がかかってこない。たまに鳴るのは夫の携帯からの着メロ「てるてる家族」だけだ。ああ、つまらない。そう思って、時々データフォルダーをあけて、音を聞いてみたりして、ますますばかげている。
そんな無駄なことに時間を費やすのはもう止めよう。それより、せっかくだから、薫風舎のまわりのあれこれ、「携帯カメラ便り」で皆さんにお見せします。目標「毎日更新」!あ、これは、高性能携帯の夫が主に担当します。


2月16日
クリと散歩
なんだか体がぼけボケしているから、お昼前にクリに付き合ってもらって、散歩に出かけた。ずいぶん早い春の陽気に、屋根の雪もこの2、3日でどかどか落ちた。よりいっそう日差しがまぶしかったので、いつもより薄手のジャケットで外に出たら、今日は風が冷たかった。
三号線を山に向かって、500m先の十字路を小学校の方に曲がる。しばらく歩くと、昨日の宮さまスキー大会の歩くスキーのスタートのあとが踏み固められてのこっていた。そのまわりの雪原は風で吹きさらされて、硬い雪紋ができていた。クリとふたりで、硬い雪の上を歩いて、スタート地点まで行ってみた。歩いても、足跡もつかない。そのままこっそりコースを歩き、小原さんのうちの前まで来た。
ひっそりとした大会後のコースを歩いて、なんだかのんびりとした気分になったのだった。


2月13日
豆腐チーズケーキ
マクロビオティック(肉、乳製品、魚、卵、砂糖を避ける玄米菜食)の食事に切り替えて、1年4ヶ月、最近ずいぶんいい加減になった。あまり厳格にしてしまうと、何か体に足りないような気もするし、東京や札幌と違ってマクロのお店もないこのあたりでは、外食もできなくなってしまうので、あえて、少しゆるくしているところもある。そのくらいが、自分たちには丁度よい気がしている。
それでも、少しお肉や魚を食べると、重たくて、玄米や野菜や豆を体が無性に欲する。そういうからだの声が今のところちゃんと聞こえてくるから、時々外でご馳走を食べる時にも、安心しておいしくいただける。
ただ、白い砂糖は本当に受け付けなくなった。テレビでケーキ特集を見ても、街でショーウインドウをのぞいても、心動かされない。甘さを想像するだけで、だめなのだ。甘さだけではない。たっぷりのバターと卵は、うっかり一切れでも口にすると、しばらくもやもやと気持ちが悪くなって、そのたびに後悔する。
その代わり、東京の伊勢丹本店にある茶屋マクロビオティックレストランや、竹橋のクシガーデン、札幌に数件できたマクロのお店のデザートのおいしさは、たまらなくうれしい。夏に時々あっこちゃんが作ってくれたケーキもおいしくて、幸せな気持ちになる。この冬はあっこちゃんが愛知に帰っているので、たまにだが、時間と余裕ができると、マフィンやアップルパイを作った。このまえ、豆腐チーズケーキを作ったら、とてもおいしかった。マクロのお菓子の本を見ると、それぞれパティシエが工夫を凝らしていて、こくがあり目にも美しいケーキになっているが、その中で一番シンプルなものを作ってみた。豆腐とメープルシロップとレモンと岩塩少々、葛粉、これだけ。これが、ふんわりとやさしくて、素朴な味わいだ。タルト生地も作らず、アーモンドプードルを敷くだけ。冷凍庫にブルーベリーがあったので、上にのせて焼いてみたら、立派なブルーベリー豆腐チーズケーキになった。
もう少し時間に余裕があれば、いつも作って、皆さんにもお出しできるのだが、なかなかそこまで手が回らないのが残念だ。冬のうちに、あと何度作れるだろう。


2月12日
冬来たりなば
昨日も今日も、暖かい。2月も中旬だから、もう春めいて当たり前だ。今日は、朝起きて、寝巻きにフリースを羽織り、はだしにサンダル履きでデッキま出ても、寒く感じなかった。冬が遠のくのはとてもさびしいが、体は暖かい方がずっと楽だと思う。日中はもっと気温が上がり、時々、ザザッと音がして、屋根の雪が落ちた。そのたびに、ムックが驚愕する。ムックは、うちに迷い込んでくる前、屋根の雪が落ちることでよほど怖い目にあっていたのではないかと、この季節になるといつも思う。そう思うととてもかわいそうで、「大丈夫だよ、大丈夫だよ。」と、背中をさすってなだめる。他の2匹は、そんなことそ知らぬ顔で、のほほんとしている。
暖かくなると、道路もべちゃべちゃして、道端の雪もぐっと汚くなる。冬来たりなば春遠からじ。複雑な気分だ。


2月10日
往復書簡
ku:nel(クウネル)という雑誌が、昨年マガジンハウスから創刊されたことを知っていた。時々、目にして気になってはいたのだが、「私はこんなに素敵に暮らしています。」、というちょっと「いかにも」な感じが何となく鼻につき、敬遠していた。
先日、Ries cafe に行った時に、本を持っていかなかったので、手にした。ぱらぱらとめくっていると、「江國香織姉妹の往復書簡」という連載に目が留まった。江國香織と妹の春子さんとの文通を、便箋への手書きそのままに印刷したものだ。食べることやと阪神タイガースが大好きな江國姉妹の何気ないやりとりを読んでいると、なんだか、自分と妹の会話を重ね合わせてしまう。それがおかしくて、ついつい引き込まれた。二人の日常生活を見る目、感性の鋭さにどきどきさせられた。そして、食いしん坊なところや友達のような感覚に、とても親しみを覚えたのだった。私と妹は、二人とも筆不精だし、なんだか照れくささもあって、あまり手紙のやりとりをしない。懐かしい漫画とか、チラシの原本とか、うちで採れた野菜とか、しょっちゅう送ったり送られたりしているのに、めったに何も書き添えない。その分、携帯のショートメールと電話には、お互いの夫にあきれられる。いつもくだらない話ばかりしているような気もする。江國姉妹のように洗練された姉妹を目指そうか。たまには、手紙もよいなあと思いながら、ニヤニヤ読んでしまった。
昨日、久しぶりに本屋へ行った。ku:nelを見つけて、どうしてもまたあの「往復書簡」が読みたくなった。バックナンバーも加えて、2冊買ってしまった。本屋の脇のいつものカフェで、夫と待ち合わせる間、またニヤニヤしながら読んでしまった。「往復書簡」読みたさに、次号も買ってしまいそうだ。


2月09日
東川の日曜日
昨年から、休日というと、隣町の東川で過ごすことが多い。トムテ、山麓茶屋&ギャラリーZen、Good Lifeなど、おいしくて素敵なカフェがたくさんあって、北の住まい設計社をはじめとする工房がたくさんあって、天然酵母のパン屋さんもある。そして、最近非常に気に入ってよく利用しているトロン温泉がある。これが、そこらの温泉よりもずっと暖まり、汗もたくさん出てよいのだ。
昨日は、美瑛の友人と半年以上ぶりにランチをしようと、ギャラリーZenに行った。楽しいおしゃべりのあと、夫とチャコちゃんに迎えに来てもらい、トロン温泉に行った。ここは、建物はあまり新しくないし、露天風呂など設備もさほど派手ではないが、お湯がとてもよくて効くような気がすることと、湯船のところにたくさん能書きが書いてあって、その長い文章が、読んでいるうちになんとなく効いてきたと思わせてくれること、それに休憩室となっている広間が禁煙であることなど、とても気に入っている。熱めの湯に浸かると必ず読む能書き、特に気に入っている部分は「絶対に他の追随を許さない・・・」ということろだ。かなり昔のものらしいし、そんなこたあないだろうと内心思いつつも、信じるものは救われると、自分に言い聞かせる。汗がたくさん出るので、広間で一休みすると、近所のお年寄りたちが、皆ごろごろしている。私たちも、気取らずごろごろできるのがよい。
昨日は日曜だったから、帰りにトムテに立ち寄ることができた。冬季は週末営業なので、なかなか寄ることができなかったので、うれしかった。もう暗くなりかけていて、ご近所のご常連らしき人が集い、お酒好きのご主人と一杯やり始めた。いつものトムテとはまた違った、柔らかな雰囲気が楽しく、ついつい長居をしてしまったのだった。
家に帰ってくると、もういい時間となっていた。また仕事をためてしまって、ちょっぴり反省。日曜日なんだから、まあいいか。


2月07日
春めく
今日は雪がやんで、白い太陽が雲をすかしてツララを溶かしている。ことしは、やっぱり暖かい。日差しが強くなると、気持ちも体も、春に向かっていく。そういえば、真冬は根菜ばかり食べていたのに、小松菜とかほうれん草とか、青い野菜が無性に食べたくなってきた。そろそろ、冬眠から覚めなければいけないのだろうか。


2月03日
タイムトンネル
気になっている店があった。昨年の春ごろだっただろうか、国道237号線旭川へ行く道沿いの古い住宅が、なにやら物々しく改装工事を始めているのを見つけた。何ができるのだろうと、興味がわいた。2週間に一度札幌へ行った帰り、富良野線の車窓からぼんやり外を眺めると、目に留まる。どうやら喫茶店らしきものができるらしいことがわかった。そのうち、いつの間にかオープンの看板がついて、いつもそこだけ薄明かりがともっていた。
普通の農家の廃屋が、少し時代遅れのWoodyな外観に生まれ変わり、バイクや革ジャンやBudwiserの匂いがする。気にはなるが、入るにはちょっと勇気のいるたたずまいに、なかなか訪れる機会がなかった。昨日夜、旭川へ行った帰りに、3人で勇気を出して、その店に入ってみた。
タイムトンネル。木の扉を開けると、そこには思いもかけない20年前の世界が広がっていた。古きよきアメリカとバイクの好きな店主が、あたかも20数年前からずっと変わらずにやっているような、そんな店だった。学生時代、こういう店がかっこよかった。オールディーズがジュークボックスからうるさすぎず流れて、やや乱雑に、アメリカっぽい雑貨が飾られている。サントリーのこげ茶の灰皿が、嫌煙家の私ですら懐かしく、思わず触ってしまった。
メニューがまたいい。コーヒーを飲むつもりなのに、隅から隅まで眺めた。ハンバーグセットやドリア、スパゲッティにカレー、ピザと、思いのほか食べるものが沢山ある。夫は、おなかいっぱいのはずなのに、アメリカンクラブサンドを注文した。
きっと入ったらがっかりするよと、店の前を通るたびに夫と話していた。バイクも革ジャンも趣味じゃないから、居心地も悪いだろうと予想していた。それが、思いもかけずに突然異空間にタイムスリップして、こんなに懐かしいうれしい気分になろうとは。すっかりその店にはまり込んでしまったのだった。
コーヒーが運ばれてきた。この香り。酸味の効いた昔のブレンドの深すぎない焙煎のコーヒー。この味が東京ならいざ知らず、このあたりでまだ飲めるなんて。そして、ほどなくボリュームのあるアメリカンクラブサンドが登場した。目を見張った。喫茶店にして、この丁寧なこだわりのある作り方。ただごとではない。私は、一切れはとても無理だから、一口だけと味見をした。衝撃的な味だ。私たちの学生時代には、こういうおいしい食事を出してくれる喫茶店が確かにあった。その店独自のこだわりのメニューがあった。それが、いつの間にか皆同じレトルトになり、個性的な店はなくなり、そのうち喫茶店はすっかり影を潜めた。時を経て、世にカフェブームが起こると、素敵なランチを出してくれるカフェが、沢山できた。このあたりにも、とてもセンスの良いおいしいカフェがずいぶん増えて、それはとてもうれしいことではあった。でも、このアメリカンクラブサンドの郷愁を誘うおいしさに、涙が出そうに感動したのだった。ああよくぞ、この味を守り続けてくれました。うれしすぎて、おなかいっぱいなのに一切れみな食べてしまった。
小さい頃から喫茶店好きだった私が忘れかけていた、この味、この雰囲気。ぐっとくる店を出て、うちまで余韻を引きずったのだった。「定休日はいつですか?」帰りがけに夫が問いかけると、「ないんです。すいません。」はにかみがちに小さい声で答えた、寡黙そうなひげのご主人の表情が印象的だった。
この店の良さ、わかってもらえるかなあ。美瑛周辺の歩き方、超上級者編です。ビギナーは、やめておきましょう。


2月02日
冷蔵庫で仮眠
冬は緩んだと思うと、また舞い戻ってくる。2月はその繰り返しだ。昨日は、日中も夜もさほど寒さを感じなかったのでちょっと油断をしていたら、10時過ぎ、三クリ兄弟の散歩から帰ってきた夫が慌ててお湯を沸かし始めた。空がキンと晴れて、それと同時に気温がぐぐんと下がって、納屋の冷蔵庫が−1度をさしていたそうだ。
納屋の大きな業務用の冷蔵庫は、冬貯蔵している野菜たちが凍らないようにと購入したものだ。かなりの寒さにも耐えて、何とかジャガイモや人参、そのほかの野菜や食材たちを守ってくれるのだが、マイナス17、8度を下回ると、かなり厳しい。冷え込んだ夜は気が気ではなく、鍋にお湯を沸かして、湯たんぽ代わりに冷蔵庫に入れに行く。
数年前購入して初めての冬、気温がマイナス20℃を下回り、夜中に中のものを出して車に積み込み、うちの中へとすべて運び込んだことがあった。こんなこと頻繁にあってはかなわわないと、私が湯たんぽを思いついたのだった。思いついたものの、こんなもので効くのかと半信半疑だった。が、夫いわく、中に入れて5分経つと、冷蔵庫の温度計が1度上がるそうだ。おそらくその後、2,3度は上がるだろう。庫内が夜でプラス3度以上あれば、何とか大丈夫だ。
こんな心配は、こちらへ来るまでは考えられないことであったが、今では冬の日常生活である。夜11時をまわって、さてそろそろ寝る準備をしようかというときに、大きな鍋にお湯を沸かし、寒い中納屋に持っていくのは、ひと苦労だし、今日は持っていくべきか否かを判断するのも、ちょっとしたストレスだ。でも、そのおかげで、おいしい野菜が納屋の冷蔵庫に守られて、冬中楽しめることを考えると、そのくらいは我慢しなければいけない。冷蔵庫で仮眠して一段とおいしくなった野菜を食べると、つくづくありがたみを感じる。


1月31日
冬緩む
昨日から空気が緩んでいる。夕方出かけるとき、帽子もマフラーも不要だった。夜も気温が下がらず、街の温度計はマイナス6℃だった。帰ってきたら、屋根の雪が少し落ちていた。
気温が上がると、とたんに雪も温む。雪原が、暖かそうに見える。空の青さも優しくなる。ツララから、ぽたぽたと水滴が落ちて、それが新たなツララを作っている。厳冬の一月が終わろうとしている。


1月29日
初滑り2
今朝は、少し筋肉痛だ。昨日、急に思い立って、2年ぶりにゲレンデに出た。3人で、2時間ほど。私と夫は前時代的重たいまっすぐなスキー、チャコちゃんはスノーボードで、7本滑った。
ここ数年、本当にゲレンデから足が遠のいた。一昨年数年ぶりに滑ったといっても、足慣らしに白金パーク昼バレーに1回、大きなスキー場は、あっこちゃんと3人で比布に1回だけ。滑ったうちにはいらない。昨年はとうとう一度も板を出さずじまいだった。
お客さんのある日は、到底無理だし、休みの日には、たまった仕事が山ほどある。ピアノもある。玄関を出てすぐにできる歩くスキーが、できてせいぜいなのだ。でも、滑らなきゃなあと、いつも冬になると心の隅で気にかかっていた。
今年は、チャコちゃんもボードをやるし、雪が降る前から掛け声だけはかかっていた。それなのに、もう一月も終わろうとしている。これではいけない。一日がかりになるから、なかなかいけないのだ。お昼にちょっと行って、滑って、帰ってきて仕事をすることを気軽にやる、習慣をつければいいのだ。と思いついて、昨日は、そのきっかけ作りをしたのだった。最近よく行く、東川のキトウシ森林公園のラドン温泉の横に、ちょうど良いゲレンデがある。少し滑って、温泉に浸かり帰ってくることにした。
駐車場について、靴を履くところから苦労する。スキーが重たい。リフトに乗るのも、ちょっと怖かった。それでも、頂上に上がって、滑り出すと、体が覚えているものだ。爽快に7本滑り、あともう少しというところで止めた。疲れもない。なんだ、これなら明日にもまた滑れるかもと思いながら、駐車場に戻って靴を脱ぐと、急に体が鉛のように重たくなった。お風呂にはいるのもひと苦労だった。長く浸かっていることもできず、早々にあがって休憩所に行くと、意識が遠のき、しばらく寝入ってしまった。帰りに、Zenでお茶をして、うちに帰る頃には、もう暗くなっていた。
だるい体をもてあましたが、それでも夫とチャコちゃんは仕事に、私はピアノに向かったのだった。
今日はとても滑る気にならないが、体を慣らすため、あまり間を空けずに、また行きたいと思う。いや、行かなきゃだめだなあと思う。


1月26日
初滑り
昨日は、旭川に買い物に出て、急いで帰ってきた。帰る道すがらの大雪山系、十勝岳連峰がすばらしく、青空にむずむずわくわくしたのだった。そこに、お客様の到着が遅れるとの連絡があり、うちに着くなり3人で、今年初めての歩くスキーの用意をした。
すでに、山は赤紫へと色を変えつつあった。一番に身支度を整えた私は、玄関前のきらきら光る新雪を踏みしめて、前日ご常連の長野さんがつけてくれた跡をたどった。スキー跡は、ようやくスノーモービルでコース取りをはじめた宮さま大会のコースへとつながっている。傾きかけた夕日に向かうか、赤紫色に輝く山に向かうか一瞬迷ったが、あらためてコースから山を見ると、山の美しさに息をのみ、そちらへ吸い寄せられたのだった。真正面に十勝岳を見ながら、まだきちんと整備していないスノーモービルの跡をずんずんと進んでいった。まぶたが凍って、ぱちぱちとする。それでも、歩いているとだんだん汗をかく。小学校へ向かって進むと、大きな山の手前に、薫風舎を訪れた人ならみんなが知っている、畑の向こう側のあずき色の二つの納屋が近づいてきた。山の裾野の広大なカラマツ林の丘も、山も、納屋も、みな同系色に溶け合った。
澄んだ空気が、体いっぱいに入ってきて、気持ちがいい。振り返ると、夫もチャコちゃんも、それぞれのペースで、このあまりに美しい風景を楽しんでいるようだった。
赤紫色の景色に背を向けて、薫風舎へと変える頃、もう夕日は丘の向こうへと姿を消していた。ほんの2、30分の出来事だった。


1月25日
きらきら
今日は、昨日よりもさらに良い天気だ。太陽を浴びて雪面が融けて凍って、宝石をちりばめたようにきらきらと光っている。山の陰影が、十勝岳連峰をひときわ大きく見せる。ダイアモンドダストがちらちらと舞っている。ラウンジの屋根から延びたほそい氷柱(つらら)の先端にも日が当たって、きらきらと輝いている。


1月24日
冬の時間
雪が降っては晴れ、また降っては晴れて、昨日、今日と、とても美しい景色が広がった。新雪が、かすかに春めいてきた日の光を浴びて、輝きわたっている。十勝岳連峰が、いつもよりずっと雄大に見える。
あんまり気持ちがいいから、三人で景色を見がてらGoshまでお昼を食べに行った。お店に入ると、滞在中のご常連水口ファミリーとばったり会って、皆ちょっぴり照れ笑い。そういえば、冬はこういうことがたびたびある。去年の冬だったか、小林さんと八木さんご夫妻が偶然出くわしたところへ私たちも参入し、大笑いになったこともあった。ここに、やはり滞在中の小林さんが入ってきたら、ビンゴである。と頭をよぎったが、小林さんはきっとお昼を食べる時間も惜しんで撮影しているに違いない。
スキーを担いで白金温泉へ行った大和さんも、この天気と雪なら、きっとがんがん滑っていることだろう。
冬になると、ここには夏とは違う時間が流れている。みんな、その冬の時間をそれぞれに楽しんでいる。


1月23日
クリスマスローズ
今年は、もうだめだろうとあきらめていたクリスマスローズに、蕾がついた。数年前に大きな鉢を買ってきて、植え替えて、夏は外に置きっぱなし、霜が降りるまえに、うちの中に入れていた。毎年11月、うちの中に入れたときには、とても花など咲きそうにないのに、ちゃんと蕾が出てきて、茎がすうっと伸びて、薄い赤紫色の不思議なグラディエーションの花を沢山咲かせてくれた。
昨年中に入れたとき、もうさすがに育たないのではと思った。それでも、あっこちゃんに代わって、チャコちゃんがお水をあげてくれていた。
廊下やラウンジに置けば、いくらか日に当たるのだが、ぐんぐんと冷え込んだとき、凍ってしまうのではと心配になり、ハーブと一緒に暖かいがあまり日の当たらない場所に移した。毎日見るたびに、お日様に当ててあげたいとおもいながら、あまりに鉢が沢山あるので、動かせずにいたのだった。
10日ほど前だろうか、土から芽が出て、蕾らしきものが現れた。あっという間に茎が伸びて、ほころんできた。なんという生命力の強さだろう。いつもより一ヶ月遅い開花。蕾の数もずっと少ない。それでも、必死に花を咲かせようとするクリスマスローズは、すごいと思った。春には、土を入れ替えてあげよう。肥料も少しあげよう。来年は、元気に沢山の花を咲かせるように願って。


1月21日
札幌の道路状況
昨日一人札幌に行って、たった今帰ってきた。札幌は2週間前とは別世界で、道の両脇には捨て所のない雪がうずたかく積まれ、住宅街は雪に埋もれそうになっていた。実家の裏庭から妹の家のベランダへと続く数メートルの小道は、両脇が雪の壁になっていて驚いた。妹いわく、これでも気温の高い時にだいぶ沈んだそうで、もとは背の高さほどもあったそうだ。先週の大荒れの天気は、やはり札幌の方が相当ひどかったのだと思い知った。
札幌の冬は住みづらい。なんといっても、道が悪すぎる。日中も気温が低く除雪も行き届いている美瑛に来て、つくづく思った。このところ暖冬続きで、日中道の雪が融けるから、なおわるい。夕方暗くなると、融けて水となった雪が氷となり、アスファルトはビカビカのブラックアイスバーンと化す。おまけに、除雪が悪い。国道以外は、話にならないほど悪い。あるところは、テカテカのすり鉢状に、あるところはソロバン道路(ソロバンのように、でこぼこと突起物が出る。これは、見たものでなければ想像もつかないだろう。)、そして道は夏の半分の幅となり、渋滞して、目的地までは倍の時間がかかる。
ずっとそんなところで車生活をしていた。ピアノは、半分が出張レッスンだったから、いやおうなく運転していた。美瑛に来て、その寒さに驚いた代わりに、スタッドレスがよく効くことと、道のよさに感心した。雪の量も、どうみても札幌より少ない。夏と同じとは行かないが、札幌に比べたら天国である。おかげで、実家に帰って車の運転に二の足を踏んでしまう。今回は、忙しい妹を拝み倒して、運転手をさせてしまった。今度はそうは行かないので、再来週10年ぶりの札幌市内の運転に、今から心の準備をしている。


1月18日
悪いライン
ムックとクリは、悪いラインだ。普段部屋の中では、いばってめったにクリの相手をしないくせに、うっかり二匹一緒に外に出すと、ムックはとたんに番長づらをしてクリを誘い、私たちを煙に巻いてすっ飛んでいく。クリは、腰ぎんちゃくのように親分の後を追う。
今日は、ティンクがオシッコをして戻ってきたスキに、ムックが外に飛び出し、ティンクと一緒に出てふらふら遊んでいたクリをけしかけ、あっという間に雪山の向こうへと消えていった。私は夫を大声で呼んで、慌てて外へ出る装備を整えた。上下着込んで、防止や手袋、首巻、それに雪が入らないようにスパッツもはいて、防寒靴も履いて、もたもたと時間が過ぎる。焦りながらスノーシューをようやくはいた。二匹が消えた雪原へと歩き出すと、夫が車を出そうと外に出てきた。「そんなの間に合うわけないよ!車の方が早いよ!」とさけんだ。そんなことは分かっている。でも、ここまできたら二匹の足取りを追って、私も雪原を歩きたい。デッキ前の畑に入って、「クリー!!」とさけんだ。クリが、川の手前の雪山から、心細そうに顔を出した。どうやら、雪の中を歩くのが怖くて、戻ってきたらしい。夫が慌ててクリを玄関の中へと入れた。ムックの方は、畑の向こうのネネちゃんのところと行き先は分かっている。あとは車に任せるとして、せっかくなので私はムックの足跡をたどって、スノーシューで雪の中を歩いていった。途中、白樺のちょっと手前、ほやほやと湯気を上げるムックのうんちを発見。うれしくなる。
雪面は薄日を浴びてきらきらと光っている。足元の立ち枯れたねこじゃらしやススキの穂、低木の枝の先の先まで、びっしりと霧氷がついていた。腿を大きく上げて雪の中を歩くのは、本当に気持ちがいい。引き返すきっかけがなくて、ずんずん歩いていると、雪面の向こうに夫の車が見えた。私に気がつくかなあ。ムックと一緒に私も待っててくれるかなあ。とおもいながら、車の方へと進んだ。もうここまできたら、もし置いていかれても、道からスノーシューを脱いでうちまで戻る覚悟はできている。
ムックの足跡は、白樺林の少し先で、小川に架かった小さな橋を渡って、ネネちゃんのうちへと向かっていた。いつも、どこで川を渡って向こう側へ行くのかと思っていた。ちゃんと分かっているのだ。向こうの道へとだんだん近づくと、夫が車から下りた。念のため、大きく手を振った。ムックは、どうもまだネネちゃんのところに到着していないらしい。とにかく、私は私で車へと歩いた。汗をびっしょりかいている。ようやく最後の上り坂(畑から道へはずいぶん勾配があることが分かった。)をのぼって、車にたどり着いた頃、ムックもえへらえへらと笑いながら、ネネちゃんのところへやってきた。どこもかしこも真っ白なのに、どうしてこんなに泥だらけになるのだろう。
みんなで車に乗り込みうちに帰ってくると、玄関にはこれまた足を泥だらけにしたクリが待っていた。ティンクは、なんだか仲間はずれにされたような、悔しそうな顔をしていた。私は、思いがけないスノートレッキングに、全身汗だくになったのだった。


1月17日
冬の太陽
今日は、雲一つない青空が広がった。朝起きて廊下へ出ると、お風呂の前のデッキの向こうの雑木林に霧氷がびっしりとついていた。キンと冷え込んだ。かがんでラウンジの正面の窓から見える山を覗くと、十勝岳連峰が新雪に輝きわたっていた。私よりずっと前からラウンジにいた夫が、まだ日の出前だという。もう空は明るく、真冬の白い光を帯びていたから、もうじき日が出ることがわかった。
久しぶりに日の出の瞬間を見たいと、心動かされたのだが、パジャマの上にフリースを羽織っただけで、とてもその場に入られない寒さと、BSで7時半から放映されるテレビ小説「てるてる家族」の時間が迫ってきたのとで、くじけてプライベートへと戻ってしまった。
テレビを観るために、コーヒーを入れて持って来てくれた夫とチャコちゃんは、日の出を見たそうだ。雲一つないと何も反射するものがなく、急に山から太陽が出て、すぐに昇っていくと言っていた。もうひとがんばりして、その瞬間を見ればよかったと、ちょっぴり悔やんだのだった。
その太陽は、午後になるともう西に偏り、真冬独特の白い冷たい色を放っている。その光を浴びて、山々は、深い陰影を見せ始めた。夕方、今日は山が夕日に紅く染まるだろうか。


1月16日
雪原
ようやく雪がやんで、薄日が差してきた。昨夜は、おなじみのじっちゃんこと長谷川さんから、大雪お見舞いの電話もかかってきた。幸いこのあたりは、全国放送で騒がれたほどではなく、風も雪もたいしたことはなかったが、それでも、3日間は除雪に追われ、屋根や木々に積もった雪はかなりの量となった。
新雪に覆われた雪原は、冬の弱い日差しを浴びて、今日は静に光っている。


1月14日
大荒れ
またもや全道大荒れだ。今年は、どうなっているのだろう。天気予報の等圧線をみると、ぞっとしてしまう。こんなのは、見たことがない。ニュースで見る札幌や北見の映像も、すさまじい。この前までは、かろうじてこのあたりをかすめていたが、さすがに今回はうちの周りも猛烈な風と雪に見舞われている。吹き溜まりがあちらこちらにでき、朝からの強い風とだんだん激しくなってくる雪に取り囲まれれいる。
夫は、朝からデッキの上の雪を下ろし、玄関周りや細かいところに吹きだまった雪を、スノーダンプでかき出した。お昼ごはんもそこそこに、今度は顔まで隠れるデストロイヤーのような帽子にゴーグル、重装備でトラクターを出しに行った。チャコちゃんも出て行った。わたしも、このひとことを書き終えたら、吹雪の中の外仕事だ。今日到着予定のお客様は、どうしておられるだろう。無事薫風舎へたどり着けるだろうか。窓に吹き付けられた雪が、物々しい雰囲気をなおさら駆り立てる。


1月12日
連休のあと
賑やかだった3連休が過ぎて、急に静かな薫風舎にもどった。ラウンジには、先日買ったモーツァルトの弦楽五重奏とお昼ご飯の後片付けをしているチャコちゃんの食器を洗う音だけが響いている。薄曇から日がさして、穏やかな昼下がりだ。デッキの前の雪原に、昨日の朝連れ立って歩いていたお客さんのスノーシューの跡が、ずっと向こうまで続いている。
食休みをして、ゆっくりとお茶でも飲みながら、今日これからの予定を立てることにしよう。日が暮れないうちに行動を開始できるように。


1月11日
大雪
このところの天気予報の大雪の予報は、ことごとく肩透かしだった。大荒れの天気も、この辺をかすめていた。昨日の夜から、暖かい雪が静かに降り積もり、朝起きると20センチ以上になっていた。
深雪になれていないクリは、朝外に出ると、大げさにぴょんぴょんと跳ねながら進んだ。うんちをする場所を探すのもひと苦労だった。夫は、仕事の合間を縫って、除雪に追われている。木々の枝は、こんもりと白く、ときおりそれが風を受けて、舞い落ちる。うれしい冬景色だ。


1月10日
夢のペンギン散歩
昨日、2年越しの願いが叶った。一昨年の12月から、ずっと行きたくて行けなかった旭山動物園に行って、キングペンギンの園内散歩を観ることができたのだ。
旭山動物園は、薫風舎のお客様の最も人気の高い場所のひとつであり、ご常連の中には、年間パスポートを購入して、こちらへ来ると必ず訪れる方々も少なくない。特に12月から3月までは、開園と同時にペンギンの園内散歩が見られるので、皆せっせと足を運んでは、臨場感ある感想を聞かせてくれていた。紹介したこちら側としては、その喜びの声はとてもうれしく、しかし近くにありながら結局昨シーズン自分の目でそれを確かめられなかったことは、非常にくやしく残念であった。
おととい、北海道は全域大荒れの予報が出ていた。札幌の両親が2泊して帰る予定だったのだが、あまりにもテレビのニュースが激しく警告するので、一日伸ばして、美瑛で待機することにした。このあたりは割合と穏やかで、のんびりとした一日を過ごすことができた。動物園は、水、木曜日が定休日なので、一日伸ばしたおかげで、みんなで動物園に行くことができた。
心配された天気は、結局このあたりをかすめたらしく、雪も思ったほどは積もらなかった。朝起きると青空が広がり、気温も緩んで、絶好の動物園日和となった。
開園の11時に何とか駐車場に滑り込むと、入り口には大勢の人が列を作っていて驚いた。美瑛神社の初詣の時よりも、人が多いように感じた。ようやくチケットを購入して中に入ると、入り口にぐるりと人だかりができている。まもなく、くっきりとした白黒に鮮やかな黄色が映えるキングペンギンが、20羽もいただろうか、飼育係の後をついて、ヨチヨチと歩いてこちらへやってきた。人間の腰丈ほどある大きなペンギンだ。短い羽で上手にバランスをとりながら、左右に体をゆすってのんびりと歩いている。取り巻く観客は、皆大喜びで、その姿に魅入っている。私も家族も、目を丸くして、思わず笑みがこぼれる。中央の小山に登って、おなかで泳ぐのや、ちょっと横道にそれながら歩くの、見ていると皆個性がある。それでもちゃんと、何となく列からはなれずに、小山の周りをぐるっと回って、上のペンギン館へと戻って行った。観客は、そのあとを一生懸命追っていく。私たちも、先回りしようと、急いで上へと歩いた。
ずいぶん上で待ち伏せしていたら、係りの人が、こちら側でもいいですよと、反対側に行かせてくれた。絶好のポジションで待ち構えてしゃがんでいると、登ってきたペンギンの先頭が、方向を変え、ずんずん私たちの方へと曲がってきた。一羽が曲がると皆ついてくる。ペンギンの集団が、どういうわけか、夫と私とチャコちゃん、母の方へと、目と鼻の先まで近づいてきた。なんとうれしいアクシデントであろう。すっかりペンギンたちに気に入られ、周りの人々からは注目され、思いがけないひとときを味わったのだった。ペンギンたちは、飼育係に促され、次の瞬間もとの方向へと戻って行った。
それから、ホッキョクグマ館、猛獣館、サル山やペンギン館、雪の中うれしそうな動物や寒そうな動物たちを眺め、話かけ、楽しい時を過ごした。入場の時、冬季間パスポートを買う勇気が出なかった。でも、何とかもう一度くらい、みんなに会いに行きたいと願っている。


1月07日
冬のひととき
昨日札幌から、両親と一緒に美瑛に帰ってきた。富良野線に乗り換えると、今年初めての澄み渡った青空に、白い旭岳がそびえていた。美瑛につく頃には、その山々は、赤紫色に変わっていた。
今日も朝から良い天気で、昨日は雲がかかっていた十勝岳連峰も、稜線がくっきりと浮かび上がっていた。その山並みを見ながら、5人で上富良野の後藤純男美術館に行った。外に見える風景とは、また違った重厚な趣の十勝岳連峰の雪の色が印象的だった。
そうして、本当に久しぶりに、Shinba Cafeに行くことができた。店内のレイアウトが、少し変わっていたが、ゆっくりとくつろげる空間と、いつもあたたかく迎えてくださるご夫妻の笑顔がうれしく、野菜がこぼれんばかりに沢山入ったカレーと雑穀ご飯、それにおいしいコーヒーをいただいて、身も心もすっかり満足した。ようやく訪れた冬らしいひとときだった。
帰り道、雪山はますます美しく、うちまでの30分間、景色を堪能した。帰って昼寝をしている間に、父が、ラウンジからの十勝岳連峰をスケッチしていた。期待していた夕日は、ほんのりと控えめであったらしい。今夜から荒れる予報が出ている。


1月05日
餌台
すっかり雪で覆われた庭木のなかに、鳥の餌台がある。去年の夏から置いてみたのだが、秋までにその上で野鳥を見たのは二度三度だっただろうか。その餌台に、毎朝ミヤマカケスが三羽四羽とやって来るようになった。小さな餌台には一羽しか乗ることができないので、近くの枝の上で順番待ちをしているほどだ。けして珍しい鳥ではないが、毎朝餌を啄ばみに来る姿を見るのは楽しみで、そこから一日のスタートを切るのはとても気持ちのよいものだ。


1月03日
久しぶりの休日
この年末年始は、いつもの顔、懐かしい顔、連泊のお客様で、いつにも増して和やかで賑やかな年越しの一週間だった。今朝、全員が薫風舎をあとにして、すっかり静かなラウンジになってしまった。今日は、久しぶりの休日。3人で、これから楽しい映画でも観て、おいしいものでも食べようと思う。


1月02日
うま煮地獄
このお正月、恐ろしく沢山のうま煮を作ってしまったことに気づいた。大晦日に泊まられるお客様がいつもよりも多かったので、気合が入った。元旦、皆さんに食べていただいても、一向に減らず、鍋の中を覗いて、絶句した。これを、3人でいったいどうやって食べればよいのだ。もちろん、その日は、昼も夜も、お雑煮とおせちだった。
今朝はさすがに、くじけてパンを食べた。昼、またお雑煮とおせち。なます完食。きんぴらは先が見えてきた。黒豆も何とかなりそうだ。しかし、うま煮は手ごわい。必死で毎食食べても、まだ大鍋に半分近くある。だんだん味がしみておいしくなってくるから、飽きずにおいしく食べているのだが、その量は半端ではない。正月早々大きなノルマを、どーんと目の前に積まれているようで、なんだか気が重い。昼、もう一度煮なおしたので、また新たな気持ちで、今晩からも薫風舎厨房は、当分うま煮がメインディッシュになりそうだ。


1月01日

新年明けましておめでとうございます。
今年も、どうかよろしくお願いいたします。


新しい年は、いつものように、美瑛神社の雪の中の花火から始まった。11時45分、薫風舎からは私たちも含めて過去最多の15名が、初詣へと出発した。鳥居のところに並ぶと、ドンドンと新年を告げる合図があり、雪のちらつくなか、みなで挨拶をしたのだった。
超常連の加藤さんの提案で、うちに帰ってから、有志シャンパンでの静かなお祝いをした。部屋に戻ると、まだ年の明けぬドイツ、サイモン・ラトルとベルリンフィルの生ライヴをやっていた。
朝、ささやかなおせちとお雑煮で、お正月を迎えた。昨日作ったうま煮やきんぴら、黒豆もなますも、お肉やお砂糖を使わずに作った。野菜やメープルシロップ、ほんの少しのみりんのやさしい甘みは、体が喜ぶ味わいだ。お雑煮はいつものように発芽玄米もち。ゆずと三つ葉の香りが、根菜のだしのすまし汁によく合う。いつもよりもずっとのんびりした食事が終わり、静かなひとときが過ぎると、スキーに出かける人、帰り支度をする人、今日一日どう過ごそうかと相談する人、それぞれゆっくりと行動を開始する。そうして、10時過ぎ、すっかりラウンジは静かになったのだった。
ちょうどその頃、沢山の年賀状が届いた。掃除を始める前に、一枚一枚、心温まる皆さんからのひとことを読み、今年一年、また頑張ろうと気持ちを新たにした。みなさん、本当に沢山の年賀状ありがとうございました。どうか、この今年が、みんなにとって穏やかな一年になりますように。